一
ちょっと時間遡り回想モード
我輩が騎者どのに後事を託し、かの家を出たのは事変が判明してすぐである。娘御が発見した家族の体毛、それを頼りに周辺を探るために。
当初は程なく探し当てられると思っていた。かたち持つ精霊族は体毛や甲殻の一部さえあれば、かなりの確立でその主まで辿り着ける。特に、我が一族において重要箇所のひとつが鬣である。それとほぼ同調している人型時の髪は、弱点――転身後は耳朶の裏に隠されている角――を隠し防護するため、身体の中でも優先的に霊気を多く貯えている。そして同族が残したのはその髪だ。これ以上無いほどに有効な手がかり且つ目印。あとは我輩がこれを元に同様の気配がする進行方向を辿ればいい。それだけの話だと思っていたのだが。
(なぜだ。――進路が、途絶えている)
家から出てすぐ、西の方角に数里。それからぶつりと霊気の進んだ跡が途絶えている。そればかりか、いくら綿密に辺りを探っても、同様の霊気の気配がしない。これはどういうことか。
(拉致の手の者が巧妙に霊気を隠したか、もしくは)
あまり考えたくはないが、道中で息絶えてしまったのか。我輩の捜索は時既に遅く、同族は人界にて命を失ってしまったのか。地面に置いていた片手を握り締める。もう片手に握る若草色の体毛が、風に頼りなく揺れた。
『ワカバを、おねがい』
これを託しつつ、見上げてきた濃褐色の瞳を思い起こす。彼女の不安たるや、最たるものであろう。本当ならばみずから探しに行きたいだろうに、取りやめざるを得なかった理由は多々ある。
通識ではあり得ない力ある天界霊獣の事故的失踪、状況からしてまず人間の及ぶ範囲ではない。そして家主として、あの惨事を放っておいたまま自宅を出るわけにもいかない。今頃は「けいさつ」に事情を説明し、調査をしてもらっている頃合いだろう。解決の糸は数多ければそれに越したことはない。
何より、かの精神状態はまだ落ち着いていない風情であった。まずは彼女なりに現状把握をし、荒らされた棲家を整えなければならない。ひょっとしたら、その間に手がかり及び当の家族が戻ってくるやもしれないのだから。か弱い人間の雌だけでは何かと不安が残るので、我が騎者どのは進んで彼女の元に留まった。そして我輩に捜索を託してくれた。
今の状況で動けるのは我輩のみだ。騎者どのが傍に在らば更に心強いが、彼がいなくともこの身に出来ることは多々ある。それに状況からして、今は別個に行動したほうが効率が良いだろう。精霊族たる霊力と感覚、そしてこの脚があるのだから手がかりを掴むことくらいは出来るはず。むしろ、我輩にしか出来ぬ事柄だ。
しかし。
(肝心の霊気が、途絶えているとは)
早くも、行き詰まってしまった。手ぶらで娘御の元に戻ることになるのだろうか。
「……否。戻れぬ」
地跡を辿るためしゃがんでいた体勢から、立ち上がる。向いた先は木造家屋の方角ではなかった。
「このまま戻れば、雌を泣かせることになるゆえ」
脳裏に過ぎる、濃褐色の瞳。気が強そうであるのに宿す光は不安げで、募る感情を必死に堪えていた。我輩とていっぱしの雄のつもりである。か弱き雌を、いつまでもあの顔にしてもおけない。そして何より、彼女は我が騎者の大切な存在である。彼の心の平穏が為にも、なんとしてもこの事変解決の手がかりを掴まなければ。
(我輩個獣の切望としても、無事な同族になんとしてでも逢いたい)
何やら、視えぬ予感が囁くのだ。この事変は、事変のまま終わらせてはならぬと。解決の余地があるうえに、きっと我輩にとってひとつの岐路になるだろうと。騎獣として、強き脚の一族として、何よりただの「リョク」としての己が、積極的にこの事変に関わろうとしている。
何はともあれ、すべては物事を動かさない限り、導は導たり得ない。
物品及び残した髪に霊気がまだ活きているので、死亡の可能性は低い。しかし、最悪の事態というものも想定しておかねばならない。朗報を望む心地はあるが、客観的捜索手としてはいざという衝撃の際、次の手を打てない。今出来ることは。
「朗報に近づけるよう動くことのみ、であるな」
周囲はもう夕刻を過ぎ、宵闇が覆っている。空にはうすらと雲が漂い、月星も頼りには出来ない。しかし、出来ることはまだある。
先の視えぬ暗闇においても、己に出来ることをしながら足掻かねばならない。そうでしか、前には進めないのだから。
霊気が途絶えていても、捜索の道が途絶えているわけではない。
地面に残る霊気が無いのなら、違う形跡を辿るまでだ。幸いなことに、最大の目印はこの手の内にある。これに宿る霊気が消えぬ限り、引いてはこれの主たる生き物が息絶えない限り、可能性はまだ残っている。
(諦めるのは、早すぎる)
長く柔らかな体毛を指に巻きつけ、外れぬように固く結ぶ。そして、走った。しばらくのち、辿り着いたのは見晴らしの良い崖の上だ。眼下に草原及び森林が広がる、高い渓谷。吹き渡る涼風は、人間の集落で吹いていたものより段違いに強い。いっそ寒々しいほどだ。ここ一帯で最も風の当たりが強いと思われる、自然区域。
荒くなった息を整えつつ、我輩はそこで目を閉じ、集中する。この身に宿る霊気の、行使出来るだけの力を、確かめつつ。
(半径十里程度ならば、届く)それを確信し、瞼を開く。
一方の道のりが絶えているのならもう一方の道のりを選ぶだけだ。本来ならば地精に助力を得ることが望ましいが、我輩はそういった属性を持たないので難しい。逆に、風精ならばいついかなるときでも助力を得られるという利点がある。それを最大限活かさねば。
地が駄目なのなら風。吹き抜ける大気の流れに載せるように、『呼ぶ』。
《風よ》
《なあに》《なんだい》《なんのよう》《どうしたの、》
みどりいろした、かぜのけものよ。
呼びかけに応えた声は、無数であった。そのどれもが、こちらに好意的な意思のかたまりであり、同じ属性持つ精霊たるものだ。この辺り一帯に棲む、風の四元精である。我輩の思念が届く限り、応えてくれる。
我輩に問いかける無数の声。それらと、応酬する。
《我が一族が一頭、人界で行方知れずになった。若草色の体毛持つ、雌だ》
《しってる!》《しってるよ》《きれいなの》《きれいなかぜのけもの》《なまえがあるけもの》《そのなまえをほこりにおもってるけもの》
わかばっていうんだよ。
《――そうだ。してそのワカバどのの行方を知っているものは、いるか》
《しらない》《しらないな》《しらないよ》《しらないね》
だって、なにもいってこないもの。
《思念が届かぬ場所にいる、ということか》
《うん》《そうだよ》《ここにいない》《きのうから、》
にほんあしといっしょに、どこかにいった。
《その二本足が如何ような者だったか、どこに行ったか覚えているものはいるか》
《しらない》《わからない》《わすれた》《だって、》
あのにほんあし、ぼくらがみえないんだもん。
《そうか。では、これと同じ霊気を知らぬか》
この手に巻きつく、若草と同じ気配。それはどこにある。
我輩の問いに、風はしばし沈黙した。素直率直な風精にしては珍しく、答えに惑っているような空白であった。
やがて、我輩の髪を煽りながら吹き抜ける一体の風が、躊躇いがちにこう言った。
《かぜのけものがまもってるから、おしえられないよ》
「――……?」
どういうこと、であろうか。人界の四元精と思念を交わすようになって数十年にはなるが、未だ彼らの短的な言の葉は一聞で理解出来ないことが多い。これも、我輩の未熟な箇所である。未熟は未熟だが、今はそれを気にする暇は無い。
わからぬのなら、わかるまで聞くのみだ。
《済まぬ、詳しく説明してはくれぬか》
《おしえられないよ》《かぜのけものがまもってるもの》《かぜのけものがしりたくても、かぜのけものがのぞんでない》
だから、おしえられない。
彼らの言う「かぜのけもの」は我輩のような風の属性持つ獣が呼称でもある。引いては霊獣がこの事変に関わっているということか。
《風のちから持つ獣が、ワカバどのを拉致したということか》
《ちがうよ》《わかばはにほんあしにさらわれた》《かぜのけものはまもってるだけ》《まもってる》《きれいなけものをまもってる》
短的なことばを拾い上げ解釈し、問い直す。
《―――その獣はワカバどのの霊気を隠す結界を張っているだけ、ということか。西方にて》
《そうだよ》《かぜのけものはまもってる》《にほんあしからわかばをまもってる!》
だから、だれにもおしえられないんだ。
「……」
これらの言の葉からすべては理解出来なかったが。どうやら、「かぜのけもの」とやらはかの雌に危害を加えてはいないらしい。それどころか、風精らはその者にだいぶ協力的だ。行動を絶対に邪魔したくはないと感じている、そしてその者が望めばおのずと結託するほど、好意的になっている。それこそ、我輩に対するそれと同様に。それだけの厚意を以って、かの雌は丁重に扱われているということだろう。どうやら最悪の状況には陥っていないらしい。
なおも訊きたくはあったが、こちらの我を通そうとすればするほど風精は苦しむだろう。元来、素直で気の良い連中なのだ。そして四元精の特性として、嘘がつけない。彼らの意思が二分に裂かれるようなことは、我輩としても望まない。
《左様か。協力を感謝する、涼しき風らよ》
《うん》《じゃあね》《かぜのけものとかぜのけもの、あえるといいね》
集中を解けば、聞こえなくなる思念の声。そして周囲に集っていた風の霊気も分散したようだ。
「さて……どうするか」
強風に吹かれながら、考える。指に巻かれた若草が頼りなく揺れ、靡いた。我輩の深緑の髪がそれに被さるよう、共に大気の中を泳いでいる。
(本性ならばひといきで西方を調べつくすことも可能であるが。それは良策とはいえない)
我輩は、曲がりなりにも麒麟だ。そしてその姿はこの人界で目立つ。良い意味でも、悪い意味でも。ましてや、我輩はここより西方の霊力事情にあまり詳しくない。かの地は東側の地より霊気が薄く、他所の精霊族はあまり近寄らない区域でもあるからだ。そのさなかを本性で駆け抜けることが危険であることぐらい、我輩にもわかってはいる。騎者どのと離れている今、特に無理は出来ない。
(人型ならば変装が利く上に霊気薄い地でも耐え切れる。この姿で調査を続けるか)
「時間はかかるだろうが」
独りごち、瞬きして乾いた眼球を湿らせる。こうして思考を巡らせながらも、歩いている。崖を降り、谷を下って。
「しかれど、他に方法もあるまい」
若草色の体毛を拳に握りこむ。脳裏でこれからの行動をまとめながら、我輩は進むべき道を辿っていた。判明しているものは方角だけだ。すなわち、西方。そして、拉致の犯人の正体もある程度の検討であるが想像の範囲内にある。
かたち有る確証は無きに等しいが、風精は言外に語ってくれてもいた。彼らは「かぜのけもの」の意思を尊重しつつ、同じ「かぜのけもの」たる我輩にもちゃんと導を残してくれたのである。
ワカバどのを連れて行った、二本足の特徴。それを忘れたと言っていた。自分たちのすがたが視えないのだとも。すなわち風と相性が離れているもの、そして霊力を行使出来ない生命体だということだ。これだけでかなり的が絞れる。ましてこの地に限っては、魔に属するものが力を発揮できぬ場所。
(確信まではゆかぬが。恐らく只の人間か、内在気を操れぬ妖精。そのどちらかであろう)
そして西方というこちらの言葉を、否定はしなかった。すなわち、ここから西の方角にかのものらはいるのだという、何よりの証。
これらの手がかりをまとめ、なんとしてでも若草色の同族を家族の下へと戻したい。そうすればあの娘御は涙をおさめるであろうし、我が騎者も心が平安となる。そして我輩自身も、幸福になれる。
なので。
「……時間はかかるだろうが、不可能ではあるまい。二本足になろうと、脚は脚だ」
その思いを旨に、先を征く。それが我が一族の誇りであるから。
そうしているうち、やはり時間は無常に過ぎていった。
(西方へ進んでいる形跡は間違いなく、在る。この方面で相違ないはずだ)
歩きながら補給をしつつ、考える。
騎者どのが伴侶(予定)の家を出てから、早三日。移動にだいぶ手間を取られたが、そこそこの距離を見廻れた。自然区域から超自然区域、人間の界隈。天の獣たる心身に負担をかけぬよう、みずからの体力上限と相談しながら探索すること数十時間以上。ところどころにかのものと思われる霊気を発見し得た。
しかし、肝心要の本人……ワカバどのの在り処は未だ、知れない。
(近づいているはずだ。しかし、要所で不自然にその道筋が途絶えている)
この不可解な霊気の断絶は、如何なることだろうか。理由はやはり、不明である。人界は未だ我輩の及びのつかない事象に満ちている。天界にて培った感覚が通用しないのはもとより、共通だと思っていた霊力捜索すらままならぬとは。
悩んでいても、仕方ない。こうしている間にも、同族が危険に晒されているやもしれぬのだから。
「――自宅にも、まだ戻っていないか」
騎者どのらと離れる際、木造家屋周辺に護りの結界を薄く張ってある。相棒とその伴侶を危険から護る意味合いでもあり、本人が戻ってきた場合の通知装置でもある。我輩の霊気によって練られたそれは危険な気配を遮断するのは勿論、手元にある若草の体毛と同じ霊気が近寄った際、優先的に感じ取れる仕様になっている。
(滅多なことでは伴侶どのを家から出さぬよう、騎者どのには念を押しておいた。ゆえに、あの家屋に留まっていさえすれば、危険からは遠ざけられる)
そして、あの家自体が我輩が帰還する目安にもなっている。今はまだ、その目処が立っていない。
「まだ、戻れぬな」
瞬く間に補給を終え、我輩は早足で人間の界隈を通過した。西北から吹き付けてきた風の匂いが、うっすらと移り変わった早朝であった。
周囲はもはや、霊力のかけらが殆ど感じ取れぬほどの地である。かの風があるからこそ、まだ霊気があると体感しているに過ぎない。我輩は騎者を見つけた騎獣であり、また気を感じ取ることに慣れた成獣であるので冷静に状況を把握出来てはいるが、未熟な幼仔であったのなら勘違いをし、無理をしかねない。
(風が無ければこのような地、我が一族にとっては過ごしにくい)
やはり、急がなければなるまい。
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風向きが完全に変わったのは、その日の午後である。
「……大気の流れが変容した……?」
自然区域に生えていた黒糖黍木の枝を噛みながら歩いていた矢先、ふと鼻先を掠める風の匂いがはっきりと転調したのを感じ取った。それも自然な流れというわけでなく、向き自体、引いては風の意向自体が変わってしまった。西北から東方に向けて吹き降ろしていた涼風が、前触れもなく逆向きとなった。
(何が、起きた)
ざわざわと胸中を騒がせるものは、吉報の予感ではない。思念で周囲の風精と確認を取ろうとしても、返事は戻ってこない。まるで、それどころではない、というように風は西方へと急ぎ足で吹きぬける。
「西北か東で、風の意向にそぐわない事象が起きたのか」
風は気紛れ且つ率直だ。その意に反することが起こった場合、取る行動は二つに一つである。すなわち、対象に向かって「やめるよう」吹き付けるか、その事象の反対方向に向かって「やめさせてもらうよう」吹き抜けるか。ちからの弱い四元精はかたち有る生命体にあまり介入できないので、そういったものに干渉したいと欲した場合、周辺にいるちから持つ他精霊族に助けを求めることがあるのだ。
(しかし、どちらか)
西か、東か。この場合、どちらの方角にて事象が起きたのか。そして、我輩はどちらに進めば良いのか。
「――」
さすがに、逡巡した。もうかなりの距離を進んでしまっている。
(しかし)
そろそろ決断しなければなるまい。
リョクは草食動物なので沢山食べないと動けません。人型になっても大食漢です。人界で騎者どのに迷惑かけないよう、殆ど自力で食料調達してます。おやつ製作及び料理するときのみ騎者どのの家に戻る食事スタイルです。本性に戻れないときは食べながら移動が基本。例にもよってチョイスは甘いもの中心ですが。
アル「甘いモンばっか食ってないで苦いモンも食え!ピーマンとか!!」
リョク「却下する」




