44話 熱き抱擁
「レイラだ、俺を呼んでる。蒼はフィンリーの側に戻っててくれ」
「私もっ…………いいえ、分かったわ。フィンリーさんの所で待っているから」
「あっ、ちょっと待って」
鼻の頭を擦りながら小さく笑う蒼の首元に、自分のマフラーを外しそっと巻いた。口には出せないけど、必ず戻るって思いを込めて。俺の心が帰る場所は蒼の所だけだから。
「寒くなって来ただろ? 風邪ひいたら大変だからな。じゃあ、また後で」
「……ええ。ありがとう」
心なしか嬉しそうに蒼がマフラーを両手で掴んで頷いた。少し離れるとレイラが俺の方へ向かって来た。あの姿を見ていると、今までの感情の豊かさが引き昔へ、一人きりで生きていた頃へ戻って行く感覚がする。急速に世界から色が失われて行く。
「久しいのう、我が婚約者殿」
レイラはゲルー語訛りの英語でそう挨拶すると、小さく鼻で笑った。腕を組み相手を小馬鹿にするような表情をして、相変わらずの偉そうな態度が鼻につく。ただでさえ蒼との時間を邪魔されて、むしゃくしゃしていると言うのに。
「ここに来た要件は何だ? 金魚のフンのように引き連れていた信奉者はどうした?」
「ほう、嫉妬するほど私に構って欲しかったのか? 愛い奴め。せっかく時を超え感動的な再会を果たしたのだ、つまらぬ事を言うでない」
「ハッ……婚約者の情など元からない癖に」
実際に俺が吸血鬼となり、眠りにつくまでの一三〇年間で、レイラと会った事は数えるほどしかない。
「ジョージの癖に生意気ではないか? まあ良い、何故昔の格好に戻り、あのような目立つ事をしておった? てっきりお主は人間の群れに溶け込むつもりなのかと思っておったぞ」
「……何が言いたい?」
「なぁに、お主の血液提供者に婚約者として挨拶をしておこうと思っただけだ。今し方別れた娘がそうなのだろう?」
レイラが蒼の居る方向を顎でしゃくる。
「蒼っ――あの女性はただの血液提供者だ。お前に紹介するほどの間柄ではない」
「ただの血液提供者と言う割に、随分仲睦まじそうにしておったではないか。つい今し方も襟巻きを巻いてやり、我等同族には見せた事の無い柔らかな表情で喜怒哀楽を顕にし、更には指輪まで渡していたようだが。あの娘には優しくして婚約者の私には嘘を吐くのか? 妬いてしまいそうだ」
レイラが蒼の方を――いや、その後ろを歩く男を見つめ歯を見せ笑った。あの男、吸血鬼だ。クソッ、こうなるなら離れるべきではなかった。
蒼がいる方へ駆け出そうとした矢先、レイラが俺の手を掴む。蒼は人質と言う事か。荒く息を吐き、焦りと自分への怒りを抑えてから、奥歯を噛み締めながら振り返る。
「……俺に何をしろと?」
「先ずは婚約者らしく、再会を祝し熱き抱擁を交わそうぞ」
この女、何を考えているかさっぱり分らない。しかし蒼を人質に取られている以上、どれだけ不快だろうが俺に拒否権は無い。焦りを隠しきれない俺を宥めるように、まるで聖女のような微笑みを浮かべたレイラが、俺に向かって両手を広げた。
外国人同士がよくしているハグだと心に言い聞かせ、蒼から目を離さずレイラに近付く。するとレイラに力強く抱き寄せられた。振り払いたい衝動に駆られたが、どうにか耐える。蒼に見られなくて本当に良かった。
「言う通りにしたぞ。さっさと蒼を解放してくれ」
「ちっとも心が私に向いておらぬではないか。私は『熱き抱擁を交わそうぞ』と言ったのだ。お主も早く私に腕を回せ。あの娘がどうなっても良いのか?」
悲鳴をあげる心に鞭を打ち、渋々屈んでレイラの背中に腕を回す。耳元で押し殺したような笑い声が聞こえ、首筋にかかる息でさぶいぼが立つ。
「ククク、あの娘ともこのように抱き合っておるのか?」
……ああ、一度で良いから蒼とこんな風に抱き合ってみたい。
背中に腕を回してもらったら、どんな感じなんだろう? もっと暖かくて、落ち着く匂いがして、感じる気持ちだって全然違うんだろうな。飛び上がるくらい嬉しいに決まってる。そしたら俺も愛しい気持ちを込めて、蒼を優しくキュッと抱きしめて……。
しかしこの先、俺が蒼を抱きしめられない事くらい分かっている。
下唇を噛み締め蒼の方を見ていると、例の男が蒼の肩を叩き、折り畳んだ紙を広げた。どうやら道を尋ねているらしい。蒼はその紙を覗き込むと、こちら側を指さした。
その瞬間、蒼と目が合い、再びレイラの押し殺したような笑い声が聞こえた。耳元で聞こえているはずの声が随分と遠くで聞こえる。そして蒼がこちらを見ている最中、瞬く間に両手で耳を塞がれ、口元に柔らかい物を押し付けられた。
気付いた時には、レイラに噛み付くように唇を奪われていた。
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次回、第45話ではキスシーンを蒼に見られてしまい、失意に暮れる主人公にレイラの牙が迫る──! 6/8、09:10頃投稿予定です。




