第九話
「婚約者、ですか。マッグケーン先輩の.........?」
「本来なら貴女ごとき、消してしまえばそれでいいと思うのだけど、でも貴女ごときでも使えるでしょうし.........そうね、奴隷くらいにはしてあげましょうか」
私はあまりにびっくりして、普通に聞き返してしまった。けれどお嬢様には聞こえてないようで、全然関係ないことを呟いてる。おーい、質問に答えてくんないかなあ。ってか奴隷って。すべての国で奴隷が禁止されてからもう100年はたってるはずなんだけど。いや、裏でそういう人身売買があることは知ってるけどさ。
うーむ、してくれるっていうしここはありがとうと言うべきか。いや、当然のように受け取りそうだからやめておこう。
「あの方には国に戻り、王冠を戴くという使命があるわ。私はそれを横で支えて差し上げるの。ああ、マッグケーン様が愚民たちを導き、大陸すらも統一する未来が見えるよう.........。けれどあの方は優しいから自分の足を引っ張るカスにも手を差し伸べるのよ。だから貴女ごときゴミはあの方を支える私が掃除して差し上げなければならないわ。あの方の覇道の邪魔になるものならば何でもね」
危ないひとだ。
こっわ、怖ー!さっきゼルガ兄様が居るから怖くないと思ったけど怖い!
正直いってこの状況だけなら怖くないよ。魔術で痛め付けられてるけど、これぐらいじゃ死なないから。多分この魔術師はコントロール下手だとおもう。制御の術具は本来魔力暴走を起こしやすい子供か、魔力が桁違いに多い人、もしくはノーコンな人がつける。見た感じ魔力はそこまで多くなさそうだし、封印の術具もつけてない。ノーコンだから使ってるんだろう。そういう魔術師の魔術は綻びが多いから、破るのは簡単にできる。
けど、このお嬢様は違う。
だって目がイっちゃってるんだよ。魔獣とかそういうんじゃなくて、本当にクスリを決めてる感じ。喋ってる内容はともかくとしても、声からして病んでる。あ、ヤンデレってこういうのを言うんですかね?
これがヤンデレなのかどうかはともかく、この目は知ってる。アイツがこういう目をしてた。この目をしてる人は駄目だ。とにかく、私の周囲には絶対に近付けたくない。
「マッグケーン先輩の、国の方ですか?」
「孤児ごときがあの方の御名を口にするな!」
「すみま、せん」
「私はあの方のためにモスバーグの貴族として生まれてきたのよ。ああ、久々にお会いしたいわ.........マッグケーン様」
いかん、ヤバい。マジで逃げたい。
でもこの人は危ないひとだけど、ただのバカだ。なんか何でも喋ってくれそう。
それに、さっきからぶつぶつマッグケーン先輩の素晴らしさについて語ってるけど、これがホントだとしたら、彼はとっても演技派だ。
会うときは必ず薔薇を一輪、1日の始まりと終わりにはいつも情熱的なキス。髪を撫でるそのしぐさは愛情に満ち、彼女を見つめるその目には慈愛と共に狂おしい欲望が煌めく。独占欲の強い彼は、彼女が他の男を視界に入れただけで嫉妬し、その日の夜はなお情熱的に.........。
お腹いたい!
いや、もう聞いてらんない。どこで生まれた乙女小説なの、それ。主役がマッグケーンっていう人なんだね!笑いたい.........。もう大声だして笑いたいっ!
さっきまでは本気で、どこまで恐怖に耐えて情報を引き出せるかって思ってたけど、マッグケーン先輩のおかげでとても愉快な気分だ。
私は必死に笑うのをこらえている。そうだとばれないといいな、という希望的観測しか抱けないくらい腹筋崩壊寸前だ。今、目の前にマッグケーン先輩本人が現れたら死ねる。笑い死ぬ。
何度も水と風の魔術を当てられて、私の怪我の状態はかなりひどいだろう。ゼルガ兄様の表情がどんどん険しくなってる。けどせめて、名前だけでも分かれば.........。そしたら大笑いしながら逃げてやれるのに。
「マロネーズ様、もうこのような孤児など見ている価値もございませんでしょう。処分し、マッグケーン殿下をお迎えに上がりましょう」
え、今のってほんとの名前?
コードネームとかじゃないよね、マロネーズって。
私はもう我慢できなかった。
存分に笑うために、口のなかで舌を使って描いた魔術を発動させる。これ、ドラゴンみたいにブレスっぽく見えるかなって調子にのって練習してたんだけど、息を吸って吐く訳じゃないから見た目がすごいバカっぽくなる。ついでに言えば手で描いた方が早いし封印してたんだよね。
体を捻ってギリギリ指の拘束を解いた。従者がまた私を引き倒しに掛かったけど指が解放されれば私だって対処できる。
従者を弾いた瞬間にゼルガ兄様が私を抱えてその場を飛び出した。ぐえ、抱え方考えてえ!
怒声も聞こえてきたけど、追い付けるほどのスピードは誰にもないようだった。苦しいけど魔術による攻撃は、きっちり相殺してやったし!
マッグケーン・タキィ・ロッティリア・モスバーグ王子に恋するマロネーズさんとその仲介人のケティップ.........。考えるだけで笑える。なんだその完成品に恋する調味料は。それにマロネーズさんが言ってた先輩を想像するだけで腹筋割れる。
笑いを噛み殺しながら、傷だけは全部治癒した。髪はどうしようもないね。整えるくらいはしなきゃだけど、また伸びるし。あとは服を何とかしなきゃなあ。ゼルガ兄様は私なんて抱えてないかのように走り抜けて、国境に近付いた頃にはリンチされた証拠と言えば髪と服だった。兄様の部屋に一旦荷物を取りに戻って、着替えて、そこにあった書き置きの待ち合わせ場所まで急ぐ。
「心配しちょったよ。キーちゃん、最後笑ってたけえ壊れたかと思いよったし」
「ごめんなさい。せめて名前だけでもって思って。ゼルガ兄様が居るからちょっと無茶しちゃいました」
「キーちゃんらしいけえ、しょんないかあ。囮にさしたんおれやしなあ。けど、キュリーの前で無茶しよらんようになあ」
「はい。心配かけてすみません」
「ええよ。ちゅうかどやって魔術発動さしたん?」
「乙女の秘密です」
恥ずかしくて言えないだけだけど。
っていうか、キュリーの前であんなことになったら多分その場は血の海に変わる。
ルーセル先輩もあれでキレやすいから、その場合はどうなるんだろう。ブリザードのち、全員凍死とか?あう、考えるのは止めとこう。
書き置きには私の荷物ももって国境外に居るってだけだった。
すでに昼が近いけどこのままエーネオに帰っても同じことが起こりそうだから権力のある人に相談して何とかしてもらわなきゃいけない。他力本願だけど、病んでる人は通り魔みたいに、簡単に人を殺すから。私たちが個人で対処するよりも、もっと大きな所に出て隔離してもらって、二度と出会わないようにするのがいい。少なくとも私はあの人を先輩たちや家族に近付けるなんて嫌だ。
国境を越えてすぐに、探し人はいた。
長いコートを羽織って服も体型も覆い隠してる。側には馬が4頭居て、ブカレス平原の草を食んでいた。
「キーディアっ!」
キュリーが駆け寄ってきて、抱き締めようと腕を広げて固まる。
あれ、抱き締めてくれないのかな。
「キーディア、その髪はどうした?」
あ、不味い。声が低い。
ルーセル先輩も絶対零度の雰囲気を纏ってるし、マッグケーン先輩に至ってはいつも表情豊かなのが能面みたいになってる。
肩甲骨くらいまであった髪が所々短くて.........むしろ所々長いっていう方が正しいかも.........気付かないわけないよなあ。私はあんまり気にしてないんだけどね。あ、今気付いたけど髪に血が着いてるかも。私の髪は薄い茶色だから、乾いて赤黒くなった血は目立つ。水もかけられたし、大丈夫かな。
「何があったの?」
ルーセル先輩、私が帰ってくるまでに2、3人殺りましたか?
先輩たち3人が怖くて口が開けない。ぱくぱく、金魚みたいに口を開閉するけど、何て言うか、さっきより怖い。
「ゼルガ兄上っ!兄上が付いていながら、キーディアが何故このようなことになる?」
「もちろん説明したるけえが、今は時間ないんよ。とりあえず急いでエーネオに戻るんが先決。キュリー、もう出発できるん?」
「.........荷物も載せてあるゆえ、すぐにでも」
もしかして、馬で帰るんだろうか。乗れないんだけど。
「んじゃあ、キーちゃんはおれが一緒に乗るけえ安心してなあ?キュリーに、マッグケーンちゅうたか?お前らはすぐに剣抜けるように戦闘態勢維持せえ。ルーセルとキーちゃんは魔獣担当、気配掴んだらすぐ殲滅。行くでえ!」
一気に視点が高くなったと思ったら、私は馬にまたがっていた。後ろからゼルガ兄様が支えてくれてるから、落ちる心配はない。今は逃走中だというのに馬の上は気持ちよくてちょっと楽しくなってしまった私は、悪くないと思いたい。
そう言えば私、乗り物って酔うタイプだった。
うー気持ち悪い。
電車は進行方向向いてないとダメだったし、バスとかタクシーは臭いでK.O。自家用車は自分で運転すればギリギリOKで、助手席に座ったらすぐにヘロヘロだった。自転車は自分で漕いでるから大丈夫だったけど、福祉体験で乗った車椅子で酔った時は、本気で足腰きたえようかって考えたぐらい。
馬って予想外に揺れた。自分で手綱握ったら違うかな。
日が変わって朝が来る寸前、私たちはエーネオにたどり着いた。馬はもう疲れきってて、これが乗り潰すってことなのかなってぼんやり考えた。
これから、キュリーの屋敷で作戦会議だ。っていっても参加するのは私とマッグケーン先輩、ルーセル先輩とキュリー、ゼルガ兄様にセルマ先生だ。参加はできないけど聴音の術具.........盗聴機みたいなやつ.........で陛下とベルセルクル侯爵、ミュゼ子爵には会話が聞こえるようになってる。通話ができればいいんだけど、それはまだ国に一台あるかないかの貴重品だ。しかもこれが実験以外ではじめて使うというのだから、発明者のミュゼ子爵.........師匠さんは強かだ。
侍女さんが人数分のお茶を淹れて部屋を辞してから、私は口を開いた。
「マッグケーン先輩、マロネーズさんってご存じですか?黒髪縦ロールで目は明るい茶色、ちょっとオレンジっぽかったかもしれません。モスバーグの貴族令嬢だそうですが」
「ケティップって名前の従者もおったんよ」
仲介者は従者だったのか。
「マロネーズ?ケティップ?.........ケティップは分からねえけど、マロネーズは確かレティキュラー伯爵家の令嬢だったと思うけど」
「では、マッグケーン先輩はその方とお付き合いしていましたか?」
「は?」
「何を言ってるの、ディア」
まあ反応としてはそうだよね。とりあえず、確認だけはしなくちゃ、というより、これを聞いたら彼女がどれだけ病んでるのか分かるはず。
「具体的に言えば、 会うときは必ず薔薇を一輪持っていって、彼女と会ったら情熱的なキスをしましたか?あ、もちろん帰るときもです。他にも愛情を込めて彼女の髪を撫でたり、彼女を慈愛と欲望の目で見つめたりしてました?あとは、あ!そうそう、先輩は独占欲が強くて、マロネーズさんが他の男性を見ただけで嫉妬して、夜が激しくなるそうですね?」
「キーちゃん、よう覚えちょるなあ」
「いやあ、あまりに衝撃的だったものですから」
「.........や、おい!なんだよそれっ!誰の話っ!?」
あれまあ、マッグケーン先輩顔真っ赤。
「マッグケーン先輩とマロネーズさんの」
「俺じゃねえよ!夜会で伯爵に紹介されたことくらいしかねえぞ!?それなのに付き合うとかあり得ねえ.........!」
「はい。マロネーズさんによる妄想だと思うのですが」
「あたかもマッグケーンと恋人同士だっちゅう風に話しとったなあ」
あれは病気だ。
マッグケーン先輩も一気に顔が青くなった。うん、怖いよね。気持ちは分かるよ。
他の人たちは黙って聞いていたけれど、ルーセル先輩が不意に発言した。
「じゃあ、ディアは嫉妬で浚われたってこと?」
マッグケーン先輩の顔はもっと青くなったけど、とりあえず無視だ。私は別にマッグケーン先輩に巻き込まれた訳じゃなくて、病気の女に私が狙われただけの話なんだよ。
「嫉妬.........というより、あれは妄執だと思いますよ。もしくは病気。彼女にはマッグケーン先輩が
大陸を統一する未来が見えたそうで、彼女はそれを支えるのが使命なのだといっていました。先輩は優しいから、愚民やゴミカスにも手を差し伸べてしまうそうで、邪魔にならないよう掃除をするのも仕事のひとつだと」
「ふふ、それは何とも笑えない妄想よな。それはケーンが愚民やらゴミカスなどと思っておると言うておるのか。馬鹿らしいの」
「質が悪いです。あれは病気以外の何物でもありませんよ。むしろマッグケーン先輩のこと嫌いなのかなって思いましたから」
援護ありがとう、キュリー。
もし、マッグケーン先輩が彼女と恋人であった過去が存在したのなら、私は容赦なく彼を責めただろう。過去の話で私を巻き込むなと、ペアを解散したと思う。けれど彼女の話からは本物のマッグケーン先輩は感じられなかったし、今も彼はあり得ないって否定した。私にとって彼女は恋に恋して病んだ女の子だ。危険度は変わらない。けれど、知らないうちに惚れられて病まれて、なんてどうやってマッグケーン先輩は対処すればいいんだ。
だから、これは嫉妬とか巻き込まれたのではない。
ルーセル先輩にも意図は伝わったんだろう。
穏やかに微笑んでマッグケーン先輩の肩を励ますように叩いた。
今は恐怖とショックが大きいだろうから、またちゃんと話さなきゃだけど、でもその前に対策をうたなきゃいけない。
「ところでゼルガ兄様。護衛に雇われたとおっしゃってましたけど、護衛はどれ程居たんです?」
「正確なんは分かっちょらんけど、100人以上はおったかもなあ。おれらみたいな傭兵は抜けたり入ったり激しかった気ぃするし」
「それだけ居るならちょっと危険だね。あれだけ危険思想の病気持ちが頭に居る集団が100人以上国に入ってくるなんて」
「ですよねえ。できれば病気が治るまで、静かなところで療養でもしててもらえれば私たちも怖くないんですけど」
王子様でもそうじゃなくても、マッグケーン先輩にしか出来ない事がある。
先輩のせいじゃなくても髪まで切られたんだから、きっちり対策をねって守ってくれなきゃペア解消するからね、先輩。