第114話 星降る夜の舞踏会――四つの恋心と悪役公爵令息
第114話 星降る夜の舞踏会――四つの恋心と悪役公爵令息
王国暦八二一年、冬月二十五日。
王立アストレア学園。
冬の夜空に、無数の星が瞬いていた。
学園中央にそびえる大講堂は、今夜ばかりは普段とまるで違う姿を見せている。
天井から吊るされた魔導灯が、星屑のように淡い光を放ち、壁際には冬薔薇の花束が飾られていた。磨き上げられた大理石の床には、七色の光がゆっくりと流れている。
今夜は、学園恒例の《星灯夜会》。
学年や身分の垣根を越え、生徒たちが交流するための舞踏会だった。
そして俺――レオンハルト・ヴァルディスは、鏡の前で小さくため息をついていた。
「……どうして、こんなに緊張するんだろうな」
黒を基調とした礼服には、銀糸でヴァルディス家の紋章が刺繍されている。胸元には、先日国王陛下から授与された七星功労章。
手首には、リゼットから贈られた紫水晶の腕輪があった。
「そりゃ、お前が今夜の主役みたいなものだからだろ」
背後から、カイルの声がした。
「主役は夜会そのものだろ」
「そう思ってるのは、お前くらいだ」
カイルは笑いながら、俺の肩を叩いた。
「今日だけで、何人の令嬢がお前のことを話してたと思う?」
「知らないし、数えるつもりもないぞ」
「だろうな」
妙に納得されてしまった。
「……ただ、一つ忠告しておく」
カイルが急に真面目な顔になった。
「今夜は、ちゃんと相手の気持ちを考えて踊れよ」
「当然だろ。失礼のないようにする」
「……そういう意味じゃないんだけどな」
またそれか。
最近、どうにも周囲の言葉に含みが多い。
俺は首を傾げながら、カイルとともに大講堂へ向かった。
◇
講堂の扉が開いた瞬間、幾つもの視線がこちらへ集まった。
「レオンハルト様だ……!」
「七星功労章を授与された方でしょう?」
「思っていたより、ずっと優しそう……」
以前なら、俺を見てひそひそ話をする生徒の表情には警戒があった。
けれど今夜、そこにあるのは好奇心や憧れだった。
俺が軽く会釈すると、近くにいた下級生たちが嬉しそうに頭を下げる。
……少しずつ、変わってきたんだな。
そう思っていると、聞き慣れた声が響いた。
「レオン!」
振り向いた瞬間、思わず息を呑んだ。
セレスティア・ルミナス。
普段の制服姿とは違い、今夜は淡い銀青色のドレスを身にまとっていた。
長い髪は上品に結い上げられ、星をかたどった髪飾りが輝いている。
王女としての気品。
そして、一人の少女としての可憐さ。
その両方が、見事に調和していた。
「……セレス」
「どうかしら?」
彼女は少し照れくさそうに、ドレスの裾をつまんだ。
「似合ってる。すごく綺麗だ」
そう答えた瞬間、セレスの頬が赤く染まった。
「……本当に?」
「ああ。見違えたよ」
「……ありがとう」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
そして、少しだけ真剣な表情になった。
「レオン。今夜の最初の一曲、私と踊ってくれない?」
……なるほど。
王女からの正式な申し込みというわけか。
俺は微笑み、右手を差し出した。
「喜んで、セレスティア殿下」
「……もう」
彼女は小さく笑った。
「二人のときくらい、いつも通りセレスって呼んで」
「分かったよ、セレス」
彼女の手が、俺の手に重なる。
その瞬間、なぜか胸が少しだけ高鳴った。
◇
楽団が、穏やかな旋律を奏で始めた。
俺はセレスの手を取り、舞踏会場の中央へ進んだ。
幼い頃から、貴族としての礼儀作法は叩き込まれている。
舞踏の基本も、身体が覚えていた。
だが。
今夜は、どうにも勝手が違った。
「……レオン?」
「ん?」
「少し、緊張している?」
「……分かるか?」
セレスは、くすりと笑った。
「ええ。手が少し硬いもの」
「……悪い」
「謝らないで」
彼女は、そっと俺の手を握り直した。
「私も、緊張しているから」
……セレスも?
少し意外だった。
彼女は王女として、幼い頃から数多くの式典に参加している。
舞踏会にも慣れているはずだ。
「……どうして?」
俺が尋ねると、セレスは少しだけ視線を逸らした。
「……相手が、あなただからよ」
……。
一瞬、言葉が出なかった。
楽団の音色が、遠くなった気がした。
セレスは、俺を見上げた。
「子供の頃は、こんなふうに意識したことなんてなかったのに」
その瞳には、真剣な光が宿っていた。
「今は、あなたにどう見られているのか、とても気になるの」
俺は、彼女を見つめた。
……そうか。
セレスは、もう昔のままの幼なじみじゃない。
一人の女性として、俺の前に立っている。
そんな当たり前のことに、今さら気づかされた。
「……セレス」
「なあに?」
「今日は、本当に綺麗だよ」
先ほどと同じ言葉。
けれど、今度は少し違う意味を込めた。
セレスは、目を見開いた。
そして。
「……ありがとう、レオン」
幸せそうに微笑んだ。
◇
一曲目が終わると、周囲から拍手が起こった。
セレスを席まで送り届けた俺は、少しだけ息を吐いた。
……舞踏会って、こんなに疲れるものだったか?
そのとき。
「レオンハルト様」
振り向くと、リゼットが立っていた。
淡い紫色のドレス。
胸元には、小さな紫水晶の装飾。
普段の控えめな雰囲気はそのままに、今夜はどこか大人びて見えた。
「リゼット。来てたんだな」
「はい」
彼女は、少し照れくさそうに微笑んだ。
「……あの」
「ん?」
「もし、よろしければ……私とも、一曲踊っていただけませんか?」
声が、わずかに震えていた。
俺は、微笑んだ。
「もちろん」
その瞬間、リゼットの表情がぱっと明るくなった。
◇
リゼットは、踊り始めると少しぎこちなかった。
「……すみません」
「どうした?」
「私、あまり舞踏が得意ではなくて……」
「大丈夫。ゆっくり合わせるよ」
俺は歩幅を調整した。
リゼットは、ほっとしたように微笑む。
「……ありがとうございます」
しばらく踊っていると、彼女の視線が俺の手首へ向いた。
「……腕輪、つけてくださっているんですね」
「ああ」
俺は、微笑んだ。
「すごく気に入ってる」
リゼットの頬が、赤くなった。
「……嬉しいです」
「魔力の切り替えも滑らかだし、普段から使いやすい」
「……実は」
彼女は、少しだけ勇気を振り絞った。
「装飾にも、意味を込めたんです」
「……意味?」
「はい」
リゼットは、胸元の紫水晶へ触れた。
「紫水晶は、誠実な想いを表す石だと言われています」
……。
「だから、レオンハルト様にお贈りするなら、これがいいと思って」
彼女は、恥ずかしそうに俯いた。
「……私の気持ちが、少しでも伝わればと」
俺は、彼女を見つめた。
……なるほど。
単なる魔導具じゃなかったんだな。
彼女が時間をかけて、俺のために作ってくれたもの。
そこには、技術だけでなく、想いも込められていた。
「……ありがとう、リゼット」
俺は、静かに答えた。
「大切にするよ」
その言葉に。
リゼットは、幸せそうに微笑んだ。
◇
次の曲が始まる前。
「レオン様」
今度は、エリシアが声をかけてきた。
白を基調としたドレス。
淡い金色の刺繍。
その姿は、まるで月光に照らされた聖女そのものだった。
「エリシア」
「少し、お時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろん」
彼女は、柔らかく微笑んだ。
「……私とも、踊っていただけませんか?」
俺は、少し驚いた。
エリシアは普段、こうした場で積極的に前へ出るタイプではない。
「……珍しいな」
「ふふっ」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「今日は、自分の気持ちに正直でいたいと思いまして」
……。
俺は、静かに頷いた。
「喜んで」
◇
エリシアとの舞踏は、穏やかな時間だった。
彼女の動きは、柔らかく優雅だった。
「……レオン様」
「ん?」
「先日、私に言ってくださったこと、覚えていますか?」
「……先日?」
「自分の幸せを願ってもいい、と」
……ああ。
聖療棟の近くで話したときのことか。
「もちろん」
エリシアは、微笑んだ。
「私、あれからずっと考えていたんです」
……。
「誰かを救うことは、今でも大切です」
彼女は、ゆっくりと続けた。
「でも、私自身にも、望んでいる幸せがあるんだと気づきました」
俺は、静かに耳を傾けた。
「……その幸せには」
エリシアは、少しだけ顔を上げた。
「レオン様が、いてくださるんです」
……。
胸の奥が、小さく跳ねた。
彼女の言葉は、穏やかだった。
けれど。
その意味を、聞き間違えることはできなかった。
「……エリシア」
「今すぐ、お返事をいただきたいわけではありません」
彼女は、優しく微笑んだ。
「ただ、知っていてほしかったんです」
……。
「私は、あなたと一緒にいる時間が、とても幸せです」
俺は、しばらく言葉を探した。
そして。
「……ありがとう」
静かに答えた。
「俺も、エリシアといると落ち着くよ」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間。
俺は、はっきりと感じた。
……最近、皆のことを、以前とは違う目で見ている。
ただの仲間。
ただの友人。
それだけでは、もう説明できない。
◇
夜会も終盤に差しかかった頃。
俺は、少しだけ休憩するために、講堂の外へ出た。
冬の夜風が、頬を撫でる。
「……ふう」
思わず息を吐いた。
すると。
「……レオン」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、シャルロットが立っていた。
淡い青色のドレス。
長い髪を下ろし、銀色の髪飾りをつけている。
「シャル姉」
「こんなところにいたのね」
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「疲れた?」
「……少しな」
「ふふっ。珍しいわね」
シャル姉は、俺の隣へ並んだ。
しばらく、二人で星空を見上げた。
「……ねえ、レオン」
「ん?」
「私とも、踊ってくれる?」
俺は、少し驚いた。
「……もちろん」
シャル姉は、嬉しそうに微笑んだ。
◇
講堂へ戻ると、ちょうど最後の曲が始まるところだった。
俺は、シャル姉の手を取った。
彼女の動きは、剣術と同じように滑らかだった。
一歩。
また一歩。
呼吸を合わせるたびに、自然と動きが揃う。
「……懐かしいわね」
シャル姉が、呟いた。
「子供の頃も、こうして踊ったことがあったでしょう?」
「ああ。俺が何度も足を踏んだやつだろ」
「ふふっ。覚えていたのね」
「忘れないよ。散々からかわれたからな」
二人で笑った。
けれど。
しばらくすると、シャル姉の表情が少しだけ変わった。
「……レオン」
「ん?」
「今日のあなた、すごく格好いいわ」
「……ありがとう」
「でも」
彼女は、少しだけ視線を落とした。
「……他の女の子と踊っているのを見て、少しだけ寂しかった」
……。
俺は、思わず彼女を見た。
「……シャル姉?」
彼女は、頬を赤くしながら微笑んだ。
「……私、昔からあなたのことが大好きだった」
その声は、静かだった。
「弟分としてだけじゃない」
……。
「一人の男性として、ずっと大切に思っているの」
俺の足が、一瞬だけ止まりかけた。
だが、シャル姉はそっと俺の手を握り直した。
「……大丈夫。今すぐ答えなくてもいいわ」
彼女は、優しく微笑んだ。
「ただ、知っていてほしかったの」
……。
俺は、ゆっくり頷いた。
「……ありがとう、シャル姉」
それ以上の言葉は、すぐには見つからなかった。
けれど。
彼女の気持ちを、軽く扱いたくはなかった。
だからこそ。
今は、きちんと受け止めることしかできなかった。
◇
最後の曲が終わった。
大講堂に、拍手が響く。
俺は、シャル姉を席まで送り届けた。
そして、ふと周囲を見渡した。
セレスティア。
リゼット。
エリシア。
シャルロット。
四人の少女たちが、それぞれ違う場所から俺を見つめていた。
その視線には、共通するものがあった。
……好意。
……信頼。
そして。
……恋心。
ようやく、俺にも分かり始めていた。
彼女たちは、ただ俺を慕っているだけじゃない。
一人の男性として、俺を見てくれている。
その事実が。
嬉しくもあり、少し怖くもあった。
……俺は。
……どうすればいいんだろうな。
答えは、まだ出ない。
けれど。
一つだけ、決めたことがあった。
彼女たちの想いから、逃げない。
誰かの気持ちを、曖昧なまま踏みにじることもしない。
それが、今の俺にできる最低限の誠意だと思った。
冬の夜空には、無数の星が瞬いていた。
その下で。
悪役公爵令息だった少年の恋物語が、静かに動き始めていた。




