83 帰ってきた男(1)
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「あ・・」
御守りがない。確かに袖に入れてたのに。
「どうした?みふゆ」
「あの、落とし物をしたみたいです。拾ってきます!多分ハウスだと思うので!すぐ戻ります!」
研究のハウスで袖に入ってるか確認をした時?
歩いてる時も確認した。どっちかの時に落としたんだ。
確認の時に落とすなんて。
今まで落としたことなんてなかったのに。
お母さんの御守り。
わたしは研究のハウスの中に戻った。
歩いた道のりを丁寧に辿って行った。
スニーカーだから歩きやすいけど、着物、汚さないようにしないと。
ハウスのなかは太陽の光をあびてさっきより明るい。
バラも光を浴びてキレイ。
多分この辺。
組長先生が一人でハウスに残った時のはず。
なのに、探しても探しても見当たらなかった。
おかしいな。
この道のりに間違いないんだけど。
もしかして知らずに蹴飛ばしたんだろうか?
わたしは通路だけでなく、組長先生が見ていたバラの近くまで探す範囲を広げた。
バラの近くまで来ると、ふわりと甘い香りに包まれた。
「いい匂い・・」
柔らかな、薄いオレンジピンクのバラ。
胡蝶さんが言っていた、とても香りのいいバラだって・・。
「ほんとにいい匂い」
ハートのマークをたくさん飛ばしたいくらいいい匂い。
これぞ『バラ!』って感じ。
バラの王道って感じの匂いよ。
いかん、いかん。
バラに感動して深呼吸している場合ではない。
御守りを探さなくては。
わたしはバラの根元を探るためにしゃがみこんだ。
「あ、あった!」
よかった。見つかった!
バラの根元に!少し奥のほう。
わたしは着物の袖に気をつけて、トゲに引っ掛からないように御守りを拾いあげた。
「誰かいるのか!!」
男の人の、太く鋭い声。
松田さんの護衛の人かも。お屋敷の警備の人とか。
わたしはすぐに立ち上がり、
「す、すみません!落とし物を探していました!」
と、誰かわからない男の人に向かって言った。
組長先生の、オレンジピンクのバラを挟んで、その男の人はわたしを見ている。
髪が白い。組長先生よりもずっと年上っぽい。
「・・・弥生・・?」
そのひとはわたしを弥生と呼んだ。
そして、「弥生!」と叫び、バラをまわりこんで駆け寄ってきた。
手がのびてきたのがわかった。
目の前の見知らぬ男の手がわたしを捕まえようとしている。
「触るな!!」
手は、わたしを捕まえる直前に止まった。
大きな声だった。
若頭の声だ。
手に何か持っている。
何か・・、銃・・?
構えている。
刑事もののテレビドラマで時々見る姿だ。
「それ以上彼女に近づくな」
男は若頭に顔を向け、次にわたしの顔をじっとみつめ、「違う・・」と呟いた。
なんて悲しそうな目をするんだろう。
男はわたしに伸ばしている手を下ろそうとした。
「動かすな。手はそのままだ。そのままゆっくりと下がれ」
若頭は男を睨んで銃を向けたまま告げると、わたしの側に足早に近づいてきた。
逆に男はわたしに片手を伸ばしたまま、一歩二歩と後ずさる。
「もっと下がれ」
若頭が言った。
「貴様は誰だ」
誰だという問いに、男は無言だった。
男を睨む若頭の表情も声も、震えを感じるほどに恐ろしい。
わたしはどうしていいかわからず立ちすくんでいた。
男とわたしの距離がだいぶ開いたところで、若頭はさらに命じた。
「両手をあげろ。ゆっくりとだ」
若頭の気迫に圧倒される。
やがて若頭がわたしの前に立ち、いま見えるのは、若頭の大きな背中だけだ。
男はたぶん、後ろに下がり続けていて、わたし達からは離れているはずだ。
若頭はなおも男を追い詰める口調で言葉を吐いた。
「そこで止まれ」
「すまなかった。何もしない・・」
男の沈んだ声が聞こえた。
この人、悪い人じゃないと思う。
何か言わなければ・・・。
でなければ、若頭はこの人を殺してしまうんじゃないだろうかと思った。
「あの・・、若頭。わたし、何もされてません」
わたしは若頭の背中に言葉を発した。
「君を捕まえようとした。何かされてからでは遅いんだ」
怖い声ではないけれど、厳しい声だった。




