表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我輩は騎獣である  作者: KEITA
第三章
30/127


 当然ながら、人界には多くの生き物が存在する。同じ獣と称されるたぐいであっても、天のものとは一味も二味も違う。

 天における「霊獣」とは、我ら一族や銀の狼、虹色の蛇や聖なる鳥などに代表される「生まれついての霊獣」である。特段意識するわけでもなく生まれ落ちた瞬間から霊力の恩恵受ける生き物。そうして過ごしてきた精霊族。

 対して。

 人界における「霊獣」とは、生まれ落ちた瞬間は精霊族ではないらしい。それこそ霊力を宿すわけでもなく言語も理解することない、只の獣として生を受けた存在。それが環境の妙と少々の素質が合わさり、超自然区域や自然区域におけるわずかながらの霊気を吸収し、歳月をかけて肉体を変強化させてゆく。そうしてある程度の知能が生まれたそこで、はじめて精霊族と生り得るのだそうだ。

 人界の獣にとって、霊獣とは、望むべくしてなるものではない。

 そう我輩に零したのは、人界のとある霊獣の知り合いである。人間の界隈に慣れるようになるまで過ごした幾日、小さな村にて邂逅した彼女はことあるごとにそう言っていた。



「天の獣のくせに、なんで人界にいんのさ」

 低く唸りをあげ、威嚇してくるのは人界の霊獣である。しなやかな体躯、足音ひとつさせない身のこなし。

「出てけ。ここはあたいの縄張りだ」

 常ならばなめらかだと思われる体表の毛を、荒く逆立たせていた。姿勢を低くし、こちらに向けて放つのは純粋な敵意だ。

「落ち着くがいい。我輩は特段此処を荒らそうとは考えておらぬ」

「うるさい。そんなことどうでもいいんだよ、とっとと出てけ」

 喉奥から威嚇の唸りが洩れる。天では見ないたぐいの獣だ。いや、若干似ている種もいたことはいたが、この獣よりは大柄であった。

「人界の獣よ。なぜそうも敵意を向ける。我輩に他意は無いこと、わかっておろうに」

「うるさいッ!」

 フシャーッと細い牙をむき出した獣の名称は、確か「ねこ」と言ったか。

「あたいの縄張りに入ってくんな!」

 飛び掛られて細い爪にてばりばりと顔を掻き毟られたが、特段大怪我にも至らなかったので放っておいた。頬が引っ掻き傷だらけになったが、流血はしなかったし。

 むしろ、それを見た騎者どのや村人が慌てていた。特にこの獣の飼い主だという雌が卒倒しそうなくらい動揺して獣を引き剥がし、遠慮する我輩に構わず「手当てをさせてください」と言い募ってきた。

「ごめんなさい、今すぐお薬を、」

「我輩は平気だ、この程度ならすぐに自然治癒する」

「でも、」

「人間の娘御よ、気遣いに感謝する。けれど手当ては不要であるのだ、わかってほしい」

 視線を合わせてそっと微笑めば、雌の頬はぼうっと赤くなった。

「は、はい……っ」

 昨今気づいた事柄として、どうやら我輩の外見は老若問わず人間の雌に至極好印象を与えるらしい。利用するというわけではないが、有効に使えば役に立つということもわかってきた。

 ただし、当然ながら獣の雌にとって人間の外見など心底どうでも良い事象だ。

「あたいの下僕をタラしこみやがってッ。とっとと失せろ、ここから出てけ!」

「こら、そんなこと言って。タマは本当に意地っ張りねえ」

「下僕は黙ってな! いいか、いい気になるな天の獣。こいつはあたいの下僕なんだ、あたいのために食物を用意してあたいの毛皮だけに夢中になる人間なんだ、だから近づくな!」

「もうっ、タマったら。……本当にごめんなさい、緑の髪の方。同じ霊獣だから仲良くなれるかしらと思ってたのだけど、無理だったみたいで。おまけに怪我までさせてしまって、なんとお詫びをしたら良いのか……」

「気にするな」

 ぴりぴりする頬を軽く撫で、飼い主に抱えられた獣を見下ろす。

「人間の界隈に慣れる工程においては、多少の傷は勲章のうちよ。なあ?」

「出てけッ」

 フシャーーっと怒鳴り返された。再度飛び掛りたいらしいが、如何せん人間の柔らかい腕に捕らわれているせいで身動きがとれないらしい。成りは小さいが、いっぱしの霊獣なのである。下手に動くと飼い主に危害が及んでしまうこと、ちゃんと把握しているのであろう。

「ごめんなさい、本当に。タマ、おうちに帰りましょうね」

「下僕のくせになんでそういつも勝手に決めるんだッあたいは……、あ、そこ気持ち良いからもっと撫でな」

「はいはい」

 そうこうしているうちに慣れた手つきで体表を撫でられ、いつの間にか大人しくなっている。ごろごろと喉を鳴らすのは、威嚇とは正反対の感情表現らしい。

「なんつうか……俺も初めて見たけど猫の霊獣ってあんなもんなのか」

 棲家に戻ってゆく一匹と一人を見送りながら、騎者どのも呆れ顔になっていた。



 人界における獣は、人界に適応し暮らしている。我ら一族は他種族に「騎者」を求めるゆえ天においても変り種とされていたが、人界において他種族と関わり合いを持とうと欲するのは至極自然なことらしい。むしろ、そうやっていのちを繋いできた生き物も数多いとのことだ。

「犬だとか猫だとか、野生のものもいるっちゃいるけど。最近は飼われてるのが多いな。いや、ヤツらからすると雨露が凌げる場所を確保しただけで、体のイイただの食物庫兼貢ぎ屋かもしんねえが」

 そう言いつつ、騎者どのの表情は面白げだった。

「飼い犬飼い猫ってのも、生きる道のひとつってことだ。特に人間の界隈において『害を与えない』ってアピールすんのは、大事なことなんだぜ」

「……そうであるな」

 我らのような獣にとって、生きる環境は限られている。しかれど僅かでも道が開けるのならば、そこに向かって突き進むのも良策のひとつだ。



「タマは、私の祖母が飼っていた猫だったんです」

 その日の夕刻、かの小さな獣の飼い主はそう言っていた。

「元は普通の猫で、祖母の若い頃に拾われて一緒に過ごしてきたそうです。そうして祖母が結婚して子供が生まれて、その間どうしてだかずっとタマは老けないままで。母が生まれた丁度その頃から、言葉を発するようになったらしいです」

 我輩への詫びだという甘い果物の入った籠を抱え、若い雌は少し俯いた。

「祖母の生きていた時代、まだ霊獣というものが知られていなかったようで、タマはずいぶんとひどい目に遭ったそうです。化け猫扱いは勿論、見るたびに石を投げられたり蹴りつけられたり。そして飼っている祖母らにも風評が降りかかったそうで、それが一番タマにとって辛かったみたい。今でも眠りながらうなされてるときがあるんです」

 亡き飼い主のひとりに、夢うつつに泣いて謝っているそうだ。

「色々あったけど、段々この村にも精霊族や霊獣の認識が高まってきて。私が生まれて物心ついた頃には、もう殆ど偏見は無くなっていました。ただ……」

 彼女の祖母は、その時代を知ることなく亡くなってしまった。彼女の母によると、最期まで愛猫を気にかけていたそうだ。

「タマは今もこうして我が家に留まって、私と一緒に生活してくれています。きっと祖母への恩のためもあるんでしょうが、それだけじゃないと思いたいんです。私にとってタマが大切な家族であるように、タマにとっても私がそれなりに愛着のある存在であって欲しいなって」

「かの獣にとって、娘御はきっと大切な存在であろう。なればこそ、我輩に飛び掛ってきたのだろうよ」

 形はどうあれ、あれは不審者から我が子を守る母親に似ていなくもなかった。まるで追憶の中にある我が母御のように、真っ先にこの雌の前に陣取って威嚇してきたのだから。

「……そうだったら、あなたには悪いのですが、嬉しい気もします」

「うむ」

 果物の入った籠を受け取って微笑めば、人間の娘の頬は様々な感情を載せて紅潮した。



 ぶらり、ぶらりと長い尾を揺らしながら人界の獣は呟く。

「霊獣になんて、なりたくなかったんだあたいは」

 飼い主に似て義理堅いところのあるらしい彼女は、夜になってからわざわざ我輩の逗留場まで来訪して詫びを入れに来てくれた。どうやら飼い主に諭されたらしい。

「普通の猫として、あのひとと暮らしてきた。普通の猫としてあのひとと過ごして、老いて、死んでゆきたかった」

 けれど、彼女は霊獣になってしまった。

「今でも時々思うんだ。もうとっくの昔に死んじまった人間なのに。それでも、あのひとに逢いたいって」

 寂しい、と感じるこの感情こそ、彼女が只の獣でなくなってしまった証である。こうして憂いに沈み、考えにふける理性。そんなものは本来、寿命が短い人界の獣においては不要の産物なのだ。こうして繰る言葉も、只の猫には要らないもの。

「けどさ。命ってのは次から次へと生まれるからね。あたいはあのひとが一番大事だったから仔は作らんかったけど、それでも気にはならなかった。だってあのひとの子や孫がどんどん生まれたから。あのコ以外はみんな村を出ていっちまったけど、あのコだけはずっとあたいの傍にいてくれてる」

 獣の瞳が細められる。

「新しい命ってのは、何も言わず救ってくれるんだなって思った。……望むべくして霊獣になったわけじゃない、寂しんぼのあたいでも、大切なものはちゃんとあるんだ」

 霊獣となった猫は、鮮やかに微笑んだ。

「いとしごってのは、あたいみたいな獣にとって、生きる術そのものなんだ」

 それがあんたにわかるかい? 天の獣よ。



 それから数日後。

 かの人間の娘は、単身村を離れることになった。兼ねてから付き合いのあった雄につがいにと望まれ、遠くはなれた集落に棲家を移すことにしたとのこと。

「――あの霊獣も、連れてくらしいぜ」

 村の名物である米の加工食物――「せんべい」という香ばしいもの――をばりばりと噛み砕きながら、騎者どのがそう報せてくれた。

「嫁入り先はこの村よりデカい町で周囲に自然区域も少ない。だから獣にとっちゃ棲むのに楽じゃねえけど、人型ならなんとか我慢出来なくも無いからな。ソレでいくらしい」

 つくづく思う、人型というものは巧く扱えば至極便利なものである。獣にとって、生きる可能性を大きく高めてくれる能力なのだ。例え望まず霊獣になったことに悩んだとしても、その異能を得たがため生き方が大きく広まりもする。すべては、その霊獣次第であるのだ。

「やっこさんと飼い主との間で色々悶着もしたようだが、結局これからも一緒に暮らしていきたいからって結論に落ち着いて、嫁入り先も賛成してくれたみてえだぜ。一部、霊獣に馴染みの無い頭カタい親戚の反対はあったみたいだが、その他は概ね好意的だしこれから時間かけて説得してくって。理解のある旦那サンとその家族で助かったなあ」

「まったくだ」

 ばりばり、とせんべいを共に噛みながら、我輩も同意する。甘くはないがこの食物も至極美味い。表面にかかっている茶色の液体が良い。

「これから苦労もすんだろうけど、なぜだか大丈夫だろって思っちまうな。いや、そう思いたいんだろな、俺」

「我輩もだ」

 せんべいを食べ終えてから、天を仰いだ。

「かの獣は天のものではないが、それでも祈る。――どうか、我らが偉大な始祖の恩恵あらんことを。その身が少しでも健やかでいることを」

「同じ獣のよしみとして?」

「うむ」

 頷くと、我が騎者どのは笑って頷き返してくれた。


 我輩らがその村を離れてから届いた便りによると、どうやら棲家を移した先で人間の娘は子を産んだらしい。そしてその子はとある霊獣のつがいになったとのことだ。

 それを聞いた騎者どのはやはり面白げに笑っていた。

「こうやって気がつけば、人間さまの界隈にゃ獣人が溢れかえってるのかもなあ」

 獣人とは、霊獣と人型種が交配して誕生した生き物の総称だ。生まれながらにして人型と獣型、双方の姿持つ合いの子。別種同士が結ばれた象徴たる存在でもある。

「それも一興かと我輩は感じる」

「俺もだよ」

 時間があれば、新しく生まれるだろう獣人に逢いに行っても良いだろう。今度はその母親に威嚇はされないはずだ。


■ □ ■


「みどりのかみのキレイなおにいちゃん、これあげる」

 人間の集落に出入りするようになって二月目、すっかり顔馴染みとなった人間の幼子。彼女は至極心優しい雌のようだ。今日もいつもの時間帯、我輩が騎者どのと村を訪れると駆け寄って来て歓迎してくれた。そして小さな手の平で差し出されたのは、橙色をした繊細な飾り紐。

「美しき紐だな。これは如何様にして使う?」

「あのね、かみの毛をむすぶの」

 膝をついて視線を合わせれば、頬を赤くして顔を綻ばせる。天にいたときも感じていたが、幼子と接するのは至極心地よい。伝わってくるのは限りなく純粋な感情だからである。

「髪をか。しかれど我輩は手先がさほど器用でないゆえ。良かったら手本を見せてはくれぬか」

「うん!」

 休憩所の椅子に座って、幼子の手に髪を委ねる。触れる指先から伝わるのは、やはり純粋な好感情だ。幼いのに手先が器用な人間は、慎重な手つきで我輩の髪を紐でまとめてくれた。

「ふむ、至極爽快なものだな、首筋が自由になるというのは。感謝する、幼子よ」

 さらり、と結わえられた髪を揺らして振り返れば、至近距離にいた幼い雌は染まった頬を膨らませて言った。

「お、おさなごじゃないもん、アリアだもん」

「そうであったな。――感謝する、アリアどの」

 小さな顔は林檎のようになった。



「着々と周囲をタラしこんでってるなーリョク」

 にやにやと笑いながら声をかけるのは我が騎者どのである。

「この村制圧まであと少しなんじゃねーか?」

「制圧? 人型でも駆け抜けられる程度にはこの集落の面積は狭いが、我輩はかのような目的でここにいるわけではない」

「そういう意味での制圧じゃねえって」

 肩に乗っている米袋から伝わるのはずしりとした心地よい重み。中身が詰まった音もする。

 これまた顔馴染みになっていた村人から、小振りの俵ひとつ分もの米を譲り受けたのだ。なんでも「霊獣が他所からこの村を訪れるのは吉報の証」だとか。一昔前の村長が意識改革をおこなったお陰で、かつて村に蔓延していた霊獣への偏見はさっぱりと消え、そればかりか好感情に転換してもいるようだ。人間の機敏には詳しくない我輩であるが、その村長とやらはひとかどの人物だったのだろうと感じる。凝り固まった常識を解きほぐし、形ある変革を成功させるということは並大抵のことではない。

逢ったことも無い人間に尊敬の念を抱きながらかの存在が作り変えた集落を歩く。一抱えもある大きさの包みだったが、我輩の膂力からするにさほど重いというわけでもない。それを肩に担いで、騎者どのと共に目的の家屋へと進んでいた。

(この米は近くの家に持ち込んで、「せんべい」にしてもらおう。甘味を混ぜた「しょうゆ」は甘辛くて美味いゆえ)

 米を焼く匂いのする家に材料を持ち込み、新たな頼まれごとを引き受ければどの家でもせんべいを作ってくれる。この村はそういう伝統で成り立っており、昔から相互援助の歴史があるのだそうだ。何はともあれ、大抵の家でかの美味い食物を得られるというのは我輩にとって僥倖である。

(砂糖醤油万歳)

「おいリョク、きりっとした顔で考えてるのは食いモンのことだろ」

「なぜわかった」

「まーわかるようになんよ、一年以上も付き合ってればな……」

「そうか。してアルどの、砂糖醤油にはザラメと白糖とどちらが合うと感じるか。我輩としてはどちらも好みである」

「哲学論じてそうな顔で言ってることはコレだもんな……」



 程なく立ち寄ったのは、馴染みの人間の家屋である。この村において一、二を争うほどのせんべい職人が棲家で、かの幼子の祖父にあたる老人が住んでいる。

「おお、今日も来てくれたのか」

 にかっと前歯の抜けた顔で笑顔を見せる、年老いた人間。丸っこい頬の辺りに、孫の面影が見えた。

「この分だと霊獣さんが出入りする煎餅屋ってのが第二の看板になりそうだ。嬉しいことだな」

「我輩の来訪を喜んでいただけて感謝する。仕事の邪魔をしていないかが不安であるが、今は大丈夫だろうか」

「おうともよ。邪魔なんか微塵も思ってないから、ささ、入って入って」

「失礼する」

 家屋の軒先にて敷かれた、幅広い網。その下には熾き火にしてある木炭。じわりじわりと上がる熱気で、平たく伸ばされた米が焙られている。

「こんにちはぁ、アルセイドさん、リョクさん。今日も二人ともカッコイイわねえ、若い男のコっていいわ、惚れ惚れしちゃう」

「あー、どうもです」

「息災で何よりである、人間の貴婦よ」

 我輩らから慣れた手つきで米袋を受け取り、重量を測りながら中身を覗き込む老婦人。無論、かのもののつがいである。

「イイお米もらったわねぇ。今日もお煎餅にしたいの?」

「うむ。頼めるか」

「モチロンいいわよぉ。じゃあお米炊いている間、お掃除ヨロシクね」

「了解っす」

「承知した」



 この村において、米とは生きる糧そのものである。住民の大半が農家であると同時に、保有する米の多さは人界において並みの人間以上なのだそうだ。特に、このせんべい職人は名のしれたせんべい売りということもあり、様々な家から米を募って様々な種類のせんべいを作っているようだ。その米を集めたかなり広めの物置が、家屋の裏手に存在している。

 我輩らがせんべいを作ってもらうことと引き換えに引き受けたのは、この広い物置の清掃である。重い米俵を動かすこと、年老いたつがいには中々難しい作業らしい。

 溜まっていた埃を払って棚を丁寧に拭き取り、米俵を移動させる。かなり量があるので時間もかかり、老婦人が呼ばった頃合いは既に昼時となっていた。

「いやあ、悪いっすね。煎餅作っていただける上に、昼メシもご馳走していただけるなんて」

「いいってことよ。年寄りにゃキツい仕事を任せてるわけだしな」

「リョクさん、お茶いるかしら?」

「うむ、もらおう」

 軒先近くの部屋にて、つがいらと共に昼食をとる。それにしても心配していた食事に肉類のたぐいが見当たらない。少しでもその気配のするものは我輩の前には出てこない。炊いた米、塩気と共に漬け込んだ野菜、食肉の入っていない炒め物や付け合せ。卵はおろか、出汁としての肉髄の匂いすらしない食卓であった。

(……まさかとは思うが)

 ちら、と老婦人を見つめる。騎者どののため、米を器によそっていた彼女は目が合うなり片目を瞑ってみせた。

「――」

 思った。我輩が知らぬだけで、天の獣について知識のある人間というものは案外多いのやもしれない。



 香ばしい匂いのする出来立てのせんべいを頬張りながら、我輩は老人の向かいに座って彼の仕事ぶりを眺める。火に焙られ乾いた米をぱたぱたと裏返しながら、老人は言った。

「オレがガキの頃は、霊獣ってのはただの化け物扱いだったな。飼ってた犬猫や家畜やらが不意に喋りだした時なんか、もう不吉だ祟りだなんだってんで追い出したり勝手に野に捨てたりぶち殺したりと、そりゃひどい目に遭わせてたもんだ」

 老人の声音は静かだったが、せんべいを見つめる瞳には悔恨の色がある。

「それでもそれなりに長く一緒に暮らしてた動物だ、中には人の目盗んでこっそり食い物をやったり、人型にして気づかれないように一緒に生活したりする輩はあとを絶たなかった。オレはよりにもよって馬鹿なガキだったから、化け物は化け物だろって思ってた」

 せんべい用の団扇を扇ぐ老人の皺だらけの手に、力がこもる。

「そんな馬鹿な考えが改まったのは、やっぱりあの人達のお陰だな。二代前の村長夫妻さんだ、あの人達は本当に偉大だったよ」

 彼が言うあの人達とは、村の意識改革をおこなったかの村長とそのつがいのことである。

「いつだったか、村にやってきた女のひとがいたんだが、凄く感じの良いひとでな。先の戦乱の名残で親兄弟みぃんな死んで天涯孤独の身の上だってのに気立てが良くて、頭も良くて、手先も器用で身体も凄く丈夫で。村の衆が知らないことを丁寧に教えてくれて、それでちっとも偉ぶらないひとだった」

 おまけに、むしゃぶりつきたくなるくらい美人だったんだぜ。そう小声で言って老人は悪戯っぽく微笑んだ。

「次期村長と名高いわけえのと恋に落ちて、幸せな結婚をした。二人とも村中から尊敬されてたから祝福も目いっぱいされた。で、旦那が村長になって更に村を発展させ、皆が満足ゆく頃合いになってから衝撃の告白をしたんだ。実は自分は人間ではないと」

 誰もが羨み讃えた彼女は、獣人だったらしい。



「村中、呆気に取られたな。中には『すぐ追い出せ』なんつう馬鹿な輩もいたが、すぐに立ち消えになった。理由はわかるか?」

「いいや」

「簡単なこった、あのひとの村への貢献度が大きすぎたからだよ。米を品種改良して育てやすくしてくれた上に、オレ達が病気になったら不思議な薬を調合して治してくれた。なんでも遠い血筋にあのエルフがいたそうで、その縁で薬学の知識も素晴らしかった。元々人間じゃないから、人間じゃ適いもしないくらい有能なひとだったんだ」

 自嘲気味に、それでもどこか面白そうに老人はせんべいを裏返す。

「村長の旦那との間に子供も多く生まれててな。その幾人かは既に縁談もまとまってたから、縁者も多数存在してた。もう霊獣どうこう獣人どうこう言って追い出せないぐらいにまで、あのひとは村に浸透してたんだよ」

 うまいやり方だよなあ、とせんべい職人は笑い声をあげた。心の底から愉快そうな声音であった。

「それで、霊獣についての偏見も自然と薄れていった。元々この辺りはそういう区分だからな。受け入れちまった方が楽なことに、村の衆もやっと気づいたってわけよ」

 乾いた米の表面に醤油を塗りつけながら、老人の皺に囲まれた双眸が優しげになっている。

「今じゃ霊獣っていうと、この村じゃあ吉報の証だ。リョクさんがそうであるように、何かっちゅうと歓迎される雰囲気にある。良いことだとオレは思うね。かつてのひどい時代を知る爺からすると、そんな感想だ」

「……そうであったか」

 人間の村にも、歴史ありということか。



「おにいちゃん、おじいちゃんのおうちに行ったの? お煎餅おいしかったでしょう」

「うむ。アリアどのの祖父御はせんべい作りの匠であられる」

「たくみ?」

「名人という意味合いだ」


 村の休憩所にて、いつものように髪を梳いてもらいながら人間の幼子と会話する。

「ねえ、しってる? アリアはね、おにいちゃんの他にもれいじゅうさんとおともだちなんだよ」

「ふむ? この村には我輩の他に獣が訪れるのか?」

「ううん、れいじゅうさんはね、レオなの」

「れお?」

 首を傾げたその時、休憩所の狭い扉が勢い良く開いた。


「アリア! 誰だ、その野郎」


 開いた扉の外で、こちらを睨みつけてくる歳若い少年がいた。

「レオ!」

「久しぶりに町から帰ってみれば、なんでそんな獣と一緒にいるんだよ。危険だからすぐこっち来い」

「おにいちゃんはきけんじゃないよ。『てんのけもの』だからだいじょうぶ」

「うるさいな! そんなことどうでもいいからすぐ来い!!」

 こちらへ歩み寄ってくるなり、幼子の腕を捕らえて引っ張り離れようとする少年。見た目こそ人間であるが、我輩はうっすらと感じ取った。その身に宿る、僅かな霊気を。そして、口元から微妙に目立つ尖った犬歯を。

 人間のか細い腕が獣人の強い力に引かれ、幼子が泣き声をあげる。

「やだあ、いたいようレオ」

「お、お前がさっさとしないからいけないんだ、だから……」

「獣人の幼子よ」

 不意に声をかければ、びくり、と身を揺らす少年。

「つがいならば、丁重に扱え。か弱い雌を労わらないなど、雄の風上にも置けぬぞ」

「う、うるさいッ……お前も、出てけ」

 実力差のある獣の性で、こちらと目を合わせつつもじりじりと後退し、心持ち項垂れていく。それでも幼子の腕を解放してやる辺り、心根は素直な少年らしい。すいっと立ち上がってその横を通り抜けつつ、人間の幼子に微笑みかけた。

「ではこれにて失礼する、アリアどの。髪紐を有難く受け取っておく」

「え、もういっちゃうの、おにいちゃん」

「うむ」

 常ならば頭を撫でてから立ち去るのだが、つがいの前では余計話をややこしくさせるだけだろう。ゆえに勘弁してやったのだ。その意でこちらを睨みつけてくる獣人に視線をやり、休憩所を出た。

 かたち無き未来への繋がり。それを背後に感じつつ。



タマ・・・三毛猫で御年百歳くらい。猫又じゃないよ。拙作の世界観では猫又は魔力側の存在で、通称は「妖猫」とされる種です。彼女は霊力側に属する霊獣。なので尾っぽは分かれてません。元祖飼い主が亡くなったあとも子供や孫を護りつつ飼われつつ過ごしました。現飼い主に付いてった先ではそれなりに苦労もしたけど、つがいを見出せたあとは、彼一筋で幸せに暮らせたらしい。


レオナルド・・・トラ系の獣人でまだ十歳前後。ディカ●リオじゃないよ(誰も考えてない)。獣人は割りと早熟なのに、つがいの彼女がすんげえ若い(というか幼い)からちょっと焦ってる。頑張れ青少年。

彼の祖母に当たるひとは霊獣とエルフの血を引き高い能力持つ獣人で、村人が想像してるより遥かに歳を食ってたひと。本来はもっと長生きするはずだったんだけど、人間の旦那さんが先立ってから、追うように亡くなったようです。精霊族の寿命ってのは環境は勿論、精神的なものもかなり影響があるのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ