風の巻1
視点が違う特別編となります
どこの世界にも、ゲスと呼ばれる輩はいるものだ。
嵐瑛はつくづくそのことを実感していた。田植えたばかりの稲が、すべて押し潰されているのを確認しながら。
(くそったれが)
脳内で口汚く罵りながら、膝を絡げて田んぼへと分け入る。常ならばぬかるんだ土は柔らかく沈むところだが、稲を押し潰した跡の主がご丁寧にも全域に渡り固めておいてくれたお陰で、ほぼ沈むことなくぺたぺたと上を歩ける。
「……あーあ」
葉茎から折れて地面にめり込んだ草を引っ張り上げ、心の底から溜息。この有様では根付きもしない。ここら一帯はもう駄目だ。
(食い物をなんだと思ってるんだ、あのボンボン)
歯軋りもしたくなる。曾々祖父の代から護ってきた田なのに。
「暇人が。あの腐れ(ピー)の(ピー)が(ピー)すりゃいいのに」
放送禁止用語だって言いたくなるというものだ。
嵐瑛の家は百姓であるが、そこそこの耕作暦を持っている。この地域の特徴として、霊力に満ちた超自然区域や自然区域に囲まれており、その影響で植物及び作物の育ちが異常に良い。そのお陰で農耕作はとても効率が良いのだ。その昔、曾祖父が妖精らの助けを借りてここら一帯を開墾、そこから歴史ある農家の基礎を築いたらしい。嵐瑛は勿論、その父も祖父も、この芳醇な霊気の恩恵ある土地で代々百姓をして生活していた。
なんでも古代、ここらは妖精が大規模に棲息していた区域だったそうだ。先の戦乱で彼らが衰退、散り散りとなってから集落も解散。他区域から移住先を求めた人間と彼らの残党が身を寄せ合い、所々で細々と生活するようになってのち、繁殖力の高い人間を中心として村や町が成り立っていったらしい。
高い身体能力及び長い寿命を持つが、繁殖力は弱い妖精。彼らの血は徐々に人間に紛れ、薄れていった。
(ただ)
嵐瑛は滅茶苦茶になった田んぼを耕し直し、苗を植え直しながら、ふと耳に手をやる。――普通の人間ではあり得ないほど、長く細く尖った形状の耳を。
(たまに、先祖がえりする奴も生まれる。あたしみたいに、身体じたいは人間なのに耳は尖っていたり、やけに丈夫だったり長く生きたりする奴が)
尖った耳から手を離し、視線を落とす。薄く張った水面に、ゆらゆらと映る自分の顔。肉体は平凡な人間の女なのに、持つ雰囲気はどことなく違う。顔立ちは田舎娘にしては至極整って洗練されており、美しいと言っても良かった。物腰も丈夫な身体のつくりに合わせてか、きびきびとしていて人目を引く。尖った耳といい持つ雰囲気といい、只人ではあり得ない。体型も細身なのに、人並み以上に体力も膂力もある。それもそのはずだ、嵐瑛の曾々祖母は妖精だったのだから。しかも嵐瑛が物心つくまで、存命であった。
「曾々ばあちゃん、どうしたらいいと思う……? あのバカ息子は一応あたしと一番近い種なんだけどさ、ここまで生理的に受け付けない男もそういないんだよね」
脳内の面影にぶつぶつと愚痴りながら、嵐瑛は田植えを続行した。
「嵐ちゃん、赤兄がまたやらかしたって聞いた。――ホントにごめん。これは代償とお詫び」
後日、嵐瑛の家に訪ねてきたのは体格の大きな歳若い男である。ここら一帯を治める領主の三男坊で、嵐瑛の幼馴染だ。沈痛な面持ちで差し出してきたのは金一封と稲作の新しい種と百姓の家では珍しい高級な菓子折り。ついでに冷湿布も添えてあるところが、この良く気の利く青年らしい。
「青風、あんたが謝んなくていいの。謝って欲しいのはあんたのオニイサマなんだから」
「うん、もう、本当にごめん」
「だから、」
こんなやり取りももう十年余り繰り返してきた。
「どうやったらウチの兄貴は嵐ちゃんのこと諦めるのかな。オレが何度言っても聞かないんだよな。というかオレのこと根底からバカにしてるんだよな」
縁側でいつものように安物のお茶を高級菓子と一緒にいただきながら、領主の息子は溜息をついた。名を青風という、気が優しくて力持ちを体現したかのような男である。でかい図体を縮めるようにして農家の小さな空間に居坐る姿は、嵐瑛にとって見慣れたものだ。
「父さんも父さんで、死んだ母さん似の赤兄に甘いし。白兄は留学中だし」
彼は二人の兄を持っている。一人は赤諷といい、もう一人は疾白という名だ。三者三様に性質の異なる兄弟である。
「領主さんは良い人だけど、あれが跡取りだっていうことだけが気に食わないわね。なんで疾白さんか青風にしなかったのか」
「言っただろ? 父さんは母さん瓜二つな兄貴に甘いんだ。我儘を我儘だと思ってない。それこそなんでも赦しちゃうから、赤兄も増長してあんなことになってるんだ。いい迷惑だよ」
ふう、と見かけは厳つい男の唇から繊細な溜息が零れる。手にしている茶器の水面が揺れ、そこに映る自信の無さげな表情を覆い隠した。
「それでも先祖に持つ妖精の血を色濃く受け継いでるから、身体は強いし頭もいい。ついでに顔もいいからなあ。弟から見ても思うよ、兄貴は魅力的な男だなって。そんな赤兄からすると図体の割りに腕力が劣るし顔も良くないオレなんて、目障りなんだろうな」
「青風、そんな言い方止せって昔っから言ってんでしょ?」
嵐瑛は楊枝に刺した羊羹を手に、細い肩をいからせた。
「あんたがそう気が優しすぎるから、あの男が調子に乗ってんの。疾白さんがいない間、我儘長男坊の暴走を止められんのはあんたしかいないんだから。しゃんとしてもらわないと!」
心底からの叫びである。あの我儘自己中男は昔から、領主の跡取りという立場に物を言わせ、金銭の赦すまま女好きのする顔が受けるままに色々と遊び歩いてきた。しかし嵐瑛だけが自分に靡かないと見るや妙な部分に食指が動いたのか、幼い頃はさほどでもなかった執着が年々常軌を逸してきている。何度断っても振り払っても無視したとしても、「お前は俺のものになるんだよ」と目をぎらぎらさせて迫ってくる。断固として断りを入れているが、思いのままにならないと見るや先日のように陰険な手段で間接的に脅すこともざらになってしまった。迷惑極まりないし、不気味だ。
「あたし、正直コワイの。普通の男だったら襲ってきても返り討ちにしてやる。けど、あいつはあたしと同じく先祖がえりだから」
そう、あいつは不本意ながら、青風より嵐瑛に近い生き物なのだ。
「身体が同じくらい強いし――いや、男だからあたしより筋力はある。だから、いざって時は多分、抵抗できない」
「そんなこと、死んでもさせない。オレが絶対にさせないよ。いざって時は兄貴の脚に噛み付いてでも止める」
幼馴染の太い眉がぎゅっと顰められた。真摯な瞳と真剣な表情、喉奥から震える声が語っている。彼は彼なりに本気で嵐瑛を護ろうとしているのだ。例え腕力でも武技でも兄に敵わずとも、捨て身ならばなんとかなると。
「だから。なんであんたはそこで極論に走るの。あたしが言いたいのは、あいつがそこまで暴走しないように食い止めなさいってこと」
「だって兄貴は、オレの言うこと全然聞かないし……」
しゅん、と太い眉が項垂れる。彼の極端に自信の無い性分は、結構根深い。それは仕方ない部分もあるだろう、何せあの出来過ぎるくらい出来の良い兄らが昔から傍にいたのだから。特に長兄にはその気の弱さに付け込まれ、幼い時分から色々と苛められてきた。物分りの良い次兄の助けが無かったら、今頃はもっと自信の無い意気地なしになっていたことだろう。
「あたし、ちゃんと知ってるから。あんたが領主さんの屋敷やその周囲で、ちょっとずつ働きかけてること。今じゃあ領主さん本人以外ほぼ全員が、あの男が跡取りになるの反対してるんだって? 疾白さんが元々作っておいた繋がりをずっと維持して更に発展させてるってだけで凄いもんよ」
そう、嵐瑛の幼馴染たる彼は、ただの気の優しい力持ちではない。朴訥とした外見に似合わず、地道な根回しや根気の要る作業などが得意なのである。この辺り、いい意味で王道主義な次兄と非常に相性が良い。
「微力だけど、オレに出来るのはそのくらいだから。オレ自身は領主の跡取りの器じゃないけど、二番目の兄貴はそうじゃない。白兄だったら充分過ぎるくらいその資格があるから。小さい頃から世話になってるし、援助くらいは、したいんだ」
「うん、偉い偉い。疾白さんも、きっと喜ぶよ」
嵐瑛の細い手に撫で撫でされ、ぽっと頬を染める厳つい男。こういうのもこの家では十年余りお馴染みの光景である。
「でも、それとあいつ個人の暴走とは話が別。とにかく、あんたにはもうちょっと頑張ってもらいたいの。あたしが一人でいる間、単身で来られるのを出来るだけ防いでちょうだい。出来るわね?」
「うん、頑張る。オレの目の黒いうちは、絶対に赤兄を嵐ちゃんのところには寄越さない」
さっきとは打って変わって勇ましい面持ちで頷く幼馴染。思わず苦笑混じりに頬が綻んだ。見た目は熊のようなのに、中身は大型犬なのも昔からだ。
「疾白さんが留学先から戻れば、こっちのもんよ。もう地固めはしてあるし、領民の支持だって我儘男よりあの人の方が断然上だからね」
だから、それまではなんとしてでも平穏に過ごしたい。
「あたしはこの暮らしを護りたい。それだけなのよ」
両親が死んでから、一粒種だった嵐瑛は一人でこの家と田畑を護ってきたのだ。身体は先祖がえりのせいで丈夫過ぎるほど丈夫だし、昨今の近代化された機具のお陰でひとりでも広い土地を耕して作物を収穫することは出来ている。しかし、逆を言うなら人手がいないのだ。危機的状況に陥ったとしても、たった一人で切り抜けるしかない。
「うん。だけど嵐ちゃん、無理はしないで」
「ありがと、青風」
心配げな幼馴染に、嵐瑛は微笑んでみせた。




