第5話:まさかの来店。元婚約者様、あなた何しに来たの?
カラン、コロン──
ドアの鈴が鳴る音が、今日はやけに耳に残った。
私は無言で振り返った。
そこに立っていたのは、まぎれもなく──
「……久しいな、エリザベート」
王太子、アレクシス・グランディール。
断罪の場で私の婚約を破棄し、王都から追放を言い渡した本人だ。
「久しくもないわ。あれが最後でもう二度と会わない予定だったもの」
私はコーヒーポットを持ったまま、冷ややかに言い放つ。
アレクシスは少しだけ眉を下げて、小さく息を吐いた。
「話がしたくて来た。……君のことを、どうしても」
「それ、客として? それとも、元婚約者として?」
「……両方だ」
「ならコーヒーは出すけど、未練話はメニューにないわよ」
客席に腰を下ろした彼の前に、私は容赦なくカップを置く。
濃いめの深煎り。今日の気分は“苦味”だ。
「それで? 王都の偉い方が、こんな辺境まで来るなんて物好きね。
ついでに言えば、二度も婚約者を断罪して追い出した王族が、
今さら“話をしたい”なんて虫が良すぎるとは思わないの?」
「……君が、こんなに立派にやっているとは、思わなかった」
「思ってなかったわよね。あのとき、私を悪役に仕立てて、
“お優しいマリア様”の株を上げたつもりだったのでしょう? でも残念、私はそんなに従順じゃなかったの」
アレクシスは黙ってコーヒーを口にした。
顔をしかめる。……どうやら苦すぎたらしい。
「うちのブレンドは、王都の媚びた味とは違うの。
喉に引っかかるなら、水でも注文したら?」
「……懐かしいな、その口の悪さ」
「誉め言葉と取っておくわ」
そのとき、カウンターからひょっこりと顔を出したのは、アルヴェインだった。
「おや、王太子殿下。ようこそ。ずいぶん場違いなお客様ですね」
「君は……冒険者のアルヴェインか」
「そうです。店主の騎士もとい、食器係です。最近は配膳係も兼任してます」
「……なぜ、ここに?」
「あなたと違って、彼女を追放してはいませんので」
さらりと毒を返すアルヴェインに、私は小さく笑った。
「まあまあ、二人とも。うちは平和なカフェですから、血の匂いは禁止よ?」
アレクシスは小さくうなずき、重い沈黙の末、口を開いた。
「──謝罪に来た」
「……へえ?」
「私は、君を信じなかった。君の忠告も、助言も、全部“嫉妬”と決めつけた。
……マリアは、王都を離れた。数ヶ月前、自ら国外へ退いた」
「──」
「そのとき気づいた。君の言葉は全部、本当だった。
……君は、私が信じるべき唯一の人だったんだと」
沈黙。
コーヒーの香りだけが、空間を埋めていた。
私は、深く息を吸って、吐いた。
「謝罪なら、もういいわ。過去は変えられないし、戻らない。
私は“追放された女”として、この村でカフェを営んで、毎日コーヒーを淹れてるの。
──それだけが、私の今」
アレクシスが目を伏せる。
「……ただし」
私は、彼のカップにそっとコーヒーをおかわりした。
「二杯目からは、有料よ」
アレクシスがわずかに笑った。
「……ありがとう。じゃあ、また来てもいいか?」
「気が向いたらどうぞ。ただし──」
私は毒舌を込めた微笑みで、きっぱり言った。
「“やり直したい”とか言った瞬間、砂糖の代わりに塩入れるから覚悟してね?」
それからというもの、王太子殿下は、毎日店に顔を出すようになった。
私は今日も、毒舌と最高のコーヒーでお出迎えする。
カフェ・ベル・エピヌ──“美しい棘”は、今日も元気に営業中である。