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我輩は騎獣である  作者: KEITA
間章之二
65/127

若草色の恋人たち 一


 情けないわ、とテスは唇を噛み締めた。

 視線を落とすと、膝には液体の染みがいくつもある。さっきまでこどものように泣いていたせいだ。それを見ると、先ほどまでの自分の情けなさが余計身に染みる。腿の上でくしゃくしゃのハンカチを握り締めた。もうとっくに水滴を吸いまくってよれよれになっている。

 情けない、ともう一度唇を噛む。

「おい」

 頭上から、声がかかった。見上げると、存外近い位置にあの瞳が瞬いていて、心臓が止まりそうになる。

 何度見ても、慣れない。深い色合いの緑。

「噛むな」

 やたらきれいな瞳持つそいつは、ぶっきらぼうに短く呟いた。

「血が出てる」

 そうしてテスが手にしているハンカチを奪い取ると、布の柔らかい部分を口元に押し当ててきた。奪い取った動作は性急だったのに、押し当てる仕草はどこまでも優しい。ちょんちょんと拭ったあと、布にはわずかに赤が付いてきた。唇を噛み締めすぎて、無意識に出血していたらしい。

「あ、うん。ごめ……」

「謝んな」

 ぎゅ、ときれいな緑眼が顰められる。自前のハンカチを汚してしまったことは、彼にとって怒りの対象ではない。テスが恐縮すること自体、それが無用だと云っているのだ。

「薬塗ってやる。乾くまでじっとしてろ」

「あり、がとう。――ねえ」

「なんだ」

「もう、いいから。これ以上迷惑かけられないし、あんただって忙しいでしょう。ほらあれ、あの綺麗な剣、直しにいかなきゃいけないって、」

「いーから」

「でも、」

「いーって。悪いと思うなら黙ってろ」

 さすがにわかってきている。第一印象こそアレだったが、実際の彼は面倒見が良くて頭の回転も速くて――何よりも、優しいひとなのだと。



 家が荒らされ、たったひとりの家族が行方不明になって。

 テスは混乱しつつも、到着した警察になんとか事情を説明し終えた。自然区域さなかに位置する孤家なので、集落から脚を運ぶのは少々時間がかかるし骨が折れる。空き巣にしても狙う家が見るからにお門違いだ。男手のいない女ふたり暮らし、確かに不用心な箇所もあるが明らかに自給自足な貧乏生活だとわかるのに、玄関をこじ開けて押し入り台所だけ荒らして帰るのは不自然に過ぎる。テスやワカバの部屋に押し入った様子もなく、下着類も位置が動いていないとなると性犯罪者の線も薄い。

 畑を荒らす野菜泥棒のほうがまだわかりやすい。むしろ、そっちなら得心がいっただろう。育てているのは特別な「霊力野菜」なのだから。しかし実際、作物はどこも荒らされていなかった。そればかりか収穫して台所の裏口に置いてあった一輪車のものにも手を付けられた形跡が無かった。周囲の畑も同様。むしろ二日ほど実を付けっぱなしになっていたキュウリやトマトが、肥大化していたぐらい。犯人の狙いは空き巣ではなく、野菜泥棒でもない。

「ご家族が行方不明ということですが?」

「は、はい。ワカバという、見かけは十代半ばくらいの女の子です」

 近くの街では唯一の交番から派遣されてきた警察官は、調書を書きとめながらテスに再三確認する。

「市民登録票には馬の霊獣と同居、とありますが。彼女は人型のままで普段生活されていて、あなたが大学に通っている間の留守を預かっていた、と」

「はい」

 正確に言うなら、テスの家族たる少女の本性は馬ではない。この世界においては類を見ない形体であるため、発生する問題を避けるために野生馬の霊獣であることにしている。それも、普通に暮らすための便宜というやつだ。

「ふむ。しかし今回、あなたが帰宅し家の内部や周辺を調べても、彼女はどこにもいなくなっていたんですね」

「はい」

「最後にご家族の姿を見られたのは、昨日の早朝ですね。それから来客の予定は?」

「その日の午後に、ひとり。霊力野菜の定期購入者が、街から訪れたはずです」

「その方と連絡は取られましたか?」

「電話をかけましたが、まだ通じていません。相手も忙しいので、……」

 家をぐるりと見回ってから、警察官の冷徹そうな瞳が光った。

「――家出の心当たりはありませんか。例えば、彼女が最近苛々していたりとか」

「ありません。出かける朝だって、普通に見送ってくれました。ワカバは身体がそんなに強くないので、この近辺からあんまり外に出ないんです。街にひとりで買い物に行くときは、必ずわたしに言います。無理だったら置手紙を残すし、無断でいなくなることはあり得ません」

「異種族の同居には、様々な問題が付きまといます。特に、人間様式で生活を送る霊獣には。人間側が仲良く暮らせていると思っていても、霊獣側からすると無理を重ね、言えない鬱憤を抱えたままになり、ある日いきなり爆発するという事例も数多い。本当に心当たりはありませんか」

「無い、本当に無いんです」

 その他にも細かく家出の可能性について聴取をされながら、唇が勝手に震える。生まれたときからずっと傍にいてくれた少女。彼女が無断でいなくなるなんて、自分から家を出て行くなんて、思いもしなかった。しかし、その可能性にも気づいたから。

 テスは人間だが、ワカバは獣なのだ。そして、いつか「てんにかえる」べき存在。

「……」

「どうしました? 心当たりを、思い出されたとか」

「い、いいえ」

 肩まで震えそうになった。と、その時だった。


「――ねえな。あり得ねえよ」


 横合いから、その声がかかったのは。

「警察のおっさん、あんたも見たろ? 玄関と廊下、それと台所の有様をよ」

「あ、ああそうですね。家に侵入者があったのは間違いないと思われますが、それだけで霊獣の失踪との関わりは……」

「おっさん、知らねえの? 霊獣ってのは、人間じゃないんだぜ」

 何を今更、という顔になった警察の男に、今の今まで黙ってテスの横に立っていた長身の男はにかっと笑んだ。白い歯が目立つ、人好きのする笑顔だった。

「長く同じトコで暮らしてる獣にゃあ、縄張り意識ってのがあんの。滅多なことじゃそこから離れないし、自分の『主』『扶養者』と感じているヤツをほっぽって家出なんちゅう真似もしないの。人間と違ってな」

「すべてが当てはまるわけでもないでしょう。霊獣が人間の傍から自主的にいなくなるなど、過去に数え切れない事例がある」

「こいつと一緒に暮らしてたのは、こいつが生まれる前から人間と生活してた霊獣だぜ? イマサラ人間の生活様式に不便感じることなんざあり得ねえだろ」

「しかし、」

「逆に聞くけどよ。なんで自主的失踪って決め付けてんの?」

 声に宿る追求の色に、警察官は心持ち後ずさった。

「そ、それは……」

「侵入者ばーん、盗まれたもんナシ、住んでるオンナノコいねー、はい、誘拐事件の出来上がりだろうが。なんでしょっぱなからその可能性無かったことにして、被害者相手に家出聴取ばっかしてんの? そーゆーのは事件調査のついでか、誘拐の可能性が薄くなったあとにするもんだろ。俺に言わせりゃ、あんたの態度は警察として効率が悪い。しかも訊き方も誘導尋問っぽいのばっかだし」

「……」

「聞いたことあんだよなー。アルカリー国はまだ発展途上の新興国だから、国の財政状態もいいってわけじゃない。公務員でも、一定以上の勤続実績が無いとビンボーだって」

「……」

 人好きのする笑顔はいつの間にか消えうせ、何かを含むような笑みに変わっていた。深く鮮やかな緑の瞳、深遠にうすらと漂うのは熾き火のような暗い光。

「特に兼業してないヤツの場合、収賄のひとつやふたつこなさねえと、生活できねえぐらいだって。だから例え下っ端警察官でも、金くれるんならちょっとした悪事見過ごすこともざらだとさ」

「……」

「まあ俺はガイコクジンだし? 他国の汚職に首突っ込むほど暇人でも潔癖主義でもないし? おっさんだって生活があんだろうし? 別にどうこうするって気も無いけど」

「……」

「俺が訊きてえのは。おっさん、」

 動きを止め、俯く男に。長身の青年は囁く。声に、表情と同様の怒りをにじませて。


「国家公務員の生活とやらは、今ここに震えながら立ってるちっこい女泣かせてまで豊かにしたいもんなのかよ」


 警察官のはずだった男は、終ぞ沈黙を守ったままだった。



 外はすっかり夜の帳が降りている。しかし、テスのたったひとりの家族は戻ってこない。


「玄関、片したから。もうフツウに入れるぜ」

 外につっ立ったまま、ぼうっとしていたら、背後より低い声がかかる。あれからものの役に立たなくなってしまったテスの代わりに色々と動いてくれ、荒らされた家をなんとかしてくれた、黒髪の青年だ。

 家からの灯りを反射し、緑眼がきらきらと輝く。

「あ、……」

「いーから。もう暗くなってるし、入れ。つーかお前の家だろうが」

 あたし何やってんだろ、とテスは考える。こうして自宅に侵入され、ワカバもいなくなり、何も出来ずに他人の言いなりで。後始末でさえ、他人にまかせっきりで。家主らしいことは何ひとつ出来ていない。

「――」

 何か言いたい。何かしたい。なのに、からだが動かない。水源近くの蛙の鳴き声だけが響く闇夜。

 俯いたら、頭上から溜息が零される気配がした。

「だからそこで落ち込むな。取り敢えず、入れったら」

 長身が近寄ってきて、立ち竦んだまま俯いているテスの手首を掴んで軽く引いた。長い指、大きな男性の手だ。テスの手首どころか、腕の半ばも一掴みに出来てしまいそうなほど広くて分厚い。硬めの肌、その温度が素肌に伝わる。彼の体温は、テスよりほんのり高い。

 真夏の夜なのに、その温かい温度は心地よくて。

「……」

 だからというわけではないが、じわっと視界がぼやけた。

「ッな、泣くな」

 テスの顔を見た青年の顔が、あわあわとなる。怯えたようにすぐ離された手首が、物寂しかった。

「嫌なら言えよッ、わかんねえだろーが」

 いやじゃない。いやじゃないの。むしろ、その反対なの。そう言いたいのに、首を振るのが精一杯だ。唇を噛み締めて、涙が零れるのをこらえる。

「――~~っ、あーもう」

 がしがしと掻かれた黒髪が、夜の宵闇に溶け込んでいる。毛先が背後の家の明かりを受けてちらちらと光った。逆光なのに、彼の顔がよく見えるのはなぜなんだろう。象牙色を宿した童顔といっていい顔立ち、癖の無いさらさらの短髪とすんなりと伸びた長身。そして、印象深い緑の双眸。

 どうしてだろう、とテスはまた思った。


 どうして、彼の前では弱くなってもいいと感じてしまうんだろう。


 青年はがしがしと髪をかき回しながら、ポケットからまたあのハンカチを取り出す。綺麗に畳むことなんて最初から考えてない、くしゃくしゃのそれ。けれどうっすら温かくて、ほんの少しいい匂いもする布きれ。まるで彼そのものみたいな。

「ん」

 それをぶっきらぼうに差し出してくる手も、やっぱり温かい。



 警察官が逃げるように帰路につくのを見送りながら、テスは放心状態だった。警察の調べが入ればこの事態が収まるかもしれない、その期待が大きかったせいだろう。まさか頼みの綱が、こうも当てにならなかったとは。

 気遣わしげにこちらを見る緑眼に居た堪れなくなり、取り敢えず家の中を片付けようとした。荒らされていたのは玄関と廊下の一部と台所だけだから、すぐ終わるだろう。何かをして気を紛らわせたかったせいもある。

 腐った匂いが充満している台所、食器の破片を拾い上げ、ぶちまかれたベシャメルソースとトマト煮の残骸を捨て、泥だらけの床を拭いて。ふと思い当たって、もう一度電話の受話器を手に取った。そろそろ一般家庭の働き手も家に戻っている頃合いだと思ったのだ。

 電話をかけるのは、ワカバの野菜を定期的に購入してくれるお得意さんのひとり。近い集落に住む男で、祖父母と一緒に暮らしている。彼の証言で、ワカバがいついなくなったのかがわかるかもしれない。

 何度目かのコール音で出た、疲労気味の男の声。

『もしもし』

「こんばんは、イワン=チェル=トポロフさんですか。スペイオですが、お忙しいところすみません。ちょっと緊急でお聞きしたいことがあるんですけど、よろしいでしょうか」

『あ……えっと、なんだい。手短に頼むよ』

「昨日、我が家にお野菜を取りに訪問されたと思うんですけど、その時のことで――」


ぶつッ、


 どうしてだか、突然に電話を切られた。

「え、イワンさん、あの、もしもし!?」

 虚しく響く、受話器の向こうの音。何かの手違いかと思ってもう一度かけなおす。しかし。

「どうした」

 一緒に台所を掃除してくれていた青年が、雑巾片手に近寄ってくる。その緑の瞳に見つめられたテスは、俯いた。力無く垂れ下がる手の中の受話器から、幾度も聞こえる不在音。

「……」

「昨日来たはずの客に連絡とってんだろ? 話は聞けたんか」

「……今は、話せないみたい」

「――」

 象牙色の童顔が歪む。引き締まった腕が伸び、テスの手から受話器をひったくって耳に押し当てた。その緑眼が顰められる。唇から覗く白い歯が、舌打ちの形になるのが見えた。

 聡い彼なら、きっと察しがついただろう。テスにだってうっすらとわかってしまったのだから。

「おい、なんで着拒されてんだ」

「……きっと、忙しかったのよ」

「んなわけねえだろ、一度出といて」

 ああ、彼はすべて話せと言っている。

「……。今電話かけたお客さん、そんなにお金持ちなひとじゃないの。お野菜だって、ギリギリの値段で買ってもらってた。最近の支払いは遅れてて、ツケが溜まってきてるのが困ったな、ってワカバが」

「――」

「あのひと、気が小さいところがあるひとだから。多分、口止め料をもらえるなら、もらってると思う」

「――どいつも、こいつもッ」

 受話器を握り締める、彼の大きな手。幾分力を込めてそれを置いたあと、きっと玄関を睨み付ける緑の瞳は、怒りに燃えて輝いていた。こいつの目はやっぱりきれいだな、と感じる。現実逃避のようにそう考えなければ、気分が底無し沼に落ちてゆくような気がした。

「おい。まだ何かあんだろ」

 怒りに燃える緑眼がこちらを向く。決して嘘も隠し事も赦さないきれいな瞳。それに見つめられると、本当に何も隠せなくなる。

「――、ワカバはああだから、本性も秘密にしてるんだけど。でもイワンさんは結構前からワカバのこと知ってる、ひとで……」

「へーえ。やっこさんは金を掴まされてぺらぺら喋ったっつうわけか。で、ダメだしも受け取ってこういう態度なわけか」

「でも、イワンさんが喋ったって決まったわけでもない、し」

「なんで被害者のお前が加害者に協与したヤツ庇ってんだよ。他にワカバちゃんの正体知ってる人間、いんのかよ」

「……。し、仕方ない、うん仕方ないのよ、これは。イワンさんも、生活があった、から」

「ホントにそう思ってんのか」

「……」

 高い位置からこちらを見つめる緑の瞳に、やはり居た堪れなくなる。色々なものを我慢しようと思っても、うまくいかない。このままだとまた、みっともなく泣いてしまう。もうパニックになりたくないのに。

 彼の視線を避けるように、作業に没頭した。


 一番ひどかった台所をなんとか片付け終え、廊下を拭いてから。

 最後に玄関を片付けようとした際、真っ先に目に飛び込んできた光景に、腕が止まってしまう。靴箱の上に置かれた、小さな植木鉢。それが床に落とされている。黒い土が散らばり、だいぶ伸びてきていた深緑の茎が無残に外に飛び出て、萎れていたのだ。

 震える手で黒い土の中の若草を掬い上げても、もうそれは駄目であろうことがわかった。

『だってわたしの鬣……髪の色と同じだもん』

 芽が出たばかりの頃、植木鉢を片手に髪を摘んでいたその姿が思い起こされて。

「……ぁ」

 気が付けば、その場に蹲って号泣していたのである。駄目だ、また泣いてしまっては。そう思っても雫は止まらない。

 情けない。家族を思って泣いても、家族が戻ってくるわけじゃないのに。

「……わか、ば……ぁ」

 消え入りそうな声で呼ぶ、家族の名。ぼたぼた落ちる涙が黒い土に吸い込まれる。と、その上に落ちる影があった。土塗れの手に伸びてくる、テスのものよりずっと大きな手。

「――」

 無言で土で汚れたテスの両手を握り、水場にて洗ってから綺麗に拭き取ってくれて。くしゃくしゃの布をまた押し付けて、テスを玄関のすぐ外、扉の脇に座らせた青年。その手は大きくて、硬くて、温かいものだった。



 それから、十分程度。

 放心状態だったテスに代わり家の中を片付けてくれた青年は、テスの手を引いて玄関に招き入れた。整然となっている内部。壊されたものは片付けられているが、敷布の乱れなどはきちんと直されている。まるで何事も無かったかのように。

「ほら、それはそこに置いといたから」

 指差す方向を見ると、それはあった。ぽかんと見つめるテスに、彼は言った。

「聖丁香花ってのは、根本的に強い。水切りすれば息吹き返すこともざらにある」

 いつの間にそうしてくれたんだろう。手早くテスから取り上げた深緑の茎は何本かが選り分けられ、植木鉢の受け皿になみなみと入った水に浸されていた。もう萎れている草なのに。

「俺の家族がこの花を永いこと育ててた。だから生態は知ってる」

 そう説明しつつ、即席の切花をちょっと持ち上げてからまた靴箱の上に置き直す青年。

「こいつも大丈夫だし、お前の家族もすぐ見つかるよ。俺が保証してやる」

「ど、して」

 横顔が電球の光に縁取られ、緑眼が周囲の景色を表面に載せている。ふいっとこちらに戻された視線、その瞳にテス自身が映りこんだ。その光景に、一瞬状況を忘れて見惚れる。

 テスを映す緑眼は、真っ直ぐだった。通りの良い声が、あの笑みと共にしっかりと言葉を紡ぐ。相手を安心させるように。


「だってリョクが探しに行ってんだ。見つからねえわけねえよ。俺の騎獣はひとけりで千里を征く脚の持ち主だからな」

 だからきっと、お前の家族はお前の元に戻る。


「……っ、」

 暖かな音と、きれいな緑。

「ふ、ぅえっ」

 その声を聞き、彼の瞳を見つめていたら、また泣けてきた。ぎょっとしたように見開かれる緑眼。そんな彼に悪いと思いつつ、なおも零れ落ちる涙。

「うぇ、うわあああん」

 こどものように泣き出して、しゃくりあげながら彼に飛びついた。ぎし、と音を立てて硬直する長身、しかし退いたりしないでしっかりとこちらを受け止めてくれる。

 ああ、やっぱり彼は優しいひとだ。

 その優しさにつけこんで、思いっきり泣かせてもらおう。

 ぎゅうっと抱きつけば、おずおずと身体にまわってくる長い腕。骨っぽいのに手の平より柔らかい。温かい胸の中でひとしきり泣きながら、家族を思った。

 さっきまでは泣くまいとただ思ってた。家族のことを思うのは二の次だから我慢しなきゃと思ってた。けど、今は。

 この腕に包まれていると、我慢はしなくていいと感じてしまう。温かくて、硬くて広い、ちょっといい匂いのする胸に身を預けて、すがり付いて泣いているだけで、大切なものが戻ってくるような気がする。冷静に考えてみると情けないのに、このぬくもりの中ではそうしていてもいい、と。


 不意に、強く感じた。

(ねえワカバ、どうしてあんたはここにいないの)


 今、あんたにすごく逢いたいのに。どうして、何も言わずいなくなっちゃったの。

 生まれたときからずっと一緒で、ずっと傍にいてくれたのに、なんで急に消えちゃうの。小さい頃から母さんと父さんがいなくて、ドリスお爺ちゃんも死んじゃって、それでもあんたがいてくれたからあたしは頑張れてたのに。あんたがいないと、あたしは本物の独りぼっちになっちゃうのよ。

 あんたが家で「お帰り、テス」って迎えてくれないと、あたしはこうなっちゃうのよ。何も出来ないでただ泣くだけの、こんなに弱くて情けない人間に。

 ワカバ、あんたに言いたいことが山ほどある。なのに、どうして今、ここにいないの。


 覚えておきなさい、こんなにあたしを心配させたことを。これだけダメージ受けたのよ、帰ってきたらお説教してあげるんだから。言いたいこと、山ほどそのキレイな耳に詰め込んであげる。

 あたしが今までどれだけあんたに助けられてたのか、どんなに依存してるのか、つくづく痛感したから。

 伝えたいのは、それだけじゃない。教えたいことも、いっぱいあるの。あんたの種族のこと、お仲間のこと。まあ、あたしよりそっちが先に逢うかもしれないけど。

 一番教えたいことはあんたが家に帰ってきてから、言うわ。あたしの口からしか言えないことだから。


 ねえワカバ。あたし、好きなひとが出来たのよ。



テスは社会的に弱い立場なので、色々と我慢してきたところがあるのです。

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