25話 パラレルワールド
蒼が大学から帰って来るまでまだ時間がありそうだ。研究に没頭する蒼を応援するため、最近は俺が夕飯を作って待ってる事が多い。俺としても人工血液の研究が進むのは願ったり叶ったりだからな。
夕食は蒼が帰って来たら温めれば良いようにしておいたし……よし、リビングの掃除でもするか。蒼の役に立つ為に家事を頑張るぞ! そして俺は出来る男だよって売り込む作戦だ。脱衣所の近くに立て掛けてあるハンディー掃除機を借りてっと。
だけどこの部屋、思ったより綺麗に掃除されてんな。そうだ、良い事考えたぞ! 大きな家具って中身が入ってるから重いけど、出せば思いの外軽くなるんだよな。まあそれが億劫だから家具の下とか後ろの掃除はあまりやらなくなる。
その点、俺は怪力だからな。クローゼットや本棚の中身を入れたまま、中の物を動かさないようにそっと移動させるなんて簡単だ。うん、やっぱ思った通り埃が積もってる。
……お、これは一ユーロ硬貨か? ここってユーロ導入国だったんだな。やっぱりこの世界は俺が居た世界と同じなんだ!
いやいや、今は片付けが先決だぞ。こんなごちゃごちゃの状態じゃ、蒼に怒られるかもしれない。移動させた家具を全部戻してっと。うんうん、これで蒼も喜んでくれるかな?
でも考えてみれば、俺が掃除した箇所って目に見えにくくないか? もしかしてアピール失敗……?
しょんぼりしながらハンディー掃除機のバッテリーを充電器に差し込んでると、外から男女の揉める声が聞こえた。なんだ、痴話喧嘩か?
ん? でもこの声は……蒼だ! 外へ飛び出してみると案の定、家の前の道で蒼が男に絡まれていた。
「だから、貴方のような人は知らないの! 離して!」
二〇代中頃と思しき血気盛んな男が、嫌がる蒼の手を掴み、無理矢理引っ張っている。
「同じ研究室でバイトしてたティムだよ〜。お高く止まってないで、俺と遊んでくれたって良いじゃないかぁ〜。ミイラを盗んじゃうくらい金に困ってんだろ〜?」
ティムと名乗った男の顔一杯に浮かぶ下卑た笑み、蒼を小馬鹿にするような声音が不愉快極まりない。が、ここで俺が怒りのまま飛び出して行っては蒼の交友関係に傷が付く可能性もある。
荒く深呼吸をし、頭に登った血を落ち着け、顔に貴族スマイルを貼り付けて二人の元へ駆け寄った。
「あのー、言い争う声が聞こえたのですが、このような夜分にどうかされました?」
ティムは蒼から反射的に手を離し、唖然とした様子で俺を見た。しかし直ぐに俺から目を背け、蒼の手を掴もうと手を伸ばす。
「お、お前には関係ねぇ! 俺はアオイに用があんだ」
蒼とティムの間に割って入り、極力穏やかに話しかけた。
「関係無い事はありません。私と蒼 佐藤さんはシェアメイトですから。それより彼女が嫌がっているように見えたのですが?」
ああ……腹が立つ。蒼の気持ちなど全く考えていないであろう、このティムと言う男に。この状況を作る一因となっている俺自身に。
「何ガン付けてんだよ!」
俺は見た目だけの、なよっちい男と判断されたらしい。ティムが俺の鳩尾の辺りを叩いて突き飛ばし、己の力を見せ付けようとした。
しかし俺がびくともしないのは計算外だったらしく、明らかに狼狽えている。……こう言う男は説得するだけ時間の無駄か。ティムの目を見つめ、催眠術をかけた。
蒼の事は忘れろ。女を買う金があるなら何処かへ募金しろ!
回れ右をして帰って行くティムを見て、蒼がホッと胸を撫で下ろしたように小さく笑った。
「助けてくれてありがとう。もしかして……今のは催眠術?」
「……うん」
「でも、使えなくなったって言っていなかったっけ?」
「そう思ってたんだけどな」
この前テプンルバー通りで酔っ払い相手に出来たから、もしかしてと思って使ってみた。そう言えばこの姿に戻ってからだったよな? それなら――。
家に入ろうと背中を向けた蒼に手を伸ばす。……いや、やっぱりやめよう。
催眠術をかけてキスしてもらっても、そこに蒼の気持ちがなかったら嬉しくない。自分の力で蒼を振り向かせるんだ。人間に戻ったら催眠術は使えなくなるんだからな。
あっ、忘れないうちに一ユーロ見つけたって蒼に報告しなきゃ。後々怪しまれたりしたら嫌だし。
「クローゼットの下にこれが落ちてたんだ」
「クローゼット?」
蒼が怪訝な表情で俺を見る。もしかして家探しをしたとか思われてるのか? うぅ、自分の口下手加減が恨めしい。ポケットに仕舞っておいた一ユーロ硬貨をテーブルに置き説明した。
「うん、蒼が出かけてる間に掃除しといた」
「そうなの? ありがとう。一ヨーロね。でも私は落とした記憶が無いからそれは貴方の物よ」
「え、ヨーロ? ユーロじゃなくって?」
「ええ、ここにヨーロって書いてあるでしょ? 株のトレーダーだったなら、外貨くらい知ってないと駄目じゃない? あっ、もしかして五五〇年前はユーロって通貨だったの?」
確かに掌の上のコインにはヨーロって浮き彫りされてた。だけどこれは俺が知ってるユーロの共通面のデザインに似てる。もう片面は……竪琴と星が一〇個か。こっちの面は国によってデザインが違うから覚えてないけど、星の数は共通で一二だったよな?
「なあ、ここってなんて言う国?」
「アルイランドだけど」
「……ア、アルイランド? アイルランドじゃなくて?」
「そう、アルイランドよ。変わった間違いをするのね」
確かアイルランドがユーロを導入したのは二〇年以上前だったはず。今は二〇二五年だし、ヨーロって通貨はあり得ない。
それに思い返してみれば、エジプトをエプジトって言ってたような……。
「ま、まさか、パラレルワールドってやつか……?」
思わず口から呟きが漏れた。もしかしてこの世界に人間だった俺は居ない……? 俺はこのまま吸血鬼でいるしかないのか……? 愕然と項垂れつつ、手で口元を覆いショックで込み上げて来る吐き気を抑え込む。
「ちょっと、大丈夫!? 顔が真っ白よ。パラレルワールドって――まさか貴方は、異世界から来たって言う事?」
心配そうに背中をさすってくれる蒼の声を聞いてハッとした。――もし、どうにかして俺が元の世界へ帰って人間に戻れたとしても、そこに蒼は居ない……?
だとしたら、俺はこの世界でこのまま吸血鬼でいる事を選ぶ。けど……それと同時に、この恋心は口に出せなくなった。俺と蒼は生きる時間が全然違うから。
この想いは箱にそっと閉じ込めて、絶対に開かないように鎖でぐるぐる巻きにして、胸の奥底に押し込んでおこう。間違っても蒼には悟られないように。化け物の俺なんかに好意を寄せられても、蒼が困るだけだろうから。
だけど蒼は可愛いから他の男が放っておかないだろうな。そしたら邪魔をしないよう、俺はこの家から出て行って……。うーん、蒼の恋を俺は応援出来るだろうか?
いや、例え友人としてでも好いた人を見守れるだけ幸せなんだ。その形を保っていけるよう努力しなきゃ。
荒く深呼吸して、笑顔を取り繕う。
「そうみたいだけど大丈夫。俺は吸血鬼なんだ。これしきの事なんて事無い」
「本当に……?」
……そう言えば蒼に催眠術って効くのかな? もう絶対試せないけど。効くって分かったら蒼の気持ちも考えず『俺だけを見て、俺から離れていかないで』って催眠術をかけてしまいそうだ。
そんな事をしたら俺は、身も心も本当の化け物になってしまう。心だけでも人間でいないと。そうすれば、蒼を見守るくらいは許されるよな……?
お読みくださりありがとうございます。
次回、第26話で主人公は蒼を誘い、考古学博物館へ行く予定を立てます。しかし約束の時間になっても蒼は帰って来ず……? 5/31、16:10頃投稿予定です。




