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ヤマトタケルと真奈の出会い。
景行三一年(西暦一四六年)四月初め、ヤマトタケルと三太夫は峰山街道を西に曲がり、比治の峠道を登り掛けていた。
「あれ、タケルだわ。ハデスどういうこと、どうしてタケルが峠を登っているの? ミーは随分前から真奈とタケルが気になって見ていたけど、確かタケルは久美浜の温泉で天橋立の話を聞いてそっちに向かったとばかり思っていたのに・・」
「例の薬を求めに来たみたいですよ」
と、ハデスが答えた。
「へぇ、偶然ねぇ・・・わぁ、やだ、何となく気になる展開」
先日何度かアルテミスの声が日の本に伝わって、ここ日の本とアルテミスの世界が繋がったかに思えた。アルテミスとハデスはその現象を船長にも報告し色々な人達の調査が始まった。しかし、その後はどう調べてもその痕跡がない。
ワームホールのような異次元の抜け道が出来たのならば、磁場や重力の大きな変化が現れるはず。ところがそんな異常な現象は何も観測されなかった。
今のところは原因不明の気まぐれに起きる不可解な現象に過ぎなかった、と結論づけられた。ハデスが引き続きこの現象の追跡調査もしているが、アルテミスはおろそかになった仕事を取り戻すべく、既に普段の姿に戻っていた。
タケル達は峰山の丹波国の造の屋敷に逗留していたが、万病に効く薬の話を聞いて探しに来たのである。出雲で徐福の話を思い出したのだ。本当に不老不死の霊薬があるのか確かめたい。半信半疑ではあるがそんな物があれば倭姫に持って帰りたいと思った。
日笠を被り、背負子を担いでの旅人姿、笠に垂れ下がる手拭いで汗を拭いながら山道を登るタケルは、
「三太夫、暑いのぉ、あとどれくらいだ?」
と悲鳴を上げた。
「さあて、まだ峠を登り始めたばかりですから、だいぶありましょうが・・・ああ、あの百姓に聞いてみましょう」
と、三太夫は木鍬を担いで峠道を下りてくる百姓の爺さんに、歩み寄って手招きした。
「あの、もし、爺さん、道を尋ねたいのだが・・」
爺さんは歩みを止め、鍬を肩から下ろして杖のように柄頭に両手を添えながら、
「ああ、なんだね、旅の方か、どこ行くだね?」
と、二人を見比べた。
「いやね、この辺りに、万病に・・」
と言いかけたところで、突然前方から物々しい族が現れて、三太夫は言葉に詰まった。三人とも驚いて道の端に避けた。
「ほぉら、どけどけどけ、邪魔すると怪我するぞ」
そう怒鳴って四人の荒くれ共が通り過ぎた。毛皮の短褌一丁で、熊のように毛深い男どもが鉞を握ってバサバサバサッと坂を駆け下りて行く。
「三太夫、何かな?」
「さぁてねぇ・・・行ってみましょうか?」
「うん、そうしよう、何か気になる」
「おやめなせぇまし、旅の方。あいつらは泣く子も黙る磯砂衆ですがな。死にたくなかったら係わりにならないこっちゃ」
と、爺さんが忠告するが、タケルは、
「磯砂だと? 王が話していた土蜘蛛だな。土蜘蛛と聞いては捨て置けん、お爺さん有り難う。おい三太夫、行くぞ」
「承知」
「あの、もし、ちょっと・・」
爺さんが止めるのも聞かず、二人は勢いよく駆けだして行く。爺さんは心配そうに二人の後姿を見送っている。
タケル達は磯砂衆に気付かれないようにこっそりと間を空けて付いて行った。磯砂衆は峰山街道を横切り、川の左岸(北西側)沿いの細い崖道(竹野街道)を北東に向かった。
西側の山並の稜線と川の流れがほぼ一致して、まっすぐに北北東に伸びている。逆に右岸側の山並の稜線は凸凹に入り組んでいて、谷川が所々から流れ下って本流に合流している。その右岸側の稜線と本流の間には湿地帯が広がり、所々川の蛇行の跡が窺える。
現在ではこの海まで続く湿地帯が数少ない平野部として街や田畑に変貌しているが、当時は治水の技術もなく、川獺と水鳥達の楽園であり、暴れ川の遊び場だった。
やがて川幅が広がり砂州だらけの所に出ると、崖道はまだずっと北の海まで続くというのに、賊共は急に東に向きを変えた。砂州に渡してある巨木を伝って対岸に渡り出したのである。砂州のあちこちに配された巨木は、一見すると嵐で増水した川に流されて、砂州に閊えてしまったものとしか見えなかったが、どうやら人工的な橋なのであった。
ここは対岸の東南の山々の狭間から流れ下る谷川の合流点である。
谷川沿いに山裾を登って行くと、青々とした里芋畑が散らばる丘陵地が見えてきた、穂井村である。なだらかな勾配のある傾斜地に、ちらほらと百姓が畑仕事をしているのが見え隠れしている。里芋の茎と葉は子供の背丈ほどにも育つから、しゃがむと大人でも見えなくなる。今は芋の収穫に精を出し、稗や粟や稲の播種に備える季節。
タケルが木陰から様子を覗うと、四人の磯砂達は里芋畑の脇で百姓三人を取り囲んでいる。年寄り二人と若い娘であった。
これは怪しいと思い、道を急いで里芋畑の中を潜り、すぐそばまで近づいた。他の村人も皆遠巻きに集まって来て、心配そうに見ている。
「やい、女っ子、与五め、やっと見つけたぞ。他人の恩義も忘れおって、お前のお陰でわしは大恥かかされただ。さあ、わしと一緒に来い」
五平であった。神の祟りを恐れて、一目散に逃げたことを磯砂に叱られ、皆に笑われた。もちろん尻丸出しだったことは話していない。
挙句に加悦谷村に戻った時、騙して与五を連れ去ったことを女房の与謝にきつく問われ、三右衛門と共にぼこぼこになるほど殴られたのであった。お陰でしばらくは与謝とは別居状態で、隣りの三右衛門の家で暮らす破目となったのである。
「五、五平さん、あなたはわたしを売り飛ばすつもりね」
と、真奈は穂井爺の陰に隠れるようにして叫んだ。穂井夫婦は真奈を庇い、前後を塞いでいる。
「そう、駄々を捏ねずにさ、与五、一緒に行こうや」
と、三右衛門が横から手を伸ばした。
その時、風のように走ってきた者が三右衛門の手の甲をピシッと刀の鞘で弾いた。
「いてててて」
と、三右衛門は痛い手を振りながら、曲者に振り返り、
「いてぇじゃねぇかこの野郎、何しやがる」
と、罵った。
「汝れ達こそ何をしているのだ?」
と、タケルが割って入った。
この時、三太夫は反対側で刀の鍔もとに手を当てて構えていた。
「な、何だてめぇは? 余計な事しねぇで引っ込んでいろ。この女はわしらのものだ、三年前に逸れてしまって探していただけだ」
と、五平が凄むと、真奈がむきになって叫ぶ。
「いいえ、この人達はわたしを磯砂という男に売り飛ばそうとしているのです」
「与五や、勘違いするな。浜に打ち上げられていた、お前の知り合いがいるから連れて行くのさ、逢いたくはねぇのか?」
と、三右衛門が割り込むが、
「嘘おっしゃい、三右衛門さん。北の浜にはそんなものなかったって聞いたわ、騙してわたしを売り飛ばそうって気ね」
「けっ、知っていやがったか、はっはっは」
と、痛い手を撫でながら三右衛門は苦笑した。
「売り飛ばすんじゃあねぇや。与五や、おめぇをお頭が気に入ったから嫁にすると言っておいでなのさ、これは名誉なこったぞ。さあ、一緒に来な、悪いようにはならねぇよ」
「嫌です、五平さん、あなたは命の恩人です、恩人ですが、寝ているわたしに何かしようとしていたでしょう? そんな人達のもとに行くのは嫌です」
五平が三右衛門を見て苦笑すると、
「へっ、何もしてねぇやい、勘違いするな。わしら、何としてもお前を連れて行くからな。こんな所で暮らすより、ずっといい暮らしが出来るんだ。手荒な真似はしたくねぇ、いい加減に言うこと聞けや」
しかし、真奈は首を振ってタケルの後ろに隠れた。タケルは横目でちらっと娘を見た、一瞬二人の目があった。真奈が肯くような仕草をした。
「ええい、旅の人、見ればまだ若輩じゃねぇか、邪魔しねぇ方が身の為だ、とっとと女を渡しな」
と、三右衛門が凄んだ。
しかし、タケルには全く通じない。タケルは横目でチラッと真奈に合図をすると、真奈が肯き穂井夫婦と共に用心しながら後退る。
そこへ間に割って入ろうと、四人が一斉に、
「この野郎」
と、タケルに襲い掛かってきた。
すると賊の後ろから三太夫が目にも止まらぬ速さで二人をバサ、バサッと斬り捨ててしまった。タケルと刃を向かい合わせて睨みあっていた三右衛門が、
「ああ、この野郎、もう一人居やがったのか、卑怯な奴め。五平どん、後ろだ」
と、言った途端に三右衛門は構えた鉞ごとタケルに胴を薙ぎ払われ、どさっと倒れた。
「あわわっ、こ、この野郎め」
二人の強さに唖然とする五平は、冷や汗をかいて、後退る。逃げろっとばかり身を翻して一目散に逃げだした。
タケルが、
「三太夫、仕留めろ、逃がすと厄介だ」と叫んだ。
「ははっ」
と言うが早いか、三太夫がシュッと小刀を投げた。
「あうっ」
と呻き、五平は倒れた。背には深深と小刀が突き刺さっている。それを見てタケルは血刀を下向きに持ったまま、無造作に手首を震わし、血糊を落として鞘に収めた。
三太夫が確認しに走り、倒れた五平の首筋辺りの微かな脈動を見て、小刀をグイッと抉ってから引き抜いた。瞬間、五平の断末魔の声が微かに漏れた。
村人の見ている前で、あっと言う間に四人とも死んでしまった。凄惨な光景にも拘らず、やんやの歓声。何しろ至る所に出没しては食べ物を奪われ、女子供をかどわかされてきたのだ。磯砂どもには散々苦しめられてきた人々なのである。
実を言うと、この穂井村に若者が居ない理由は、十四、五年前に突如磯砂衆の略奪に遭い、食糧や家畜などと共に若い女や子供らを一斉に連れ去られてしまったからであった。村人は悲嘆にくれてわが子を探しまわったが、どこを探していいものかも分からない。噂では遠く播磨や吉備、三野や尾張の方に売られた女子供もいるという。
初めのうちは皆も村の社にお参りして、どうかわが子を返して欲しいと祈ったりもしたが、いつまで待ってもかなわぬ願いとなってしまった。結局、諦めて忘れることにしたものである。穂井夫婦のみが未だにお参りしているのだが、哀れと思ったお社様のお陰なのか、失ったわが子の代わりに真奈が現れたのかもしれない。
穂井爺は村の衆に命じて死骸を片付け始めた。村人達が死骸を板輿に載せ、蓆を掛けて運び出す、村の外れにでも埋めるのであろう。うっかり痕跡を残すと、噂が広がり磯砂達が仕返しにやって来ないとも限らない、それを恐れたのだ。
さすがに真奈は目の前で知り合いが死んだことで恐れ慄いていた。ここまでしなくてもとは思ったが、最早どうにもならない。
真奈は恐る恐る助けてくれたタケルに近づき、
「あ、有り難う御座いました、お蔭で助かりました、何と言ってお礼をしたらよいか」
「これで良かったのかな? 磯砂衆だと聞いて、逃がすと厄介だと思ったから手を抜けなかったのだ」
タケルは真奈の目に浮かぶ涙に気付き、幾分悔やんでいた。
「いいのです、仕方がありません・・ああ血が、お二人ともあちらにおいで下さい。澤の水でお清め下さい」
真奈は二人を誘って湧水の流れ出ている澤の傍らの縁石に座らせた。そして袂から手拭いを出して水に浸すと、キュッと絞って襟や袖に着いた返り血を取ってやろうとした。
「ああ、娘さん、吾が・・・」
と言って、タケルは真奈の手を思わず握ってしまい、一瞬タケルと真奈の視線が交差する。しばし二人は見つめ合い、はっと気付いて慌てて手拭いを受け取り、赤面した。真奈もタケルの隣に座った。
それを見てにんまりする三太夫も、自分の手拭いを水に浸して拭き始めた。
タケルは顔や腕に付いた返り血を拭いながら話しだした。
「わ、吾はヤマトタケルという。娘さん、名前は何と言うのかね?」
「はい、真奈といいます」
真奈はヤマトタケルと聞いても反応が薄い。幸いなのか、さすがにこの寂れた村まではヤマトタケルの噂は届いていないらしい。
「真奈か、いい名だ。あの者らと何かあったみたいだが、一体どうしたのかね?」
「はい・・」
しばし躊躇ったが、真奈は遭難してからのことを、ゆっくり掻い摘んで話して聞かせた。
・・・
大変な苦難に遭ったことを知るタケルは、聞いていて思わず涙してしまうのであった。
そしてタケルは和奈左の長者の売っていた万病に効くという霊薬のことを訊ねた。
しかし、真奈はただの女丁だったので、和奈左の長者は一切教えてくれなかったと言う。真奈は、そのことだけは何人にも話すまいと誓っていたのである。人間というものは欲の塊である、欲の前には善人も悪鬼に変わってしまうと思っていた。真奈は二度と酒を造るまいと決めていたのである。
タケル達は霊薬の事を村人達にも訊いたが誰も知らなかった。既に日が翳り、夕闇が迫ったので、その日は穂井爺の家に泊めてもらった。
翌朝タケルはともかく比治山峠までは行ってみようと思い、出掛けていった。
峠を登るうちに、大鳥居が見えてきて、よく見ると鳥居の上に何か丸い塊があった。石段を下りて、近づくうちにそれがなんであるかがはっきりした、烏に突かれて骨の露わな髑髏が二つ、竹槍で串刺しになって晒されているのであった。
「おそらくあの磯砂とかいう連中の仕業であろう、惨いことをする」
タケルは、その無残な姿を見るに堪えず、
「三太夫、頼む」
と、目で合図をした。
「はは」
と返事し、三太夫は辺りを見回し、どこかへ去った。
村の方にじっと目を凝らすと、焼け焦げた炭になった家の残骸があちこちにあるが、人影は見えない。一見して廃墟のようだ。
やがて三太夫が長い竿竹を持ってやってきて、髑髏を下から突いて落とした。すかさずタケルが髑髏を受け取り脇にどき、二つ目は三太夫が受け取った。鳥居の脇に髑髏を二つ併せて埋めてやり、土饅頭を造ってやった。
仏教の伝来した頃ならばお経の一つも唱えて合掌するところだが、当時は記念品などを副葬し、瞑想して拝んだことだろう。タケルは死者を神が迎えてくれることを願って、葉の付いた木の枝を一枝挿した。
手懸りを求めて村を歩き回ったが、丸で嵐でも過ぎ去った後のように荒れ果て、ここの者達は最早逃げ散っていて誰ひとり居ない。さすがに別の死骸は見当たらず、片付けられてはいた。
タケルはしょうがなく諦めて再び穂井村に向かった。磯砂達が仕返しに来るかも知れないと思い、しばらく逗留することにしたのである。そして、すぐに丹波国の造に三太夫を使いさせて、穂井村に磯砂衆の出没したことと、和奈左村が荒らされたことを伝えた。警護を厳重にするように、催促したのである。
ここはタケルと雖も出しゃばることが出来ない、丹波国の造に任せるしかないのである。