43 過去との対峙 (1) 『まほろば藤』
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『まほろば藤』は着物作家藤原匠真の二枚目の作品である。
一枚めは完成後に大きな水害があり失われていた。
最初の『まほろば藤』を目にできた者は少数だった。
「覚えてるぜ。あんときゃ酷かったな。市のほとんどが水没した。特に中心街は水位が高くて、どこの店も商品は全滅だったな」
『まほろば藤』を真正面にして、惣領貴之は過去にあった大雨による大水害を思い出していた。
市を二分する河川は氾濫し、町は水に流された。
山のふもとでは崩れた土砂が民家を襲い大きな被害をもたらした。幸いなことは死者も行方不明者も出なかったことだった。
「はい。ですが会長の援助のおかげでこうして立ち直ったしだいでございます」
死者は出ずとも、復興に時間をかけていては人は生気を失い町は死ぬ。惣領貴之は私財を投じて町の復興を素早く遂げる一役を買っていた。
「まあ、そりゃあ別にいい。だが、嬢ちゃんにまほろば藤を譲るなんて話しは穏やかじゃねえ。あれは歴史に名を遺してもおかしくない代物だ。普通の娘にゃ荷が重すぎる。だいたい何故嬢ちゃんなんだ?」
「・・・一枚めの『まほろば藤』を覚えておいででしょうか?次男・匠真の初めての着物で、わたくしは幾人かの方々をお招きして観て頂きました。いまとは作風が少しばかり違っております」
「ああ、確か水害のちょっと前か。一枚めも幻想的だったが、もっと荒削りで・・」
惣領貴之はふと、心に小さな引っかかりを覚えた。
「そういえば咲き乱れる藤の向こうに・・」
記憶を辿っていった貴之は、言葉をのみ黙ってしまった。
押し黙った貴之のかわりに、藤原が飲み込んだ言葉を声にした。
「藤の向こうに、一頭の白い馬が描かれておりました」
「・・・嬢ちゃんの描いた『藤幻郷』か・・・・」
「さようでございます。ですから一枚めはまほろば藤ではなく、『藤幻郷』に敬意を表した『藤幻郷に寄せて』と、息子は銘を打っていたのでございます」
藤原は、視線を少しばかり落として話を続けた。
「水害がなければ、あの着物はお嬢様の元に行くはずでした。幾人かに観て頂いたあと、息子はお嬢様とお母様の青木礼夏さんを訪ねるはずだったのです」
思いがけない告白だった。まさか他の誰かから、青木みふゆの母親の名を聞かされるとは思っていなかった。
「待ってくれ、匠真さんは嬢ちゃん親子と知り合いだったのか?」
藤原は視線をあげ、惣領と目を合わせた。
「お嬢様の描いた『藤幻郷』は、ある美術館が主宰した芸術祭・絵画部門の大賞に選ばれた作品でございます」
「大賞?」
「はい。匠真はその審査員の一人でした。技術はもとないが、瑞々しい感性で描かれた幻想世界に審査員10人中9人が大賞に選んだとのことで、匠真は真っ先に大賞に押したそうです。当時、既に描けなくなって苦しんでいた匠真には、まだ13歳の少女が描いた藤幻郷は衝撃的だったと言います。ですが、大賞作品は美術館の買い上げになるのを知って、お嬢様は大賞を辞退されました。絵を返してほしいと希望されたのです。絵はお父様のもので、お父様の側に置きたいと言われたのでございます」
藤原はさらに話を続ける。
「大賞を辞退するという前代未聞の出来事に、美術館側は一度は説得を試みましたが、もう助からないお父様を思う気持ちをくみ、絵はお嬢様の元に戻されました。同時に大賞も取り消されました」
「そして父親が亡くなり、一緒に火葬にしたのか・・」
「匠真は驚いておりました。なんの未練もなく、亡くなったお父様とともに荼毘に付した13歳の少女の潔さに」
「嬢ちゃんにとって大事だったのは・・父親だったんだろうよ・・・」
父親と過ごした時間、娘と過ごした時間が詰まった、幻想世界・藤幻郷
『父が持っていきたいと』
父親の願いを叶えた娘━━━
「絵が・・荼毘に付されたと知った匠真は、お嬢様の元を訪ねました。そこでお母様とお会いして話をしております」
「・・・その話、匠真さんから直接聞きてえ。明日にでも・・、近いうちにでもいい。匠真さんと会えるか?」
「もちろんでございます。明日、連れて参ります」
話し終えた藤原は、深々と頭を下げた。