第三話 去りゆく者達
新首相ヌルポトリクステラによるアクオの統治が始まって、一ヶ月が経った。
その間、新首相は国からの税制優遇措置が失効した穴を埋めるべく、あろうことか亜人への重税という形で安易な増税を断行しようとした。
この不当な決定に猛然と反対を挙げたのは、ドワーフの熟練鍛冶師オルグを頼って集まっていた職人たちや、ルルの呼びかけに応じた妖精族、そして多くの亜人冒険者たちだった。
ドワーフたちは自衛軍の貴重な武具や装備の生産を一手に担い、妖精族はアクオの名産品である魔導麦酒の醸造に欠かせない清らかな魔力を提供していた。
さらに、冒険者ギルドを見渡しても、強固な前衛を務めるドワーフ、精霊魔術で攻撃や支援をこなすエルフ、迷宮探索には必須となる斥候職のハーフリングなど、亜人たちの貢献度は計り知れない。
アクオの発展を底辺で支えてきた彼らは、あからさまで差別的な重税に失望し、一斉にアクオ、ひいてはオーエス国全土からの退去を決意した。
旅立つ彼らは、一様にルーカスの邸へと挨拶に訪れた。
誰もが「差別のない国へ行く」と告げ、別れ際に「先に行って待っているよ」という、どこか謎めいた言葉を書き残して去っていった。
一人、また一人と、ルーカスの元を訪れては去っていく亜人たち。
彼らの背中を見送るたびに、ルーカスの胸にはぽっかりと大きな穴が開いたような、深い喪失感が広がっていった。
◆
だが、事態はそれだけに留まらず、さらに最悪な方向へと転がり落ちていく。
新首相ヌルポトリクステラは、ルーカスが残した十三箱分もの引き継ぎ資料に全く目を通さず、実務のすべてを各大臣や省庁へ丸投げにしていたのだ。
その結果、これまでアクオと交易を行っていた他領の貴族や商人、果ては近隣諸国との間で深刻な外交摩擦が頻発。
長年築き上げてきた信用をわずか数週間で失墜させ、アクオの経済は瞬く間に大停滞へと陥った。
当然、議会では与野党を問わず激しい追及の声が上がったが、ヌルポトリクステラは傲慢な態度で責任逃れの発言を終始繰り返し、挙句の果てには「前首相であるルーカス侯爵の残した資料が不十分だったせいだ」と、恥知らずな責任転嫁を始めたのである。
かつてルーカスが首相時代に創設した情報報道機関は、この一連の醜態をオーエス国内だけでなく、すぐさま諸外国へと広く発信した。
さらに、複数の議員から「前首相は書類箱にして十三箱もの緻密な資料を残していた」という確実な証言を掴んだ報道陣は、昼夜を問わずヌルポトリクステラを追跡し、鋭い質問を浴びせ続けた。
追い詰められたヌルポトリクステラは、最終手段として、あろうことか報道の自由を制限し、批判的な言論を禁じる悪法を独断で制定してしまったのだ。
これに対し、野党は猛反発。
「民の知る権利を不当に阻害する暴挙である」
と痛烈に断罪した。
しかし、権力に目が眩んだヌルポトリクステラは、
「現政権への批判は、国家に対する反逆である!」
と言い放ち、自身の周囲を従順な民だけで固め、完全な独裁体制を敷いた。
──この暴挙に対し、ついに動いたのは自衛軍だった。
国の治安を守るべき軍がクーデターを起こし、瞬く間に議事堂を占拠。
ヌルポトリクステラによる独裁政権は、誕生からわずか一ヶ月あまりで呆気なく崩壊した。
ヌルポトリクステラは軍法会議の末に処刑されることとなったが、彼は最期の瞬間まで「私は悪くない、悪いのは全て周りだ」
と見苦しく叫び続けたという。
こうして独裁から解放されたアクオの街では、かつてのルーカス政権の安定を懐かしむ声が溢れるとともに、不穏な空気を察して潔く権力の座から身を引いたルーカスの清廉潔白さが、改めて高く評価されることとなった。
◆
そんな混乱の最中、かつて国の政を支えた三賢者メルキオール、バルタザール、カスパールの三人が、極秘裏にルーカス邸を訪れていた。
「ルーカス殿。頼む、もう一度アクオの舵取りに戻ってきてはくれまいか」
メルキオールが沈痛な面持ちで請えば、バルタザールもそれに続く。
「貴殿ほど、私欲を持たぬ清廉な者はいないのだ」
「どうか、首相の座へ再任していただきたい」
カスパールも頭を下げたが、ルーカスは静かに首を横に振った。
「一度最高権力者の座を退いた者が、国家の危機を理由に再びその座に就く──。それは、将来的に『都合のいい独裁者』を再登板させるための、法的な抜け道を作ることになります。私が首相の任期を最長五年と定めたのは、まさにそれを防ぐための措置なのです」
毅然としたルーカスの返答に、メルキオールが焦燥をにじませる。
「しかし、貴殿の遺した三権分立という仕組みをもってしても、今回のような暴挙を防げなかった。新たな、より強固な制度が必要なのだ」
「いいえ、防げたからこそ、現にクーデターが起き、独裁者は処刑されたのです。法を無視して好き勝手に振る舞えばどうなるかという、これ以上ない教訓と前例ができた。むしろ、民主主義の歴史としては正しいプロセスを踏んだと言えます」
すると、その場に偶然居合わせたセマフォ王太子が、深く頷きながら言葉を添えた。
「ルーカス卿の言う通りだ。今回の事件を歴史の教科書に深く刻み、民たちに主権者としての責任と、選挙の重要性を説く最高の教材とすれば良い。それこそが真の教訓だ」
この賢者たちとの対話は、活動を再開した報道機関によって大々的に報じられ、諸外国の統治体制にまで多大な影響を及ぼしていくことになるのだが、それはまだ、少し先の未来の物語である。
少なくとも現在のアクオにおいては、ルーカスの再登板を望む声が鳴り止まなかったが、彼はその全てを断固として拒否し続けた。
(せっかく綺麗に幕を引いたんだ。ここで未練がましく表舞台に戻ったら、あの引き際の実績が全て無意味になってしまうからな)
そう心に決め、静かに隠遁生活を貫いた。
その後、アクオでは自衛軍による暫定的な統治がしばらく続いたが、軍の厳正な監視のもと、再び上下両院の総選挙が執筆された。
開票の結果、驚くべきことに全体の三十%近くが「ルーカス」と書かれた無効票だったというが、それでも何とか新たな議会が発足。
新首相として、実直な人柄で知られるガットが選出された。
ガット首相は速やかに新内閣を組織し、各省庁の長官を任命。
全閣僚を挙げてルーカスが遺した十三箱の書類を熟読し、適切な政務を行おうと血の滲むような努力を重ねた。
しかし、前政権が一度地に落とした国の信用と信頼を取り戻すことは容易ではなく、彼らは大いなる苦戦を強いられることになる。
◆
その頃、世間の喧騒から完全に離れたルーカスは、学院の地下深くに存在する迷宮へと足を運んでいた。
そこにある超古代文明の遺跡で、彼は一人、発掘と調査に没頭していたのだ。
魔力探知を駆使して最下層の書架を調べていた異変、ルーカスは壁面に巧妙に隠された隠し扉を発見する。
慎重にその奥へと足を踏み入れると、そこは埃ひとつない密室だった。
中央には見慣れぬ意匠の新たな書棚、そして部屋の最奥には、かつて見たものよりも遥かに厳かな叡智の座が鎮座していた。
ルーカスがその座へと腰を下ろすと、頭の中に膨大な思念が流れ込んでくる。
そこには、燦然たる繁栄を誇った超古代文明が、なぜ忽然と姿を消し、滅亡に至ったのかという真実が記録されていた。
結論から言えば、この場所はかつて世界を脅かした世界を滅ぼす術式──『禁呪』の脅威から身を守るために造られた、最果ての避難所だった。
始まりは、一人の狂える独裁者が禁呪を行使し、隣国へと侵略を開始したこと。
それが引き金となり、抑止力の均衡が崩壊。
世界中に禁呪の報復合戦という名の世界大戦が伝播し、結果として文明そのものが自滅の道を辿ったのだという。
そして、生き残った先人たちは、後世に誕生するであろう新たな文明が同じ過ちを繰り返さないよう、魔法や神聖術の術式に、威力減衰コード:Λ(ラムダ)を強制的に組み込み、出力を制限した状態で技術を後世へと伝達したのだ。
(なるほど、これでΛコードが組み込まれた原因は分かった。……だとしたら、あの制限を解除するΦ(ファイ)コードは、一体誰が何のために作ったんだ……?)
新たな謎に眉をひそめながら周囲を見回した時、ルーカスはあるものに目を留めた。
書架の陰に寄り添うようにして、砂にまみれたボロボロの衣服が床に横たわっていた。
衣服の隙間から溢れているサラサラとした砂──それは、遥かなる年月の流れの中で、人の遺骸が完全に風化し、砂へと還元された姿だった。
周囲をいくら探しても、遺骸らしきものはこの一体分しか存在しない。
おそらく、彼か彼女こそがこの避難所の最後の生存者であり、孤独の中でこの歴史の記録を遺したのだろう。
永遠とも思える静寂と孤独の中で、一体どんな想いで最期の瞬間を迎えたのか。
遠い過去の先人に思いを馳せた瞬間、ルーカスの脳裏にさらなる衝撃的な事実が流れ込んできた。
──『現在、後世において古代人(ハイ=ヒューマン)と呼ばれる種族は、我が文明の純血なる生存者である』
「っ……!」
ルーカスの背筋に、ゾクりとした冷たい戦慄が走った。
自身やルビィは、超古代文明の生き残りの血脈というわけではない。
彼の場合、この世界ローゲストへと強制的に転生させられる際、理不尽な神々へのささやかな意趣返しとして、種族一覧の中から適当に名前の響きだけで選んだに過ぎないのだ。
そしてルビィは、ルーカスが選んだ種族に合わせるという主神の慈悲によって、同じ種族へと新生しただけだった。
現在、このローゲストの人間社会において、古代人の生存はおろか、明確な足跡すら残されていない。
(ひょっとしたら……人間社会ではなく、魔族領になら、まだ生き残りがいるかもしれない。──って、俺は一体何を考えているんだ)
雑念を振り払うように頭を振ると、ルーカスは隠し書架にある全ての貴重な書籍を魔導空間へと収納し、地上への帰路につこうとした。
しかし、魔族領という言葉を意識した瞬間、あの内戦で、魔王エルドゥが語っていた妖しい警告が、走馬灯のように脳裏に蘇ってきた。
『人間という生き物は、己の理解を超える異質な者を激しく排斥したがる性質を持つ。ルーカスよ、人間どもはいずれ、その規格外の力を持つ汝らを恐れ、排除しようとするだろう。今お主の目の前にある、醜い亜人差別が良い例じゃ。故に、そうなる前に我が魔界へ来いと誘っておるのじゃよ』
『現に、歴史の表舞台から排斥され、消えていった高潔な亜人や、異世界からの転生者や転移者たちが、その後どこへ向かったか知っておるか?』
『──皆、我が魔王領へと集まり、今は何に怯えることもなく平和に暮らしておるわ』
『いずれ嫌でも分かる時が来る。汝と汝の伴侶がどれほど崇高な聖人、聖女であろうとも、愚かな大衆は決してそれを受け入れぬ』
次々と耳の奥で再生される魔王の言葉。
そして、重税に苦しみ、「先に行って待っている」と言い残してアクオを去っていったドワーフや妖精たちの寂しげな笑顔。
「俺は……俺たちは一体、どうすればいいんだ」
ぽつりと漏らした掠れた呟きに答えてくれる者は、その暗い地下空間には誰もいなかった。
◆
地上へと帰還したルーカスは、その足でセマフォ王太子の元へと向かった。
そして、地下迷宮の隠し書架から発見された超古代文明の遺物と、世界が滅亡に至った真実の歴史を、一切の偽りなく伝えた。
威力減衰コードΛの正体についても詳細に報告したが、未だ謎に包まれているΦコードの存在については、今後の共同研究の課題とすることに決めた。
その後、書架から回収した貴重な書籍の原典は、すべてオーエス国の国家宝物庫へと納められた。
もちろん、ルーカスの手によって複製と解析は完全に済ませてある。
セマフォ王太子と別れ、ようやく侯爵邸へと戻ってきたルーカスを待っていたのは、邸の門前を埋め尽くす報道陣の容赦ない大群だった。
差し向けられる無数の拡声魔導具。
浴びせられる質問は、独裁者ヌルポトリクステラが処刑されたことに対する前首相としての見解、そしてこの一ヶ月間、ルーカス自身が何をしていたのかという点に集中していた。
「独裁政権が自衛軍によって打倒され、その後、公正な手続きによって再び民の選挙が実施されたのであれば、この国には健全な自浄作用が働いたのだと確信しています」
ルーカスは毅然と答え、自身の動向についても包み隠さず明かした。
「私が何をしていたかですが、地下遺跡で超古代文明の発掘調査を行っていました」
「何か具体的な成果はあったのですか!?」
記者の鋭い追及に、ルーカスは真っ直ぐにレンズを見据えて答えた。
「かつて存在した偉大なる文明は、一人の独裁者が禁呪を使用したことをきっかけに、報復の連鎖が始まり、最終的に滅亡しました。……私たちは今一度、歴史の教訓を学び、二度と独裁者を生まぬよう、一人一人がその責任を肝に銘じるべきです」
その理路整然としたありきたりながらも重い警告は、魔導通信網を通じて全世界へと一斉に配信された。
──そしてその映像は、海を越え、遠く離れた魔王領の玉座の間にも、確かに届いていたのだった。
【 読者の皆様へお願い 】
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
下記の【ブックマーク登録】や、
評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、
毎日の執筆の大きな大きな励みになります!いただいた星とブクマの数が、
物語を完結まで引っ張る原動力になります。




