勇者の隠し子を押し付けられました
「セイル、お前もういらねえから。今日でクビな!」
魔王領へ続く街道の途中で、勇者アレンは昼飯の献立でも決めるような気軽さでそう言った。セイルは背負っていた大荷物をゆっくり地面へ下ろし、念のため聞き返す。
「……俺のことでしょうか、勇者様?」
「は!? 他に誰がいるんだよ! お前、戦えねえじゃん!」
アレンは苛立ったように両手を広げ、そのまま勢いよくまくし立てた。
「勇者パーティーだぞ!? 勇者! 聖女! 剣士! 魔法使い! そこに戦えねえ荷物持ちの男が一人混じってんの、普通にダサいだろ! 最近は貴族の宴にも呼ばれるんだぞ!? 紹介すんの恥ずかしいんだよ!」
「……見栄えの問題、でしょうか?」
つい確認してしまうと、アレンは「そうだよ!」と胸を張った。その横では、同行している若い貴族が待っていましたとばかりに手を叩いている。
「さすが勇者様! 英雄の御一行には格式というものが必要でございます!」
「だろ!? 俺も前からそう思ってたんだよ!」
一言褒められただけで、アレンの機嫌は目に見えてよくなった。
アレンは一年二か月ほど前、日本という異世界から女神の力によってこの世界へ転移してきた男だった。転移と同時に《剣聖》《超再生》《無限魔力》《全属性適性》《神速》《幸運》《聖盾》という七つもの加護を与えられ、魔王を討つ勇者として王国中から歓迎された。
その時、女神から告げられた言葉を、アレンは酒が入るたび得意げに語っている。
『真なる使命の時まで、この力をあなたに預けます』
セイルには以前から、「授ける」ではなく「預ける」という言葉が少しだけ気になっていた。しかしアレン本人には、そんな疑問など欠片もない。
「異世界から俺だけ呼ばれて、チート七個だぞ!? これもう完全に俺が主人公だろ! 日本じゃテンプレなんだよ、こういうの!」
実際、力だけなら文句なく強かった。巨大な魔物を一撃で斬り倒し、深手を負っても《超再生》でたちまち治り、《無限魔力》のおかげで魔法を連発しても息一つ切らさない。
問題は、その強さが本人の中身まで立派にしてくれたわけではなかったことだ。
力を得てからのアレンは、自分より弱い相手にはとことん横柄になった。少し反論されれば「あ?」と睨み、腰の剣へ手を置く。それで相手が黙れば、「ほら、俺が正しい」と本気で思う。
一年も経つ頃には、当然ながら周囲に残る人間も変わっていた。
「勇者様には、もっと華のある仲間が必要ですわ」
女剣士がそう言えば、聖女も「戦えない方を残しておく理由はありませんもの」と微笑む。豪商まで「荷物程度でしたら使用人を何人でも用意できます」と口を挟み、誰もセイルが何をしてきたのかには触れなかった。
セイルは一年以上、食料と薬の残量を確認し、野営場所を決め、装備の修理を手配し、次の町までに必要な物資を揃えてきた。アレンが遺跡から拾っては荷物袋へ突っ込み、翌日には存在すら忘れる品々を分類するのも仕事だった。
それでも、必要ないと言われれば仕方がない。何より、アレンを怒らせるのは危険すぎた。
「承知しました。それでは、未払いになっている二か月分の給金だけ精算していただけますでしょうか。俺の私物も返していただければ、すぐに離れます」
「はぁ!? 給金!?」
アレンは目を剥いた。まるでセイルが、とんでもなく非常識な要求をしたかのような顔だった。
「金まで取んの!? お前、一年以上も俺と旅できたんだぞ!? 勇者だぞ、俺! 普通そっちが金払うだろ!」
「ですが、働いた分ですので……」
「細けえなぁ! 酒場で『勇者パーティーにいました』って言えば一生自慢できんだろ! それじゃ足りねえの!?」
若い貴族がすぐさま「まったくです!」と割って入った。
「勇者様のお側で過ごした経験こそ、何物にも代えがたい報酬でしょう!」
「ほら! みんなそう言ってんじゃん!」
アレンは勝ち誇ったようにセイルを指差した。
「お前だけだぞ、金、金ってうるせえの! 器ちっさ!」
二か月分の給金を踏み倒そうとしている男に、器の大きさを語られたくはなかった。だがセイルは口にしなかった。給金は惜しいが、命よりは安い。
「……分かりました。給金は結構です。私物だけお願いいたします」
「最初からそう言えよ! ったく、最後まで面倒くせえな!」
アレンは鼻を鳴らした。これで終わりかとセイルが自分の荷物を分け始めたところで、今度は「あっ、そうだ!」と大声を上げる。
「もう一個あったわ! お前、これも持ってけ!」
「……これ、とは?」
「おい! 連れてこい!」
聖女が一歩前へ出た。
その腕には、小さな赤ん坊が抱かれていた。まだ生後二か月ほどだろう。柔らかな金色の髪がうっすらと生え、大きな青い瞳がぼんやり周囲を眺めている。
嫌な予感がした。
「……その子は、どなたのお子でしょうか?」
「俺の子」
アレンはあくび交じりに答えた。
「俺がこっちに来てすぐ、最初の町で泊まった宿屋あっただろ? そこの娘とちょっとな。妊娠してたらしくて、二か月前に生まれたんだと。母親が病気で死んだから、昨日こいつだけ連れてこられた」
「……勇者様のお子、なのですよね?」
「そう言ってんじゃん! 何なんだよ、さっきから!」
セイルは赤ん坊を見た。何も知らない青い瞳が、ゆっくりこちらへ向く。
「それで、この子をどうなさるおつもりですか?」
「は? だから、お前が持ってけよ」
「……はい?」
「あーっ、もう! 今日何回聞き返すんだよ!」
アレンは苛立って髪をかき回した。
「そのガキも連れて消えろって言ってんの! 俺が子守りすんの!? 魔王倒す勇者が!? 赤ちゃん抱いて、ミルク飲ませて、おむつ替えて!? 馬鹿じゃねえの!?」
セイルは一瞬、言葉を失った。
本気だった。
実の子どもを、今日追放する荷物持ちへ押し付けようとしている。
「勇者様。でしたら、乳母を雇われてはいかがでしょうか。あるいは、教会へ相談する方法もあります。俺には赤ん坊を育てた経験がありません」
「だから何だよ!? 料理できるだろ! 洗濯も買い物もできる! 俺たちの世話も一年やってたじゃん!」
「赤ん坊は荷物ではありませんので、さすがに同じようには……」
「はぁ!?」
アレンの声が一段大きくなった。
「お前、さっきから何なの!? 俺に逆らって楽しい!?」
「そのようなつもりはありません」
「だったら黙って受け取れよ! 『ありがとうございます、勇者様!』で終わりだろ普通!」
アレンの手が、腰の剣へ伸びた。
それを見た瞬間、セイルは反論を止めた。
力だけなら、本当に化け物なのだ。
「お前、自分の立場分かってる?」
アレンは剣の柄を撫でながら、わざとらしく首を傾げる。
「俺、勇者。お前、クビになった荷物持ち。これでどっちが偉いか分かるよな?」
「……はい」
「だったら口答えすんなよ! マジでムカつくんだけど!」
周囲の腰巾着たちも、ここぞとばかりに声を上げた。
「勇者様へなんという態度だ!」
「勇者様のお子を育てさせていただけるのだぞ。光栄に思え!」
「将来その御子が大人物になれば、お前まで名を残せるかもしれないではないか!」
女剣士まで呆れたように肩をすくめる。
「勇者様には魔王を討つという大役があります。子育てくらい、戦えない人間が担当すればよろしいでしょう」
セイルは聖女の腕の中にいる赤ん坊を見た。
小さい。
母親を亡くし、今度は実の父親からもいらないと言われた。それなのに、この場にいる誰一人として、この子がこれからどうなるのかを考えていない。
「……子育てくらい、ですか」
思わず漏れた声に、アレンが「あ?」と眉を吊り上げた。セイルはすぐに頭を下げる。
「申し訳ありません」
「お前さぁ……敬語なら何言ってもいいと思ってる?」
「そのつもりはありません」
「次、俺に説教したらマジで斬るからな!? 俺が優しく言ってるうちに分かれよ!」
優しく言われた記憶など、一度もなかった。
だがセイルは黙った。
ここで拒否すれば、自分がどうなるか分からない。それ以上に、この赤ん坊が次に誰へ押し付けられるのか分からなかった。
「あぅ……」
か細い声がした。
赤ん坊が聖女の腕の中で小さな手を動かす。偶然なのだろう。それでも、その手はセイルの方へ伸びているように見えた。
何の事情も知らない。
父親からいらないと言われたことすら、知らない。
セイルはゆっくり息を吐いた。
「……分かりました。この子は、俺がお預かりします」
聖女から赤ん坊を受け取った。首を支えながら恐る恐る胸元へ抱き寄せると、赤ん坊は一度だけ不安そうに顔を歪めたが、やがて小さな指でセイルの服をぎゅっとつかんだ。
「ほら! 最初からそうすりゃいいんだよ!」
アレンは一瞬で上機嫌になった。
「ったく、使えねえ奴ほどゴチャゴチャ言うんだよな! さっさと行けよ!」
セイルは何も返さず、赤ん坊を抱いたまま自分の荷物を持ち上げた。これ以上ここにいたくなかったが、数歩進んだところで、どうしても足が止まる。
「勇者様。最後に一つだけ、よろしいでしょうか?」
「はぁ……今度は何だよ!?」
セイルは腕の中の赤ん坊へ一度だけ目を落とし、それからアレンへ向き直った。
「いつか、この子に会いに来ていただけませんか。今すぐ育ててほしいとは申しません。ただ、大きくなった時に、一度も父親が会いに来なかったというのは……あまりにも可哀想です」
アレンは数秒、ぽかんとセイルを見つめた。
やがて、心底呆れたように笑う。
「は!? 何それ? 俺が悪いみたいに言ってんの?」
「そういう意味ではありません。ただ、この子にとっては――」
「俺、魔王倒すんだけど!?」
アレンは自分の胸を指差し、これでもかと声を張り上げた。
「世界救うんだぞ!? その俺に『赤ちゃんに会いに行ってください』って!? 暇じゃねえんだよ! 俺が魔王倒したら、このガキだって勇者の息子だぞ!? 一生勝ち組じゃん! むしろ俺に感謝するところだろ!」
「さすが勇者様!」
すかさず若い貴族が拍手する。豪商も「まさに大局をご覧になっておられる!」と声を上げ、それを聞いたアレンはますます気分を良くした。
「そういうこと! お前は目の前のことしか見えてねえんだよ! 俺はもっとデカいもん見てんの!」
二か月分の給金を惜しんだ直後の男が、大局を語っていた。
セイルはもう何も言わなかった。
アレンは勝ち誇った顔で背を向ける。
「それにさ! 最後には全部うまくいくんだよ! 主人公ってのは、そういうもんだからな!」
「さすが勇者様!」
「まさに英雄のお言葉です!」
「やはり我々凡人とは、見ているものが違いますな!」
拍手と称賛を浴びながら、アレンは女たちと腰巾着を引き連れて街道の先へ歩いていった。
セイルは、その姿が見えなくなるまで黙って立っていた。
やがて腕の中へ視線を落とすと、小さな手がまだセイルの服を握っている。青い瞳も、じっとこちらを見上げていた。
「……参ったな。俺、本当に赤ん坊なんて育てたことないんですよ」
「あぅ」
もちろん返事ではない。
セイルは少しだけ笑った。
「あなたに敬語を使っても仕方ないか。名前は……ルウ、だったな」
赤ん坊の口元が、ほんのわずかに緩んだ。笑ったのかどうかも分からないが、その小さな顔を見ていると、さっきまで張り詰めていたものが少しだけほどけていく。
「まあ、なんとかしようか」
勇者に捨てられた荷物持ちと、勇者に捨てられた赤ん坊。
二人の生活は、こうして始まった。




