六章・序
久しぶりすぎて書き方忘れそうになった主人公のターン
それは、待ち望んでいた最愛との出逢い。
『あ、あなた、』
袋よりまろび出でた、そのすがた。零れ落ちる声、こちらを見上げる視線。
考えるより、言葉が出ていた。
『リョク。……願わくば、その名で呼んで欲しい』
認識して、欲しかった。我輩を、唯一のものとして。
『ワカバ、どの』
認識、したかった。その存在を、唯一のものだと。
この新緑には、我輩はどう見えている。成獣だと、頼りがいのある雄だと、そう感じているだろうか。そして、好感を抱いてくれているだろうか。
(ワカバどの、ワカバ、)
おれを、みてくれ。
『りょ、く』
『そうだ』
『リョク、』
『――うむ』
他者から固有名を呼ばれる好さ。それを、我輩は初めて体験していた。なんという快悦だろうか。
おれは、このめすにみとめられている。
『では共に征くとしよう。ワカバ、どの』
『う、ん……!』
促すと、輝きだす双眸。春に萌えいづる新緑よりも瑞々しく、清い潤みがそのふたつにあり、それを目の当たりにした頭の芯が痺れるような心地となる。この雌は、微笑んでいる。我輩の言葉で嬉しいと感じてくれている。おれのこうどうで、よろこんでいる……!
共に緩やかに駆けながら、その気配を全身で感じる。繰り返される呼吸、脈動する筋肉、しなやかに動く小さな骨、雨粒を弾く鬣。すべてが、胸の内をかき鳴らす。
まだ足りない、この雌を感じる時間が足りない。もっと、もっと。
(胸が、苦しい)
甘い苦しみ。それはすべてが、未知のものであった。そしてこれからどうなるかも、想像しえぬ感慨だった。ただ、判明しているものはひとつだけ。
この幼い雌のすべてが、快い。
そうして我輩はつがいと――ワカバと、出逢った。
過去において忘れられない光景は幾つかある。岐路たる出来事も何度も経験した。厭がおうでも刻まれている心傷もある。けれど、このときほど嬉しさを伴い、こころに刻まれている事象は未だ、無い。辛うじて対抗出来るものといったら、騎者どのとの邂逅ぐらいである。
魂の片割れとも違う、本能的なものとは別の次元にある、最愛の他者との出逢い。
それは、誰のものでもなかった心が、はっきりと所有された瞬間だった。
□ ■ □
無事にかの雌と共に木造家屋に戻った直後。
「よ。飲む?」
「うむ、もらおう」
我輩は今、人型にまた立ち戻っている。本性ではこの小さな家に入れない。
泥まみれになった身体を簡単な行水で洗い、浴室を出てから騎者どのが近くの集落で緊急購入してきた男物の衣類を纏う。二本足に必要な最低限の身づくろいをしてから居間に戻ると、小さな容器に注がれた飲み水と澄んだ色の果実酒が、卓上に置かれた。暖かな労わりの言葉もかけられる。
「おつかれさん。ホントよくやってくれたよ、お陰で取り敢えず落ち着いた」
「うむ。労いの言葉は、騎者どのにも贈りたい。テスどのを家に留めてくれたこと、そして彼女の護衛と後事の諸々、多謝である。何より、我輩が戻るまで待っていてくれたことに礼を言う」
「……どってことねえよ」
緑の瞳は照れ臭そうに細められた。
「互いに苦労であったな。我輩としてもそれなりに事態が鎮まったこと、安堵している。まだ万端に解決とはいえぬが」
会話しながら、ふと前方を見た。居間の窓際で湿った長い髪を小さな布で拭いている、そのすがた。
「そうさな、まだイロイロ安心は出来ねえけど……それは一旦置いといて」
「?」
騎者どのが、にやにやと性質の悪い笑みを浮かべている。
「ズイブンあのコがお気に召したみてえだな、ウチの騎獣は?」
給水をし終えた我輩を肘で小突く若者の緑眼は、これ以上無いほど愉しげだった。果実酒を空になった器に注ぐ横顔はなおもにやにやとしている。酒類は飲みなれている人間でもあるので、度数の低い果実酒程度で酔ってはいない。しかし今の気分は別のもので高揚している様子だ。
「なんのことだ」
「とぼけんなって。そーんな顔でガン見といてさ。水もシタタルイケメンが台無しですよリョクせんぱーい?」
そういう騎者どのも、伴侶どのを見つめる際の蕩けた表情は見れたものではない。自分のことは棚に上げ、ひたすら茶化してくる。
「仕方なかろう、かのすがたは勝手に視界に入るのだ」
「けけけッそんなに可愛いか、可愛いんだなおいッ。ぬはははは」
一体、何がそんなに面白いのか。
「だってさー、女の子に翻弄されるイケメンの有様ほど見ててざまあ……オモシロイもんは無いし」
察した。要するに、からかいたいだけらしい。
「今のリョク先輩のお顔、鏡で確かめさせてあげたいくらいですわあ。なんつうかデレデレのバレバレ? 鼻の下伸びきってますよ的な」
「その言葉、テスどのを凝視している時分の騎者どのにそっくり返そう」
「はい、そうきますよねー茶化してすいませんッした!」
痛いところを衝かれ涙目であっさり矛先を収めた騎者どのに構わず、我輩はたおるを肩に掛けて新しいものを手に取った。そして、前方にて髪を拭いていた小さな娘に近づく。
「……あ」
こちらに気づき、濡れた若草の隙間から見上げてくる小さな娘。共に人型になっても、体高差及び体格差があるのがわかる。
「これを」
拭きにくそうだった小さい布を取り上げ、大判のものへと取り替える。戸惑ったように、しかしほんのりと頬を紅潮させて受け取る彼女の表情。新緑の潤んだ瞳。触れ合った体表のすべらかさ柔らかさ。そして。
「あ、りがとう。――リョク」
瞬間、その場で圧し掛からなかった自分を褒めてやりたい。あとからそう思った。
騎者どのは伴侶どのと巡り逢えたが。我輩も、つがいにしたいと望むほど魅力的な雌に出逢えた。すべてが、類を見ない僥倖である。
やはり、かの事変に積極的に関わって良かった。
(ワカバ)
そのすがたを、見つめる。本性のすがたを、思い起こす。どちらも考えるだけでこのうえなく芳しい心地になれる。若草色の体毛も、新芽の如くな双眸も。すべてが今まで逢った同族の誰より小造りで、細やかで――
(なんと、愛らしく魅力的な雌なのか)
ごく、と無意識で唾を飲んだ。気を抜いたら圧し掛かりそうな心地は、まだ続いている。
「にしても幸せそーだな、リョク」
「わかるか」
「そんな生命の真理発見したみてえな顔、チョコレート初めて食ったとき以来だよ」
「そうであるか。うむ、未知なる甘美を体験しているという意味では、そう違わない心地なのやもしれぬ」
ただ、一時の食で終わってしまう甘味とは違い、これはこの先も続く幸運である。
彼女を想うだけで、勝手に高揚するこの胸の内が不可解であり不快でない。未知であるのに、繰り返し体験したいと感じるたぐいの悦だ。すがたを視界に入れると気分が浮かれる。視線が合うだけでからだ中の血の巡りが急激に良くなる気もする。そして発する声を耳に入れると更に動悸は激しくなる。変化する表情もまたすべて快い。もっとその様子を眺め、ひとつひとつを感じ取りたいと感じる。この雌が若草の瞳を瞬かせながら「ねえリョク」とこちらに話しかけてきた暁には我輩としては、
「もうこれはつがいにするしかあるまいとおもうのだがいかがかきしゃどの」
「取り敢えず落ち着け。俺死んじゃう」
気がつけば、力任せに首元の衣を締め上げられ蒼白となっている騎者どのがいた。興奮のあまり無意識にこうしていたらしい。
「済まない」
「げほ、とにかくリョクがワカバちゃんめっちゃタイプだっつーのはわかったから」
「『たいぷ』とやらは、魅力の度合いを示す意でよかったか。うむ、そういう意味ではかの雌は我輩の『たいぷ』に相違ない。……願わくば、つがいにしたいと感じる。いや、してみせる」
「そか。応援してるぜ」
にいっと笑みを浮かべる緑眼に、我輩も嬉しさを込めて微笑み返した。
「うむ!」
「ああそれにしてもあの雌は魅力的過ぎる。人型であっても愛らしさが変わらないとはこれいかに」
「学術論文書いてる顔で惚気るかお前……」
「あの雌を見るたび不思議と興奮がおさまらぬのだ。発情は制御できるはずであったのに、それを凌駕する勢いで魅力的過ぎる。とにかくときもばしょもつごうもかんがえずはいごからのしかかりたい」
「ぐぐぐだから首締まってるってくび!」
あと目がもう草食動物じゃなくなってるぞ、とも言われた。
どういうことだろうか。
(ワカバ限定で)肉食動物化する予兆です




