第4話 白亜の城に潜む闇
光の国の王都。
その中心にそびえる白亜の城は、朝の陽光を浴びて眩いばかりに輝いている。
幾重にも重なる城壁の内側には、美しく手入れされた庭園が広がり、その奥には王族の暮らす宮殿が建っている。
倭国の西方に位置する光の国は、大小さまざまな国々を従える連合王国である。
各国には独自の統治が認められているものの、盟主たる光の国への納税と、有事の際の兵の提供が義務づけられていた。
王の命に背けば、反逆とみなされる。
かつては強大な軍事力によって諸国を従えてきた光の国だが、現在の王は争いを好まず、対話と融和を重んじていた。
その治世のもと、長く続いた戦乱は次第に収まり、人々は穏やかな暮らしを取り戻しつつあった。
だが、その平和を快く思わぬ者もいる。
そんな王宮の一室に、三人の男女が集まっていた。
玉座に腰掛けているのは、光の国第九十九代国王、火照尊。
穏やかな顔立ちには王としての威厳よりも、人のよさが滲み出ている。
隣には、艶やかな黒髪を持つ若い王妃、玉依。
そして二人の前に立つのは、王弟にして宰相を務める火遠理であった。
「火遠理よ、例の娘を連れてきたそうじゃな」
火照尊が、どこか落ち着かない様子で口を開いた。
「手荒な真似はしておらんじゃろの?」
「ええ、もちろんです。国賓として丁重にお迎えいたしました。ただ……」
「ただ?」
火遠理がわずかに眉を寄せる。
「道中、娘を奪おうとする輩に襲われましてな。護衛に当たっていた四神どもが怪我を……」
「なんじゃと!」
火照尊が身を乗り出した。
隣に座る玉依も、興味深そうに目を細める。
「一体どのような手練れじゃ?」
「なんでも、先の大戦で闇の英雄と恐れられた男だとか……名は確か……黒獅子」
「黒獅子……あの、百人斬りか!」
火照尊の顔から、さっと血の気が引いた。
「そ、それは誠か!?」
「間違いないかと」
「その男、とうに死んだと聞いておったがのぉ」
玉依が口元に手を添える。
火遠理は落ち着き払った様子で答えた。
「ですが、ご安心を。娘はすでに城へ到着しております。研究も滞りなく進んでおるとのこと」
「それは……何よりじゃ」
「これで兄王が倭国を統一なさる日も、そう遠くはありますまい」
火照尊の表情が、ぱっと明るくなった。
「長き戦乱の世も、ようやく終わるというものじゃな!ははは」
嬉しそうに何度も頷く。
その姿を、火遠理は黙って見つめていた。
兄は何も疑っていない。
自分が進めている研究の、その本当の目的さえも。
「とと様〜!」
突然、扉の向こうから元気な声が響いた。
返事を待つ間もなく、勢いよく扉が開く。
飛び込んできたのは、幼い少女だった。
長い黒髪を頭の上で結い、白を基調とした美しい衣をまとっている。額には太陽の印があり、幼いながらも気品を感じさせる顔立ちをしていた。
光の国の姫、咲耶である。
「とと様!」
咲耶は嬉しそうに駆け寄ると、父・火照尊に勢いよく抱きついた。
「おお、愛しい咲耶。相変わらず可愛いのぉ」
火照尊の顔がだらしなく緩む。
「……見苦しい」
玉依が冷たく言い放つ。
「……あ、義母さま」
その姿に気づいた咲耶は、慌てて火照尊から離れた。
「仮にも王女ともあろう者が、幼子のように振る舞うなど……お前のその行いで、亡き母の品位まで疑われるものぞ」
玉依は咲耶を見下ろし、嘲るように口元を歪めた。
「……申し訳ありません」
咲耶はしゅんと肩を落とした。
玉依は小さく鼻を鳴らした。
そんな娘を見て、火照尊が慌てて口を挟む。
「玉依、それくらいにしてやれ。元気なのはよいことじゃ。ところで、儂になんか用があるのではないか?」
「そうじゃ!とと様、青龍を知らぬか?」
「せ、青龍……?」
「遊ぶ約束をしておったのに、どこを探してもおらぬのじゃ!」
咲耶は頬を膨らませた。
「そ、そうなのか……う、うむ。青龍のやつ、けしからんのぉ」
「とと様……」
咲耶がじっと父の顔を見上げる。
「もしかして、また青龍たちに危険な任務を命じたのではあるまいな?」
「な……!」
火照尊の肩がびくりと跳ねた。
「わ、儂がそのようなことを命じるはずがなかろう!」
「誠か?」
「ま、誠じゃ!咲耶の悲しむようなことを儂がするわけなかろう!」
咲耶の疑わしげな視線に耐えきれず、火照尊は慌てて隣を向いた。
「そ、そうじゃ!火遠理なら知っておるじゃろ!のう、火遠理!」
「はっ?私ですか!?」
突然話を振られ、火遠理が珍しく言葉を詰まらせる。
「いや、それは、その……」
そのとき、扉の外から低く落ち着いた声が聞こえた。
「陛下」
「青龍!」
咲耶が嬉しそうに振り返る。
そこには、任務から戻った青龍の姿があった。
その後ろには、白虎、朱雀、玄武も控えている。
四人は火照尊の前まで進むと、揃って胡座をかき、深く頭を下げた。
「ただいま、戻りました」
咲耶はゆっくりと父の方へ顔を向け、疑いの眼差しでじっと見つめる。
「…………」
「う、うむ……皆の者、よくぞ戻った……」
火照尊は気まずそうに視線を逸らした。
青龍の頬には傷があり、肩の装束もところどころ裂けている。
後ろに控える白虎たちも同様だった。
「青龍……お主たち……怪我をしておるではないか!」
「この程度、ご心配には及びませぬ」
青龍は静かに答えた。
咲耶は青龍の前にしゃがみ込むと、その傷を覗き込んだ。
「ちゃんと手当てはしたのか?」
「はい。すでに処置は済ませております」
その言葉に、咲耶はようやく少しだけ安心したようだった。
すぐに父へ向き直る。
「とと様!!」
「き、急に大声を出すな……びっくりするではないか」
火照尊が椅子の上で飛び上がった。
「やはり危険な任務だったのではないのか!?」
「い、いや……それはだな……」
「兄王」
火遠理の冷たい声が、親子のやり取りを遮った。
「この機に、申し上げたき儀がございます」
「な、何じゃ?改まって」
火遠理は青龍たちを一瞥した。
「四神といえば、光の国を守護する武の象徴。それが揃いも揃って百人斬りごときにやられるとは……」
四人は反論することなく、黙って頭を下げている。
火遠理は呆れたように小さく息を吐くと、火照尊へ向き直った。
「やはり四神の制度そのものを考え直すべきではありませぬか?」
火遠理は厳しい表情を崩さず、言葉を続ける。
「このような体たらくでは、民も安心して暮らせますまい」
「じゃ、じゃがのぉ……」
火照尊が困ったように眉を下げる。
「ならぬ!」
突然、咲耶が声を上げた。
「青龍たちがどれだけこの国のために働いておるか、叔父上も存じておろう!」
火遠理は黙ったまま、咲耶に視線を向けた。
「青龍たちはいつも命がけで、わらわや民たちを守ってくれておる!」
咲耶は小さな身体で、火遠理を真っ直ぐ睨みつける。
「たとえ叔父上でも、青龍たちを悪く言うことは許さぬ!」
青龍がわずかに顔を上げた。
「……姫様」
「姫、お気持ちはわかります」
火遠理は咲耶の反論を封じるように、畳みかけた。
「……が、国の柱たる者が弱くては、民を、ましてや国を守ることなどできませぬ」
「弱くなどない!」
「此度!」
火遠理の鋭い一喝に、咲耶は思わず口をつぐんだ。
「建御雷がいなければ全員、命がなかった」
咲耶は反論できず、唇を噛みしめた。
火遠理はその隙を逃さず、再び兄へ向き直った。
「兄王。やはり、例の計画を進めるべきかと……」
「その話は後じゃ!」
珍しく、火照尊が強い声を上げた。
火遠理は口を閉じ、わずかに眉をひそめる。
「さ、皆疲れたであろう。下がって、ゆっくりと休むがよい」
「はっ」
四神は揃って頭を下げた。
火照尊は立ち上がると、咲耶の手を取った。
「咲耶。庭に新しい花が咲いたそうじゃ。一緒に見に行こうではないか」
「でも……」
「青龍たちも休ませねばのう」
咲耶は名残惜しそうに振り返った。
青龍が穏やかに微笑む。
「姫様。明日また」
「……約束じゃぞ?」
「はい。必ず」
ようやく咲耶は頷いた。
火照尊はほっとした様子で娘の手を引き、部屋を出ていった。
青龍たちもその後に続く。
やがて扉が閉まり、広い部屋には火遠理と玉依だけが残された。
「……脳無しが」
火遠理が吐き捨てる。
「聞こえるぞよ」
玉依が薄く笑った。
「聞こえたところで、あの男に何ができる」
火遠理は苛立たしげに鼻を鳴らすと、ゆっくりと玉座へ歩み寄る。
「王という地位に胡座をかき、平和だの民の幸せだのと綺麗事を並べるばかり。国を動かしているのが誰なのか、まるでわかっておらぬ」
火遠理はさも当然のように、火照尊が座っていた玉座に腰を下ろした。
「ふふ……じゃが、油断は禁物じゃ」
玉依はゆっくりと火遠理に歩み寄り、玉座に腰掛けるその肩に、しなやかに身を寄せた。
「そうやって相手を侮り、足元をすくわれた者を、わらわは大勢見てきた」
「何が言いたい?」
「念には念を入れてはどうじゃ?」
玉依は懐から小さな箱を取り出し、火遠理に差し出す。
黒漆の表面に奇妙な紋様が刻まれた、古びた小箱だった。
「……これは?」
「開けてみるがよい」
火遠理が蓋を開く。
中には、暗い紅色の光を放つ小さな欠片が収められていた。
まるで生き物の心臓のように、ゆっくりと脈打っている。
「……もしや」
火遠理の目が細くなった。
「荒魂」
玉依が静かにその名を口にする。
「これが……」
火遠理は箱の中を覗き込み、脈打つ欠片を食い入るように見つめた。
「先の大戦で滅びた八岐大蛇。その魂の欠片……手にした者に強大な力を授けるという呪物か」
玉依が微笑む。
「ただし、力なき者が使えば、その身を滅ぼす」
「光の国の王弟が……闇の力に頼るか」
火遠理は自嘲するように笑った。
「滑稽だな」
「力か、破滅か……優秀な其方なら、うまく使いこなせるのではないのかえ?」
玉依は妖しく微笑むと、火遠理の耳元にそっと唇を寄せた。
「火遠理……陛下殿」
しばしの沈黙。
やがて火遠理は箱の中へ手を伸ばした。
「……いいだろう」
荒魂を手に取る。
「その誘い、乗ってやる」
紅い光が、火遠理の指の隙間から漏れた。
「殿下」
扉の向こうから声がした。
入ってきたのは、長い白髭を蓄えた老人と、小さな少年だった。
少彦名命と、天。
天は相変わらず感情のない瞳で、ただ老人の後ろに立っている。
「少彦名命か。首尾はどうだ?」
火遠理が尋ねる。
「目論見どおりにございます」
少彦名命は恭しく頭を下げた。
「やはり、あの娘は狼の一族の血を色濃く受け継いでおりました」
少彦名命は顔を上げると、満足げに口元を緩めた。
「あの者こそ、我らが求めし最後の鍵でございましたわ」
「ということは……」
火遠理が身を乗り出す。
「百聞は一見にしかず。まずは、こちらをご覧あれ」
少彦名命が手を叩いた。
すると奥の扉が開き、光の国の兵士たちが数人の男を連れて入ってきた。
男たちは武器も鎧も取り上げられ、両手を後ろ手に鎖で拘束されている。
その姿を見て、火遠理が眉をひそめた。
「何なんだ、この汚い奴らは?」
「闇の国の捕虜でございます」
「臭い」
火遠理は露骨に顔をしかめた。
「しばらくのご辛抱を」
少彦名命は天へ視線を向けた。
「天」
少年が一歩前に出る。
「殺せ」
命令を受けた天は、無言で刀を抜いた。
一閃。
捕虜の一人が、声を上げる間もなく倒れた。
続けざまに二人、三人。
天は逃げることもできない捕虜たちを、何のためらいもなく斬り捨てていく。
最後の一人が膝から崩れ落ちた。
天は血のついた刀を軽く振り、何事もなかったように少彦名命のもとへ戻った。
「お確かめを」
火遠理は傍らに控える兵士に顎をしゃくった。
兵士は倒れた捕虜のそばにしゃがみ込み、首筋に指を当てる。
続いてほかの捕虜たちも確認すると、火遠理に向き直る。
「死んでおります」
兵士の報告を聞き、火遠理は少彦名命へ視線を戻した。
「それで?ただ斬り殺しただけではあるまい?」
「無論」
少彦名命は倒れた捕虜たちへ向き直った。
そして、両手で奇妙な印を結ぶ。
「魂を閉ざし、死を拒め。理を断ち、我が糸にて踊れ」
低い声が、部屋に響いた。
「ノウマク・サンマンダ、オン」
床に倒れた捕虜の指が、ぴくりと動いた。
一人。
また一人。
血を流し、息絶えたはずの捕虜たちが、ぎこちない動きで起き上がっていく。
そのとき、鎖が激しく鳴った。
捕虜の一人が、後ろ手に縛られた両腕を強引に広げる。
ガシャン!
鎖が引きちぎられ、床に落ちた。
ほかの捕虜たちも次々と拘束を破り、床に鎖を落としていく。
その目には、もはや生者の光はなかった。
「……なんと」
火遠理が息を呑む。
「これが、禁忌の術か」
「これだけではございませぬ」
少彦名命が軽く指を動かした。
すると、立ち尽くしていた捕虜たちが一斉に動き出した。
向かった先は、傍らに控えていた光の国の兵士たちである。
「な、何だ!?」
兵士の一人が慌てて刀を抜いた。
だが、捕虜は構わず間合いに踏み込むと、その腕を掴んだ。
「ぐあっ!」
骨の軋む音とともに兵士の身体が引き寄せられ、捕虜の拳が喉元に叩き込まれる。
兵士は声も出せずに崩れ落ちた。
「き、貴様ら!」
別の兵士が刀を突き出す。
刃は捕虜の胸を深々と貫いた。
しかし、捕虜は止まらない。
胸に刀を突き立てられたまま、兵士の首を両手で掴む。
「なっ……!」
鈍い音が響き、兵士の身体が力なく崩れ落ちた。
さらに別の捕虜が、腹を刺されながらも兵士を殴り倒す。
何度斬られようと、どれほど血を流そうと、その動きが止まることはない。
やがて、光の国の兵士たちは全員倒れ、血にまみれた捕虜たちだけが立ち尽くしていた。
「……ほぉ、これは……」
火遠理は目を細め、血にまみれた捕虜たちを食い入るように見つめた。
少彦名命は得意げに胸を張る。
「傀儡の法」
少彦名命は立ち尽くす捕虜たちを手で示し、説明を続けた。
「この術によって蘇った者は、生ける屍となり、痛みを感じず、恐怖も知らず、命じられるまま戦い続ける。斬られても死なぬ、操り人形にございます」
「おぞましい術じゃのぉ」
玉依は口元に笑みを浮かべたまま、傀儡たちを眺めていた。
「じゃが、死なぬ兵など、いざというときに手に負えなくなるのではないのかえ?」
少彦名命は自らのうなじを指差した。
「傀儡のうなじを破壊すれば、その命も尽きまする」
「なるほど……」
火遠理は傀儡たちの前をゆっくりと歩いた。
顔を覗き込んでも、何の反応もない。
恐怖も、怒りも、悲しみもない。
命令だけに従う傀儡。
「……素晴らしい」
火遠理の口元が吊り上がる。
「よくやったぞ、少彦名命!」
「ありがたき幸せ」
老人は深々と頭を下げた。
「すでに建御雷はこちら側についております。兵どもも、その大半が火遠理様に従う手筈」
「ふむ」
「残る厄介者は、四神のみ」
少彦名命がにやりと笑う。
「王と姫さえ亡き者にすれば、四神どもの大義名分はなくなり、この国は火遠理殿下のものにございまする」
火遠理は手の中の荒魂を見つめた。
闇の力。
死なぬ兵士。
そして、光の国最強の将軍。
「……ふふ」
小さな笑いが漏れる。
「ふふふ……ははははははは!」
やがてそれは、部屋中に響き渡る高笑いへと変わった。
「全ての駒が揃った!」
火遠理は両手を広げた。
「哀れな王よ!貴様の栄光もこれまでだ!」
その瞳には、もはや兄への敬意など欠片もない。
「今日からは、この俺が……この火遠理様が、この国を支配するのだ!」
「……おや?」
玉依がふと顔を上げた。
「どうした?」
「どうやら、ネズミが二匹ほど入り込んでおるようじゃ」
玉依の視線が、部屋の奥へと向けられた。
薄暗い柱の陰に、二つの人影が潜んでいる。
少彦名命が、無言で合図を送った。
途端に傀儡たちが動き出し、一斉に二人へ襲いかかった。
「避けろ!」
黒獅子の鋭い声が響き、二つの人影が柱の陰から飛び出した。
金太が咄嗟に身をかわす。
直後、傀儡の拳が背後の石柱に叩き込まれる。
ドゴッ!
鈍い音とともに石柱の表面が大きく抉れ、砕けた石片が辺りに飛び散った。
「柱が……マジかよ」
金太が体勢を立て直す。
その周囲を傀儡たちが取り囲む。
「警備の者どもは何をしておるか!」
火遠理が怒鳴った。
「ほっほっほ。ご安心召され」
少彦名命は愉快そうに笑みを浮かべた。
「わざと誘い込んだのでございますよ。この傀儡の相手として」
黒獅子は周囲を取り囲む傀儡たちを警戒しながら、静かに刀を抜いた。
「まんまと誘い込まれたというわけか……」
「……どうするよ?」
金太が黒獅子に問いかける。
少彦名命は二人の様子を眺め、愉快そうに目を細めた。
火遠理はそんな二人を一瞥すると、興味を失ったように背を向ける。
「さっさと片付けろ。目障りだ」
「御意」
火遠理は玉依を伴い、奥の扉へと消えていった。
部屋に残されたのは、黒獅子と金太。そして、二人を取り囲む傀儡たちと、少彦名命、天であった。
金太は傀儡たちを警戒しながら、一歩前へ踏み出す。
「やいっ、じじい!」
少彦名命に向かって刀を突きつける。
「盗んだもんを返しやがれ!」
「盗んだもの?」
少彦名命はわざとらしく首を傾げた。
「はて、何のことじゃ」
「とぼけんじゃねえ!あいつをどこへやった!」
「……ああ」
老人がぽんと手を打つ。
「この娘のことかのぉ?」
少彦名命が指を鳴らした。
奥の扉がゆっくりと開き、一人の少女が姿を現す。
銀色の髪に、薄汚れた着物。そして、腰には一振りの白い刀を差していた。
金太の顔がぱっと明るくなる。
「よかった!無事だったんだな!」
思わず駆け寄ろうとした金太の前に、黒獅子が腕を伸ばした。
「待て、金太」
「なんだよ」
黒獅子は少女から目を離さない。
「……様子がおかしい」
金太は改めて少女の顔を見た。
少女は何も答えず、ただ虚ろな瞳で二人を見つめている。
その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。
金太が眉をひそめる。
「どうしたんだよ。俺だ、金太だ!」
返事はない。
「……てめえ」
金太の視線が少彦名命へ向く。
「そいつに何しやがった!」
「さあのぉ」
老人は肩をすくめた。
「返して欲しければ、勝手に連れて帰るがよい」
そして、にやりと笑う。
「その娘が、帰りたがるならばな」
「……何言ってやがる」
金太が一歩踏み出した。
少女が地を蹴った。
鞘から白い刃が閃く。
「なっ!?」
白い刃が、金太の喉元へ迫る。
反射的に刀を構え、辛うじてその一撃を受け止めた。
甲高い金属音が響く。
「何すんだ!」
少女は答えない。
受け止められた刀を引くと、間髪入れずに次の斬撃を放った。
「くっ!」
金太が慌てて身を引く。
刃が鼻先をかすめた。
「やめろ!俺たちはお前を助けに来たんだぞ!」
だが、その声は届かない。
少女の瞳には、金太の姿が映っている。
それなのに、まるで金太を見ていないかのようだった。
「金太、下がれ!」
黒獅子が二人の間へ割って入った。
少女の刀を受け流し、そのまま金太を背後へ押しやる。
「こいつ、どうしちまったんだよ!」
「傀儡……ではなさそうじゃな」
黒獅子は少女の動きを見据えた。
「意識を奪われ、操られておるのかもしれん」
「そんな……」
金太は少女を見つめた。
あれほど必死に守ろうとしていた相手が、今は自分へ刃を向けている。
その事実が、何よりも胸に突き刺さった。
「ほっほっほ!」
少彦名命の笑い声が響く。
「さあ、存分に見せてもらおうではないか!」
少彦名命の声に応じ、傀儡たちが一斉に身構えた。
その前へ、天が静かに歩み出る。
少女もまた、手にした白い刀を静かに握り直した。
「わしの研究成果を!」
少彦名命の声を合図に、天と少女、そして傀儡たちが一斉に黒獅子と金太へ襲いかかる。
「金太!その娘を傷つけるな!」
「わかってる!」
金太は迫る少女の剣を弾き返した。
黒獅子の刀が閃き、傀儡の兵士が倒れる。
だが、倒れた兵士は再び起き上がった。
その背後から、天が音もなく斬り込んでくる。
黒獅子が刃を受け止める。
激しい金属音。
一方、金太の前には白い刀を構えた少女が立ちはだかっていた。
「……くそっ!」
斬るわけにはいかない。
だが、少女は容赦なく襲いかかってくる。
白い刃が閃いた。
金太は歯を食いしばり、その一撃を受け止める。
「頼むから……目ぇ覚ませ!」
その叫びも虚しく、少女は無表情のまま次の斬撃を繰り出した。
一方、黒獅子もまた、次々と襲いかかる傀儡たちを相手にしていた。
斬っても倒れぬ傀儡、そして天と少女。
「金太!」
傀儡の一撃をかわし、黒獅子が叫んだ。
「一旦退くぞ!」
「こいつはどうするんだ⁉︎」
黒獅子は迫りくる傀儡を蹴り飛ばし、不敵に笑った。
「儂に策がある」
そう言い放つと、黒獅子は眼前の傀儡めがけて刀を振り抜いた。




