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我輩は騎獣である  作者: KEITA
間章之二
66/127

若草色の恋人たち 二

 駆ける。

 この脚の限り。

 魂の、呼ぶ方角に。

 地獄を抜け出すために、地獄のさなかであっても。



 彼の腕の中は、ひどく落ち着く。嘘や取り繕いが、すべて流れていってしまう。それでいて、素肌が触れ合うたび胸の内側も外側も熱くなってくる。彼を感じ取った感覚のすべてがこういうのだ、もっとこのひとを感じたい、と。大きな手を、硬い皮膚を感じるたび、自分の中のある部分がこう言うのだ。もっと触れて欲しい、あたしを感じて欲しいと。逢って間もない男性なのに。

 不思議な心地だった。ワカバや死んだお爺ちゃんが無条件の安心を与えてくれる存在だとしたら、彼は……

(今は、そういう場合じゃないのに。何考えてんの)

 そういったものは、後回しだ。まともに考えると赤面するしかない。この不可思議な感慨の正体もわかっているから。

「で。なんでそんなにお前は後悔してんの?」

 身体がぴったりくっついているせいで、芯に響く通りの良い声。ちょっとびくりとなる。考えていることがヨコシマだったから。

「なんの、ことよ」

「とぼけんな。ただ家族がいなくなって寂しいだけなら、そんなびーびー泣くわけねえだろ」

「……」

 思い知る。あたしは彼に、嘘がまったくつけないのだと。それはひどく幸せな引導だった。

 そろりと身体を離す。緩く回されたままだった腕はすんなり解かれた。ちょっと寂しいなと感じつつ、話をするために至近距離の彼を見上げる。済んだ緑眼が真っ直ぐに見下ろしてきて、自分の考えが恥ずかしくなる。そして、なんでも話したい気にもなってくる。

 もっと、あたしを見て、あたしを聞いて、あたしを暴いて、と。はしたないとも言えるのに、そんなひとにめぐり合えた幸福をも感じ取ってしまう。

「――わ、ワカバがいなくなっちゃった、のは……もしかしたらあたしのせいかもって、思ったの」

「なんで」

 じっと見つめる緑の瞳。すぐ脇に置かれている深緑の草と同じ、いのちのいろ。

「あたし、ワカバがヘンな男に連れてかれないように、小さい頃からずっと引っ付いてたから」

「……」

「あのコ、本当にリョクさんそっくりなの。顔は似てないんだけど、雰囲気が」

 初対面のリョクさんをすんなりワカバに逢わせようと思えたのは、そういう理由が大きい。霊力もなんにも感じ取れないあたしにでさえはっきりわかるほど、彼とワカバは「同種」だったのだ。警戒心など、抱くだけ無意味だと思うくらいに。むしろ進んでワカバと彼を出逢わせてあげたい、と感じるほどに。

「凄い美形なのに不思議と近寄りがたくないのよね。逆に構いたいっていうか、一緒にいてくれたら嬉しいひとってかんじ。落ち込んでても、ワカバに話聞いてもらうだけでなんだか気分が晴れるの」

「あーうん、なんとなく、わかる。腹立つけど、仲良くしてたらご利益ありそーなイケメンってヤツ」

 半眼で相槌を打つ彼。色々と心当たりはあるらしい。

「リョクは成獣だし、人型になっても力のある雄だからほっといてもどうってことねえけど。ワカバちゃんは幼めの雌――いや、女の子だから、弊害もあるだろーな」

「そう。だから、人型になりたての頃は、お爺ちゃんかあたしが傍にいないとすぐ誰かに絡まれて、無理矢理どっかに連れてかれそうになってた。ワカバはワカバで、あんまり他人を悪者にしたがらないし」

「麒麟の性質ってやつだな。流血な争いに繋がりそうな感情は、リョクたちにとって黴菌みてえなもんだ。だから基本、他者に対しての悪感情は出てこねえ。好戦的になってないイヴァは特に穏やかな種だかんな。防衛本能のひとつってこと」

「そうだったのよね。……でも、あたしは、」

 とにかくワカバを護ることに必死で、しつこいヤツは乱暴にあしらったことも多々あった。そうしていくうちそれが板について、あたしに対する秋波にも拒否反応してしまうほど「男」の視線が苦手になってしまった。だから今まで恋らしい恋なんてしたことない。そういう経験なんて、微塵も無い。普通の男はみんな、ワカバ狙いのような気がして。

「何考えてんのか、大体わかったけど。ほっといたらワカバちゃんはめっためたにされてた、だからお前がワカバちゃんを護衛してたんは、間違いじゃねえ。卑屈になんな」

「でも、そのせいで、逆恨みされてたかもって」

 あたしはワカバを護っているつもりで、逆に危険な目に遭わせ、どんどんその方向に追い込んでいたのかもしれない。もっとあたしが巧く立ち回っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

「イワンさんもワカバに対していい顔しながら理由つけて身体触ってたりしてたから、あたしはどうしても仲良くなれなかった。お客様だってこと以外は、ただのセクハラ男だと思ってそういう態度とってた。だから、相手もあたしを嫌な女だって思ってる。それってワカバにとってマイナスよね」

 落ち着いてきたと思ったのに、涙声になる。自分のバカさ加減が身に染みて。

「他のお客に対してもそう。ワカバをそういう目で見る男は、みんなあたしの敵だって考えてた。なんであたしはこどもなんだろ。ワカバがやりやすいように、我慢してればよかったのに」

「――」

「結局あたしは、ワカバが他人のものになるのが嫌で駄々を捏ねてただけなのよ。恨みを買われていたのは、あたしのほうなのに。そのせいで肝心の、ワカバ、が……ッ」

「泣くな」

 今度は彼の方から腕が伸びた。ぎゅ、と力強く抱きしめてくる。広い胸板に額を押し付けてると、心臓の音が聞こえてきた。体温と、感触と。ほんの少し、汗の匂い。真夏、自分より体温の高い人肌に引っ付いてるのに、ちっとも不快じゃない。むしろその反対だ。

「コレは俺個人の意見としてな」

「……?」

「お前のやり方じゃあ手ぬるい」

「え」

 腕の中で見上げると、緑の瞳は悪戯っぽく輝いていた。

「俺だったらそういう相手にゃツケさせない。むしろ支払い滞ってる分、利息つけて請求するね。ヤなら買うなって。ただつんけんするだけでおさめといたお前は甘過ぎだよ」

「でもイワンさん、おじいさんとおばあさんに食べさせるためだって言ってたから、なんとなく強く出れなかったの」

「は、どこまでホントなんだか。本当にじいさんばあさん孝行してえって考えてるなら、もうちょい真摯になんだろ。詐欺疑惑及びセクハラ魔? そーいう相手に慈善事業してたお前らふたり揃ってお人よし過ぎだっつの」

 そう言う彼は、口調こそ軽めだったが声音は真面目だった。片方の手があたしの顔を持ち上げ、硬い指が頬に零れた涙を直接拭ってくれる。最後の雫が払われたとき、泣きたい気持ちも完全に霧散していた。

 通りの良い声が、力強くも柔らかく言葉を紡ぐ。まるで同志の奮闘を称えるように。

「ま。俺はそういうのキライじゃねえけどな。詐欺野郎よかお人よしの方が百倍マシだ」

 思った。

(あたし、ずっと損してきたのかもしれない)

 恋なんて、したことない。男のひとと付き合ったことなんて勿論ないし、そういう経験はあたしにとって遠いものだと諦めてた。

 けど。

 今感じているこれが、それだというなら。

 あたしは長年、損をしてきたんだなあと思う。



 我に還ったのは、そういえば今日はまだお風呂に入ってないと気づいたせいだ。

「あ、りがとう。もう、平気」

「――」

 急に気恥ずかしくなって、胸元をそっと押す。と、背後に回っていた腕が一瞬の間を置いてから離された。

 内緒だ。もっと抱きしめていて欲しかったなんて。でもお風呂入ってない身体だったし、何よりもさすがにこれ以上、彼に甘えたきりになってられない。正直な気持ちを言えば名残惜しいけど、彼の優しさに縋りついたままでも先には進めないから。

 瞬きしながら見上げた黒髪は、廊下の電球にやんわりと照らされている。背の高い大きな身体は小さな家の中では狭そうで、このひとは男のひとなんだと今更ながら感じた。

「……今日は本当にありがとう。助かったわ。あたしひとりじゃあ、どうにもならなかったから」

「別にー」

 心からの思いでそう言えば、ぶっきらぼうにそっぽを向く。今ではちゃんとわかってる。彼は優しくて照れ屋なひとなのだ、と。

 時刻は既に夜半近くなっている。家の外で見張るとまで言ってくれた彼を説き伏せ、なんとか家の内部に泊まってもらうことに成功した。恩人を野ざらしにするわけにもいかない。彼はやっぱり見かけよりきっちりしたひとのようで、嫁入り前の女が無闇に男の宿泊を赦すな、とか色々言っていたけれど、「ひとりじゃ怖いから」「いてくれたら本当に嬉しい」と本音で言い募って了承させた。彼は玄関で寝る、と言い張り、それ以上譲らなかった。ここにいれば誰か来たらすぐわかるからと。彼はつくづく優しいひとだなと感じた。ここまで赤の他人なあたしのために動いてくれるなんて。

 風呂場にて汗を流してもらい、ありあわせだけど心づくしの夕食を振舞ったあと。掃除したばかりの玄関に簡単なマットレスと布を敷き、毛布を運ぶ。お爺ちゃんが使っていた寝巻きは、彼にとって横幅はそんなでもないけど丈が短すぎるようだ。長ズボンの端がハーフになっていて、肩部分も半袖がぱつぱつだ。腕もそうだけど引き締まったふくらはぎにもやっぱり男性らしい筋肉がついていて、そんな場合でないのに見ていてどきどきしてしまう。脱衣所の扉の隙間からちらりと見えてしまった上半身裸の姿が、脳裏に焼きついて離れない。

(あたしって、思った以上にゲンキンなのかも)

 落ち込んでいてもワカバと話すだけで気分が晴れるし、好きなひとのからだ見てるだけで高揚するなんて。後者に至ってはまるっきり痴女じゃないの。

「それにしても、この家に入ってきたのは誰なのかしら」

 誤魔化すようにそんなことを切り出せば、敷布を広げて寝心地を確かめていた彼は真面目に応えてくれた。

「――犯人として考えられんのは、二通りだな」

「ふたつ?」

「おうよ」

 ふいっと腹筋だけで起き上がり、こちらを向く緑の瞳。家族のいない心細い夜も、このひとがいるだけでだいぶ平気になっている。童顔で口調もチャラいのに、ふと真面目な表情をするとあたしよりとてつもない年長者にも思えてくる。実に不思議な雰囲気を持つひとだ。一体何歳なんだろうか。

「ひとつは、人間。ただし、これは成功率が低いからほぼ無いといっていい。聞くとこによると、ワカバちゃんは霊力結界と癒しの霊力、あと簡単な目くらましの霊気使えるんだろ?」

 洗いざらしの黒髪が、電球の物柔らかな光を含んでつやつやしてる。

「フツウの人間にそいつを突破するこたあ不可能だし、霊法師がわざわざそういった悪事に手を貸すこと自体、あり得ねえ。つまり、ワカバちゃんを連れてったのは、人間じゃねえよ」

「……」

「つうわけで、お前が心配してるよーなのじゃない。自然区域ん中にある自宅まで押しかけて鍵こじ開けて侵入するなんざ、ナンパ失敗した輩の報復にしちゃ執念深過ぎる。どうせなら、ワカバちゃんが人間の界隈にまで外出したときを狙うだろ」

 では、家の中に残っていた足跡は、一体。

「もうひとつの可能性は、人間以外の人型形体を持つ生き物っつうこと。人型形体持つ種族っては数多いけど、ここは霊力寄りの地だから、魔法師や魔族が力を発揮することも出来ない。つまり、精霊族ってことだ」

「……精霊族の、人型種……」

「力持つ四元精や霊獣なら人型とれる、けどそいつらじゃない。ワカバちゃんは天の霊獣だかんな」

 彼は、本当に知識が深いひとだ。現役大学生であるあたしよりも、その引き出しが多い。訊けば、彼の祖父にあたるひとが精霊族で、その影響及び教育の賜物なのだそうだ。見かけは普通の人間なのに、中身は色々と普通の人間ではないらしい。

「近い属性持つ四元精ならなおさら害を加えようとはしないだろうし、霊獣同士であっても本能的に畏怖のある相手を、無理矢理拉致なんざしねえだろう。私怨があんなら、正面から勝負挑んでくるはずだ」

「ワカバは周辺の獣と仲がいいから、敵を作ったりはしてないはずよ」

「そーゆーことだな」

「じゃあ、」

「四元精でも霊獣でもないとくりゃ、的は絞れてくる」

 ぼすん、と大きな旅行鞄が、枕の位置に置かれる。見上げれば、象牙色の横顔は玄関扉を見つめていた。緑の瞳には、なぜか悔しげな光がある。

「これは、俺個人としてあんま考えたくなかった」

「……?」


「多分あの足跡の主は、天の生き物とは馴染みが薄い種族。より人間に近い感覚持つ、人間よか強い力持つ生き物。――可能性として一番高いのは妖精、だよ」


 だとしたら、靴の大きさからして、俺の家族と同じ種だ。そう吐き出す彼の声も、多分に複雑な感情を宿している。

「まだ確定したわけじゃないけど。十中八九、エルフが関わってるだろうな」

「エルフ……」

 戦乱によって発展し、戦乱によって衰退した長命種族。彼のお祖父さんは、今や絶滅寸前の純粋種だったそうだ。

「武器霊具持ってるときのエルフの凄まじさは、良く知ってる。元からつええのに道具がその身体能力に壊れないでついてける、オマケに特殊能力まで与えちまうから上限知らずってヤツ。そういう相乗効果で、大抵のエルフは武器持つと高揚に呑まれちまってキケンってわけ」

 大人びた緑眼は、やっぱりあたしの及ばない経験を沢山してきて、しらない事象を数多くしっているのだと感じさせる。

「いくら力ある霊獣でも、人型になってる以上、力は全部発揮できねえ。相手が武器持ってるエルフだったら、余計分が悪い。麒麟は争いを避けるから、尚更だな。不意を衝かれれば本性でも太刀打ち出来ない場合だってある」

 童顔だけれどあたしよりも遥かに年長であろう彼は、そう説明した。

「ウチの騎獣リョクも、そういう経験があってここにいるんだとさ。まーあいつに限っては人型においてもそこそこつええし、俺がいなくても血の臭気にゃ耐性があるからほっといても大丈夫だろうけど」

 ワカバも勿論早く戻ってきて欲しいけれど。彼の騎獣たるあのひとも、無理をしないで早く戻ってきて欲しいと感じた。だって、なんてことのない風情で話す緑眼の奥には、確かな心配の光があったから。



 駆ける。力の限りに。魂のもとへと、還るために。


「残念でしたー『ワカバ』ちゅわん。ここであんたは行き止まりよ」

「そういうことだ。俺たちと共に戻れ」


 地獄を、抜け出すために。家族のもとに、無事戻るために。苦しんでいる仲間を、救うために。この脚はそういったものだから。


「誰も、助けになどこない。諦めろ」


 自分が自分であるための、誇りであるはずだ。



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