断罪探偵・感想戦
ヒロインちゃん寄りの三人称になります
婚約破棄騒ぎがあった日の放課後。
セルティは学長室のドアをノックしていた。
「セルティ・オスビエルです」
「入りたまえ」
学長の返事を聞いて、ドアを開ける。
「失礼します」
学長室には二人の人物がいた。
応接用の椅子の一つに、魔術系教職員のフード付きローブを着た男性が座り、その斜め後方に執事のように学長が控えている。
──知らない人物。学長より立場が上。学院所属の魔術師で、さらに言えば加護持ちの自分を見て立ち上がらない。基本的に非礼だが、あるとすれば高位神官か自分と同じ加護持ち。
「初めまして、オスビエル男爵が一女、セルティと申します。賢者スレイマン様にお会いできまして幸甚に存じます」
賢者スレイマン。四百年前に学院の母体である世界初の魔術大学を創設し、現代の魔術文明の基礎を打ち立てた。
その功績によってか晩年に【不老】の加護を授かり、今でも、表舞台には出ないものの学院理事長として隠然たる影響力を持つと言われている。
「さすがですな、思考が速い。此度の事件を速やかに解決されたのもむべなるかな。
試すような真似をいたしたこと、お詫びいたします」
立ち上がって礼をとるスレイマンを、セルティは慌てて制止した。
「いえいえ、とんでもないことです!
今日は一生徒として、あの騒動のことで怒られに来ましたので、加護持ちではなく生徒として扱ってください」
言いながら後ろに立つ学長に目で問うた。
『なんでこんな凄い人がいるの?』
学長が目で答えた気がした。
『どうだ我らが理事長は偉大であろう』
……駄目だ全然答えになってない。
「ならばそのように。
君を呼び出したのは指導するためではなく、いくつか、そう三つほど聞きたいことがあったからだ。それに功労者として、事件の顛末について知りたいことがあれば答えよう。
長い話になるやも知れぬゆえ、座るがいい」
「はい」
向かい合う椅子に座る。
「こうやって複数の加護持ちが対面するのは珍しい……。
セルティ君は加護持ちだが、神殿に入って聖女を目指すのかね?」
「いえいえ〜。
その打診は受けましたけど、あたしは禁欲的な集団生活とか無理ですし、お断りしました」
「なるほど。私も昔神殿に所属して聖人認定を受けるよう勧められたが、市井で学問を続けることを選んだ口だ。
……さて本題に入るが、今回の件について改めて礼を言う。君の加護と素早い推理によって、グラスト殿下をお護りすることができた。
高度な政治的問題が絡むゆえ公式な発表は行われないが、君と男爵家には王家から然るべき褒賞が贈られるだろう」
「結局、表沙汰にはせずに終わるんですか?
王族への傷害事件なんて大事件なんだから、世界中に言っていいと思うんですけど」
「帝国皇帝は野心的なお方だ。下手に追い詰めると、逆に王国への開戦に踏み切りかねない。
それよりは、沈黙と皇子の身柄と引き換えに、なにがしかの利益を得ておいた方が賢明だ。
実のところ、例の突き落とし事件の後から、帝国と王国は協議を行って落とし所を探っていたのだよ。
私も詳細は知らぬが、帝国軍は再編成を行って規模を縮小し、その分王国に物資を供給するとか、そういったあたりに落ち着くのではないかな。こちらでも魔物の活性化は問題になっているからありがたい限りだ」
「そうですか。でも、前もってトゥーリス先生を通して許可はもらってましたけど、本当に良かったんでしょうか。
あたしと殿下たちの不名誉を払拭したくて、みんなの前で結構洗いざらいしゃべっちゃいましたけど」
「なに、捜査当初から聞いていた推理がそのまま述べられていただけであるし、結論から言ってそれは正しかった。こちらもアスラーン君の指示の下、シャミール君が実行したという証拠を揃えているから、帝国としても抗議はできない。
ただ一応の決着がついたといっても、やはり国王陛下はお怒りだそうでな、学院内の生徒たちの起こした騒ぎは帝国へのささやかな意趣返しというわけだ。
他の国への情報提供にもなる。何ら問題ない」
「アスラーン殿下とシャミール様はどうなるんですか? 殿下は廃嫡とか、まさか二人とも粛正されちゃうとか……」
「王国と取引してまで身柄を引き取ろうとしたのだ、いきなり失脚はあるまい。今回の失点で次代皇帝の座はいささか遠ざかったであろうが……。
だがヴィエリア君やグラスト君にまた何かしでかせば、次はない。
そうそう、学院に帝国使者がアスラーン君たちを迎えに来ておってな。二人とも退学し、そのまま帰国する予定だ」
王族に対してグラスト君アスラーン君って。
まあまだ生徒だから、先生方から見れば君づけでいいのか。マジですげえな学院の権威。
「つまり、帝国との取引が終わったから、犯人と断定された時から実は帝国への人質状態になってたお二方を解放してあげたと。
外部の情報が入らない全寮制学院にいたお二方は、それに気づかなかったと」
「ありていに言えばその通り」
「なるほど。だいたいの顛末は分かりました……。
そう言えば、あたしに何かご質問がおありでしたっけ? 三つほど」
「そうであったな。まず一つ目の質問だ。
学院内に、グラスト君以外に毒に侵されている者はいなかったか?」
一瞬無表情になったセルティだが、即座に驚きと困惑の表情を浮かべた。
「えっと、どういうことですか? 他にいないから、毒を盛ったルートが分からないという話でしたよね?」
「昼休みの婚約破棄騒ぎの際、私は野次馬に混ざってその場にいたのだが」
いたのかよ。フットワーク軽いな四百歳。
「気が付きませんでした」
「このローブを着た教員は多いうえ、フードを被れば誰やら分からぬからな。
ともかく君がその時言ったのは『殿下と行動を共にしているご学友たちに、毒の反応がなかった』ということだ。それ以外の全ての生徒や教職員に対しての発言ではない」
「よく憶えておいでですね」
「記憶力があるのが取り柄でな」
いや賢者なんだから他にも取り柄あるだろ。
「犯人は長期間にわたって毒を扱っており、どれほど気をつけても曝露する危険がある。
そして知っての通り、貴族の毒は神聖魔法で解毒しても体内に蓄積して消滅することはないから、君の加護によって感知される可能性がある。
つまりだ。グラスト君以外に貴族の毒に侵されている者が学院内にいれば、それは毒を扱う側の者、すなわち犯人である」
「なるほど〜、それはそうかもですね。でもそんなに都合良くいきますか?」
「無論、取り扱いが完璧で、犯人が一切毒を摂取していない可能性もある。
だが、この可能性について今まで君が言及したことがないというのが解せない。
君は毒に関する加護を授かるほどそれに精通している。自分でも武器に塗って使用するほどだ、使う側が毒を浴びる可能性に思い至らないはずがない」
「それは──」
セルティが何か言おうとするのを手で制止する。
「先程から君は、私の質問に対して『そうだ』『違う』という断定をしない。疑問や『かもしれない』といった曖昧な言葉で返している。
何故だろう? いや、私も加護持ちだから見当はつく」
賢者は、セルティをあらためて真っ直ぐに見た。
「君はこの事件において隠したいことがある。だが、加護で得た情報を偽ることはできない。
正確には可能だが、明らかな嘘をつけば神に加護の悪用と見做される可能性が高い。だから実行はできない。
加護を悪用すれば、加護を失うのだから」
セルティが、椅子の中でみじろぎをした。
「……理事長は質問があるとおっしゃいましたが、実際には質問に対する答えを既に色々お持ちのようですね。
よろしければ、ひと通り聞かせていただいても?」
賢者スレイマンが、学長の方を振り向いてほほえんだ。
「落ち着いたものだ。ほら、セルティ君は決して取り乱したりはしないと言ったろう?」
「彼女を追い詰めるような言動はつつしんでいただきたいと学長として申しましたが、理事長のなさることに過ちはないものと確信してはおりました」
「それを阿諛追従でなく本心から言うのはいかがなものか……すまない、話を続けて良いだろうか、セルティ君?」
「どうぞ。この程度で焦っていては、ダンジョンで生き残れませんから。
そうですね、何か疑問や訂正するところがあれば発言しますけど、基本あたしは黙っているということでよろしいですか?」
「男爵令嬢の判断の基準がダンジョンというのもいかがなものか……さよう、それならば迂闊に偽りの発言をして加護を失う事態は避けられよう。話を続ける。
まず最初に不思議だったのは、グラスト君の手に付着した毒の位置だ。
右手の親指、人差し指、中指の先、そして親指と人差し指の間の股。推理によるとロッカーを開ける時に付いたというが、はたして指の股に付着するほど深くロッカーの持ち手をつかむものだろうか。
さらに言えば、その日は入学式で上級生は授業がなかった。年度の初日に、文房具を保管するロッカーに何の用があったというのか」
「……」
賢者スレイマンは自分の目の前に右手を上げ、広げて見せた。
「それに毒の付き方。この位置を見れば、まず思いつくのは……ペンを持つ手つきだ。
ペン軸に毒物が塗ってあり、それで書き物をしたなら、指にこのような跡が残る」
「ちょっと待ってください。
実際にはロッカーに毒が塗ってあったじゃないですか?」
「それは君が看破した通り、犯人ことシャミール君がアスラーン君の指示で行ったことに違いない。
ただ君も昼休みに指摘したことだが、ロッカーは毒を塗っても掃除によって定期的に拭き取られる。何度も塗り直す必要があるが、人目につきやすい場所だからそう毎日というわけにはいくまい。
入学式の日は授業がないからリスクが低いとみて行っただろうが、他に方法があるならそれも実行しておくに越したことはない。
すなわち、グラスト君のペンに毒を塗って使わせる」
「でも各自の文房具はちゃんと自分で管理していて、毒を塗る機会はないという話でしたよね」
「生徒の文房具に関して言えば、その通り。だがグラスト君には、それ以外のペンを使用する機会がある。
生徒会だ。
生徒会室には役員各自の席と筆記具が備えられているが、部屋に鍵がかかるだけで備品の管理は緩いのが実状だ。
また入学式の日は生徒会役員は皆出席するから、その前後に生徒会室で書類仕事をするのは自然な流れだ。そこでペンを使ったのだろう」
「……」
「では、どのようにして生徒会室のペン軸に毒を塗ったか?
まず生徒会室に入れなければ話にならない。
驚くべきことに、この学院の生徒会室の鍵はその年の執行部役員に一つずつ与えられ、役員六人にしか開けられない。もちろん他の鍵のように本人確認機能付きで、錠は当該六人の魔力紋にのみ反応する。まあ使えば術式を壊す例の合鍵もあるが……。
何故教員が普通に開けられない部屋などがあるのか……一体誰の責任だ」
「理事長です。生徒の自主性を重んじるべしとのお言葉でした」
うやうやしく学長が答えた。
「そうだったかな。歳はとりたくないものだ」
この人絶対、都合の悪いことは歳のせいにして乗り切るタイプだ。
「ともあれ、このお陰で容疑者は限られる。役員は六名。
うち被害者であるグラスト君は除外、ゾリアス君、タリオス君、サーベイ君はグラスト君の自室に招かれて入る機会がある。
ヴィエリア君は婚約者である関係上、学内外で飲食を共にする機会が多い。彼らには生徒会室を利用する動機に欠ける」
「お言葉ですが。
他に方法がありそうだからといって、やらなかったという保証はないですよね。皆様普通に容疑者と考えるべきです」
「いかにも。そこで注目すべきは君の言動だ。
君は入学式に参加した生徒会役員の六人を見ている。グラスト君の行動範囲に生徒会があることも無論承知している。だが君は、推理を述べるときに生徒会について語らなかった。
それどころかおそらく君は一度も生徒会室に行ったことがない。それは役員の一人、ヤスミン君の『入学式の翌日から生徒会室に一度も来なかったのはなぜか』という発言から察せられる。
捜査のためには当然足を運ぶべきだったのに、何故そうしなかったのか。
何故なら君は入学式以降のかなり早い段階で、現場に行くまでもなく生徒会室のペンに毒が塗られていると推理していたからだ。
だが自分でそれを確認したくなかった。もし毒を見つけて、それを誰かに尋ねられたら正直に答えなくてはならないから。
そうそう、指の股という不自然な位置に毒が付着していたことを正直に言わざるを得なかったのもそのせいだ。言わなければ、加護が失われる恐れがある」
「……」
「さて、推理しているのに確認したくないとはどういうことか。例えば誰かを庇うためか?
実のところ、ヴィエリア君やグラスト君の学友たちが犯人であれば、君に庇う動機はない。お互い何の因縁もない人物であるし、相手が高位貴族だからといって遠慮する君でもあるまい。
残る一人、ヤスミン君。彼女は平民の生徒だ。それは所作を見るなり在学生に聞くなりすれば分かる。
その彼女の体内に貴族の毒が蓄積していたなら。入学式でそれを見て、彼女がペンをすり替えた犯人だと気づけば、それは庇うに値する」
「突っ込みどころが二つあります。
まず、平民のヤスミン先輩では毒を入手できないし、殿下を害する動機もありません」
「彼女にはない。だが彼女は帝国国民だ。アスラーン君かシャミール君、実行者はおそらく後者だろうが、同国の貴族に頼まれれば断れない。
生徒会室の備品は全て購買部で買える。グラスト君のペンの種類を教え、シャミール君から毒を塗ったそれを渡されてこっそり交換するように言われれば、平民である彼女の立場では実行するしかない」
「……もう一つ。もし本当にヤスミン先輩がペンのすり替えの実行犯なら、どうしてあたしが庇ってあげるんですか」
「彼女がすり替えの実行犯であれば、騙されたか金品などで頼まれたか、何にせよ従犯に違いない。本人には動機がないのだから。
だが事は王族への傷害事件、いや貴族の毒は死に至るから殺人未遂になるか、ともあれ王国への反逆罪に問われる」
「それってやっぱり死刑ですか」
「基本的にはその通り。
主犯に騙された、知らずに手を貸したと立証されれば投獄ののち恩赦もあり得るが、それにしたところで後の人生は狂うであろう。王族への殺害未遂のレッテルを貼られる訳だから」
「ヤスミン先輩だけでなくて、そのご家族も」
「さよう。ご家族は帝国におられるわけだが、それでも王国への反逆者を出した一族として肩身は狭くなろう。庇いたくなるのも道理ではないかね?」
セルティはため息をついて、頭を抱えた。
「ああ、もう、完全に読まれてる……ちょっ……ええ〜!?」
「私の言ったことに誤りはないかね」
「完全に当たってます。そこまで何もかもお分かりだったら、あたしなんて要らなかったんじゃ?」
「そのようなことはない。そもそも君の加護がなければ事件は発覚しなかった上に、突き落とし事件を誘発してくれたお陰でヤスミン君の存在に触れずにアスラーン君を告発できた。
私はただ、君の言ったことと言わなかったことから逆算して、君の推理を後追いしただけだ」
「そういうの、『だけ』って言います?」
「歳をとると新しいことは思いつけんが、経験ばかり積んだせいか人の思考をトレースする能力は身についてな」
やっぱり他にも取り柄あるじゃん。
「つまりこれまでの経緯をまとめると、君は入学式で生徒会長のグラスト君を見て、毒を盛られていることに気づいた。
同時に会計のヤスミン君も、同じだがより少量の毒に侵されていた」
「その時点では、ヤスミン先輩が犯人なのか殿下のペンに偶然触れた被害者か分かりませんでした。
それでグラスト殿下に接触して、医務室の先生に報告する前に生徒会についてお聞きしました。
生徒会では各自専用のペンを使うことから偶然触れたわけではない、つまり彼女がすり替え犯、それも平民であることから何者かに命じられた従犯だと推理しました」
「なるほど。だか彼女が従犯だとしても、多額の金銭などで買収され、自分の意思で行ったのかもしれん。
ならばさほど同情の余地はないが?」
「ヤスミン先輩は、殿下ほどではありませんがそれなりに毒が蓄積していました。ペンに毒が塗ってあることを知らずに、継続的に素手ですり替えていたということです。
後でシャミール様を見た時、彼の毒の蓄積はヤスミン先輩以下でした。彼は、毒のことを隠してペンのすり替えを頼んでいたんです。自分はちゃんと対策してから毒を塗っていたくせに。
それに、これは冒険者時代の経験則ですけど、貴族が平民に何かさせる時、そんなちゃんとした説明はしません。まして王子に毒を盛るから手伝ってなんて正直に言うわけがありません」
「実は今日、ヤスミン君が医務室に運び込まれた後に、私は彼女に実際に会ってペンのすり替えについて質問した」
「え、マジで? なんておっしゃってました?」
セルティの言葉使いに学長がじろりと睨むが、スレイマンは気にした風もなく答えた。
「彼女はシャミール君に頼まれたと答えてくれた。
なんでも帝国貴族子女にはグラスト君のファンが多いと。彼女らのために、グラスト君の使用済みペンがたくさん欲しいからこっそり交換して自分に渡していって欲しいと。バイト代は渡すから」
「どんだけ適当な口実なんですか……」
「貴族にはマニアックな女性が多いと思いながら、無償でこっそり交換してやっていたそうだ。
口止めもされていたが、ばれては仕方ないごめんなさいとのことだった」
「え、まともに信じたんだ……。でも、それでも、警察に知られたら逮捕されるんですよね」
「そうだ」
「反逆罪で死刑か懲役なんですよね。訳のわからないお手伝いをしただけなのに。王族の起こした犯罪に巻き込まれただけなのに」
「いかにもその通り」
「それってふざけてません? なんで彼女の人生だけ滅茶苦茶にされるんですか? 彼女のご家族もです。
犯人たちは国同士の取り引きでのうのうと生きているくせに。
ヤスミン先輩はそんな目にあうためにこの学院に来たんじゃない。自分と家族の将来のために勉強しに来たんです」
セルティの声は冷静だったが、瞳は真摯な怒りに輝いていた。無辜の人間が理不尽に踏みにじられることへの怒り。
「だからグラスト君に協力を頼んだ?
二つ目の質問だ。警察が捜索を行った際、ロッカーの取手に彼の手形と指紋が着いていた。
君がやらせたのか?」
「そうです。入学式の日にシャミールが毒を塗ってくれていたのは本当にラッキーでした。そう、あんな奴らは呼び捨てで充分です。
あの日に殿下と接触してヴィエリア様と別れた後、殿下に自分の推理を話してから、毒を塗ってあるロッカーを開けるようお願いしました。
ロッカーを開けて殿下の指紋と手形を付けて、そこから毒が付いたとなれば、生徒会室の存在から目を逸らすことができます。
そうしないとヤスミン先輩が破滅してしまう。彼女を助けるためには、毒のルートがロッカーだけだと警察に思わせなくてはならない。そのために今、毒の付いているロッカーの取手に触れてください。あたしの共犯になってください。そうでないならあたしは殿下に協力しません。学院も辞める、男爵家の養子縁組も解消する、冒険者に戻ってどこまでも王国から逃げてやると脅しました」
「……彼は、うんと言ったのだね。毒が塗ってあると分かっている扉を素手でつかんで開けたのだね。ヤスミン君のために。そして犯人を捕らえるために」
「そうです。殿下には厳しい要求でした。実行犯の一人を見逃せと、そのためにもう一度毒に触れろと頼んだんですから。
殿下の指にはすでにペンの毒が付いていたんですけど、でも普通嫌ですよね。でも頼みました。
できることなら、せめてあたしの手で代わりにロッカーを開ける跡を付けたかったんですけど、殿下ご本人の手の跡を残す必要がありましたから」
スレイマンは無言でうなずいた。
感情のうかがえない顔だったが、無表情というより長い人生を経た果ての深い静けさがあった。
「人は加護持ちの行動は全て正しいと思いがちだが、そうではない。誤りを犯しても加護が保たれる場合もあるし、あるいは時間が経ってから不意に失われることもある」
「加護はあれば便利ですけど、別に失っても構いません。
あたしはこんな性格ですから、遅かれ早かれ加護はなくなると思ってます。ヤスミン先輩が捕まらずに事件が解決する、その時まで持ちこたえればそれで御の字です。
あ、別に先輩が好きとか仲良くなりたいとかそういう話じゃないんです。他人に巻き込まれただけの人の人生が滅茶苦茶にされるのが我慢できないんです。ただそれだけ」
スレイマンはうなずいた。
「あい分かった。私は、君の推理を改めて聞きたかっただけだ。
実のところ、私の気持ちも君のそれと大して変わるところはない。ヤスミン君の話は外に洩らすつもりは一切ない」
「……マジですか?」
「マジだ。毒を盛った方法はロッカーの扉のみと警察でも結論づけられている。もはや彼女の存在を表沙汰にする必要はない」
「いや、学院側がそうしていただけると嬉しいですけど……。
ただ、アスラーンたちがヤスミン先輩のことを言っちゃうんじゃないかという心配はあるんですよね」
「それこそメリットがない。自分たちが平民の少女を利用したなど、不名誉でしかあるまい。
よしんばそのような世迷い言を言ったところで、彼女が関与したなど何の証拠もない」
「証拠がない?」
「そういえば、君は生徒会室に一度も行かなかったのだな。
入学式の日の夜、警察と君がロッカー室を捜索している間に生徒会室に行って、ペン軸とペン立てを全部新品と交換し、古いものは全て処分した。さらに念のために、今日の午後の授業中にもう一度交換しておいた。
だからヤスミン君の犯行はもう立証できない」
「おいっっ!? 賢者のくせにさらっと証拠隠滅すんなよ!? しかも行動が早いわ!」
ついに本音が声に出てしまった。
「君が入学式の日にトゥーリス教諭に語った推理から、私は生徒会室のペンに目をつけていた。
その翌日は男子寮に警察が入っていたので出来なかったが、その翌日の授業中にアスラーン君とシャミール君の自室に合鍵で入った。
案の定、貴族の毒やら帝国との通信文やらを発見したから魔道具で記録しておいて、突き落とし事件の後に王宮に提出した。それが先ほど言った動かぬ証拠だ」
「え待ってちょっと待って、合鍵を使うと鍵は壊れるんですよね? アスラーンたちに即バレですよね?」
「壊れるといっても術式部分だけだ。あれを製作したのは私だから、私が改めて術式を付与し直せば元通りだ。なに、大した手間ではない。
生徒会室の鍵もしかり」
「めっちゃ力技だな! エレガントなトリックとか期待したのに!
でも、どうしてアスラーンたちを疑ったんです?」
「やはり国際情勢だな。王子に何か仕掛けてくるならまず帝国だ。
もし違っていたなら、順次他の容疑者の自室を捜索していく予定だった」
「すっごいゴリ押しだった……でも勝手にガサ入れって法律的にアウトじゃ?」
「生徒は入学時に、風紀上の問題が起きれば本人の許可なく寮の部屋を教員が捜索できるという同意書にサインしている。
適用するのは初めてだったが、法律上問題はない」
「あ〜、そうでしたっけ? 書類に色々サインしたからうろ覚えです……。
アスラーンも、まさか王族の自分がそれをやられるとは思ってなかったでしょうね」
「ヤスミン君には、貴族社会にその話が広まると厄介だから、グラスト君の使用済みペンのことは誰にも言わずにおきなさいと言っておいた。彼女の口から漏れることはないだろう。
彼女の毒もトゥーリス教諭が治癒しておいた。一件落着だな」
「一件落着ですね。アスラーンの奴も罪がバレたしヴィエリア様に言葉で滅多斬りにされたし、ざまぁですよね。
よく考えたらヴィエリア様を止める必要なかったなぁ」
「彼なりにヴィエリア君を愛してはいたのだろうがね。
挫折は若いうちに経験しておいた方がいい。歳を重ねてからだと立ち直れない」
「それってあたしにもおっしゃってます? ちょっと頭が切れるからってあんまり調子乗るなよって」
スレイマンは微笑んだだけで、それには答えなかった。
「まぁでもあたし、学院辞めようかなって思ってるんですよね。
今回だいぶやらかしましたし、それで男爵家から放逐されても不思議じゃないし、殿下の件は一件落着ですし。冒険者に戻ってもいい頃合いかなぁって」
スレイマンはゆっくりかぶりを振る。
「それは感心しないな。貴族にとどまるにせよ市井に戻るにせよ、学問は修めておいた方がいい。知は力なり、だ」
「それはそうなんですけど。今回のことで貴族社会にあたしの居場所はなくなったでしょう?
加護もなくなれば男爵家にとっても用済みですよ。学院にいられないんじゃないかなぁ」
「なるほど君は奇矯な振る舞いをしたが、同時に頭が切れるという評価も広まったはずだ。それに毒を見破る加護というものが、貴族社会でどれだけ有用であることか。
私の経験から言わせてもらえれば、加護に執着しない人間はそう簡単に加護を失わない。よしんば失ったとしても、オスビエル男爵は君の才能を手放したくはないだろう……まあ男爵やご両親とよく相談しなさい。
私からは以上だ。下がってよろしい」
「はい。失礼します」
セルティは席を立った。扉に向かったところでふと立ち止まって振り返る。
「そうでした。スレイマン様、あたしに三つ目の質問があったのでは?」
「そうだった。
どうして婚約破棄騒ぎを起こしたのか?
生徒たちの耳目を集めたければ、最初から皆の前で事件の話だけすれば良かったろうに。理由が分からない」
セルティの顔に苦笑いが浮かんだ。
「あれはですねぇ、験担ぎです」
「験担ぎ?」
「あたし、実はアスラーンを告発する時、すっごいびびってたんですよ。
あたしの推理が間違ってたら? あたしのせいでグラスト殿下とヴィエリア様が別れてしまったら?
──ここではないどこかには、婚約破棄ものっていう物語があるんです。
そのお話では、一組の婚約者たちが皆の前で婚約破棄騒ぎを起こすと、男の恋人やら女を慕っていた別の男やらが加わって、最後には悪い人は断罪されて好きあっている人たちは結ばれる。そんなお話です。
ここが物語の世界でないことは分かってます。
でも、そんな終わり方になって欲しいなあって思って、その物語をなぞりました。それだけなんです。
それでは今度こそ、失礼いたします」
自身の予想に反して、その後セルティ・オスビエルは男爵家から放り出されることなく、また加護を失うこともなく学院を卒業。
件の公爵令嬢ヴィエリアに気に入られ、友誼を深めつつ他の事件に巻き込まれたり解決したりするのだが、それはまた別の話である。
様々な婚約破棄ものを読みながら、「この嫌がらせをやったやらないというやり取りから、ガチな推理に発展しないかな」という願望と妄想から生まれたお話です。
この小説を読んでいただけたなら、これにまさる喜びはありません。ありがとうございました。




