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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第七章
85/127

断章



 それは、急な火の手だった。


「合図か」

 蒼い瞳は遠方にそのしるしを認め、瞬く。同色の髪が、ざわりと風に靡いた。整った面差しには複雑なものが覗いたが、まばたきより早くかき消えた。



「なんか燃えてね?」

 緑の瞳は望遠鏡ごしにその様を発見し、怪訝な声をあげる。さらりと短い黒髪が冷風に扇がれ、逆立った。

「風もなんか強くなってきたし……リョク、どーよ」

「風精たちがざわめいている。何かが起きたようだ」

「いや、何か起きたってのはわかるんだけど。何が起きたんだ」

「未だ把握の外にある」

 風は混乱の渦中にあるゆえ、と言いつつ獣は軽く鬣を揺らした。表情筋の無いその面に、見る間に険しいものが集ってゆく。

「風精が云うには火精が存在しない場所に煙が立ち、不規則な動きで熱が広がっているとのこと。どうやら自然発火ではなく、人間界隈の火種らしい」

「火事か」

「うむ。なんとも言い難い臭気だ」

 獣の鼻づらに皺が寄った。

「木、土、金、糸、紙、石英、油脂、幾多の植物、それと――何かの生き物、か」

 肉眼で煙が小さく見える程度。だが、獣の嗅覚はほぼ正確にその内わけを嗅ぎ取り、特別な聴覚と視覚で視える世界により、不可視は徐々に明らかになっていく。澄んだ湖面のような瞳が、形容し難い感情を湛えて細められた。

「わかったか」

「うむ」

 背に乗せている男の瞳と同色をした鬣が、風とは違う勢いでざわめいた。そばだてられた獣耳、ぱし、とその脇でわずかな発光。枝葉のように分かれた角の一部が、放電しているのだ。

 そしてそれは、彼の霊獣としての本能が危険ならび不吉を感じ取った証である。

「地獄、とはこのことか」

 声は、珍しくわずかに掠れていた。



「なんだあれは」

 片手をひさしに男は呟いた。やや離れた場所にて公共の移動バスから下車した直後、気づいた事象であった。

「!?」

 切れ長の蒼眼が一瞬見開かれ、細められる。遠くに煙が立ちのぼる様が見えたのである。

「研究所の方角……何が起きた」

 確かめに行こうにも、歩みは速くならない。バスから降りたのち、吹きさらしていた風がまた強くなったのだ。銀髪が風に滅茶苦茶に煽られ、視界を邪魔するように顔に張り付く。それを鬱陶しげに払っても、あとからあとから大気は彼に吹き付ける。気のせいだろうか、歩を進めるごと向かい風は強くなっていくようだ。急げば急ぐほどに不吉へと近づく予感がする。その言葉に出来ない危機察知勘も、彼の歩みを慎重にさせていた。

「風強ェっすね」

 傍にいる配下の男も、急な出来事に戸惑っていた。というより、前をゆく主の歩みが急に遅くなったこと、普段沈着なかのひとの動揺ぶりに驚いていた。彼は主ほどに勘が鋭くない。

「主、どうしたんすか」

「耳障りだ、黙れ」

「す、すいません」

 苛立ちついでに愚鈍な駒を睨めつけ、縮こまる姿にまた背を向けて男は頭を振った。風が強すぎて長く瞼を開けていられない。吹き付ける視えない圧力はまるで彼を嘲笑うかのように身体にぶち当たり、通り過ぎていく。

「……なんだ、この風は」

 周囲を窺うに、更に不自然な有様に気づいた。周囲に木や建物はあるというに、そこはその影響を受けた様子が無い。まるで彼ら二人だけを狙うかのように、大気は部分的な強風となって押し寄せてきている。

 向かい風がどんどん強まってきているのは、気のせいではない。

「う、さむ」

 背後の男は小さく声をあげ、襟元をかき合わせた。手前の男と違って荷物を背負っているのだが、正面からの強風が服の中に入り込み、恐ろしいほどの冷気が襲ったのだ。真夏だというのに、常人よりも頑丈な肉体であるのに、それは不可思議な現象だった。

 びゅうと吹き荒れる風すべてが、進路を妨害する。あまりの不自然な気圧に、足取りが止まる。勢いで手にしていた荷物の一つを取り落とし、彼は慌てた。また怒られる。

「主、すいませんっ」

 しかし、彼の主から叱責の言葉は来なかった。怪訝に思った彼は気づく。主も、歩みを止めていることに。晒しで纏められたその袖口が、いつの間にか裂けている。――しかし物体は何も飛んでは来ていないし、音もしなかった。

「……」

 風がうねりをあげる。はらり、と舞ったのは寸断された銀髪の一部だった。切れ長の蒼眼の下に、一筋の線が走っている。恐れをしらぬ武人の足取りも、そこで流石に止まったのだ。

 血の出ない、唐突な切り傷。それは覚えのある現象だった。

「鎌鼬、だと」

 蒼眼が忌々しげにまた細められた。場数を踏んだ武人たる勘が、告げている。これ以上進んだら容赦ない大気の圧によってずたずたにされるだろう、と。今手にしているのは物理系、近接的にしか効力を発揮しない霊具だ。鎌鼬のひとつやふたつ程度なら消せるが、この気圧全体に働きかけることは出来ない。

 純エルフといえど、これほどまでに風を強化し得た霊力の発生源はなんなのか、それを把握しない限り無闇に動けない。頑強なエルフの肌に影響を及ぼせる時点で、只の強風でないのだから。自然区域において原因不明の四元素が暴れまわっている状況、そして特殊系の霊具を持っていない場合、文人以上の容量持つ霊力の遣い手でなければ現状打破が出来ないのだ。

(手詰まりか)

 その事実に内心で舌打ちをする。こういう視えない劣等感は、彼にとって最も忌むべきものだから。

(何が気圧の中心となっている)

 発生源の把握をしようにも、自身は風の四元精霊を目視することは出来ず「呼びかける」ことも出来ない。何より、物理的に風の中心に近づくことが出来ないのだ。遠くから、煙が上がる原因を確かめることすら不可能。後ろの駒は指令無しには動けず、盾にもならない木偶の坊。動けそうな要員は今、近くにはいない。

「あ、あるじ、俺ら、どうすりゃ……」

「役立たずは黙っていろ」

「ッは、い」

 びくりっと肩を揺らす配下を忌々しげに睨みつけ、彼は踵を返した。ともかく動きようが無いのでバス亭まで戻ることにしたのだ。荷物を拾い上げながらそのあとをのそのそとついて来る男に構わず、歩を進める。

 行き先を転換した途端、風は弱まりを見せた。しかし少しでも足元を返そうとするとまた容赦なく強まる。その様にまた舌打ちをしつつ、考えを巡らす。しかし、やはり状況把握はつかない。閉塞めいた不快感が募っていく。背後の役立たずの気配にも理不尽な苛立ちが高まる。口内でひっそりと呟いた。

「くそ……一体何が起こっている……ッ」

 彼の問いに答えるものは、勿論いなかった。




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