第56話 二人のレオンハルト――奪われた運命と、もう一つの願い
第56話 二人のレオンハルト――奪われた運命と、もう一つの願い
王国暦八百二十一年、夏月十六日。
午後二時三十七分。
場所不明。
目の前には、俺と同じ顔をした少年が立っていた。
黒い髪。
赤い瞳。
そして、十五歳の俺とまったく同じ姿。
「……僕は、レオンハルト・ヴァルディス」
少年は、静かに微笑んだ。
「君が転生してくる前、この身体に宿っていた魂だよ」
俺は、しばらく言葉を失っていた。
……本来のレオンハルト。
ゲーム『エターナル・レガリア』で、十七歳にして命を落とす悪役公爵令息。
そして、先日ルナリアの術式で見せられた、あの悲惨な未来。
六万の軍勢。
三日間の孤独な戦い。
封印槍。
そして、帰らぬ息子を抱いて泣き崩れる父上と母上。
そのすべてを背負うはずだった少年が、今、俺の前にいる。
「……お前は」
俺は、ゆっくりと尋ねた。
「……ずっと、この中にいたのか?」
少年は、静かに頷いた。
「……うん」
そして。
「……君がこの世界へ来た日から、ずっと」
◇◆◇
周囲の暗闇が、ゆっくりと形を変えた。
そこに現れたのは、一つの部屋だった。
ヴァルディス公爵家。
幼い頃の寝室。
小さなベッド。
木製の玩具。
そして、窓から差し込む朝日。
「……ここは?」
俺が尋ねると、少年は懐かしそうに笑った。
「……僕たちが、初めて目を覚ました場所だよ」
その瞬間。
部屋の中に、小さな子供が現れた。
五歳くらいの少年。
黒髪に赤い瞳。
幼いレオンハルトだった。
その隣には、銀髪の女性が座っている。
母上。
エレオノーラ・ヴァルディス。
『……レオンちゃん、おはよう』
幼いレオンハルトが、嬉しそうに笑った。
『……お母様!』
その光景を見て、胸が温かくなった。
「……懐かしいな」
俺が呟くと、少年は頷いた。
「……うん」
そして。
「……僕も、あの頃が大好きだった」
◇◆◇
景色が変わった。
今度は、公爵家の訓練場。
幼いレオンハルトが、木剣を握っている。
その前には、父上。
アルフォンス・ヴァルディス。
『……レオン、剣は力任せに振るものではない』
『……はい、お父様!』
『……相手を見るんだ。剣ではなく、人を見ろ』
幼い少年は、真剣な表情で頷いた。
父上が、優しく笑った。
『……よし。もう一度だ』
その光景を見て、俺は思わず微笑んだ。
……父上らしいな。
少年も、同じように笑っていた。
「……お父様は、いつも優しかった」
そして。
「……厳しいときもあったけど、僕のことを本当に大切にしてくれた」
俺は、静かに頷いた。
「……ああ」
◇◆◇
しばらくして、俺は少年へ尋ねた。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「……うん」
「……俺が転生してきたことで、お前はどうなった?」
少年は、少しだけ目を伏せた。
そして。
「……最初は、怖かった」
その声は、静かだった。
「……突然、自分の身体を自由に動かせなくなったから」
俺は、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
……そうか。
俺は、この世界へ転生した。
だが、その裏で。
この少年は、自分の人生を失っていたのかもしれない。
「……すまない」
俺は、頭を下げた。
少年は、驚いたように目を見開いた。
「……どうして謝るの?」
「……お前の人生を、奪ったかもしれないからだ」
少年は、しばらく俺を見つめていた。
そして。
静かに首を横へ振った。
「……違うよ」
◇◆◇
「……僕は、ずっと見ていたんだ」
少年は、ゆっくりと話し始めた。
「……君が、お父様やお母様と笑っているところ」
そして。
「……エレノアを助けたことも」
俺は、目を見開いた。
……エレノア。
六年前、盗賊に襲われていた少女。
俺が助け、公爵家へ迎え入れた侍女。
少年は、静かに微笑んだ。
「……あのとき、君は迷わなかった」
そして。
「……危険だとわかっていても、助けに行った」
俺は、静かに頷いた。
「……放っておけなかっただけだ」
「……うん」
少年は、優しく笑った。
「……僕も、同じことをしたと思う」
◇◆◇
景色が、再び変わった。
そこに現れたのは、荒れ果てた公爵家の庭だった。
崩れ落ちた建物。
燃える屋敷。
そして、無数の兵士たち。
……あの未来。
ルナリアが見せた、十七歳のレオンハルトの最期。
少年は、静かにその光景を見つめていた。
「……僕は、あの未来を知っている」
俺は、驚いて彼を見た。
「……知っているのか?」
「……うん」
少年は、静かに頷いた。
「……君が見たとき、僕も一緒に見ていたから」
そして。
「……怖かった」
その声が、震えた。
「……死ぬことも、怖かった」
だが。
「……それ以上に」
少年の瞳から、涙が零れた。
「……お父様とお母様を、悲しませることが怖かった」
俺は、何も言えなかった。
少年は、涙を拭いながら続けた。
「……僕が死んだあと、二人がどうなるのか」
そして。
「……あの未来を見て、初めてわかった」
俺は、静かに拳を握りしめた。
……あの絶望。
……あの悲しみ。
……そして、王国の崩壊。
それは、絶対に繰り返してはいけない未来だ。
◇◆◇
「……だから」
少年は、俺へ一歩近づいた。
「……お願いがあるんだ」
俺は、静かに頷いた。
「……何だ?」
少年は、まっすぐ俺を見つめた。
「……お父様とお母様を、幸せにしてほしい」
その声は、震えていた。
「……僕ができなかったことを、君にしてほしい」
俺は、しばらく少年を見つめていた。
そして。
「……わかった」
静かに頷いた。
「……必ず、守る」
少年の瞳から、涙が零れた。
「……ありがとう」
◇◆◇
その瞬間。
周囲の暗闇が、ゆっくりと晴れ始めた。
遠くから、誰かの声が聞こえる。
『……レオン!』
セレスの声。
『……レオン様!』
エリシアの声。
『……レオンハルト様!』
エレノアの声。
俺は、顔を上げた。
……皆が、呼んでいる。
少年は、静かに微笑んだ。
「……そろそろ、戻らないとね」
俺は、彼を見た。
「……お前は、どうする?」
少年は、少しだけ考えた。
そして。
「……僕は、ここに残るよ」
俺は、眉をひそめた。
「……一緒に来ないのか?」
少年は、静かに首を横へ振った。
「……まだ、僕には役目があるんだ」
そして。
「……ルシアンは、君の魂だけを狙っているわけじゃない」
俺は、目を見開いた。
「……どういうことだ?」
少年は、静かに答えた。
「……黒き星の本当の力は、二つの魂が重なったときに目覚める」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
……二つの魂。
……俺と、本来のレオンハルト。
少年は、静かに微笑んだ。
「……だから、君が戻るとき」
そして。
「……僕の力も、少しだけ貸すよ」
◇◆◇
少年が、右手を差し出した。
俺は、その手を握った。
その瞬間。
眩しい光が、二人を包み込んだ。
そして。
頭の奥に、声が響いた。
『……お父様とお母様を、よろしくね』
俺は、静かに頷いた。
「……ああ」
そして。
「……二人とも、必ず幸せにする」
光が、さらに強くなった。
◇◆◇
ルミナス王城、地下禁書庫。
午後二時四十分。
俺は、ゆっくりと目を開いた。
目の前には、セレスがいた。
彼女は、涙を浮かべながら俺の手を握っている。
「……レオン!」
俺は、静かに笑った。
「……ただいま」
セレスが、思わず抱きついてきた。
「……馬鹿!」
その声が、震えていた。
「……心配したんだから!」
俺は、そっと彼女の背中へ手を回した。
「……ごめん」
そして。
「……もう、大丈夫だ」
その瞬間。
俺の胸元に浮かんでいた黒い星の紋章が、金色へ変わった。
ルシアンが、驚愕の声を上げた。
「……何……?」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
そして。
「……ルシアン」
静かに剣を構えた。
「……お前の計画は、ここで終わりだ」
――二人のレオンハルト。
――奪われた運命。
――そして、託された願い。
黒き星は、今。
新たな力へ目覚めようとしていた。




