二(後)
※鬱展開並び残酷な描写があります
がちゃんっ
高いところから硬い床へと落とされた硝子は、簡単に割れる。そうやってシルエラの目の前で、細い三本の試験管は役割を放棄し、中身を散乱させた。
「え……?」
それを前に、シルエラはまたも、きょとんとする羽目になった。だっていきなりのことだったから。今、何が起きたのだろう。
男はまた袋の中に手を入れる。そして取り出した同様の試験管を、また床に落とした。
がつ、がちゃんっ
次から次へと床に液体と硝子の破片が撒かれる。
「何してるの、ティリオさん」
「何って、見ての通りですよ」
彼は穏やかな風情でそう返し、視線を袋に戻した。そして中から試験管がなくなったと見るや、別のものに手を伸ばした。束にまとめうず高く積み上げられた書物。その紐を解き、上から順に表紙を開く。否――手にとった端から冊子を引き裂いていく。
「ちょ、ちょっと、なに、してるの」
べりっと嫌な音、分厚い紙の束が裂ける音にシルエラはやっと我に還り、彼に慌てて問いかけた。
「どうして、壊しちゃってるの。それもなんで破いちゃうの!?」
いくらシルエラでも、研究所内に配置されていたものはどれも重要なものだということくらいはわかっている。いきなり試験管を取り落としたときは突然だったので反応が出来なかったのだが、いくらなんでもこれはひどい。
「それも、これも。主はジュウヨウなものだって言ってたわ! なのに、どうして、」
「重要なものが、次回の実験では不要になっただけです。それを片付けているだけですよ? 何かおかしいですか」
「お、おかしくはないけど」
言葉を返しながら、彼は手は止めない。冊子を引き裂き、ただの紙となったものをまた裂いて。千々になったものを床にまた放り、次のものに手を伸ばす。残る試験管をまた床に落とし、複雑な形状のビーカーを叩き割り。器具備え付けの道具でさえ、再利用不可なほどに壊していく。見る間に、廃棄物が量産されていった。
「で、でも、いくらなんでも、壊すこと……ッ」
めきっ。またも嫌な音を立て、彼の手の中で金枠がひしゃげた。文人系は武人系より腕力が弱いはずなのに。
「事前点検の指令責任は自分にあります。シーラは黙って言う通りにしていればいいのですよ?」
声音こそ穏やかだが、口調にはどこか不穏な響きが混ざった。地下の研究室内にいたときは感じていなかった大気の流れがまた、彼の周囲で巻き起こる。かたかたっと風に煽られ砕けた破片が音を立てた。青紫色の双眸と端麗な口元が、にっこりと笑みの形を作る。
「手伝わないのなら、何も言わず見ていてください」
「―――わかった、わ」
その美貌と妙な圧力に屈し、シルエラは頷いた。よくわからないが、彼がそういうならそういうことなのだろう。
新たな風がまた、巻き起こって彼とシルエラの髪をそよがせる。肌寒いと感じるほどに強めの冷風だった。窓はさほど、開いていなかったのに。
ヒビの入った硝子は、その上から踏み潰され粉々に砕けた。四つに裂かれた紙は更に数度に渡り破かれ、文字が判別不能なほどに細かな屑山となった。木枠や金具なども圧し折られ、液体で汚れた床に無造作に重ねられた。
「……」
すべては、シルエラの目の前での出来事だ。数分ほどで簡単に完遂された破壊行動を前に、彼女は何も言えず何も出来ないままだった。
必死に考える。納得しようとする。これもきっと、主の意向なのだ。彼は、その指令どおりに動いただけ。だから、あたしが何か言う必要は、無い。例えどうしようもない矛盾を感じたとしても、指摘しちゃいけない。そうよ、こういうのは主と一緒。ただ黙って、言われた通りに過ごせばいい。
(けど。どうして、手伝えなかったの。どうして、身体がうごかない)
なぜ、こんなにも嫌な予感がするのだろうか。
「こんなものですね」
休みなしに大量の機材器具を壊し終え、しかし汗一つかいた様子の無い麗貌が満足気に頷く。身動きするたび、また金髪が風になびいた。
「この国の風はやはり、心地が良い。吹き颪が強いせいで年中が涼しく、避暑に最適なのは良いことです」
とん、とん、と足音を立て背の高い姿がまた近づいてくる。呆然としたままのシルエラの横を通り抜け背を向け、彼は部屋の扉を開け放つ。そして、明るくなった視野においてまた足音はしばらく歩き、立ち止まる。ぎしりっと金具が歪み、ごとん、と何かが外される音のあと、布が裂ける音も響いた。
そして風がまた、強くなる。屋内の気配が、変わった。シルエラは振り返り――その後ろ姿に呼びかける。
「てぃ、ティリオさん」
「なんでしょう」
呼びかけると、応える声は変わらないのに。
「……」
「どうしました?」
なのになぜ、震えが止まらない。
大きく開け放たれた窓から吹き込む風が、周囲の調度品や配置されている植物の枝をざわざわと揺らしている。彼の肩につかないほどの髪や纏められた服裾を翻させ、床に氾濫する液体の表面や壊れた物品の破片すら風に揺らがせている。
しかしその中で、シルエラの髪だけが揺らいでいない。
「てぃりお、さん」
「はい」
「まど……、」
青紫色の双眸が、またゆっくりと瞬く。シルエラに軽く笑みを返し、彼は窓を見やった。ブラインド状の板を枠から外され、布製の遮光カーテンすら破かれたそこを。
「明るくなったでしょう。あと、通気のためですよ」
「……」
うそだ。ならどうして、あたしだけ息が苦しいの。
ぜひゅ、と嫌な音が口から洩れる。呼吸が、しづらい。ひどく酸素が薄い。このひとは風に吹かれながら涼しい顔で立っているのに、シルエラの額には珠の汗が浮かんでいた。
「何か不満でも?」
穏やかに、当然といった風情で。彼は破いた遮光布で汚れた手を拭った。そしてそれを無造作に放る。
はらり、と汚れた布が風に煽られ眼前を舞う。床に落ちることなく手品のように漂う不可思議な動き、それを追うこともなく青紫色の視線が、窓にまた戻った。沈黙するシルエラを尻目に、独り言のように、爽涼な声は続ける。
「この国では風の恩恵なくして生きてはゆけない。大気なくして、自然現象は動かないほどに。酸素を運ぶ風が無ければ、呼吸すらままならなくなる。それに何より、かなり体感温度が高くなりますからね」
冷風が更に吹き込む。暴れ狂うように強くなった大気の流れは、もはや屋内のそれではない。なのに、どうしてシルエラの周囲だけ、空気が動かないのだろう。
「人界の外殻持つ生き物は、急激な温度変化、そして気圧変化には耐え切れないように出来ている。天界に『霊圧』というものが存在するように、生き物の器はそれぞれの生きる場所に適応してつくられているものです」
否。手足の末端や服の裾、露出している肌の部分には痛いほどに冷気が突き刺さっている。しかし、耳朶や頬には感じない。頭部のみ、むっとするかのような暑気が立ち込めている。
まるでそこだけ、風を止められたかのように。
「―――夏も半ばですね」
細緻な金髪が、裾がまとめられた服が。後ろから吹き付ける風にあおられている。細身の身体はびょうびょうと荒れ狂う大気の中において、なお存在感を放つ。その様はとても美しい。見ているだけで芯から凍りつくほどに。
「シーラ。顔色が悪いですよ。どうしたのですか? ……ああ、」
浮かべられた笑みは、どこまでも冷徹な蔑みに満ちていた。
「やっと気づきましたか。思ったより遅かったですね。まあ、どうでもよいことですが」
「てぃりお、さ……」
シルエラの緑眼に映るその姿は、シルエラと同じ形の耳朶を持っている。そしてシルエラらが弱者をいたぶるときと同様、笑みを浮かべている。しかし持つ空気の濃さ、そして放たれる威圧感は比べ物にならなかった。口角を上げながらも、瞳は嗤っていない。嗜虐の愉悦も嘲りすらなく、ただひたすらに相手を見下げる視線。
本物の悪鬼が、言い放つ。
「もうあなたは用済みです」
地獄の、始まりだった。
・
・
・
今までに無い冷めた表情をしたそのひとが、近づいてくる。視界が真っ暗になったと思ったら、口に何かが入ってきた。臭気漂うそれは、先ほど彼が手を拭った汚れ布だった。それを容赦なく口腔に詰め込まれ、声さえ出なくなる。もとから狭まっていた酸素の補給路が、完全に絶たれた。そして染み込んでいる液体の匂いに、気が遠くなる。毒素に抵抗力のある武人エルフを動きを封じるほどの、刺激臭であった。
ぐらつく視界。伸ばした指は空を切る。腕は振り払われる。苦しみのあまり縋りつこうとした身体は、容赦なく突き飛ばされて地べたに転がった。武器霊具は、そのときに限って手元に無かった。
幾度吸えど、必要な酸素は肺に入ってこない。髪を振り乱して頭を振っても肉が裂けるほどに喉を掻き毟っても、無慈悲な風は動かない。
それは、静かな嵐。無風という名の圧倒的な無慈悲が、内部から身体の自由を奪う。
嘘だと叫ぶことすら否定された。名を確かめる声すら耳障りだと拒絶された。嫌だ、やめてと訴える言葉は届かなかった。声は早々に封じられたし、幾度となく訴えたことは全て切り捨てられた。否定はそれを上回る全否定の圧力に屈し、なすすべもなく地に伏す。
わけが、わからなかった。どうしてこんなことになっている。なぜ、こんなにも苦しまなければならない。苦痛に耐え性が無い分、余計につらい。
「苦しいですか? これが、あなたが今までおこなってきたことですよ」
無慈悲に静かな声が降って来る。
(いままであたしがやってきた、こと?)
手足は既に感覚が無い。顔に被さる自慢の金髪も床に散らばるそれも、苦しさのあまり転げまわったせいで土埃にまみれている。艶美だった肉体はみずから作った引っ掻き傷とそこからの出血でぼろぼろだった。自分が暴れて引き毟ったせいで服はもう服の役割をなしていない。
あられもない格好になりながら、男は布を押し込んできた動作以降はこちらに指一本触れず、ただじっと見つめるだけだ。色も何も無い視線で冷静に、冷徹に――こちらが息絶えるのを待っている。
(くるしい)
何度訴えたことか。
(どうして)
幾度問いを投げかけたことか。
(たすけて)
どのくらい哀願したことか。
しかし、苦しみに差し伸べられる腕は無かった、応える言葉すらなかった。……願いすら、無視された。返ってきたのはひたすらに、温度の低い声。
「そうやって助けを求めた人間の男性。そして霊獣の雄を、あなたはどうしましたか」
もがき苦しみながらも、エルフの――エルフに摸された丈夫な聴覚は音を拾う。内容を、理解しようとする。それは、シルエラに残された最後の生存本能だった。思慮が浅く自己中心的だった彼女が末期になって発揮した、遺伝子に組み込まれた武人エルフの真なる毅さであった。
その鋭敏な感覚で、彼女は自分が殺される理由を識る。
「彼らも苦しんだでしょうね。騙され、陥れられ、地獄の苦しみを味わいながら、それでもあなたに良心を求めた。親しく言葉を交わしたエルフを信頼し、愛した女性をまともな存在だと認識しようとした」
ああ。
「そんな彼らを、あなたは更なる苦しみに突き落とした」
これは、
「まともな存在であったのなら、わずかでも情が湧き良心を投げかけてやったでしょうね。けれど、あなたはそうしなかった。最期の望みさえ、嗤いながら踏み潰した」
これは。
「あなたは――お前は、『ひと』ではない」
これは、制裁だ。
「お前はまともな存在ではない。エルフでも、いっぱしの生命体でもない。ただの紛い物だ」
これは制裁。そして、今までの行いに対する因果応報。
「業と災禍にまみれた殺戮人形のどこが、一族復興の中核か。こんなものがエルフであるはずがない。精霊族でなければ、生き物ですらない。ただの『モノ』だ。感情や人並みの幸せを今更求めるなど、聞いて呆れる。精霊族として取り返しのつかない罪を犯したあとで何事も無かったかのように赦される甘い展開などありはしない」
すべては。
「存在そのものが罪であるお前たちに出来ることはひとつ」
すべては、さいしょからのぞんではいけないもの。
「つくりものたることを自覚し、つくりものとしてただ壊れるがいい」
無様に転がりながら、投げつけられた痛烈な言葉を改めて咀嚼する。思い起こすのは彼の登場場面、そして今までの経緯だ。唐突に現れた新規加入の純エルフ、あつらえたかのような戸籍、巧みな話術、柔らかな物腰、無知で謙虚な姿勢。そしてシルエラに向けてきた優しい声と、真摯な視線。およそ半月ほどの合間、決して崩れなかったそれらが今、あっという間に崩れ去った。さながら、強風に一瞬で吹き飛ばされる砂のように。
裏切られたのか。
(ちがう、ぜんぶ、さいしょから)
最初から嘘だったのか。
(うそ?)
今まで奪う側だったあたしが、奪われる側になったというのか。
(ちがう。あたしはうばわれてなんか、ない)
このひとに、このきれいなひとに騙されて―――
(ちがう、あたしはだまされてなんか、)
初めての想いを、弄ばれたのか。
(ちがうちがうちがうちがうちがう……!!)
苦しみと死の恐怖、何より巨きい精神的な痛手。それを否定しようとシルエラは必死になる。だって、それを認めてしまったら。
(あたしは、あたしはあたしはあたしはあたしはあたしはあたしはあたしはッ)
いきたいだけ、なのに。生きて、活きて、この世に存在したいだけだった、のに。
力が抜ける。
『シーラ』
呼吸がほぼ完全に出来なくなり、末端組織が死にゆくさなか。自身も抗えぬ「死」へと突き進むその間際で。器の遺伝子たる武人エルフの潔さが、末期の彼女を冷静にさせた。
そして。別の場所で聞いた同じ声の言葉が。
『あなたはあなたです、シーラ』
否定的な思考を、止めさせる。
「……」
それは今までの不自然な靄でない。彼女が、彼女自身の意志で止めたのだ。唐突に閃いた、とある自覚ゆえに。
浮かんだものは。
(―――――よかった)
安堵、だった。
シルエラは縋りつこうと尚も伸ばしていた手を止める。余力はわずかにあったが、抵抗も懇願も、することをやめた。それは生を諦めただとか、自分が災禍にまみれた罪の存在であるとか、そういう小難しい理由からではない。
騙されていたとわかった今も。こんな有様で殺されることが決定した今だって。どうしたって、彼に憎しみを抱けないことに気づいたからだ。
(あたし、ずっとほんとうのことを、しりたかった)
気づかなかった。本当の自分は、こういう望みがあったのだ。曖昧にされていたすべてに、鬱憤があったのだ。
(ほんとうのことを、やっと、いってもらえた)
ずっと空虚を持て余していた。実験動物としての毎日から心身を護るために感覚を鈍麻させたのは自分自身であるが、一方ですべてを明らかにしたい気持ちもあった。生まれついての『親』たる存在がそういう目で見てくれないのなら、他人にそうしてもらうしかない。正面から自分という愚かなこどもを叱り、躾けてくれる存在を。醜い部分を指摘し、正面から矛盾を正してくれるひとを待ちわびていたのだ。
(だから、)
その望みを叶えてくれた彼に感謝こそあれ、憎しみなど湧かない。
薄れかかる意識で、シルエラは思う。やっと自覚する。
(あいつのことも、あたし、けっこうすきだった)
あの畜生の雄―――蒼い髪の騎獣に変な執着を感じたのも、おそらく期待していたから。見目の良さは一因に過ぎず、体の良い性欲処理の玩具という理由も後づけのようなものだった。どんな行為を強いても汚されない、清廉な輝きを目の当たりにしたからこそ、いつしか遊戯観念だけでない個人的な願いを抱くようになったのだ。
主と同じ色をしたこの蒼い瞳に、叱って欲しいと。
罵ってもらってよかった。お前のしていることは間違いだと、愚かしいと、はっきり断じて欲しかったのだ。あのどこまでもきれいな獣に、まともに向き合ってもらいたかった。きれいな存在に、醜い自分を無視されたくなかった。無意識に、「親」と重ねていたのだ。
おねがい、あるじ。あたしをむししないで。あたしをみつめて、あたしをただして、と。
それは思慕とは到底呼べぬものだったが、明らかに他者とは違う感情を向けていた。優しく暖かい存在だと信頼したからこそ、擬似的に甘えていたのだ。
一方的過ぎる感情だったと、今ではわかっているけれど。
最期に残された思考で、シルエラは考える。
(よかった、『つくりもの』で)
平素だったら、シルエラを追い詰めていただろう破滅の言葉。それを死の間際に聴き、なぜかこれ以上無いほどに安心できた。それは掛け値なしの真実だったから。まともな生き物でないことを、ようやく断定されたから。シルエラが人生で三度目に信頼を預けた、このひとに。
(もう、こわくない)
破滅の足音も視えない暗闇も、もうシルエラを脅かすことは無い。だって、つくりものとしては勿体無いほどに素晴らしい世界を覗けた。初めての恋を識ることが出来た。それだけで、充分だ。
願わくばもう少し長くその世界に浸っていたかったけれど、仕方がない。彼が言う通り、つくりものがこれ以上のものを望むのは、不相応というものだろう。
それに。
(……ティリオさんを、きずつけないで、よかった)
手元に武器霊具が無くてよかった。はじめて恋したこのひとを害すことなく、「堕とさせる」ことも無く終われて、本当に良かった。
たったそれだけの確証で、ちっぽけな女は満足できたから。
・
・
・
のたうちまわっていた身体が、ひくひくと震えながら動きを弱め、やがて動かなくなったとき。荒れ狂っていた風は止んでおり、さわいでいた屋内の植物も落ち着いていた。
男は埃まみれの布を女の顔から取り除け、口腔に詰め込んでいた分をゆっくり引き抜く。苦悶に引き攣っているかと思えば、意外にも彼女の死に顔は安らかだった。思ったよりも早めに意識を失えたせいだろうか。
ともあれ、見開かれたままの瞼を閉じさせる。眼窩から流れ出ていた涙も拭ってやる。ぼろぼろに引き裂かれた服をかき集め彼女の身体に被せ、自分の上着を一枚脱ぎ、その上にかけた。そして乱れた髪を形ばかり整えてやった。
瞳を閉じた傷だらけの女は、痛々しくも「つくりもの」にはもう見えない。ひどく「ひと」らしかった。
「……あわれな」
風のように爽涼な声は、静かだった。
「自分はあなたのことをそう嫌いではありませんでしたよ。『シルエラ=ディチナーレ』というエルフとしてなら、多少なりとも親しみを抱いていました。それは嘘ではありません」
常人なら正視に堪えない窒息死体を見下ろす視線は、先ほどとは違う種類の冷静さを帯びている。笑顔ではなかったが、嫌忌に歪みもせず、ひたすらに穏やかだった。
穏やかに、静かに。哀れな遺体に零される独り言めいた本音の発露。
「厳しい物言いはしましたが、あなた方を生み出したエルフらに責任こそあれど、生まれたあなた方じたいに罪はありません。環境が違えば、別個としての道も開けていたでしょう。しかし矯正方向へ転換させるにあなたはあまりに災禍を生み出しすぎていた。精神が未熟な悪鬼を生み出した責任を被せはしませんが、エルフの凶暴性に身を任せ思考を放棄した弱さはあなた自身の咎でもあります」
伝えられない言葉でもこうして形にするのは、男の昔からの癖でもあった。柔らかく、彼女が生きている時分のように話しかける。
「――もしかしたら似ている部分があったからこそ、自分はあなたを嫌えなかったのかもしれませんね」
そうして彼は立ち上がる。暗い部屋を行き来し、仰向けに倒れたままの彼女に、ばらばらに引き裂いた書物の紙片を積み重ねていく。まるで布団のように、優しく。
「もし天の精霊王と最高位天使があなたの『思念』を生物として認め、『輪生』を許すとしたら。次の生では、まったく別のものとして生きられるといいですね。今度はつくりものとしてでなく、ちゃんとした生き物の端くれとして」
同様の紙の山や、試験管という試験管を落として割った破片があちらこちらに散らばっている。そのなかを足取り軽やかに避けて進み、木枠、植物の繊維で作られた袋なども一箇所にまとめた。
「『それが叶わぬのならどうか、魂が彷徨わぬよう。家族が在る者ならば、家族のもとへ。無い者ならば、始祖王の御許へ』――大昔の形式ですが、今の自分があなたに贈る、心からのことばです。自分は始祖への信仰心が薄いエルフですが、それでも精霊族として生きてきた以上、祈りを捧げる資格は持ちえていると思います。せめてもの手向けとさせてください」
滔々と喋りつつ、床に液体燃料を撒き準備を終え、懐から取り出す小さな箱。木棒一本で点けられる、火種。
「……さようなら、シーラ」
最後に一声だけ、かけて。彼は灯した火を、床に放った。
シルエラ=ディチナーレ(シーラ)・・・エセトと違い、外見は生まれたときからそう変わっていません。大きいこどものまま来ちゃった感じ。本人も軽薄なだけで、それほど根は腐ってない女性。残酷極まりないお遊びを重ねていなかったら、ティリオとも(友人として)仲良くなれてたかもしれません。
シーラの末路については2013/7/3活動報告にて。




