第223話:旅の終わり、その先へ
それから数日後。
ラグネアは、この都市を発つことにした。
数日の滞在は短かった。
けれど、その中で得たものは短いで済ませられるようなものではなかった。
ドラグラギアとの向き合い方。
自分の答え。
そして、自分より遥か先を行く存在が確かにいるという実感。
どれも、旅の途中でふと拾えるような軽いものではない。
だからこそ、今は十分だった。
朝の駅は人で賑わっていた。
各地を繋ぐ魔導列車が発着するこの時間帯は、商人も旅人も多い。荷物を抱えた者たちが行き交い、金属と蒸気の匂いが朝の冷えた空気に混じっている。
ラグネアはホームで立ち、到着を待つ列車の線路を見ていた。
背にはドラグラギア。
赤黒の刀身、その中心に走る蒼白の芯は今も静かに眠っている。
「本当に帰るんだね」
横からフェルミナの声がした。
振り返ると、ゼルヴォード、フェルミナ、カリーナ、それにラズネリアまで揃っていた。
見送りにしては妙に面子が濃い。
ラグネアは少しだけ口元を緩める。
「ああ。さすがに長居しすぎる理由もないしな」
「もう少しくらいいてもよかったんじゃないですか?」
「それはそれで落ち着かない」
「分かる気もします」
「分かるのか」
「ちょっとだけです」
フェルミナが一歩前へ出て、小さな包みを差し出した。
「これ、列車の中で食べてください」
ラグネアはそれを受け取る。
「……いいのか」
「はい。朝のうちに作っておきました。時間が経っても食べやすいものにしてあります」
「気が利くな」
「旅の途中で何もないと困るでしょう」
布を少し開くと、薄く焼いたパンに具を挟んだものがきれいに並んでいた。持ち運びやすいようにひとつずつ包まれている。
ラグネアはわずかに目を細める。
「助かる」
「口に合うといいんですけど」
「フェルミナが作ったなら大丈夫だろう」
その横で、カリーナが静かに頷いた。
「ええ。フェルミナの料理ならその点は心配いりません。持ち運ぶことまで考えてありますし」
「そう言ってもらえると安心します」
「実際、こういうところは本当にきっちりしていますから」
「褒めてます?」
「褒めています」
フェルミナはそこでようやく少しだけ柔らかく笑った。
この数日で、こういうやり取りにも少し慣れてしまった気がする。
ゼルヴォードは少し離れたところに立っていたが、やがてこちらへ歩み寄る。
「ラグネア」
「ああ」
呼ばれて向き直ると、ゼルヴォードは小さな箱を一つだけ差し出した。
細長い、簡素な箱だった。
「持っていけ」
「何だ、これ」
開けば、中にはイヤリングが一つだけ入っていた。
飾り気は少ない。
だがゼルヴォードが渡すものだ。ただの装飾品であるはずがない。
「魔力酔い避けだ」
「魔力酔い?」
「長距離移動だろうが。列車でも、土地を跨げば魔力の流れが変わる。慣れてないと酔う奴もいる」
「……そんなものまであるのか」
「ある」
ゼルヴォードは短く言った。
「一つで十分だ。耳につけろ」
「片方だけか」
「二つ要らん」
「そういうものか」
「そういうものだ」
ラグネアは箱の中のイヤリングをしばらく見つめてから、やがて受け取った。
「ありがたくもらっておく」
「失くすなよ」
「善処する」
「善処で済ませるな」
「努力はする」
ラグネアの返しに、ゼルヴォードは呆れたように鼻を鳴らした。
だが、その顔はいつものように大きくは変わらない。
それでもラグネアには分かった。
この男なりの選別であり、餞別なのだと。
ラズネリアがそのやり取りを横で見ながら、妙に面白そうな顔をした。
「ふむ」
「何だ」
「いや、随分と気の利いたものを渡すのじゃと思うての」
「別に大したものじゃない」
「本当にそうかの?」
ゼルヴォードはそれ以上返さなかった。
ちょうどその時、魔導列車が低い音を立ててホームへ滑り込んできた。
鉄と魔石でできた車体がゆっくり減速し、蒸気が薄く流れる。
停車の合図と共に、乗客たちが動き始めた。
ラグネアは列車を見てから、改めて四人へ向き直る。
「世話になった」
「こちらこそ、面白かったです」
「研究対象としても、なかなか興味深かったですね」
「おい」
「半分冗談です」
「半分か」
カリーナの返しに、ラグネアは小さく笑う。
フェルミナが少しだけ寂しそうに言った。
「また来てくださいね」
「ああ」
「今度はもう少し穏やかな時に」
「それは保証できないな」
「そこは保証してくださいよ」
その言葉に、ラグネアは肩をすくめた。
最後に、ゼルヴォードを見る。
ラグネアは少しだけ黙って、それから真っ直ぐに頭を下げた。
「……ありがとう」
「礼はもう聞いた」
「もう一度言いたくなっただけだ」
「そうか」
短い返事だった。
だが、それで十分だった。
ラグネアは列車へ乗り込む。
扉の手前で一度だけ振り返ると、フェルミナが大きく手を振っていた。カリーナは少し控えめに、ラズネリアはただ立ったまま、ゼルヴォードは相変わらず大きくは動かない。
ラグネアはふっと笑う。
「悪くない旅だった」
誰に聞かせるでもなく呟いて、そのまま車内へ入った。
◇
列車が走り去った後、ホームには少しだけ静けさが戻った。
フェルミナが名残惜しそうに線路の先を見る。
「行っちゃったね」
「行きましたね」
「また来るかな」
「来るかもしれんし、来ないかもしれん」
「ゼルさん、その言い方、当たり前すぎます」
「当たり前のことだからな」
ゼルヴォードの返しはいつも通りだった。
その横で、ラズネリアがふと口を開く。
「で?」
ゼルヴォードが嫌そうに視線を向ける。
「何だ?」
「あのイヤリングじゃ」
ラズネリアは面白そうに目を細める。
「魔力酔い避け、だけではあるまい」
「……」
「どんな品なんじゃ?」
少しの沈黙のあと、ゼルヴォードは低く息を吐いた。
「装備者が死ぬと確定した時に割れる」
「ほう」
「一度だけ、身代わりになる」
「やはりの」
ラズネリアは満足げに頷いた。
フェルミナが目を瞬かせる。
「えっ?」
「そんなすごいものだったんですか?」
「大げさに言うな。一回きりだ」
「一回で十分すごいですよ」
「そうです。十分どころではありません」
カリーナまで珍しくきっぱり言う。
ゼルヴォードは面倒そうに眉を寄せた。
「死なせるよりはましだろう」
「そういうものを、さらっと渡すのが本当にこの人らしいの」
ラズネリアはくつくつと笑った。
「気に入ったのか?」
「そこまでではない。ただ、ああいう者には悪くない餞別じゃと思うただけじゃ」
「そうかよ」
ゼルヴォードはそれ以上話を広げなかった。
だが、その視線はしばらく列車の去った方角へ残っていた。
◇
――それから後。
ラグネア・ヴェルの名は、遠い国々でも少しずつ知られるようになっていった。
赤黒の大剣を振るう女冒険者。
レッド級に至り、その中でもさらに上位へ近づいていく実力者。
そう評する者も増えた。
だが、ラグネア自身はそうした声を聞いても、大きく胸を張ることはなかった。
若い冒険者に実力を問われた時も、少し考えてからこう言うだけだった。
「私なんかより上は、もっといるんだよ」
相手は冗談だと思うこともあった。
あるいは謙遜だと受け取ることもあった。
だがラグネアにとって、それは事実だった。
世界は広い。
目に見える強者だけが強者ではない。
名を上げる者もいれば、名を上げずに生きている者もいる。
隠れた実力者など、案外どこにでもいる。
ただ、自分がまだそこまで辿り着いていないだけだ。
だからラグネアは旅を続けた。
自分の答えを探すために。
納得できる場所まで、自分の人生という冒険を続けるために。
背にあるドラグラギアは、赤黒の刀身の中心に蒼白の芯を宿したまま、静かに揺れていた。
その重さは、もうただの武器の重さではない。
旅の中で得たもの。
越えたもの。
まだ越えられていないもの。
その全部を抱えたまま、ラグネアは前へ進んでいく。
答えはまだ途中だ。
けれど、それでいい。
途中のままでも、自分で選んで進んでいく。
そう決めたのだから。




