第222話:灼鱗竜
赤黒の刃が鱗へ食い込み、火花が散る。
だが深くは入らない。
「硬いな……!」
「だから面倒なんだ」
ゼルヴォードはすでに横へ回っていた。
白蒼晶アルグレイアが灼鱗竜の脇を走る。
浅い。だが、その一撃で竜の身体がわずかに傾く。
ラグネアはそこへさらに踏み込む。
前肢の付け根。
同じ場所へ、今度は叩き割るようにドラグラギアを振るった。
灼鱗竜が唸る。
鱗が一枚、ようやく割れた。
「通った!」
「止まるな。次は首の根元だ」
ゼルヴォードの声が飛ぶ。
ラグネアは即座に従う。
竜の頭がこちらへ向くより先に、斜めへ踏み込み、首の付け根へドラグラギアを薙いだ。
鈍い感触。
硬い。
だが、さっきより浅くない。
灼鱗竜が怒りのような唸りを漏らし、首を振る。
その勢いのまま、尾が横から走った。
ラグネアはドラグラギアを横へ立てて受ける。
重い。
受けた瞬間に分かる。
止められはしたが、押し切るには足りない。
「……っ!」
身体が横へ弾かれる。
床石を削りながら数歩流され、それでもラグネアは踏み止まった。
腕が痺れる。
灼鱗竜はその隙を逃がさなかった。
大きく顎を開き、熱を孕んだ息を吐きつける。
炎ではない。だが空気そのものが灼けたみたいに歪み、視界が揺らぐ。
ラグネアは身を捻って飛び退いた。
かわし切れない。
熱圧が脇腹を削り、肩口を掠めた。
「ぐっ……!」
服が裂け、皮膚が熱を持つ。
致命傷ではない。だが浅くもない。
竜はそこでなおも退かず、巨体を軋ませるようにしてさらに一歩、前へ出た。
今度に振り下ろされるのは右の前肢。大地を砕きかねないその一撃を前に、ラグネアは怯まない。むしろ真正面から踏み込み、ドラグラギアを構えて迎え撃った。
次の瞬間、両者は正面から激突する。
鈍く、凄まじい衝撃が走った。受け止めた腕が軋み、その重みは骨を伝って背へと突き抜ける。息が詰まるほどの圧力。それでもラグネアは退かない。歯を食いしばり、全身でその一撃を押し返す。
拮抗は一瞬。
だが、その一瞬で十分だった。ラグネアが止めたことで、竜の動きもまた確かに止まったのだ。
ゼルヴォードは、その隙を待っていた。
白蒼晶アルグレイアが、蒼白い閃光のように竜の懐へ滑り込む。狙いは首の下――鱗の守りがわずかに薄くなる急所。刃は深く食い込み、さらに返す一撃が前肢の内側を鋭く断つ。止まらない。流れるように走った剣筋は、そのまま胸元近く、鱗の継ぎ目へと吸い込まれるように奔った。
灼鱗竜の身体がぐらつく。
それでも倒れない。
「まだか!」
「まだだ。だから面倒だと言ってる」
ゼルヴォードの声は変わらない。
だが楽でもない。
灼鱗竜はしぶとい。
脚も、首も、脇も削っている。なのに勢いが落ち切らない。
ラグネアはそこでようやく分かり始めた。
自分でも傷はつけられる。
止めることもできる。
けれど、倒すまでの道筋がまだ見えていない。
ゼルヴォードにはそれがある。
どこへ入れれば次が開くか。
どこを削れば竜の動きが鈍るか。
どこまで削って、最後にどこを断てば終わるか。
全部、最初から見えているようだった。
「ラグネア!」
ゼルヴォードが初めて少し強い声を出した。
「左を抑えろ! 首は俺がやる!」
「分かった!」
ラグネアは即座に竜の左前へ踏み込んだ。
ドラグラギアを真正面から振るう。
狙いはまた前肢の付け根。
今度は一撃ではない。
二撃、三撃と連続で叩き込む。
赤黒の刃が割れた鱗へ食い込み、灼鱗竜の体勢がわずかに崩れる。
灼鱗竜はすぐに右の翼を大きく開いた。
大きくはない。
だが、その片翼が叩きつけられるだけで十分に凶器だった。
ラグネアは半歩踏み込み、ドラグラギアを下から振り上げる。
赤黒の刃が翼の骨に噛んだ。
硬い。
しかし今度は止まらない。
ラグネアはそのまま全身で振り抜いた。
灼鱗竜の右の翼が、半ばから断ち切られる。
重い音と共に、切り落とされた片翼が床へ叩きつけられた。
灼鱗竜が怒り狂ったように咆哮する。
ラグネアの肩が上下する。
今の一撃でかなり持っていかれた。
それでも、これでようやく一つ落としただけだ。
「そこまでか……!」
悔しさを飲み込むようにラグネアが吐く。
灼鱗竜がそのまま突っ込んでくる。
正面からの体当たりだった。
ラグネアは避けきれないと悟り、ドラグラギアを前へ立てる。
ぶつかった瞬間、視界が揺れた。
重い。
受け止めたつもりでも、そのまま吹き飛ばされる。
ラグネアの身体が床を跳ね、石を削りながら後方へ転がった。
「っ、が……!」
肺から息が抜ける。
立ち上がろうとする前に、灼鱗竜の影が落ちた。
その瞬間だった。
ゼルヴォードが前へ出る。
白蒼晶アルグレイアを引き戻した、その時だった。
刀身の蒼が、一段深く沈んだ。
いや、それだけではない。
蒼白の光が刃の芯から滲むように広がり、次の瞬間、刀身の表面へ古い文字が浮かび上がった。
古代文字だった。
刻まれているのではない。
光そのものが文字の形を取り、白蒼晶アルグレイアの刀身を這うように並んでいく。
蒼。
蒼白。
そして光る古代文字。
ラグネアは立ち上がりかけたまま、息を呑む。
何をしたのかは分からない。
だが、ここから先はさっきまでの延長ではないと、本能が理解した。
観客席の上で、ラズネリアが細く目を細める。
「……魂鋼の三段階目か」
その声は静かだったが、滲む感嘆までは隠していない。
「そこまで存在しておったとはの……」
フェルミナもカリーナも声が出ない。
ただ、下の戦域で何かが変わったことだけははっきり分かっていた。
ゼルヴォードは何も答えなかった。
ただ白蒼晶アルグレイアを構え直す。
大きな動きではない。
派手でもない。
だが、その立ち方ひとつで、灼鱗竜の巨体がわずかに止まった。
次の瞬間、ゼルヴォードが前へ出る。
一閃。
白蒼晶アルグレイアが灼鱗竜の前肢の内側を断つ。
鱗を割り、肉を裂き、その奥の流れまで断ち切るような斬撃だった。
灼鱗竜の前肢が沈む。
返す刃が首の下へ入る。
続けて肩口の継ぎ目。
さらに胸元、ラグネアがこじ開けた傷の奥へ。
斬撃の一つ一つは大きくない。
だが、全部が重い。
重さというより、断つための意思そのものが刃になったような斬撃だった。
灼鱗竜ほどの巨体を相手にしているせいで、その凄まじさはかえって分かりにくい。
それでも、斬られるたびに竜の動きが確実に削れていく。
ラグネアは追えなかった。
どこを斬ったのかは見える。
だが、どう繋いだのかが分からない。
ただ結果だけが積み上がる。
前肢が沈む。
首がぶれる。
胸が開く。
動きが鈍る。
観客席の上で、ラズネリアが低く呟いた。
「恐ろしい斬撃じゃの……」
その声だけが静かに落ちた。
ゼルヴォードは止まらない。
白蒼晶アルグレイアの蒼白と古代文字がなおも輝く。
刃が一度返り、今度は正面から胸へ入った。
鱗を割る。
肉を断つ。
その奥へ届く。
灼鱗竜の咆哮が、初めて鈍った。
ゼルヴォードが低く言う。
「ラグネア」
「……ああ!」
ラグネアは歯を食いしばって再び踏み込む。
狙うのは、ゼルヴォードが削った胸の傷。
ドラグラギアを振り上げ、その一点へ叩き込む。
灼鱗竜の巨体が大きく揺れる。
それでもまだ倒れない。
ラグネアはそこで改めて思い知る。
自分の全力で、やっとここまでだ。
ゼルヴォードは、その先へいる。
「離れろ」
ラグネアは反射的に飛び退く。
次の瞬間、白蒼晶アルグレイアが走った。
胸から首へ抜ける一線。
さらに返しが喉を裂き、最後の一撃が首の芯へ落ちる。
灼鱗竜の身体が止まる。
そのまま、巨体が傾いだ。
轟音と共に崩れ落ち、床石を震わせる。
熱だけが、遅れて下へ沈んだ。
しばらく、誰も動かなかった。
ゼルヴォードだけが白蒼晶アルグレイアを軽く振り、刃先を払う。
「……やっぱり面倒だったな」
ようやく落ちたその声に、ラグネアは苦く息を吐いた。
「倒しておいてその感想か」
「強いより正確だ」
ラグネアは返せなかった。
悔しい。
だが、それ以上に差がはっきり見えていた。
自分も通した。
傷もつけた。
片翼だって落とした。
それでも、倒し切ったのはゼルヴォードだ。
しかもその最後の連続攻撃は、途中からほとんど追えなかった。
観客席の上では、フェルミナもカリーナもまだほとんど声が出ない。
ただ、倒れた竜と、その前に立つゼルヴォードを見下ろしていた。
最初に口を開いたのはラズネリアだった。
「……なるほどの」
その声は静かだった。
「レッド級に至った者と、その到達点へ触れた者では、ここまで違うか」
ラグネアは何も答えない。
答えられない、が近かった。
ゼルヴォードはようやく肩の力を少し抜く。
その視線が、倒れた灼鱗竜の死体へ向く。
すると観客席の上から、カリーナがようやく息を整えて言った。
「……あの鱗」
「うむ。魔石と角、それに牙はわしがもらうぞ」
「もう分配の話ですか」
「当然じゃろう」
ラズネリアは平然としている。
「前からあの魔石は欲しかったのでな」
「私は鱗と、できれば腱も欲しいです」
「欲張るの」
「必要なものを言っているだけです」
フェルミナはそこでやっと、小さく息を吐いた。
「倒した直後なのに、そこなんだ……」
その一言だけが、ようやく出た声だった。
ラグネアはドラグラギアを握り直す。
腕も脇腹も痛い。
けれど、その痛みごと今は嫌ではなかった。
「……悪くないな」
「何がだ」
「差が見えたことだ」
ゼルヴォードは一瞬だけラグネアを見て、それから短く言った。
「そう思えるなら、今日の分は十分だろう」
「ああ」
ラグネアは素直に頷いた。
届かなかった。
追いつけなかった。
それでも、その差がどこにあるのかは前より少しだけ見えた気がした。




