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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第七章
87/127



 騎者どのらの会合が終わった頃、既に宵闇が辺りを色濃く包む時間帯となっていた。時刻にして五時間ほどであろうか。

「すっかり暗くなっちまったな」

「終わったか、アルどの」

「おう」

「いやはや、長らくお待たせいたしまして」

 共に応接部屋より出てきた人間二人は、揃って満足気な顔をしていた。どうやら目的は達したらしい。

「じゃ、そろそろお暇するわ」

「うむ」

「もう行くのか、せわしないな。せっかくなんだから、ゆっくりしていけばいいのに」

「わんちゃんと鉢合わせしたらさすがにヤバいだろ」

「確かに」

 騎者どのと旧友たる人間は顔を見合わせ、同時に口角を上げる。どこまでも表情が同調している若者と老人の手が、派手な音がするほどに固く組み合わされた。

「ルシー、あんがと。恩に着る」

「どうってことないさ。それよりアル、僕がここまで援助したのだから肝心の君こそヘマだけはしないでおくれよ」

「当然」

 しばらく人間の雄らは感謝の握手を交わしたのち。ふと、含むような笑みを浮かべていた緑の瞳が、その表情を消した。

「……元気でな」

「ああ。君も、ね」

 我輩はしっている。握手とは、二本足にとって出逢いや感謝の意思表示であると同時に、別れの挨拶でもあることを。



 外に出ると、程よい風が鼻先を擽った。

「リョク、どうよ」

「……かの使者は行動が早い御仁とみえる」

「へえ。もう済んだのか、西方警備隊の足止め」

 騎者どのがにやりと口角を上げる気配に、我輩は閉じていた瞼を開ける。遠方に逗留していた数多の人間の気配、それが一応に変わった事実を付近の四元精霊が教えてくれたのだ。明確にではないが、それと決めた方角に思念を発するだけで遠隔的に何が起きているのかを感じ取れるのだ。

 ここはそれほどまでに、風の霊気が強い。

「不思議な都だぜ、アルカリー国の首都・スロヴェニア。こーんな街ん中なのに、風の四元精霊だけ田舎より多いんだろ?」

「うむ」

「さすが霊法師連中の巡礼地。……そいで、」

 若者の緑の瞳が、誇らしげに瞬いた。

「さすが、我がルーツの地だってか」



 我輩らが立っているのは、荘厳な家屋の文字通り屋根の上である。中庭と渡り廊下の上部のみ平らな床が電灯付きで長々と場所を取っており、添えつきの非常階段でそこに登ったのだ。周囲の家屋に無いこの「屋上」という場所、一体なんのためにあるのかというと、家人の会合所であると同時に緊急時の避難場所でもあるのだそうだ。ちなみに常時は洗濯した敷き布を干すために使用しているとか。

 この家屋の住人は防災意識が高く、皆が皆、親切な性質である。その場所を貸し与えてくれた家主と担当者は、この屋上を吹きぬける風が最も強くなる時刻を教えてくれた。

「もうすぐだぞ、リョク」

「うむ」

 髪を靡かせ肌をなぞる風が、一段と強くなった。騎者どのに頷き、我輩は纏っていた衣の上を脱ぐ。下も脱ごうとし――たところで手を止めた。背後の階段からごくりと息を飲む音と押し殺すような黄色い声が聴こえたせいである。

 騎者どのが半眼で「覗き……じゃない、見物人がいるみてえだから脱がなくていいわ。どーせ取りに来れないだろうし」と言ってきた。着たままだとせっかくの衣が台無しになるのだが、仕方あるまい。脱ぎ捨てた上衣も纏い直すと後ろで幾つも舌打ちが聴こえたが、無視をする。にくしょくけいじょしは構っただけ恐ろしいことになる、と過去に学んだ。

「せっかく出てくんなって言ったのによ。物見遊山ってのは人間さまの性分なのか。ま、半分は監視も含んでるんだろうけど」

「言ってやるな、騎者どの。彼らもすぐに悟るだろう」

「そりゃそうだ」

 場所を貸してもらって言う台詞じゃねえか、と騎者どのは低く嗤った。彼は人間であるせいか、同種と自分自身に関してやや冷めた物言いをすることが多い。

 さておき。

「そろそろだ」

 短い黒髪が逆立つ。長い緑髪も勢いめいた風に煽られ、一糸も逃さぬとばかりに中空に舞い上がる。

「―――騎者どの、来るぞ!」

 纏っていた衣が、音を立てて弾ける。周囲に溢れる風と光の霊気。濃くなる周囲の気配。ざらり、と人間の髪とは質感の違う体毛が宙にたなびいた。

 我輩は、再び瞳を閉じる。声に出さず、思念のみで「呼びかけた」。

《風精よ》

 それは、大気の巨大な塊。

 二本足の界隈を刹那の時間で通り過ぎる、すがた無き風。

 応えはすぐに返ってくる。


《おや、かぜのけものがこんなところにいる》


 この地方最大級の、風の四元精が。


 この土地は一帯、西から東に大気の流れが吹き抜けている。東方から西方に向かうには風精らに援助を懇願する他、力を逆方向に転換させるだけの霊気が必要だ。そして進路中、発動させる霊力の妨げがあっては余計な消費を生み、目的地に着いてからも存分に実力を発揮出来ない。

 人界とはかくも気配が雑多であり、天の獣が力を使うには制約が多い界なのである。条件を満たそうとするのならば、相応の環境を整えねばならない。

 我輩がおこなおうとしているのは、その最後の仕上げたる工程だ。

(騎者どのはみずからの工程を無事仕上げた。我輩も、それに倣わねば)

 添え付いていた人口の灯りが音を立てて活動を停止し、辺りは数多の人間が慌てる声と気配に満ちる。その中で、我輩と騎者どのだけが動じていなかった。屋上に吹き付け集中した気圧、されどひらけた場所であるのでさほど物的被害は無い。

 そして、人的被害も無かった。

 風精が目視出来る位置まで近づいた、と判断したその瞬間。我輩は、人型を解いて本性に立ち戻っていた。そして同時に、纏う光の霊気を階段の方向と中庭の方角に張り巡らせ、簡易的な結界を張ったのだ。人間らは、不意に止んだ風と暖かくなった体感気温に戸惑っているらしい。彼らの無事を確認した騎者どのがこちらに視線をやり、無言で頷いた。その手に握り締められた武器霊具が、我輩の霊力に呼応するように表面の細工を光らせる。

 風の霊気と光の霊気が、ぶつかり合った。

《風精よ、聞いてくれ》

《なんだい、ぼくをよびとめてどうするの》

 くすくす、と微風めいた思念が届く。しかし、周囲に渦巻くのは暴風といっていい大気である。我輩を中心に結界がその層を割き、広範囲に分散させるように風圧を弱めている。進路を妨害された不可抗力と強い霊気を持つ者の思念により、この気紛れな風は止まってくれたのだ。

 そして未だ、気の抜けない時間は続く。

《あそびたいの? みどりいろをした、かぜのけもの》

《ああ、とっておきの遊びを提案しよう》

《へえ》

びゅごう、と暴風めいた感情が押し寄せてきた。

《なにしてあそぶ? たのしくなかったらいやだな》

 それはまるで、残酷なこどもの声のように。興味が殺意に変わるのもこちらの気分次第なのだと、気紛れな欲求を突きつけてくる風の渦。

《たのしくなかったら、かぜのけものをばらばらにするよ》

「――……」

 悟った。どうやらこの風精は力こそ強いが、まだ存在してから年月が少ないらしい。

(風の四元精霊は共通して軽薄な性質を持つとはいえ、持つ力に見合わぬ幼稚な思念……このもの、この世界に生まれ出でてまだ数十年ほどとみた)

 ならば、だいぶ気が楽になる。我輩は内なる安堵と共に、なんともいえぬ心地を抑えることが出来なかった。人型であったのなら、先ほどの騎者どののように意地の悪い笑みが口角を上げさせていただろう。

《そこにいるにんげんも、みんないっしょにこわしてあげる》

(随分と、舐められたものだ)

 相手の力量もはかれない小童が、生意気を言ってくれる。かほどに遠慮の無い様ならば、こちらとしても遠慮を抱く必要が無い。

《……やはり遊びは止めよう》

《じゃあなにをするの? あそばないならつまらないな、ばらばらにしてあげる》

 耳鳴りがするほどの風圧が押し寄せる。我輩の張った結界を力で押し破ろうと、勢いを増す大気の流れ。周囲に分散されていた風が軽いものを吹き飛ばすほどに強くなった。

 及び始めた物的被害、固唾を呑んで見守っていた家屋の人間がまた騒ぎ出し、霊具を握る騎者どのの腕に力が入った。こちらを見上げる緑の瞳が、我輩に早くしろと促してくる。

 それに無言で頷き返し、我輩は前脚の蹄に力を込めた。枝葉の端まで霊力の漲った角が、我輩が更に念を込めると同時に燦然と輝く。

 闇夜に眩いばかりに閃いた、強大な霊気の塊。

《!?》

 風精の戸惑った思念が伝わってきた。壁を壊そうと力を行使したのに、それがすべて無効になったからである。そればかりか。

《なにをした、かぜのけも、》

 周囲の人間界隈を包んでいた光の結界が、まるで上から吊られた網のように持ち上がって四方から自身を包み、分散させていた自身の力が跳ね返ってきたのだ。戸惑いの念の後、予期せぬ攻撃を受け衝撃を負った苦しみが伝わってきた。哀れだと思わないでもないが、今は情けをかける場合ではない。

(展開させた結界の正体を見破れず我輩を天の獣と見越すことが出来なかった時点で、この意思持つ風は仕置きと教育の必要がある)

 それは強者たるものが身の程を弁えぬ弱者に向けるたぐいの、獣特有の攻撃性である。我が一族たる生存本能に逆らうものでなく、この感情を抑える必要も無い。そうとわかればことは容易い。突破口を見つけた時点で一気に押し進むのが、我が一族の信条だ。

 我輩は高々と、言霊を発した。


「《お前を使役するとしよう》」


 絶対的に敵わぬ力の上下関係を、思い知るがいい。


◇ ◆ ◇


 天の獣は、本来人界に長く存在してはいけない生き物である。その理由は多々あるが、やはりその身に秘める霊気容量の多さが大きな要因である。要は、ここ人界においては過ぎるほどに多く、霊力として発する分も桁外れなのだ。

 我が一族たる「イヴァ」という麒麟種は、麒麟種の中でも特に霊力行使が不得意な種である。角に秘める生命力は「カイチ」に及ばず、霊視の妙と思念の強さも「ユニコーン」に敵わない。ただ純粋な身体能力である脚力のみを武器とする、およそ天界霊獣らしからぬ一族だ。まして魂の片割れを見つけなければ生命体としても不完全のままで終始し、天においては末端とも言うべき位置の獣である。ゆえにイヴァは徒党を組み、群れを成して弱点を覆い隠すことにより、他種族に対抗しているのだ。


 だが、人界では。まして、騎者を見つけたイヴァなれば。


 ……天では一介の霊獣に過ぎない我輩であるが、人界ここにおいて負けを喫する獣はほぼ存在しないと断言出来る。理由は簡単だ、我が騎者が傍にいるから。そして天界霊獣末端たるこの身も、人界霊獣最強のそれとほぼ同等であると解っているから。

 騎者どのの言を借りるなら「本気出したら自然区域のバランスを崩す」ほどに、我輩の――もとい、我が一族の霊気容量は多いのである。

 四元素を司る四元精は、存在する年月に比例して力を持つことが多い。だがたまに、年月の少なさ浅さに関わらず強大なちからを持つものも存在する。そういったものほど自我が未熟で思慮も浅く、容量の多い者に力の無駄遣い極まりない勝負を挑む。そして簡単に捻じ伏せられ呑み込まれ、呆気なく屈するのである。

 そう。


 人界において百年足らずの風など、我輩にとっては鼻先で弄べる程度のそよかぜに過ぎない。


◇ ◆ ◇


《し……えき……!?》

 稚拙ながら途切れなかった風が、ようやく綻びを見せ始める。思念に雑音が混ざりはじめ、光の網にすがた無きそれが絡め取られ、逃げ場を失う。

 そして。


「《この先、我が脚が征くすべての道に伴せよ》」


《や……めろ、》


「《我が騎者の人界における露払いを旨とせよ》」


《な……にを、》


「《戒めであり契約。そして導たる名を与えよう》」


《……!!》


「《名も無き風よ。今このときから名を得、一個のすがたを得るがいい》」


 絡み取られたそれは、その響きと共にかたち持つ「彼」になる。




「《強く速く吹きぬける風、すなわち疾風。―――お前の名は、疾風ハヤテだ》」




 風向きが変わった。

「ありえ、ない」「うそ……!」「こんな、ことが」

 静かになった闇夜、幾人かの人間の声が聴こえる。戸惑いから混乱、怯えと移り変わった彼らの感情は、今は驚愕に満たされていた。

「風が、」

 勢いや圧力はとうに弱まっていた、しかしこの土地の風らしく一方方向に吹き抜けていたそれが、瞬時に方向を変えたのだ。それは地味な変化であったが、この地においてはこれ以上無いほどに「あり得ない」変化でもあった。

 西方から吹き抜けてきた暴風が、逆方向に吹き降ろす微風となっている。

 それは圧倒的な自然の脅威が、それを上回る自然の威勢によって捻じ曲げられた証。


《…………うはッなんだ、これ~》


 間延びした、先ほどと響きの違う思念が届く。我輩の傍らで武器霊具を構えていた騎者どのが、びくりと肩を揺らした。

「ッな、んだコレ、」


《なんだこれ~はオレの台詞でしょ。とるなよ~「キシャドノ」》


 騎者どのの眉が次いで不機嫌そうに跳ね上がった。

「おい、これもしかしてお前が制御下に置いた風っこの思念か」

「うむ」


《風っこじゃなくて~オレは疾風。ハヤテっての》


「……なんでこいつの声がいきなし聴こえるようになってんの。しかも俺だけっぽいし」

 リョクてめえ何したんだよ、と緑の瞳が睨みつけてくるので、軽く説明をする。

「仕方なかろう。我が魂の片割れは騎者どのであるがゆえ、我輩に使役するということは騎者どのに使役するということだ」

「……まじっすか」


《おい~わかったか、キシャドノ。わかったらちゃんとハヤテって呼べよ~?》


 ひゅるる、と鼻先を木枯らしめいた風に擽られ、騎者どのは季節はずれのくしゃみをする。苛々と鬱陶しげに腕を払っても、実体の無いそれは捉えられない。ただくすくすと捉えどころの無い笑みを浮かべつつ、物体をすり抜けながら飛び回るだけだ。

「俺、霊法師じゃないんですけど。こういうハンパな不思議ってのが、一番ウザいんですけど」

「実害は皆無ゆえ、慣れて欲しい」

「……へいへい承知しましたよーリョク先生」

 霊法師でない騎者どのは視覚や触覚でそのすがたを確認することは出来ないらしいが、聴覚にて辛うじて存在を認識することが出来るようになったらしい。嫌々ながら諦観めいた返応をしてくれたので、ひとまずよしとする。

(それよりも、)

 ただの人間たる騎者どのは見えていないが。無論、天の獣たる我輩はしっかりと「視えて」いた。


《いやさ~よくわからんけどオレがこうして「生まれた」ってことは、あんたがオレの力を掌握してる証だよね》


 背の高い若者の黒髪や服を悪戯げに手で払ったり蹴り上げたりしているその「姿」。濃い茶の髪と透き通った水色の瞳の、見た目は年端もゆかぬ人間の幼仔。年代でいうなら、人型のワカバと同程度かそれより下か。

――お前は我が人界での使役。そのことを旨に頷くと、水色の瞳は存外悔しがらず、むしろ愉快そうに瞬いた。


《そ~ゆ~ことなら、仕方ないか。よろしくね~ゴシュジンサマ~》


 あ、でもあんたが死んだらすぐトンズラするから、と妙な念押しをしてくる少年の姿をした我が使役。このものは我輩より永く存在する気でいるらしい。寿命の巡りが早い四元精らしからぬ性質だ。

 この風変わりな物言いといい、この外見といい。

(これほど、人間に近い姿になるとは)

 意思持つ四元素を制御下に置き、名を与えて使役したことは過去に幾度かある。だが、ここ人界においては初めて試みることだ。天では我が一族と同様の姿になることが多かったので、このように「ひと」めいた姿になるとは思わなかった。やはり人界の四元精は人界らしく、二本足の姿に転じやすいということだろうか。それとも使役させる側に騎者どのも含まれているので、おのずとそちらの姿を選んだということだろうか。しかし、この時代において見慣れぬ形状の衣といい獣を食ったような物言いといい、不可解極まりない。

(この使役、制御下に置いたはいいが一筋縄でいかぬな)

 我輩自身、この地域一帯における最強の使役を手に入れることが目的であり、その姿かたちはどうでもいいと考えていた。焦げ茶の体毛と黄色味を帯びた肌、水色の双眸など、明確に思い描きはしなかった。

 詳しい理由は不明であるが。

「……ともあれ、」

 我輩は蹄を鳴らし、身体の向きを変える。取り敢えず出立の最大限の懸念事項は晴れた。

「騎者どの。これで我輩の準備はすべて完了した」

「おうよ。西方の霊気うっすい土地でガス欠って惨事は避けられそうだな」

「うむ」

 我輩は騎者どのに背を差し出す。角に手をかけてするりと飛び上がる長身、腰に刷く長剣の表面がほのかに燐光する。使い手の高揚に反応し、周囲の霊気を吸い上げているのだ。

「俺の方も準備万端だよ」

 背に伝わる魂の重み。角から得る活きる喜び。耳に届く可能性。脚に、我が信念に、力が灯る。

「じゃ、早速暴れにいきますか」

「うむ。―――ハヤテ、我が脚力を強化せよ」

 呼びかけに応じ、ひゅう、と鬣を煽る風。角の隙間を通り抜け、床無しの中空に浮かぶように佇むそれは、にやにやとした笑みを浮かべた。


《さ~て、二名様ごあんな~い》


 そよかぜが、徐々に勢いを増していく。我が魂を光が護り、脚を風が導く。

 おのれの感じるままに進んだ先、きっと未来は在るはずだ。



 光と風の強大な塊が過ぎ去っていったあと、呆気にとられていた見物人がようやく我に還ったかのように動き出した。風の余波で吹き飛ばされた帽子や小物などが中庭に氾濫している。それだけ外に出ていた人数が多く、かの光景を物見遊山で見物していた者が多かったという証だった。

「……だから屋敷の中に入っていろと通達したのに」

 窓の外の惨状を眺め、この家の使用人を取り仕切る家令が溜息をつく。

「まったくです。これでは庭師がまた怒りますよ。自業自得ですがね」

 横で、諸事を担当する最年少の執事が同意するように続けた。

「まあまあ。皆は僕と同じで、好奇心が旺盛に過ぎただけだよ。あとあまりに無防備な主人を補おうと、監視ボランティアが発生しただけのことさ。彼らもそれが無益だと悟ったようだし、結果的に良かったじゃないか」

 取り成すように続けるのは、部屋の最奥でグラスを手にするこの屋敷の主人である。

「旦那様がそう甘いから、下々の者らがつけあがるのです。まったく、後処理をする私の身にもなってください」

「はは、それはそうだ。以後気をつけるよ」

「以後っていつからですか、以後って。何度もその言葉は拝聴しました」

「そうだったかな」

 不遜ともとれる執事の諫言に、杖を長椅子の横に立てかけている老人は怒る素振りが無い。

「済まないな。突発的な外客であったのに、皆はよく対応してくれたと思っている。その褒美に、失礼にならない程度の覗き……いや見物を赦したのだが、まずかったか」

「まずいです。大体、あれは世にそうと知られてはいけない部類のものです。しかしあれほどの強風が転換してしまった以上、周囲の家にも事態は判明しています。政府にも隠しきれません。緘口令を布いたとて家の外に出てしまった以上、万全でないでしょう」

「リーはあの生き物がなんなのか、知っているのか?」

「勿論、存じております。あの緑髪、本性は相当な力を持つ霊獣です。気配からして恐らく天界に棲むたぐいのものですよ。我々とは生きる世界が違う、文字通りの化け物です」

「おいおい、僕の友人の知り合いだよ。化け物とは穏やかでないね」

「……言葉が過ぎました、申し訳ありません」

 不遜な様子から一変、頭を深々とさげた青年に、老人は笑いかける。

「そうか、リーの故郷はフェイと同じ東大陸の秋橘国だからか。だからそういった伝承に詳しいのだね。フェイもかの霊獣に茶を褒めてもらって、とても喜んでいたよ。もう彼女本人から聞いたかもしれないが」

 その名を持ち出され、頭をさげた男の頬に一瞬赤みが差す。慇懃不遜なこの青年執事は、ある一点においてとてもわかりやすい。大好きな幼馴染を追いかけてこの中央大陸にやってきた彼は計画通り同じ職場に就職出来たはいいが、肝心の幼馴染より出世してしまったのである。

「……ゴホン。しかし、旦那様」

 弱いところを突かれて黙り込んでしまった執事の代わりに、横に佇む家令が咳払いをして口を開いた。

「これで良かったのでしょうか」

 何が、とは誰も訊き返さない。中庭に散乱する布切れやら警護用の棒やらを拾い集めようとしている使用人らを窓越しに眺め、主人はふっと柔らかく息をついた。屋敷の周囲には枝の細い観葉植物も品良く植えてあった、しかしそのどれもに被害が無い。被害があったのは、取るに足らない人的なものだけだ。

「――見てわかるだろう。リーの言う通り、イヴァニシオン先生と一緒にいたあの緑髪の男は、我々と違う世界の生き物だ。まさに触らぬ神に祟り無しというやつだな」

「旦那様」

「わかっているさ。せせこましい人間風情が如何に画策しようと、その存在は隠しきれない。イヴァニシオン先生も恐らくそれを承知だろう。だから、首都の真ん中であんな派手な『立ち回り』をかのものに演じさせたのだ」

 恐らく、大々的に「存在」を宣伝する意味合いも含まれているのだろう。それを確信した老人の小さな瞳が、灯りの消えた屋上を仰ぐように動いた。

「その『立ち回り』の舞台が旦那様の屋敷だということには、様々な物議を醸すでしょうね」

「ああ、それも彼の計算のうちだよ。ケイトとマイアが大怪我したという『噂』を信憑性のあるものに仕立て上げてくださったのだ」

「な……るほど。しかし醜聞は、」

「それについても心配は無用だよ。あの方は我が家が及びもつかないほどに裏社会に精通しておられる。かの『網』の幹部すべてを掌握しているとの噂だ。張り合ったところで到底敵わない。けれど義理堅い性分の方でもあるから、きっと我が家の評判も悪い方角には転ばない」

「旦那様、それほどあの方を信頼しておられるのですね」

「いや、信頼とは少し違うな。――これを言ったら誤解されるかもしれないが、僕自身がそう信じたいだけの、一方的な感情だよ」

 寂しげな光が、落ち窪んだ老人の双眸に宿る。

「あの方は生きておられる年数が指し示す通り、底のしれない叡智と機転をお持ちの方だ。やはりイヴァニシオン先生は、人類が誇るべき宝だよ。本人は賞賛のたぐいが苦手であられるようだがね」

 杖をついて窓まで近寄った元軍人は、過ぎ去ったものを惜しむような声音で囁く。相変わらず、穏やかな笑みを口の端に浮かべながら。

「先の短い者は先の長いものに道を譲る。それが生命の巡りで欠かせぬ事象でもある。ふふ、まだまだ元気のつもりでいる我が身からすると悔しいのも事実だが、実際にああも変わらない姿を見ると、矮小なおのれとの差を思い知らされるね」

「旦那様……」

「慰めの言葉など不要だよ。所詮凡人は、死ぬまで凡人でしかない」

 ただ、と強かな老人は微笑んだ。

「その凡人が、歴史の一端に名を刻めるとしたら。選ばれた者に価値を見出され、終生重宝されるとしたら。凡人なりに、尽力してみる価値はあるのではないか、と僕は思う」

 君はどうだい?と振り返った主人に、付き合いの長い家令は微笑み返した。

「私も、そう思います」



 人間の老人は杖をつきつつ長椅子に戻り、傍らに置いておいたグラスに残るただの水を飲み干した。

「――さて、アルはこれからが本番だけど、同様に僕も最後の大仕事が残っているから準備をしなくてはな。ロバート、リー、手伝ってくれ」

「はい」

「はッ」

 二つの呼応と共に彼は扉に向けて歩き出す。歴史の叡智と友であることを誇りに思う退役軍人は、五十年前から変わらない自信の無さげな風情で肩を竦めた。

アンナに叱られるのだけは、いつまで経っても苦手だよ」




ルシウム=キエ=フロント(ルシー)・・・年齢はたぶん七十近く。アルセイドが昔、士官学校で戦術教師やってた頃の生徒のひとりで、武技や体力こそ並みだけど頭脳と要領でのし上がっていったタイプ。若い時分の酷使が祟り早期引退と公表しつつ、裏で政府のフロント家排斥攻撃をのらりくらりとかわして足場を固めてます。出逢った当初は自分と同い年くらいだったアルがいくら経っても老けないばかりか、とてつもない歳月を生きる超人だと知ってからは畏敬の念を抱くようになりました。色々と複雑な気持ちを抱きながら、ただの人間たる一生を全うしようとしております。三人の娘のパパであり、家督は長女の婿に継がせる予定。


リー・・・フロント家管理職において史上最年少の第一執事、ルシーの身の回りの世話並び諸事を担当。本文通りのなんちゃってツンデレ。滅多に笑わないけどとあるメイドさんと空き時間に雑談してるときだけ笑顔が見れると評判。名前出すと顔真っ赤になるのが可愛いと一部で評判。つまりは弄られキャラである。


フェイ・・・リーと同い年のメイドさんで外客担当。前話でリョクにお茶出ししてくれた女の子。閉鎖的な故郷から抜け出したい一心でこの地で就職したはいいが、幼馴染が追いかけてきて自分と同じ職場になってたことには戸惑った。しかも自分より出世してるし。でも、見知った顔が近くにいるのは嬉しいし仕事は慎ましいがやり甲斐があるしで、毎日充実してる。


ロバート・・・ルシーより少し年下世代の家令さん。西大陸出身。名前の由来はもちろん(略)


ルシーが言ってた「家犬」とか「番犬」「駄犬」とかの内わけは活動報告にて。


※フロント家は目上の者であっても悪い点を指摘する合理主義を肯定しているので、使用人も結構主人にずけずけと物言いします。ただし家のために動く団結力は素晴らしく、いざというときの忠誠心は人一倍に発揮される感じ。win―winってやつです

※「続かない短編集」に出てくるレクサス=ジン=フロントは、ルシーの祖先です。財政破綻で潰れかけたアルカリー国をたった一人で建て直し、フロント家繁栄の礎を築いた偉人。アルセイドは勿論、直に彼を知ってます。

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