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磯砂衆が和奈左村を襲撃。真奈はどこに消えたのか?
三
若葉の緑が朝露を吸ってキラキラ輝いている。加悦谷から峰山街道を北に向かい、途中で西に折れて、ここは比治山峠の頂付近にある社である。三年前の夏、この社の中で与五(真奈)という娘に手を出そうとしてしくじった三右衛門が寝ていた。
桃の蕾よ早く開けとでも鶯が鳴き声を競っているのか、三右衛門は春眠を破られ、欠伸をしながら井戸端に歩いてきた。慣れた手付きで釣瓶を落として水を汲み上げ、井戸の縁に置いた。屈みこんで口から出迎え釣瓶を傾け、喉を鳴らしてふた口、三口と飲み込んだ。
「ぷはぁー、うめぇ。ああ、ここの井戸水は相変わらずうめぇや」
残った水を手で掬って顔を洗っている。磯砂村に向かう途中の三右衛門だったが、頭が喜ぶようなめぼしい情報も無く、今回は干魚をたくさん背負ってきていた。
すると比治の里の者であろうか、三十前後の血色のいい人足二人が大きな樽を天秤担ぎしてやってきた。二人とも単衣に膝丈褌で、笹竹の多い山道だというのに裸足である。腰に瓢箪と竹筒をぶら下げている、いかにも丈夫そうな姿。
「おんや、旅人けぇ、ここの井戸水はうめぇだろ?」
人懐こそうな前の男が三右衛門を見て話しかけた。
「やあ、この辺の人だな、わしは時々ここを通るだよ。ここの井戸水は格別だな、生き返るようだわ」
三右衛門はそばの大きな切株に腰掛けて、二人の様子を見ている。
二人の人足は井戸の側に来て樽を地べたに置いた。
三右衛門が続ける。
「宮津から来たもんでな、魚の干物をな、売りに来たところだ」
前の男が隣に腰を下ろして、
「ほぉ、魚ねぇ・・・」
と、目を輝かせた。後ろの男はわれ関せずの態で、水を汲んでは樽に入れ始めた。
隣りの男が、
「なぁあんた、魚を少し譲ってくれんかな。久しく水ものにお目に掛かってねえだで、皆も喜ぶから」
「そりゃあ構わねぇが、どれくらい要るんだ?」
「そうだのぉ、長者様にわしら奴達を合わせると二十尾も有ればいいかな」
「そんなにか? 結構型のいい鯖だぞ、十尾でいいだろう」
と、三右衛門は両手を出して大きさを示した。
「ああ、そんなに大きいのか、そんなら十尾でええわ」
「で、何と取っ替えるんだ? 芋か? 粟か?」
「そうだのぉ・・・酒ではどうだね、この瓢箪に二合ほどあるだ」
「何だって? 酒が二合だと? ちっとばかり足りねぇな、そっちの人のもくれや」
「おめぇこの酒はただの酒じゃあねぇだ、ここらじゃ知らぬ者のねぇ有名な酒だ。不老長寿の妙薬と評判の酒だぞ」
「なに? そうか、聞いた事がある、万病に効くとか言う・・でもなあ、噂ぐれぇ当てにならねぇものはねぇからなぁ・・」
「こりゃ本当のこったぞ、わしはこう見えても五十四だ、若かんべぇ?」
と、男はポンと胸を叩いて反り返り、
「みんなこの酒のお陰だわい、ははは」と笑った。
「なんと、お前さん五十四だと? ははぁ、なるほど。よし分かった、手を打とう、酒が二合だな」
「あほぬかせ、二合全部ではねぇ、ひと口分だ。竹筒出せや、それに入れてやるで」
「何だよ、それっぱかしかよ・・・」
「貴重な酒だ、嫌ならやめるさ」
「いいよ、分かったよ」
しぶしぶ三右衛門は社に戻り、荷を持って出てくると、竹筒を空にして男に渡した。
男は腰の瓢箪を片手に持って、耳の側でチャポチャポと揺すってから器用に竹筒に酒を入れ始める。少し入れてはまたチャポチャポと音を確かめ、また少し足す。音で酒の量を測っているのである。
「よし、こんなもんだ。さあ出来たぞ」
と、竹筒を三右衛門に渡した。受け取って三右衛門は杭をキュキュと捻って蓋をした。
「これはわが主が造っている万病に効く酒だ、一度に飲むでねぇぞ、死んじまうからな。舐める程度に、ちょいと味見するだけでいい」
「へぇ、あんたらの主が造ってるのかいな、それは魂げたわい」
と言いながら、三右衛門は竹筒を腰に付けた。
「そうだ、近頃評判の和奈左の長者だ、大層な物持ちでの・・・実はのぉ・・・」
と言って、男は三右衛門を手招きして、脇に座らせ内緒話を始めた。
・・・
男は屋敷でひっそりと語られている噂を、三右衛門に聞かせてしまったのだ。
人間という生きものはとかく噂というやつを、誰かに言わずにはおれないものである。
キラッ
と三右衛門の目が光った。約束の干魚の束を渡すと、
「有りがとよ、わしは先を急ぐで、これでな」
と言って、手早く身支度をして道を急いだ。男らがひと休みして見ていると、峠を西に登って行ったかと思うと、すうっと脇へ消えた。
三間(約五メートル)四方ほどの板敷きの広間、丈夫な木綿で屋根を開閉する仕掛けがある家のひと間である。日がちょうど中天に懸かる頃合いで、天井が開け放たれて大変に明るい。背の高い木々の梢が山颪を受けてさやさや揺れて、季節はずれの陽炎の飛翔の如く板敷きに影を踊らせている。
さほど広いとは言えないが、それでもこの村ではこれほど広い部屋を持つ家はない。並んで座った百人に演説をぶつぐらいの広さはある。この部屋の端であぐらをかいて上を向き、目を細めて日光浴でもしている気分の三右衛門。脇には干魚などの荷が置いてある。
そこへ向こう端からすぅっと音も立てずに引き戸を開けて男が入ってきた。気付いた三右衛門が慌てて平伏する。
「三右か、よく戻った、何かあったのか?」
と、野太い声で男が応対した、頭の磯砂である。まだ四十に届かぬというのに、よく梳かれた半分白くなった総髪を纏めもせずに肩まで垂らしている。単衣に膝丈褌、上に肩衣を着ている。
中央の円座に座ると手招きをしながら、
「そこでは話が遠い、こっちへ参れ」と促した。
「ははっ」
と応じて、三右衛門は低頭のまま荷を持ち上げ、二間ほど進んで座った。
「お頭、お久しゅう御座る。宮津はこれといって変わりはねぇのですが、そろそろ海の物が欲しい頃かと思ったで、干物を持って参りやした」
と言って、荷を前に差し出した。
「おお、魚か、それは有り難い、このところ鹿や猪の肉ばかりで、どうも皆血の気が多くなって、気が立っておったところじゃ。魚を食えば少しは穏やかになるだろうよ」
「そう言ってもらえると嬉しゅう御座います。・・・ところでお頭、ここに来る途中面白い話を耳にしまして、魚を半分売ってしまいました」
「何? なんじゃその面白い話とは?」
「実は、干魚は近頃噂の万病に効くという酒と交換しましてな、魚十尾で酒一合で御座る」
「おお、例の噂に聞く酒か? 吾もその酒が欲しくて見目良き女子とか玉や刀剣を持たせて買いに行かせたが、いつも売り切れで買えずじまいじゃった。でかしたぞ三右、早速その酒を見せてくれ」
「はは、これで御座います」
と、三右衛門は腰に付けた竹筒を外して磯砂の前に置いた。
「ですがお頭、面白いのはこれでは御座いません。ちょうど三年前になりますか、連れて来た女を峠の社で見失ってしまって、お叱りを受けたことを思い出して下され。あの時は神の祟りだと思っておりましたが、わしらを欺きあの娘をかどわかした者は、何を隠そうこの酒を売っている和奈左の長者夫婦と分かりました。しかもこの酒は、実はあの娘が造っているとの事で御座います」
「何じゃと、それは誠か?」
磯砂は驚いて思わず立ち上がった。
「近頃出色の和奈左の長者とは左様な者か? 吾の持ち物を横取りしおって、おのれどうしてくれようか」
磯砂は俄かにいきり立って、三右衛門に人を集めろと命じた。
こうして磯砂衆は一堂に会し、磯砂の号令一過、和奈左長者の身辺を探り始めた。
山の桜も散りはじめ、木々の青が色濃くなってきた。比治の里、和奈左村ではなぜか人の出入りが薄くなった。それまでは遥か尾張や科野の方からも不老長寿の薬を求めてやって来る者が途絶えなかったのに、ぱたりとやんでしまった。
しかし、和奈左の夫婦はむしろ喜んでいた。既に蔵が三つ建ち、財宝が唸っていたのだ。いい休養だと思っていた。
雨がそぼ降る薄暗いある日のこと、里の周りで一斉に法螺貝が鳴り響いた。
「な、何の騒ぎだ?」
「鹿狩りか?」
「大変だ、磯砂だ、磯砂が攻めてきたぞ」
「逃げろー・・」
出入り口である南側から熊の毛皮を着て、鉞を振り回している男達がどっと村に乱入してきた。村中が大混乱に陥った。村は実質上出入り口が南の一ヶ所しかなく、西に谷川、東と北は険しい山並である。
驚いて長者屋敷に駆け込んでくる者達が、
「大変で御座います、旦那様。磯砂共が襲って来ました、早く逃げて下され。それではあっしらもこれでお別れします」
と言っては、逃げていく。
「あ、おい、お前達・・・何と薄情な奴らじゃ。まあ良いわさ」
長者は慌てず、騒がず、悠然としている。
「あなた、大丈夫なの? 逃げた方が良くなくって・・」
と、弟姫がおろおろしている。
「心配いらんわ、ははは」
長者もさる者である、こんなこともあろうかと奥の一区画に用心棒を何人も雇って備えていたのである。長者は廊下を小走りに奥の一部屋に向かう。怖がって弟姫も付いて行く。
部屋の前まで来ると、手を叩き、
「皆の衆、出番ですぞ。頼みましたぞ・・」
と、声をかけた。しかし、中からは何も返答が無い。長者は思わず弟姫と顔を見合った。おかしいと思い、戸を勢いよくと開くと、中は乱雑に散らかって、裏口が開けられ、誰一人居なくなっている。
誰しも命は惜しい、この騒ぎで皆怖気を起こし逃げてしまったようだ。
「何、何て事だ・・・せっかくこの時のために雇ったというのに、逃げてしまうとは・・頼りにならん者達だったか・・」
「あなた、どうするの・・」
「そうだ、こうしちゃおられん、逃げよう」
二人は慌てて部屋に戻り、荷物をかき集め始めた。そんな場合ではないのに。
誰もが逃げ場に迷い、谷川に飛び込んだり裏山沿いに逃げたりした。
村は怒鳴りながら鉞を振り回す賊徒の暴れ放題となった。
「和奈左の長者はどこだ、どこに居る・・」
磯砂衆の怒鳴る声が至る所で聞こえる。賊徒はほかの者には目もくれず、与五(真奈)と和奈左の長者夫婦のみを探していた。
ゆうゆうとあとから入ってきた磯砂は、供回りを数人連れて村の入口にある来客用の屋敷の前に陣取った。直垂羽織に草色の袴、足駄を履いて細竹の鞭を握り、丸太の切株にでんと座って睨みを利かしている。
やがて捕まって縄を掛けられた和奈左夫婦が、磯砂の前に引き出された。与五はまだ見つかっていない。
「和奈左の長者とは汝れか?」
「・・・」
若い二人は黙ってむっとしている。
「汝れは三年ほど前に吾のものをまんまと盗みおったの、どうじゃ?」
「はぁ? 何のことで御座いましょうか?」
「しらばっくれおって、吾の妃を盗んだであろうが、わが妃を返せ」
「あ、あの何のことか一向に分かりません」
「ふてぶてしい奴じゃ。三右、どうなっておる?」
磯砂は三右衛門を睨んだ。
三右衛門が前に出て、
「ええい、しらばっくれおって」
と、和奈左長者の胸倉を掴んで睨みつけ、平手を一発食らわせた。ピシッと亭主の口を切った血が和奈左の弟姫の座っている膝元に落ちた。弟姫はすっかり恐れをなして、気付かれないように後ろに摺り下がり、下を向いたまま縮んでいる。
三右衛門は棒切れを振りながら和奈左夫婦の周りを回り、時々肩や胸を小突いたりしながら、与五の事や万病に効く酒のことなど、洗いざらい話して聞かせた。
「そ、それは誤解で御座います。娘を与五と申されましたが、わたくし共は真奈と呼んでおりまして。あの娘は社で人と逸れて困っておりました、それを助けてあげただけで御座います。企んでさらったなどと、けっして致しておりません。身寄りのない者ゆえ、養って育ててあげただけで御座います」
「何じゃと、そうであればわが妃を返してもらおうか、どこに居る?」
「あ、あの・・・実は、ま、真奈は旅に出てしまいました・・・記憶が戻ったとか申しまして、去って行きました。もう三月になります」
「な、何じゃと? 旅じゃと、三月前なら春先、いや、まだ冬ではないか?」
「はい、あれは睦月のことで、雪が吹雪いて寒い日で御座いました」
「汝れほざいたな、雪の降る季節にこの辺りで旅に出る者などおるものか。一体妃はどこにおる、申せ」
「あ、あの、皆目分かりません、本当で御座います、嘘など申しておりません」
磯砂は憤懣やるかたなく、三右衛門達を使って和奈左夫婦を執拗に折檻し、とうとうこの二人が真奈を雪のちらつく寒い日に、塵を掃き捨てるように追い出したことを白状させた。
怒った磯砂はその場で二人の首を自ら刎ねて、和奈左村の入口に晒させた。
刎ねた直後はまだ二十ぐらいにしか見えなかった二人は、晒した直後にみるみる頭が白くなり、体も縮んで皺だらけになった。
磯砂は娘の行方を調べさせたが、誰ひとり知らなかった。
(雪の降る中、山を歩いたとなれば、行き倒れになったか、獣の餌にでもなったことだろう。惜しい事をした・・)
と、磯砂は悔しがった。
一同は諦めて和奈左長者の全財産を奪って磯砂村に戻って行った。
この時磯砂はすこぶる後悔していた。和奈左夫婦でなくても誰かが酒の造り方を知っていると思っていたが、娘と和奈左夫婦しか知らないと聞いたからである。しかも娘の顔を知っている者もこの里には居なかった。
ともかく磯砂は与五が生きているという微かな望みを諦めきれず、三右衛門と五平を山に戻して与五の探索に当たらせた。




