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86 一歩、また一歩

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松田家の本邸である白い洋館も、惣領家の屋敷同様に多くの部屋があり、客用のリビングだけでも三ヶ所はある。

松田が川原を招いた東の間は、身内だけの、極々プライベートな、サンルームのついているリビングだった。


中央に大きなソファのセットがあり、天井近くまである窓のそばにはまた別のソファとテーブルのセットがある。

窓は横に開くとサンルームと一体になり、サンルームはさらに広いベランダとも一体になる。小上がりの八畳ほどの和室もあり、全体的に白で統一されている。

大型のテレビなどがあるが高価な調度品はひとつもない。質素な部屋だが、松田俊也が一番気に入っているリビングだ。

かつては松田家の二人の息子と、胡蝶の妹・楓の息子である黒岩家の三人の子供達が、小さい頃よく遊んでいた場所だった。


「川原、気持ちの整理は少しはできたか?」

中央のソファに座り、松田は立ったままの川原巧に問いかけた。

「はい。松田会長のおかげです。ありがとうございました」

ひとつひとつの動作が礼儀正しい川原巧に、


静かだ━━━


と、松田は思った。



川原巧の身元を引き受けたのは、松田家の寺だ。

当初は惣領家の寺が引き受けるはずだったが、巧が、『惣領会長に顔向けができない』と言ったため、松田家の寺となった。

昨日の出所時は、寺の住職と松田家の弁護士が迎えに行き、そのまま松田家の館にやって来た。


川原巧はかつて、惣領一の硬派で武闘派で恐れられた男だ。


この男の大立ち回りを何度か自身の眼で見たことがあった。

弱者への虐げや卑怯を嫌い、仁義に反すれば、相手がどれだけ老齢でも若年でも、例え子供でも容赦のない男だった。

松田自身、殴られて吹っ飛ばされたこともあった。

武道や武術に通じていたわけでもないのに、川原はその基礎を全て本能で理解し体得していた。

戦闘本能が優れていた男だった。


この川原巧に勝てた男は一人しかいない。

『鬼神』と呼ばれた惣領貴之ただ一人だけだ。


妹思いで、初めて警察に捕まったのも、妹がチンピラに絡まれたのが原因だった。それがきっかけで川原巧と弥生は惣領貴之と出会った。

弥生が惣領貴之に望まれ結婚した時の、川原巧の号泣ぶりを、松田は昨日のことのように思い出せる。

それゆえに、弥生と腹の子の死は、残酷すぎる出来事だった。


「川原、座ってくれ」


いつまでも座ろうとしない川原巧に、松田は声をかけた。


「いえ、自分はこのままで」


意固地なところは変わってない。


松田は少し笑いながら、

「なら俺が立つか」

と、立ち上がろうとした。

川原は伏せていた顔をあげ、

「わかりました。座ります」

と言った。


年をとり、シワが増え、刈り込まれている髪は真っ白に変わっているのがわかる。体も細くなり、一回り小さくなった気がする。すれ違っても川原巧とはわからないかもしれない。


今の川原巧は、小さな波さえたっていない海の静けさだけがある。

すっかり鳴りを潜めた風情に、松田は逆に恐ろしさを掠め取った。

「今後についてだが・・」

松田が話を切り出すと、川原巧は再び立ち上がり、ソファの横に座して両手を床につけ、頭を低く下げた。


「松田会長」


「なんだ?」


「弥生のバラの・・面倒をみさせてもらえませんか。寺の仕事もきちんとします!他の仕事もできることならなんでもやります!どうか・・、お願いします・・!」


思いがけない申し出だった。

昨日会った時は生きる気力など感じられなかったのに。

惣領貴之と会ったことがよかったのか。

いや、みふゆと会ったことが、生きる力を取り戻すきっかけになったのかもしれない。


「それなら寺ではなくてここに住まないか?飛田が手伝いを欲しがっていたし、寺にはここから通えばいい。お前が生きる気になってくれたなら、俺も嬉しいよ」


松田の言葉を聞いた川原巧は頭をあげ、松田の顔を真っ直ぐに見ると、

「ありがとうございます」

と、再び頭を深く下げ、感謝の言葉を何度も繰り返していた。






「一種類のバラだけでアーチを作るのもいいけど、二種類にするのもいいわね」

胡蝶さんがフェンスからあふれこぼれるようなつるバラを触りながら言った。

「白と黄色とか・・白とピンクとかですか?」

わたしは何気なく聞いた。

「白は決まったようね」

胡蝶さんがクスリと笑った。

「飛田が作った白いバラはどうなんだ?」

組長先生がハウスを指差して胡蝶さんに聞いた。

「そうね、飛田に聞いてみるわ。病気にも強い品種と言っていたからいいと思うわ」

組長先生と胡蝶さんが話しているのを聞きながら、わたしは若頭を見ていた。

また電話をしている。忙しいんだな・・。

あ、ヤバい。目があってしまった。

いえ、決して気になっていたわけではなく。

なんとなく見ていただけです。


「決まりましたか?」


若頭が電話を終え、わたしに声をかけてきた。








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