もしもの話
私は探偵さんの夢を見ていた。
いつもと同じように事務所で探偵さんとのんびりとしている夢。
現実と違うのは、彼女と私が恋人同士だということだ。
『大好きだよ、探偵さん』
『あたしも、愛しているよ』
探偵さんはそういって、私の頭を優しくなでる。それが心地よくて、つい抱き付いて甘えてしまう。
『でも……』
心地よい手が、私から離される。
『君は別に、あたしでなくてもいいんだろう?』
パシャ、と水のようにはじけて、探偵さんが消える。
『探偵さん……?』
声は果ての見えない闇の中に吸い込まれて消えてしまう。誰にも、どこにも届かない。
『どうして彼女を呼ぶんですか、先輩』
レイさんが私を抱きしめて、耳元でささやく。
『彼女でなくても構わないじゃないですか。私もあなたを理解できますよ? それに……』
煙のように彼女は消えてしまう。
『探偵ちゃんだって、あなたでなくても構わない』
ケイさんのその手には、探偵さんが……。
「それって、考える必要があるんですか?」
それでなくてはなくてはいけない理由、夢に対してそれがあるかどうかを聞いたところ、レイさんは呆れた声でそう言った。
「だって、他の事でも代用できるかもしれないのに、苦しんでまでしがみつく理由なんてあるのかなって……」
「知りません。これでも大丈夫だから、なんて言われて、はいそうですかって納得できるならその程度ってことでしょう」
レイさんが苛立っているのがわかる。しかしだからと言って私に答えが出せるわけでもない。
「その程度って……そんな言い方……」
「なら、なんて言ってほしいんですか。本気だからつらいよね、苦しいよね、私にもわかるよ、ですか」
「……」
「ふざけないでください。そんな言葉で何とかなるんですか。なら、その程度なんて言葉ももったいないですよ」
荒々しく勉強道具を片付けて、レイさんは立ち上がる。
「代用できるとかできないとか、関係ありません。私が考えるとしたら、諦めることが自分にできるかどうかだけです」
もう話したくないということなのだろう、レイさんは図書館の戸を開けて去っていく。
「諦めて平気なら、悩んだりしないよ……」
レイさんもケイさんも、きっと探偵さんも私よりも先に行っている。私がしてきたことなど、探偵さんの優しさに甘えて辛いことから目を背けてきただけではないか。
もう逃げるわけにはいかない。逃げてしてしまえば、私は彼女の隣に一生立てない、対等にはなれないだろうから。
彼女の細くて長い指が好き。その指が入れてくれる紅茶が好き。考え事をするときに口元を手で覆う癖が好き。言葉に出さないけれど、私を心配してくれるところが好き。
事務所で紅茶を入れてくれる探偵さんを待ちながら、ぼんやりと考えてみる。
好きなところなんて、いくらでもあげられる気がした。たぶん同じくらいに嫌いなところも浮かべることができる。
それだけ探偵さんの事を見てきたと誇れる。でも、その中できっと探偵さんでなくてはなければいけない理由なんてなくて。きっと他の人でもできてしまうようなことで。
(だからって、納得できるわけじゃないけど……)
かちゃりと音がして、紅茶が私の前におかれる。
顔を上げると探偵さんが怪訝な表情でこちらを見ていた。
「どうかしたか? 妙に元気がないようだけど」
真剣な目で見つめられて、しかしまさかあなたでなくてはいけないのか悩んでいます、なんて私に言えるはずもない。
「んー。別に何でもないよー。探偵さんが今日もかわいいなーって考えてただけー」
「……なら、いいんだけど」
めずらしいことに探偵さんはコーヒーに砂糖を入れてかき混ぜている。いつもは何もいれない、ブラックしか飲まないのだ。
「でも、もし何かに悩んでいて、誰にも相談できず、答えも出せないなら、少しばかり考え方を変えてみるといい」
「考え方……?」
「情報がそろっているのに答えが出ないというのなら、問題自体が間違っているか……さもなくば、答えが出ているのにそれに気づいてないかのどっちかだ」
淡々と何でもないことのように話しているけれど、私を心配してくれているのがよくわかる。それだけで心の中がなぜだか温かくて、少しだけ苦しい。
きっと、だからだろう。少しだけ意地の悪いことを彼女に聞きたくなったのは。
「もしも……もしもだよ、私がもうここに来れなくなったらさ、探偵さんはどう思うかな」
「どうって……理由にもよるけど、君が自分の意志で選んだことなら、あたしは祝福するほかにないだろうさ」
唇を少しとんがらせて、私から目線を外す。これは探偵さんが自分の本心を隠している証拠だ。
「違うよ、そうじゃなくて……。そういうの全部抜きにして、私がいなくなることに対して、探偵さんはどんな風に思うのか、教えて……」
私はよほど必死だったのか、少なくとも探偵さんにはそう見えたのだろう。彼女は目を閉じて、こめかみに手を当てる。
言葉に出しにくいことを言う時の癖だと、私はそう知っている。
「……そりゃ、寂しいさ」
「でも私のかわりも、すぐにできるんじゃないかな……」
この答えは聞きたくない。知りたくはあるけれど、恐ろしい。
「さあな。でも、君がいなくなった時にはあたしはきっと寂しいし……たぶん、悲しい」
探偵さんの一言がうれしくて、心地よい。それはもう、涙を流してしまいそうなほどに。
苦しくて、胸が締め付けられるような思いがして、それなのにこんなにも失いたくないと思える。
きっとこれが恋なのだ。この気持ちをなくしてしまえば、たとえかわりがどこかにあるとしても私はきっと泣いてしまうに違いない。
コーヒーを飲んだ探偵さんは眉をしかめて、首を傾けた。