理性崩壊の危機
同じ場所は×。つまり唇のキスはもうできないのに!
ライルの端正な顔が近づき、私は本能で目を閉じ――。
「!」
唇ではない。
鼻の頭に「ちゅっ」とライルが可愛らしい音と共に、キスをしている。
まさか鼻の頭!?
「アイリの鼻は、顔の真ん中にちょこんとあって、とても愛らしいです。本当はパクッとしたいぐらいですが、我慢します」
またもライルの言葉にメロメロにされてしまう。
理性崩壊の危機は、私の方にあるのでは!?
必死に堪え、心臓は爆発しそうなのに、そんな素振りを見せずに。
「ありがとうございます、ライル。では私の番ですね」
すっと立ち上がり、ライルのサラサラの前髪に触れる。
プラチナブロンドの髪はシルクのような肌触り。
その前髪をすっと持ち上げ額へキスをした。
「ちゅっ」という可愛い音に、ライルが息を呑む様子が伝わって来る。
そのまま閉じられている左右の瞼にもキスをすると……。
「アイリ……」と甘々な声を出したライルが、私の背中に腕を回す。
でもその腕をゆっくりほどくと、トンとライルの肩を押した。
不意を突かれたライルが、そのままソファにもたれる。
膝をソファにつき、ライルの白い寝間着のボタンをはずす。
うるうるの瞳のライルがじっと私を見ていることに、鼓動が激しくなっているが、そんな様子はこれっぽっちも見せずに……。
ライルのデコルテは、男性らしく引き締まり、肌がピンと張っている。
その鎖骨にキスをして「きゅっ」とその肌を吸う。
「あっ……」
ライルが乙女のような声を出すので、またも私は悪者気分だ。
このままもっといろいろな場所にキスをして、ライルが悶絶する様子を見たくなるが、ルールの四回のキスは終わっている。
ソファから膝を下ろそうとすると、ライルが背もたれから上体を起こし、私をぎゅっと抱きしめた。
丁度私のお腹辺りに、ライルの顔が押し当てられ、もう心臓がドクドクと反応している。
サラサラのプラチナブロンドをゆったり撫で、その体を抱きしめたくなるが……。
「ライル、私、そろそろ休むわ。月のものの時は、眠くなってしまうの」
「えっ」という声を呑み込んだライルは名残惜しそうに、でもそこは自身を律し、ゆっくりと体を離す。
「アイリ、部屋に戻りますか?」
「いえ、この部屋はとても暖かいので、こちらで休みます」
「分かりました。これから歯を磨き、眠るための準備をされますよね」
その通りなのでこくりと頷くと。
「寝る準備が整うまで、一緒にいてもいいですか……」
こんな風に尋ねられ、「ダメです」なんて言えるわけがない!
それでも現在、焦れ焦れ作戦の最中。
「私が歯磨きする姿を見ても……退屈ではありませんか?」「ありません」
懸命な様子が堪らない程、可愛らしい!
結果としてライルは、私のことを後ろから抱きしめ、そうしている間に歯磨きをすることになった。
こんなに全身全霊で甘えてくれるのに。
なぜ高級娼館に足を運んだの……?
そこでふと気付いてしまう。
もしかすると高級娼館に足を運ぶのは、今回が初めてではないのかもしれない。
昔から通っている可能性は……。
兵士にしろ騎士にしろ。
戦場に出ることでアグレッシブになり、その熱を収めるため、女性を抱くことがある――そう聞いたことがある。
“野獣”と呼ばれる程、戦場で荒々しく戦闘しているのなら。
その熱は相当なものだろう。
戦場から戻っても、数日はその熱が残り、その発散のために高級娼館に足を運んでいたら……。馴染みの高級娼婦がいる可能性もある。
「アイリ、大丈夫ですか? 具合が悪いのでは?」
考え込み、歯磨きをする手が止まっていた。
私は否定の意味を込め、首を振ると、歯磨きを続ける。
馴染みの高級娼婦がいるなら、その体を気に入り、彼女以外は抱く気になれない。
そんな可能性も考えられる。
それでも結婚したのだ。
跡継ぎのことを考えると、白い結婚を長く続けるわけにもいかないと思っているのでは? なんとか私を抱けるようになろうと、こうやってスキンシップをとり、努力をしている……とか?
考え事をしながらなので、長々と歯磨きをしてしまったが。
ライルは「歯磨きの時間が長いのは大歓迎です」と、私と一緒にいられる時間が少しでも長くなることに喜んでいる。
そんな様子を見ると、ますます分からなくなってしまう。
ともかく。
焦れ焦れ作戦二日目。
間違いなくライルの気持ちは高まっている。
「アイリ、歯磨きも終わったのなら、ベッドまでは自分が連れて行きます」
そう言うとライルはひょいっと私を抱き上げる。
そのままベッドに運ばれ、下ろされると……。
きゅんと切ない気持ちになる。
このベッドは夫婦のためのものなのに。
ライルは一度もこのベッドに横になったことがない。
この大きすぎるベッドで休むのは……今日も私一人。
「ゆっくり休んでくださいね、アイリ」
そう言ってライルは祝福を込めた額へのキスをする。
その瞬間。
ライルも焦れ焦れなのだろうが、私だって焦れ焦れだ。
そして思いがけず、この焦れ焦れ状態が長引くことになるとは……この時の私は想像もしていなかった。