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我輩は騎獣である  作者: KEITA
第七章
80/127

ある妖精の決意


 夢を、見ていた。


 残酷なほどに、優しい夢を。そして、幸せな夢を。



「なんたることだ」

 ラリクス=シェル=レプトレピスはぎりっと歯噛みした。

「あの、蒼きイヴァを。稀少な騎獣を、尊きいのちの獣をそんな理由で……!」

 彼の手に握り締められているのは、ここ数日の報告書だ。それに目を通した直後は、余りの衝撃に声も出なかった。何かの手違いかと確認をとったが、返ってきたのはなんとも杜撰な肯定の意。その悪びれなさ、態度にも憤りしか沸かない。

「なんたる損失、なんたる愚行ッ」

 噛み締めた唇に痛みが走る。

(一番の問題は、それが如何な失策なのかわからないという頭の悪さ。なにが『もう新たな霊力源たるイヴァの所在は確保している』、だ。そうすることがどんなに効率が悪いか、説いてやったものが頭に入っていないのか)

 試験管と多くの器具に囲まれた空間。その研究所内に置かれている椅子に座り込んだ。紙きれを潰す勢いで握りながら、余った拳を椅子の手もたれに叩きつける。古くなった革張りが、ぎしっと音を立てた。

(天界上層部に警戒された時点で、もはや既存の霊媒確保は成り立たないと諦めれば良いものを。更に不毛且つ無策無為な方法に手を伸ばし、それが当然だと考えている。お前らはただ単に霊具を手にした高揚に呑まれてるだけ、辻斬りがしたいだけであろう。これだから後先考えない輩は)

「くそ」

 俯くラリクスの赤毛が、やつれた彼の顔を覆い隠した。ぽつ、と膝に零れ落ちる一滴の雫。研究者、文人としての理性的な怒りを一枚取り払えば、現れるのはただ、親しいものを無為に亡くしたラリクス個人の哀哭だった。

(私自身の力不足だ。文人として実績が無いために信用が無ければことばも足らない。武人でないばかりに野蛮人どもを力尽くで諭してやることも、仇をとってやることすら出来ない。他の何のせいでもない、私が中途半端な腰抜けであるから……!)

「済まない、済まない、蒼きイヴァ……」

 脳裏に残る蒼き清廉な面影。今や亡き知己たるかの獣に、嗚咽めいた謝罪が洩れた。

 ラリクスの白衣に包まれた肩が力なく震える。悲しみと、悔しさと。ことが過ぎてしまった今はただ、すべてに悔恨と痛切を覚える。



 椅子に座ったまましばし感情を吐き出し、形ばかり気分を鎮ませてから傍らの壁に貼られたものを仰ぎ見た。いくつかの地図と機具の設計図、ここ近くの予定が書き付けてあるのだ。今となっては、その一角が崩れてしまったゆえにまた一から予定を組み直さねばならない。

 げに理解し難きは、かのエルフの思考回路である。これが精神の未熟な新世代エルフであったらまだわかる、しかし今回ことを犯したのはそれなりに歳を食った壮年のエルフだ。時期的にはかなりの昔から復興計画に携わっている、古株たる武人のはずなのに。

(どうして、このような頭の悪い真似を。鬣や角のサンプルを採らせてくれた、心の広いイヴァであったのに。まして、千年に一人現れれば僥倖だとされるエルフ内の騎者の誕生であったのに、それをすべて無為にするなど)

「普通に考えれば、こちらに協力してくれるばかりか忠実な従者たる騎獣を失うことが如何な断道なのか、わかるであろうに」

 まさに、本末転倒としか言えない。あの者は本気で一族を復興させる気があるのか。

「一度意に背いたからといって殴り殺すなど。その場だけの癇癪を破裂させたタチの悪いこども、いやそれ以下の知能だ」

 そしてその愚かしさを、自身でわかっていない。自分より若輩だから、その一点でこちらの提案を鼻で嗤い、忠告に耳を貸そうともしない。そればかりか文人に対する根底的な差別意識すら感じ取れる。今の現状は、過去の文人らが必死に積み重ねてきた基盤あってこそのものなのに。

(この分では、我が一族の復興がまた遠のいたことすら、理解が及ばないのだろうな)

 ラリクスは憂いを込めて自身の尖った耳朶に手を当てた。遠い昔に失われたという一族の栄光、そして偉大な始祖たる存在を思いながら。

 予定表の脇には、大きめの姿絵。それを見留めた際、ラリクスの瞳にまた別の感情が過ぎる。

「……」

 二千年以上昔に制作されたらしい古ぼけた画枠、かなりの年季ものであるが破損は微塵も無く、緻密なつくりに一片の埃も溜まっていない。ラリクスが毎日清掃しているからだ。肝心の枠内に描かれた油絵、その表面は光沢を帯びている。老朽と剥減を防ぐため、描かれた当初から特殊な樹液が塗られているからだ。

 細緻な処理と永年の手入れが高じ、時を経ても燦然と輝く一枚の絵画。そこに描かれているのは、武装した十二人の男女である。古き永きエルフの歴史、その一端に燦然と刻まれる偉業、それを担った伝説の者たち。

「騎士……」

 それを見つめていると、自然と湧いてくる気持ちがある。

(いつまでもこうしていられない)

 ラリクスの識らない時代に生きていた、過ぎ去った存在。なのにこうして、ラリクスを物言わず叱咤してくれる。そう、エルフの誇りを忘れるなと。お前の生きる目的、進むべき道はこちらなのだと。

 描かれた騎士らがそれぞれ掲げる得物や小物。個々の得意武器や得意武術を模したというその様の中で、一際異彩を放っているものがある。それが、画でいうと末席に当たる位置に描かれている金髪の騎士のそれだ。

 彼だけが、一体ではない。その身が跨るは、馬でも驢馬でもない不思議な獣。――そう、彼こそエルフ歴代の中でも二人しか存在しなかったという、騎獣持つ騎士。

(『瑞獣と征くもの』が今のエルフの現状を目にしたら、さぞ嘆くであろう)


 オレアード=アーク=エクティス=イヴァニシオン。その名に『騎獣の友』を戴く、騎獣術の伝説的名手。


 ラリクスの最たる憧れが、そのエルフである。数十年ほど前まで存命だった、近代最高の偉人。かの存在に逢って威容を直接拝することが、ラリクスの夢のひとつだった。様々な事情により、夢叶う事なくかの存在は逝去してしまったが。

(彼が生きていたならば――悪行を働いたエルフ全員の首を残らず刎ねるだろう。無論、暴挙を止めることが出来なかった私も含めて。そしてそれは、当然の報いである)しかしその道理たる報いが罪びとらに訪れることは、無い。

 罰を与える権利持つ存在亡き今。今以上の暴挙を止める手立てが、ラリクスの可能な範囲ではひとつしかない現状において。

(意味無く足踏みし続けることこそ、失われた命への冒涜だ)

「私に出来ることは、持ちうる文人の知識ちからすべてを以って先に進むだけ」

 椅子から立ち上がり、手にしていた紙を屑籠に捨てた。胸の前で指を組み合わせ、軽く目を瞑る。始祖王が生きていた時代は、かの存在に祈りを捧げる際用いられていたというやり方。


「――蒼き鬣のイヴァに、悼みを。魂は一族かぞくが下に還れるよう、心から祈る」


 脳裏に残る、涼やかな蒼色の獣。それに哀悼の意を捧げる。そして次に目を開けた際、ラリクスの瞳には次に進む意思しか無かった。

「角のサンプルはまだ活きている。細胞が死なないうちに、新たな霊媒となるものを作り出さねば」

 そうしなければ、またあの武人らは過ちを繰り返す。そのことがわかっているため、様々な感情を押し殺し、今日もラリクスは研究に邁進する。

 先が視えない暗闇の中、ただ、己に出来ることをするために。


● ○ ●


 ラリクス=シェル=レプトレピスは今年で七百二十の年を数える、歳若いエルフである。

 若いといっても老人でないだけの話で、今現在この世界に散らばっている同族からするとそこそこに年を食っているほうだ、と自覚している。人間の年代に換算すると青年期後半、そろそろ身体の衰えが出てくる頃合いといったところか。しかし実際は顔に若干小じわが出てきた程度のもので、体力筋力自体は全盛期とそう変わらない。むしろ五千年以上生きた前例のあるエルフ純粋種の平均寿命からすると、ラリクスはまだまだ若輩、ということになる。

 まあ「霊具大戦」後に生まれたエルフなど、全員が若輩であることに変わりはない。全員が、エルフの衰退を知識でしか知らない世代だからだ。引いては武器霊具を真の意味で取り扱ったことの無い世代、本物のいくさごとを識らない世代とも言える。

 先の大戦により同族は人界から激減したが、まったくいなくなったというわけでもない。住処を追われた多くが生き延びるために人間界隈に溶け込むことを欲し、元から減少傾向にあった純粋種の血はますます薄くなったことは確かだ。しかし、ラリクスの両親の他にも戦乱を逃れた純エルフはもちろん、存在する。


 有名なのが、前述のオレアード=アーク=エクティス=イヴァニシオンである。当代無二の騎者たるエルフとして知られていた現役時代、人間界隈の小さないくさ場に姿を現したのを最後に第一線を退き、彼は突如表舞台から消えた。挙げた功績と知名度に驕るのをよしとせず、王宮に終身武官として召し抱えられるのを断ったそのお陰で、かの武人は武人でありながら戦火を免れたのかもしれない。大戦が終結したのち、歳月をだいぶ跨いでから人間の歴史家によりその所在が判明し、再び世に知られる存在となる。しかしその後も、いくら政府から好条件で申請されようとどのような組織団体から厚待遇で勧誘されようと、彼は自然区域内の自宅から決して出ようとしなかった。うっすら伝え聞いた記録によると、彼は国から最低限の保険金――自身が死したあとの血縁者への数年の生活手当て――を受け取るのみに終わり、あとはその血縁者と共にひっそりと余生を過ごしたらしい。


 次点で、オルス=レイ=エクティス=フォシリス。上述のオレアードと同時期の「騎士」であり、当時の身分制では最下層に位置した地方平民出身のエルフだ。『民の味方』との通称名は、過酷な自然区域さなかに位置する出身村を身を粉にして支えたこと。その類稀なる身体能力と天然の武力で長い期間、多くのエルフのいのちを救い、生活を護り抜いた功績による。為し得た偉業でよく知られているのは、霊具も無しに(伝え聞くところによると鍬一本で)ほぼ完全武装した複数の武人エルフを撃退したことか。彼は最も身分の低い騎士だったこともあり、先の大戦で最も過酷な現場に回された。そこで光と片脚を失い、瀕死で幕内のひととなる。劣悪環境で治癒に時間がかかったこともあり、中々戦線に戻れないうちに火種はそのまま沈静化。一族自体がばらばらになったことで彼も騎士たる役割を失い、満身創痍のまま帰郷したそうだ。運が良いとも悪いともとれるなりゆきだが、その後の人生はまったくの予想外且つオレアードと対照的である。身体が癒えたのちは単身海を渡り、人間が作った新興国にて市民権を得、霊力行使教室を開業。国交付の生活補助金も全額堂々と受け取った。そして有望なもの、貧しいものに無料で純エルフの霊力行使術を教授し、多くの霊法師を巣立たせるという形で国税を還元した。彼は血縁者こそいなかったが、最期は沢山の教え子に看取られ、大往生したらしい。


 彼らの没年齢は不明だが。実際年齢を軽く換算するに、最低でも二千五百を超えており、三千歳近くかそれ以上にはなっていたと考えるのが普通だろう。つまり、エルフの純粋種は特段天寿を全うせずとも、とてつもなく長生きであるのだ。ラリクスも最低限の健康体を維持していれば、このまま千年以上は生きるであろう。

 上記二人の知名度には及ばないが、他のエルフらも皆が皆、精一杯の形であのひどい戦を乗り越えてきた。天界に移住した者や人界に残った者、生きる場所は違えど妖精たる適応能力は健在だ。凶器となり得る武器霊具を戒め「悪鬼」たる本能を封印したエルフは、全人型種の中でも屈指に器用な生き物であるのだ。

 今もこうして人間の界隈で頻繁に「先祖がえり」がおこなわれていることからして、エルフの当初の目的は達成した。戦禍を起こしたものとして後世まで迫害されることなく、他種族に違和感無く溶け込めた、と言ってよい。

 ただ。

(現状を、よしとしないものは多く存在する)

 前述の武人ふたりのように、個々の望みのままに余生を送り一族復興とは無関係な場所で満足するものだけが、純エルフという生き物ではない。

(今の暮らしに不満を持つもの。かつての一族の栄華を識り、それを取り戻したいと願うエルフは多々いる――歳若い者や誇り高さゆえに生き方を選べない者ほど、その傾向が強い)

 そう、ラリクスの両親は二人がふたり、そういうたぐいのエルフであった。




 ラリクスの父も母も、生粋の純エルフである。そして対照的な能力と性質を持ち、性格も互いに我が強く悪い意味でぶつかり合う、どちらかというと気の合わない夫婦でもあった。


「武人エルフはすべて場の勢いで行動してしまう。感情的になり易いし後先も考えていない。武器を振り回すだけしか能の無い野蛮人だ」


 それは文人である父親の口癖。


「文人エルフは場の勢いを殺してしまう。前線に出るものを駒としてしか扱わず、賢しらに他人に命令するだけ。策を巡らすしか能の無い腰抜けよ」


 それが武人である母親の口癖。


 文人と武人。水と油のようなふたりは、共通点があった。古代から血統書付きの純粋種であること、そして。


「ラリクス、エルフの自尊心を忘れるな。今の現状に捉われず大局を見据えよ。一族の栄華を、真なる意味でこの手に再び取り戻すまでは野蛮人を野蛮人のままにしておいてはならない」

「ラス、エルフの誇りを忘れては駄目よ。唾棄すべき邪道を当然と考えている、そんな腰抜けにこそ確固たる証を形にして見せ付けてやらなければ」


 死ぬまで消えることが無かった、一族復興への思い。そして、一族たる誇り。それゆえに、相反する思考を持ちながら手を取り合い、子まで為した。すべては、目指すものが同じであったために。


「わかっております、父上、母上」


 両親の志は、ラリクスの記憶と魂に深く刻まれている。


● ○ ●


 超古代より、基本的身体能力と器の生命力が人型種として最高峰に優れていることが証明されている純エルフ。当然ながら、生まれたときから向けられる期待の大きさも恩恵の多さも、一般的なエルフとは比べ物にならない。しかしエルフ同士ではとてつもなく生殖力が低いという事実、純粋種はどんどんと減ってゆく。異種婚が貴族間でも浸透しきった時代、血統の存続が深刻に危ぶまれてからは、純エルフ同士の多重婚姻が更に奨励されていった。何を隠そう、ラリクスの両親も戦前は許婚が複数存在していたらしい。色々と個人的な感慨はあるにせよ、そういう「義務」を除けば稀少種である純エルフの待遇は至極良い。世間からちやほやされる土台、つまり高度な教育現場と豊かな金銭環境が揃っていた。

 しかし、その全ては戦火で塵と消える。

 永年の棲み処であった自然区域内を出、生き延びるために行動を起こし始めたエルフらにとって、もはや純粋種どうこうなどとどうでもいい事象に成り果てた。血の継続云々より、今在る自分らが如何に生きるかに精一杯となったのだ。種族という「公」より前に、自身のひとたる「個」を優先し始めたのである。

 結果、エルフは歴史の表舞台から殆ど消えると共に、純粋種もほぼ絶滅の道を歩んでゆく。彼らの多くは一線から退いていた退役武人や隠居文人、大抵が戦前から老齢であったので、みずからの余生には殊更諦観の傾向にあった。前述のオレアード達のように滅びを受け入れ、「個」の在るがままに生き、そして死んでいったのが大半である。

 ただ。

 同じく戦禍を生き延びた純粋種でも、歳若いがゆえに余力を残し、また戦前の悠々とした生活を忘れられなかった者らは、老熟した者とは違う道を選ぶ。

 滅びを受け入れるをよしとせず、他種族の顔色を窺いながらの細々とした生活に我慢が出来ず。かつての一文明を築いていた社会を取り戻そうと、可能性が残されている限り足掻こうと試みたのだ。

 様々な手段、道を模索した挙句、辿り着いたのは、大戦前から原型があった「人工純エルフ」の生産であった。エルフの王宮は戦火によって破壊され、文明を記録した書簡や倉庫や宝物庫に眠る遺物も殆ど失われた。しかし、戦前おこなわれていた「人工純エルフ」の試験的生産に主導的に携わっていた貴族の一家に、純エルフの生き残りが複数存在したのである。かの家は計画の失敗により没落の憂き目に遭っていたのだが、住処が王都の中心部から外れていたせいで密かに大戦を生き延び、一族復興の名の下に結託を呼びかけ始めた。結果、周囲の文人らや賛同したエルフらを吸収し、それなりの組織に膨れ上がった。そして、焼け残った機器や覚えている限りの知識や技術を元に「人工純エルフ」の生産に再度着手し始めたのである。

 ただ、人工的に精霊族を作り出すというのは並大抵のことではない。肉体自体はエルフの医学を結集させいっぱしの生き物に近いものを作ることは出来る、しかし、肝心の生命力たる霊気が無い。一種のまがい物たる外殻を「エルフ」として、精霊族として自立させるためには、接着剤並び活性剤としての膨大な霊力が必要だった。しかし、手ごろなものが見当たらない。――手ごろでないだけで、何を霊力源にすれば一番効率が良いのかはすでに判明していたが。

 かくして、一番最初の試験体と同じ「霊媒」により人工純エルフは量産されることとなった。少なからずあった反対意見や異議申し立てを、一族復興の名の下に踏みつけて。


● ○ ●


 ラリクスは生まれてからすぐ、純エルフたる高度な教育を受けながら育った。教師は勿論、両親である。

「ラリクスは文人たる素質がある。知識を記憶する能力に優れているし、詰め込める容量もそれを活かすべき箇所に割り当てられる判断力も高い。かのように育てるべきだ」

 そう主張した父。

「いいえ、武人としての鍛錬も必要よ」

 負けずにそう主張し返した母。

「野蛮人の稽古ごとがラリクスに合うとでも? 我が息子は武の道より文の道に向いている。母親であるお前が、わかっていないはずはなかろう」

 剣呑な視線を向けた父に対し、母はやはり譲らなかった。

「教育を偏らせては駄目。純エルフは全般的に行使能力に優れているし、始めから方針を決めてしまってはラスのためにならないわ。成長して選べる道はなるべく多く作っておいたほうがいい。それとも、この子が無数に持つ将来の可能性を父親であるあなたが狭めてしまっていいの?」

「……」

「特に純エルフ初等教育の一環である護身の法は、習っておいて損ということはあり得ない。それは王都を追われたあなた自身、良く知っていることでしょう」

「……一理あるな」

 これまで言葉での説得を苦手としてきた武人気質の母が、理詰めで文人たる父を説得したのは、それが初めてであった。それほどまで、息子の教育に熱心だったのだろう。

 ただしそのあとに続いた言葉が、実に母らしかったのだが。

「腰抜けな文人は、やっぱり教育志向も腰抜けに留まるのね。エルフの王道たる武の道は、教えられないでしょう。だから私が教えるわ」

 そしてそれに対して応えた父の言葉もまた、ふるっていた。

「野蛮人による野蛮人たる教育がどこまで通用するか、見てやろう。お前が教えられぬ高尚な文の道は、私が教えるのだ」

 そんな応酬を繰り広げる夫婦は、互いに物騒な笑みを浮かべていたという。

 同じ理想を掲げる同胞でありながら性質も持ち得る能力も正反対で、根本的プライドも高い純エルフ。目標地点が同じなだけで性格自体は最後まで相容れず、精神的にはむしろ敵同士でもあった父と母。ラリクスが生まれてからも成長中も成長してからも、我の強い主張や個人的な見解を隠すことなく退くこともせず、ことあるごとにぶつかり合っていた。まったくもってなぜ夫婦になったのか、他人から見れば理解し難い男女、それがラリクスの両親である。

 でも、ラリクスはしっている。そうまでして、彼らが為しえたかったものを。

 ぶつかり合いながら、喧嘩を繰り返しながら、それでも彼らは目指すもののために夫婦で在り続けた。父は武人に嫌悪感を露わにしながらも武人修練を許容し、母は文人に反発心を抱きながらも息子の正道たる文人分野には口を出さず、各々の得意分野のみをラリクスに叩き込んだ。そうやって、自分達の子供を必死に育てた。

 そして、一遍通りの文人道を習得し一定以上の武人道をも修めさせた後、ある程度身体が出来た息子と共に、とある人間の区域内にて巣くっていた文人エルフの研究施設に殴りこみをかけたのだ。

 ……イヴァを犠牲にした新世代エルフの生産、それに真っ向から異議を叩きつけるために。真なる意味で、エルフたる誇りを示すために。



 今でも、覚えている。

『これが我が息子だ。無論、生殖方法は自然の方式に則った、真の純エルフである。お前達の生産している紛い物よりも優秀で、何より能無しとは違う深い思慮と理性が有る』

『そう、この子こそがエルフの進むべき道の象徴よ。あなた方が汚い手段で生み出した罪の象徴たる作り物とはわけが違う。そのことを知らしめに来たわ』

 数人の文人エルフらと向き合いながら、頭上より聴こえた男女の声。ラリクスの肩に左右から力強く置かれた二人の手。そこから伝わる重みも、温もりも。すべて覚えている。それは、今現在のラリクスの記憶にもくっきりと刻まれている、確実に在ったものなのに。

 数年後、そのすべては掻き消える。前触れもない、両親の急逝と共に。


 脳裏に刻まれた、両親の声。温もり。最期に触れ合ったひととき。すべてを大切に、頑丈な記憶の扉に仕舞いこむ。誰にも、触れさせないように。ラリクス本人すら、無闇に暴かないように。行動がそれにより頓挫しないように。脳内計算と理性に皺が寄らないよう、個人的感情は別個に置く。そうしなければ、ラリクスはこの理不尽が積み重なる世界で前に向かって歩くことが出来ない。降りかかる塵と足元の汚泥の多さに気づかない振りをしなければ、為すべきことは為しえない。そのことは、ちゃんとわかっている。


(父上と母上の無念を、志を無駄にしないためにも。我が一族の復興は、真なる意味で必ずや為しえなければ)


 それだけのものを、ラリクスは亡き両親から託された。

 だから、ラリクスは味方が誰一人いなくとも、進むのを止めることが出来ない。例え今おこなっていることが、灯りの無い暗闇の中で砂粒を探すようなものだとしても。

(そうしなければ、殺された蒼きイヴァにも顔向けが出来ない)

 自分たちエルフの理不尽な計画によって踏み躙られ、散々に痛めつけられながらそれでも一族復興に理解を示してくれた心深き獣。数少ない心友でもあったかの存在が、無為に命を奪われた直後でも、ラリクスは立ち止まってはいられない。彼が示してくれた、気高き騎獣の生き様を無駄にしないために歩みを止めてはいけないのだ。

 実力行使が出来る武人でもなければ、権限持つ文人でもない身分の低い若輩が、確実に出来ること。それは、毅然とした事実の提示だ。

(イヴァの角に代わる、新たな霊媒をこの手で作り出す)

 エルフの愚かな業を正面から払拭することが自分には出来ない今、愚かなものたちに協力する振りをしてその裏をかく。すなわち、汚い手段を当然と謳う腰抜けどもに「お前達のやっていることは間違いなのだ」という確固たる証を突きつけ、野放しになっている野蛮人どもに制裁という名の縄をかけるのだ。

(新たに生まれた新世代エルフは作り物だからといって杜撰な環境下に置かず、ひとたる「個」を慈しんで育てなければならない――そう、真っ当な純エルフとして。そうすれば、野蛮人は野蛮人でなくなる。忠誠心よりも何よりも、他者から「個」として認められてこそ、真なる意味での自制心が生まれる。そうやってやっと、世の中に出てゆけるのだから)

 ラリクスはそう確信している。そして、決意もしている。

(生まれてくるこどもには。父と母が私に授けてくれたような教育を、丁寧に授けるのだ。無論、)

 あの、温もりも。




「……夢を、見ていたんですよ」

「夢?」

「久しぶりに大好きなひとに逢った、幸せな夢です。もう二度と逢えないと思っていたから、嬉しかった。夢って、ときに残酷なほど、優しいですね」

「そうであるかもしれないな。――ティリオどの、貴殿が朝から笑み崩れている理由はそれか」

「……はい。いくつになっても、小さな頃に自分を慈しんでくれたひとと再会するというのは心が温かくなるものですね。それが例え、夢の中の出来事だとしても」

「そうか……そうだな」




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