最終話 プレパラートの中からひとめぼれしました
「あなたに会うために、わたしはここにきました!」
対物レンズ越しに合った目が今、わたしを直接見ている。
だって今のわたしは人間だから。
「わたしがいるのは、あなたのおかげ!」
あなたの瞳に惹かれて、わたしは人間になった。
「だから科学に意味はある!」
力強く言い切った。
でも彼は曖昧な表情のまま。
どうしよう。
彼が何を考えているのか、全く分からない。
なんとかしないと、という考えが頭の中をぐるぐるする。
そのとき、かみさまに言われたことを思い出した。
それは約束みたいなもの。
わたしの幸せを願って、かみさまは魔法をかけてくれた。
でも、ごめんなさい。
彼の幸せの方が、わたしにとって大事だから。
空き教室を見回した。
わたしたちのほかには誰もいない。
理科室に入る前みたいに、わたしは深呼吸してから話始める。
「わたしがきみにあった日になんて言ったかおぼえてる?」
「僕に、ですか…?」
わたしは頷く。
「『ミジンコだったときに、きみの目をみた!』って言ったよね!」
「…言いました」
「そして君は『科学的な観点からありえない』って言った!」
「…言いました」
小さく彼は呟く。
「でも、ミジンコだったわたしが人間としてここにいる!」
君が科学を信じたおかげ! と付け加えた。
堰を切ったように、わたしは話始める。
彼への思いがあふれていた。
「あなたの目を対物レンズから見たとき、小さな宇宙みたいだなって思った! 君の科学に向き合う真剣さは、わたしがミジンコだったときも、人間になった今もずっと感じてる!」
人間になってからちょっとしか一緒にいられなかったけど、と呟く。
「科学部の時間、ほんとうに楽しかった! 科学部がなくなるからって、科学はなくならない! でももし、科学が信じられなくなったら、生きてる意味がないって思っちゃったら…」
一呼吸置いてから、口にした。
「わたしのために生きて欲しい!」
教室にわたしの声が響く。
「ミジ子さんのために、ですか…?」
大きく頷く。
どうしようもないくらい、全身が熱い。
ドクドク鳴る心臓が、今わたしが生きている証。
あなたのために人間になったんだから、この心臓はあなたに捧げたい。
かみさまは言っていた。
告白すれば、魔法は解けるって。
だから、わたしは言わないといけない。
時間が止まったみたいな旧校舎。
歪んだガラスから差し込む光。
ふたりだけの空き教室。
涙が溢れるなか、わたしは口にした。
「プレパラートの中からひとめぼれしました!」
それとほぼ同時に、12時を知らせるチャイムが学校中に響いた。
わたしの身体はだんだん透けて泡になっていく。
「ミジ子さんっ!!」
彼はわたしに手を伸ばした。
でもそれは叶わなかった。
足元から泡が立ちのぼり、やがて身体をのみ込んで、最後には頭まで消えていった。
その直前、零れた涙が床に落ちた。
校舎に響くチャイムの余韻。
空き教室には僕しかいなかった。
泡は上へ昇って行ったはず。
慌てて僕は窓を開け、上を見上げる。
ありふれた春の空。
僕が見たのは幻なはずがない。
でも、科学的には絶対にあり得ない。
だからと言って否定することはできなかった。
床に視線を落とす。
そこに、一粒の涙があった。
ミジ子さんの、雫。
「やっぱり現実だよな…」
伝えたいことはたくさんあった。
でも、一つも伝えることはできずに彼女は消えてしまった。
「っっ…」
涙がとめどなく溢れる。
そよ風が頬に溜まった涙をさらって、床へ落とした。
床に落ちたミジ子さんの涙が、僕の涙と混ざって、少しだけ大きくなった。
『【二次創作】ミジ子の恋』 終。




