第7話:甘いのはスイーツだけにして。元婚約者様、貴方、最近笑いすぎです。
王太子アレクシスは、今日も来た。
しかも朝イチで。
開店準備をしている最中に、ドアが開いたのだから、私は思わず無言になった。
「……まだ開店してないけど?」
「開店を待つのも悪くないと思って」
「……なら厨房で皿でも磨いてなさい。開店前のお客様は、労働でおもてなしします」
「労働付きとは、新しいサービスだな」
「喜ばなくていいわよ」
そう言いながら、私はいつもどおりカウンターへ立ち、
コーヒー豆を丁寧に挽き始めた。
香ばしい香りが立ち上る。
それだけで少し気が落ち着くのだから、
私は本当に、コーヒーに救われているのかもしれない。
開店後。午前中は静かだった。
アレクシスはいつになく饒舌だった。
「この間のミルフィーユも良かったが、あのチーズケーキは絶品だった」
「元婚約者にしては、評価が甘いわね」
「君の料理は昔から美味しかった。あの頃、気づくべきだったと思ってる」
「……気づいてても、多分同じ結末だったわよ。
“優しいマリア様”が側にいたら、そちらを選ぶのが王太子ってものでしょう?」
「そうじゃない。──少なくとも今の俺は、そう思ってない」
私は一瞬、言葉を失った。
──なに、その声。
まっすぐで、少しだけ寂しげで、でも本気で。
そんな顔、あの断罪の日には見せなかったくせに。
「……笑ってばっかりじゃないのね。最近の貴方」
「このカフェにいると、笑いたくなるんだよ。君がいるから」
「──甘いわね、王太子様」
「君のコーヒーほど、苦くはないけどな」
「うまいこと言ったつもり? 10点。塩入れていい?」
「やめてくれ」
──でも、私も笑っていた。
皮肉まじりで、少しだけ、本心が混じっていた。
午後、アルヴェインが裏口から静かにやってきた。
「エリザベート様」
「なに? スプーン磨きの追加?」
「いえ……お話が。少し、いいでしょうか」
ふたり、店の裏庭へ。風が少しだけ涼しい。
アルヴェインは、少し迷うように、けれどはっきりと私に言った。
「……王太子との関係が、元に戻ることを、望んでいますか?」
「……どうかしらね。昔なら、そうだったかもしれない。
でも今の私は、“追放された女”としてじゃなく、“店主”としてここにいる」
「……そうですね。でももしも、あなたが再び彼に心を許せば──
この穏やかな場所も、喧騒に巻き込まれることになるかもしれません」
「分かってるわ」
私は笑った。
「だから、私は“今”を見てるの。コーヒーを飲むお客の顔。甘いスイーツを頬張る笑顔。
それを守るために、私はここで毒舌を吐きながら働いてるのよ」
「……なら、安心しました」
「ありがとう。あなた、妙に真面目ね」
「あなたが妙に不真面目なだけです」
「毒舌返し、上手くなったわね」
「店主の影響ですから」
ふたり、笑った。
不思議と、今はそれだけで十分だった。
その夜。
閉店間際の店で、アレクシスがカップを片手にぽつりと聞いた。
「エリザベート。……君は、今、幸せか?」
「……少なくとも、王宮にいた頃よりは、確実に」
「……そっか」
「どうせなら、そっちも追放されてみたら? 案外、人生楽しくなるかもよ?」
「……それも悪くないかもな」
「冗談で言ったのに……」
静かに笑う彼を見て、私は少しだけ目を伏せた。
──甘いのはスイーツだけでいい。
私の心は、まだ少し苦くて、冷たいまま。
でも、それでもいいと思えた。
きっと、少しずつでいいから。