五
「凄いな、この霊具」
ここ数十年で肩辺りまで伸びた陽光の髪を、水色の紐で縛っている天使の若者はそう呟いた。
「俺がジャスから譲り受けた霊具も相当なものだったけど、この霊具もかなりの霊気がこめられてる。そればかりか形骸からして凄まじい年季物なのに霊力の綻びひとつ無い。磨耗の様子すら見当たらない。造りも見事だ、形ある物質にしては最高峰に手間をかけて造形されてる。抜き身じゃないときの鞘と柄の表面は硝子以上に脆いのに、それでも最低限衝撃を殺すように配置されてるのが、職人技だね。つくったひとも素晴らしいけど、それを数千年以上維持してきたひとたちも素晴らしい」
彼が手にしているのは騎者どのが祖父どのから譲り受けた霊具である。表面をきらきらと輝く鉱物で細やかに飾りつけられた、見た目からして美しい長い剣。
「――俺は妖精じゃないから詳しくは語れないけど。けど、はっきり言える」
調整の終えた武器霊具をそっと騎者どのに手渡し、我が友は微笑んだ。晴天の瞳も和やかに細められる。
「きみのお祖父さんは、この霊具を大切にしてきたんだね」
「……おうよ」
長剣を受け取った人間の若者は照れ臭そうに、されど誇らしげに笑み返した。
◇ ◇ ◇
東大陸にて霊具の調整が出来る妖精がいる。その情報は一旦保留となった。理由は、騎者どのの個人的な事情と我輩の強行により当の霊具が壊れてしまったせいである。
『水圧で柄頭割れちまった……』
あの日、防水布から取り出した家宝を確認していた最中。騎者どのはそう言ってがっくりと項垂れた。見ると、確かに繊細に施された造りの一部にヒビが入ってしまっている。
『……済まぬ、騎者どの』
『……べつに。俺のせいもあるし』
一人と一頭揃って項垂れる。何をやっているのだろうか、我輩らは。霊具のためにしようとしたことがすべて裏目に出るとは。
しかれど、いつまでも落ち込んでいても仕方が無い。
『とりあえず、すぐに直さねえと。あのさリョク、天界にドワーフ何人かいるっつったよな。その誰かに頼めねえかな』
『うむ。我が友の霊具を専属手入れしている妖精の居場所ならば、すぐに判る。彼が引き受けてくれるのなら良いが』
天使の我が友は、その翼にて霊具の「修復者」を早々に見つけていたのだ。
『そっか。じゃあ早速行って交渉するか』
『うむ』
そうして、我輩は一旦天へと舞い戻った。背に騎者を乗せて。
幸いなことに、かの妖精はその場で修復を了承してくれた。ただし今回限りという条件付きでだったが。
『おいらたちを便利な「修復屋」だと思うなよ。霊具ってのはそれぞれに癖を持つんだ。造りの仕様は勿論、霊力量を損なわないように配置された部品の妙ってのがある。今回はヒビが入った程度だったが、粉々に砕けた場合完璧に修復できる輩はそうはいない。製作者本人かワザを受け継いだ弟子か誰かじゃないと、とてもじゃないが元の形には戻せない』
特に、強力な力持つ古代の霊具は造形もそれなりに複雑だという。従って、いくら手先が器用なドワーフの一族でも、造りが比較的単純なものか自らの製作した霊具でなければ、修復に責任が持てないのだそうだ。
『天使の兄ちゃんの霊具は強力な「真具」だが、造り自体は単純だったのが助かった。きっと他のドワーフでも簡単に修復出来るよう考えて作られたんだろうな』
我輩らの亡き知己は、腕が良いだけでなく思慮深い性質を持っていたようだ。
『だが、この霊具は違う。おいらが見たところ、古代を通り越した超古代からずっと維持されてきたブツだ。それこそ人間の界隈に持ち出したら一発で国宝認定される武器霊具だよ。性能からして――間違いなく、古代ドワーフの「真具」だろうな』
妖精の毛深い眉の下の瞳が、感嘆を込めて手元の剣を見つめる。その視線には、わずかに慄きめいたものもあった。我輩がはじめて「真具」を目にしたときのように、静かな迫力に圧倒されているかのような眼差しだった。
『だから、壊れたからってそう簡単には直せない。直す責任だって取れない。だから今回限りにしてくれ』
『……わかった』
騎者どのが心持ち落胆したかのように頷く。あわよくば、この霊具の専属修復者になってもらいたいと考えていたのだろう。
『まあまあ、そう落ち込まないで』
共に剣を覗き込んでいた天使の我が友が、明るい口調で彼を励ます。
『要は大切に扱えばいいんだよ。今までのように、ね』
『まーな。割れやすい鞘と柄さえ大事に防護してりゃいい、それくらいはわかってんだが。やっぱ不安なんだよな』
騎者どのの緑眼が、溜息と共に瞬いた。
『俺はバカでガキだから、いつまたこんな風に簡単に壊しちまうのかってゆうのがシンパイ。同じことは二度と繰り返さねえように努めるけど』
ぎり、とわずかに下から目線を送られ、慌てて頷く。もう、あれほど後先を考えない強行軍はしないと我輩も誓わなければならない。従って騎者どのを無理矢理海原に連れ出すのも諦めなければなるまい。若干心残りはあるが。
『やっぱ「調整者」にも辿り着けてねえのが一番の不安材料だな。あー船乗りたくねえ……けどそうは言ってられねえよな……今月の生活費切り詰めねえと』
騎者どのの事情や船酔い云々はともかく、大陸間を往復する船に乗るための代償は、我輩が把握している以上に大きいらしい。特に二本足らが扱う「かね」「つうか」による取引の妙は、今後のことも考えなければ一気に日常が破綻してしまうほど影響を及ぼすのだそうだ。
『俺が定期的な調整を一緒に引き受けられればいいんだけど。でも人界に棲む以上、人界に棲むひとに頼んだ方がいいだろうね』
そう言いながら、天使の青年は今回のみ霊具の調整をおこなってくれた。
『今回は期限が差し迫っているし、俺も時間があるから。けど、例にもよって毎年引き受けられるとも限らないから、定期調整者にはなれないよ、ごめん』
『あーいいっていいって。エルさんだって忙しいだろうし』
『悪いね』
我が友は最近、出世したのだ。その背には以前あった翼が無い。ここ百年余りで霊力で出来た翼を通常生活において仕舞えるほど、彼は成長しえたのである。内在霊気が多くなったことにより天使の階級ももう少しで高位となれるほどに高まったのだそうだ。
一緒に伸びた髪を纏めている紐、それと同色の弓矢を腰に携えた若者はもう以前の頼りない風情ではない。まあ性質自体はそう変わってはいないのだが、雰囲気めいたものが低位の天使と一線を画している。かの大天使どのや主天使どのとまではいかないが、ある程度の実力者であることが一目瞭然だった。
(我が友がこれほど成長したのは――やはり、妖精どのから真具を譲り受けた頃合いからであったな)
そのことを、まざまざと回想する。
『とにかく、一年に一回こいつを調整してくれる暇人をなんとしても確保しなきゃならねえんだ。それに当てはまりそうなのが人界にいる。その情報が手に入っただけで御の字なんだから、一ヶ月メシ減量でも我慢しねえと』
『うむ、そうであるな』
茶目っ気めいた口調で言う騎者どのに、我輩も同意する。食事制限はわかりやすい節約方法だ。朝食時の紅玉をひとつ口にするのをやめるだけで、多少効果はあるだろう。昼食どきに食べていたほくほくの甘い芋、それも我慢しなければなるまい。三時の茶請けにもらっていた「とうにゅうぷりん」も、しばしお預けだ。
『リョク、そんな悲壮な覚悟決めた顔して考えてんのは食いモンの羅列だろ』
なぜわかった。
◇ ◇ ◇
天の陽に照らされ、ちろちろと光を跳ね返す豪奢な長剣。それを帯に通し、紐をしっかりと結わえてから騎者どのは我が背に跨った。
「じゃあなエルさん、調整あんがと。マジ助かったわ」
「どういたしまして」
頭上に広がるものと同じ色をした晴天の瞳が、我輩らを眩しげに見上げる。
「友よ、息災であれ」
「うん、きみもね。――ああそうだ」
和やかに細められていた彼の瞳が、ふと真剣味を帯びた。
「ちょっと気になる噂を最近耳にしたんだ、いつかきみに話したいと思ってた」
「?」
そう言いながらも、天使の若者の表情には複雑な色があった。まるで話したくはないことを、それでも話さなければならないというように。
「サリアが言ってた。ここ数ヶ月、人界に奇妙な獣が出没してるんだって」
「奇妙な獣?」
「うん。なんでも人界には無い形体で、纏う気配も只者じゃない生命体らしい。人界の霊獣とは違うし、魔力を帯びた『妖』でもない。時々人前に現れては、音も無くまた去ってゆくということを繰り返しているんだって」
「それが何か、我輩に関係があるのか」
「――落ち着いて聞いて欲しいんだ。これはあくまで噂で、サリアも口伝で耳にしただけだって言ってたからなんとも判断し難いんだけど。その獣は、目立つ特徴を持ってたんだって」
友の声が、静かにその事実を紡ぐ。
「樹木のような二本の角と、蒼色の鬣を」
思う。時間というものは、事象と共にたゆまず動いているのだ。
我輩が気づかぬうちに、着々と物事は進んでいる。自分たちだけなら停滞しているように感じていても、その周囲では確実に時間は動いている。
我輩も騎者どのも、いつまでも立ち止まってはいられない。ひとすじでも光の気配を感じる限り、手探りで前に進むしかないのだろう。
先に見えるものが、到底把握できぬ暗闇であっても。




