【閑話】月明かりもない夜は
次のお話が書けていないので、以前思いつくがままにメモしてた小話(ハロルド目線)を繋ぎに投稿します。
いつも以上に脈絡なく始まり終わります。そして趣味のかたまりのような話です。読み返しも一度しかしてないので誤字脱字あるかも知れません。海より広いお心をもって読んでいただけると幸いです。
それでも宜しければどうぞ!
新月の晩だけ、開く屋台があるんですよ。
そう柔和な笑顔を浮かべて教えてくれたのは行きつけの珈琲屋の店主である。その日も彼はいつも店で纏っている深緑のニットベストと同じく深緑の縁眼鏡を制服のように身につけて、沸かしたばかりの湯をドリッパーへと注いでいた。
「ヤタイ?」
「ご存知ないですか。祭りの時とかに出たりする……、そうですね、屋根付きの移動できるカウンターキッチンみたいなものですかね」
「フードストールか」
「えぇ、それに机と椅子が付いています。酒屋の主人が趣味でやられているのですが、もう、ツマミが、本当に絶品で」
酒屋ですから当然酒も美味いですよ、と笑顔を崩すことの少ない店主が恍惚とした表情で言う。常ならば夕方のこの時間に軽食を包んでもらい一人部屋で本でも読みながら摘むところであったが、そのように熱烈に推されれば気にならない訳がない。
そう、今宵こそ新月である。
「そのヤタイとやらはどこにあるんだ?」
前のめり気味に尋ねれば、ニヤリと悪戯っぽく店主は笑った。
一筋縄では行けませんよ、と前置きされたそのヤタイの主人は大層な臆病者らしい。
妖やら何やらの類をできるだけ遠ざけるべく妙な結界を張り、神酒とやらでその場を浄め、客も行き着くためには毎度違う道を辿り、当然一見さんはお断りの知己のみぞ用達できる店なのだそうだ。
珈琲屋の店主曰く、かの酒屋の主には既に一報済みということだ(自分に話す前から行く前提であるというのはいまいち腑に落ちない)が、問題はそこではなく。
(いくらなんでもやり過ぎだろう!)
珈琲屋を出て左に曲がり、右手に見える茅葺き屋根の家の門を潜り、裏手の塀の穴(人が屈んでようやく入れるほどのもの)を抜け、右手に立つ電柱を三本続けて脇を通り、何もない住宅街の道路のど真ん中で二度礼をする。そうすると左手にトンネルが現れるからそれを抜け、月が頭上に三つ浮かべば手順は成功。一本道を振り返らずに進むと屋台が見えてくる。……とか何とか。
人様の家の塀の穴を潜る時点で既に心は折れかけたのだが、電柱の脇がまた狭いことこの上ない。犬猫ならともかく人が通る道ではないことは確かだった。そうして次に行う礼もまた厄介で、会釈は当然却下。三十度、四十五度もダメ。最終的には誰にするのかも分からず直角まで腰を曲げて頭を下げれば、長い長いであろう出口が見えないトンネルが現れた。ここまで来たなら最早何がなんでも到着してやろうと意固地にもなる。あと、絶対文句をつけてやろうとも。
薄暗いトンネルの先にはススキ野原が一面に広がる原風景がそこにはあった。枯れススキがさらさらと音を奏でて導くままに、獣道のような道をかき分けて進むとようやく人の営む明かりが見えてくる。
「へい、らっしゃい!」
オレンジ色の灯りに誘われるように暖簾をめくれば、カウンター向こうにはやたらガタイのいい男が満面の笑みで立っていた。歳は三十前後だろうか。こちらはガウンコートを着込んでいるというのに、彼は白いワイシャツをはだけさせその上から黒のエプロンを羽織るだけというシンプルな佇まいだった。逞しすぎる胸筋を仕舞い込むにはサイズが合っていないのでは無いかと思う。ボディービルダーのような胸は非常に目立つが、下半身を包む黒のスラックスもピッチリで、短髪黒髪のオールバックと立派すぎる割れ顎がまた主人の雰囲気に合っていた。『臆病』と聞いていたのは、きっと何かの間違いだろう。こんな強面なのだ。そうに違いない。
ともかく、ようやく辿り着けた安堵と疲れで大きなため息は隠せなかった。この主人も見た目と反して人が良いのか「遠かったでしょう。すみませんね、お話はかねがね」と労いながら小鉢と温かい酒を差し出してくる。勧められるまま五つだけあるカウンター席の端に座って口に含めば、なるほど、あの舌の肥えた珈琲屋の店主が絶賛するのも分かる気がした。
「……美味いな」
「ありがとうございます」
「あのおかしな道を通ってくると、特に身に滲みる」
「それは、もう本当申し訳ない」
あまりにも恐縮そうに頭を下げるから、来店までに内心育てた毒はあっという間に抜かれてしまった。こんな大きな身体つきをしているのに、小さく丸まるように頭を下げてしまわれては怒るに怒れないものだ。見た目とは裏腹にやけに腰が低いものだと思う。まぁ、酒は旨いし、肴もまだ一品目だが上々である。次あの道を通りたいかと言われれば話は別だが今回この飯にありつけたのはそう悪くない。
喉越しにゆるりと酒を流しこんで、ほぅ、と着いた時とは違う安堵の息を吐いたのは紛れもなく気を抜いていたからだ。だから背後に忍び寄る影に気付かなかったのは間違いなく己の失態だが、これは相手も悪かったと思う。
「俺と来れば普通の道でも大丈夫だよー」
「げっ」
「ミッちゃん! いらっしゃい!」
「やぁやぁ、透くんひと月ぶりー。また逞しくなったんじゃない。むっきむきぃ」
君に会うのも久しぶりだねー、と何の断りもなく隣の席に丸い黒頭が当然のように座ってきて些かおよび腰となる。それに気付いたミッちゃんこと三彦は「まぁまぁまぁまぁ」なんて店主(透と呼ばれていた)から受け取った酒を俺に注いできた。
「酒の席では無礼講ってね」
「……いつも通りだろ」
「辛口だねぇ。まま、のんでのんで。今日は俺が奢ってあげるから。次飲む時はハルちんが出してくれれば」
「誰が “ハルちん” だ。てか次って何だ」
「ハロルドだからハルちんでしょー。良いじゃん、語り相手くらいなってよ。どうせ暇なんだから」
「暇じゃない」
「あ、透くん。あん肝と白子ポン酢二人前でー」
「あいよ!」
「聞けよ!」
聞いてるよー、なんて酒を煽りながら言われても全く説得力がない。大体酒は静かに呑むのが好きなのだ。こんな存在が騒がしい奴と共だなんて。
せっかく落ち着けたのにと頭を抱えれば、そんなに気負わないでさ、と三彦は空のグラスにとくとくとまた酒を注いで言った。
「最近話し相手が減っちゃってさ。まぁ慈善事業だと思って付き合ってよ。道案内が得意なのは本当だから、ここに来るのには苦労させないし、せいぜい新月の晩だけさ」
「……」
「それに、君を揶揄うの、本当楽しいし」
「おい」
「透くん、キツネコロッケも追加で」
「あいよ!」
「だから聞けよ!」
けらけらと声をあげて童顔の男は本当に楽しそうに笑っていた。何がそんなに面白いのか全く理解できない。が、確かに酒も肴も間違いなく旨い。
人の心を掴むにはまず胃袋からですよ。そう言っていたのは珈琲屋の店主だったか。まだ胃袋だけだ、と言い訳にもならない理屈を無理矢理捏ねて、今後定期的に開催されるであろう晩餐会を頭に浮かべる。
ひと月に一度の夜、ぼんやりとオレンジの灯りを道に照らし、酒と肴の香りが拡がる。暖簾をくぐって席に座り、ちびちびと口に運びながらたわいも無い会話を投げ合う。
そこまで悪くは無さそうな光景に知らず口元は緩んでいた。それを見ていた店主は強面の顔を崩し嬉しそうに笑みを深める。
そう、今宵こそ新月。まだ夜は長い。
いつもご覧いただきありがとうございます! 本話が今年最後の更新です。
今年はあまり思うように活動できず、正直やり残したことが大量にある一年でした。が、まぁそんな年もあるよね、と相変わらず呑気に構えています。
そんな亀のような更新の中でもお付き合いいただき本当にありがとうございます。あたたかいお言葉にいつも感謝の涙いっぱいです。
言葉だけでお礼を伝え切れないのがもどかしい……!
さて、今後の活動についてです。
私事のご報告にはなりますが、ひと月内に出産を控えております。そのため3〜4ヶ月ほど活動は休止する予定です。……と言っても、今年は投稿したりしなかったりと不定期マイペース上等!と開き直っていた感じだったので今まで通りっちゃ今まで通り(笑)
様子を見てまたのんびり活動を再開したく思います。相変わらずぐだぐだで恐縮ですが、忘れた頃に現れると思うので、その時はまたお付き合いいただけると嬉しく思います。
それでは、本年は大変お世話になりました。
どうぞ来年も宜しくお願い致します。
良いお年をお迎えください!