第十話 真の楽園
神界での壮大な宴の後――。
心地よく酔いつぶれたゼクティス様やルミナリア様を介抱しながら、俺はふと気になっていた疑問をエルビィに投げかけた。
「エルビィ。愛の女神として覚醒したら、天竜八部衆の皆も神の領域へと至ると言っていたよね」
「ええ、言ったわね」
「それじゃあ、ルビィは特別な融合などをしなくても、いずれ神の領域に至れたんじゃないのかな?」
「それが……そうもいかなかったのよ」
「と言うと?」
「魔王……ううん、魔神のままでは、どれだけ時を重ねても永久に魔神のままなの。神という存在は、本来不変のものだから」
「ああ、なるほど……」
「だからこそ、神でも人でもいい……誰か他者と融合し、存在そのものを変質させる必要があったの」
「それが、ルビィだった……と?」
「ええ。彼女は狂おしいまでに、貴方を好いていたわ。……私もね」
「だから、融合を選んだんだね」
「ええ。ルビィ自身もそれを切望していたし、あの時、彼女は死の淵にいたの。ルビィを救うには、私と融合してひとつになるのが最善の選択だった」
「そっか」
「……私を恨んでいる?」
「いや。あの極限状態なら、それが最善だったと分かっているさ」
「そう……」
「ただ、どうしても君の口から直接聞きたかったんだ。それだけだよ、エルビィ」
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。
だが、それはお互いの存在を感じ合える、とても温かく心地よい沈黙だった。
「……楽園界に戻ったら、天竜八部衆の皆も呼んで、もう一度宴をやろう」
「何を祝うの?」
「天界、楽園界、人界……三界に本当の平和が訪れたことを祝ってさ」
「あら、とても素敵ね」
「まあ、人界の平穏はこれから少しずつ作っていくことになるけれど」
「それも、何世代も時を重ねていけば……いつか必ず差別なんて無くなるわ」
「そうだね、エルビィ。……まあ、人間の戦そのものが無くなることはないだろうけど」
「どうして?」
「愛と戦を司る女神となった君なら、分かるだろう? 人の欲望には際限がない」
「ええ……欲という業が存在する限り、争いが途絶えることはないわね」
「だけど、欲があるからこそ人は進歩もする。すべてが悪というわけじゃないさ」
「もし今度、どこかで戦が起こったら……貴方はどうするの?」
「どうもしないさ。もし楽園界に火の粉が降りかかるようなら、それを静かに振り払うだけだよ」
「……楽園界、か」
「どうかしたの、エルビィ?」
「いえ……人界に『魔界が無くなった』という事実が知れ渡れば、悪意に対する抑止力が機能しなくなるんじゃないかと思って」
「それなら、人界に対しては楽園界の存在を伏せておくかい?」
「ええ、それが一番かもしれないわね」
「じゃあ……もうしばらく魔王の真似事を続ける?」
「それは、絶対に嫌ね」
「ふふっ、じゃあ新しく『虚構の魔界』を作るかい?」
「どこに?」
「人界の最北端……誰も近づかない極寒の果てに」
「誰が魔王を演じるの?」
「誰も演じないさ。『そこに恐ろしい魔界がある』という体で強固な結界だけを張り、中は空っぽにしておくんだ」
「概念としての魔界を作る、ということ?」
「そう、平たく言えばね。侵略者や悪意を持つ者たちに、恐怖という抑止力だけを植え付けられればそれでいい」
「そうね……そうすれば、誰も無駄な泥をかぶらずに済むわね」
「ああ。楽園界はこれまで通り、理不尽に世界から追放された者たちの温かい受け入れ先として機能すればいい」
「もし、理不尽な理由じゃない悪人が流れてきたら?」
「その時は、何も存在しない極寒の地に送るか、人界にそのまま放置するかさ」
「ふふっ、そうね」
二人が語り合う声を、酔いつぶれたフリをしていたゼクティスとルミナリアは、薄目を開けて静かに聞いていた。
『……わしらが口を挟む必要は、もう無さそうじゃな』
『そうね。あとの事は若い二柱に任せて、私達はすっぱり隠居しましょう』
『隠居とは……少し早すぎはしないかの?』
『いいえ。これからは、あの子たちの時代よ』
『……そうじゃな。エルビィ、ルーカス。後を頼んだぞ』
『それじゃあ、もう少しだけ酔ったフリを続けましょうか』
◆
ゼクティス様とルミナリア様の介抱を無事に終えた後、ルーカスとエルビィは天界を静かに後にし、住み慣れた楽園界へと戻ってきた。
「八部衆の皆はどこへ行ったのかな?」
「待っていたわよ、主役の二柱さん」
城の回廊から姿を現したのは、ガイ姐さんだった。
「ガイ姐さん! どうしてここに? 天界で酔いつぶれていたんじゃ……?」
「失礼ねぇ。私は豊穣と大地の神よ? お酒なんて、雨が乾いた大地に染み込むみたいにいくらでも入るわ」
「……さすがですね」
「神界の極上のお酒を、楽園界の皆にも振舞ってあげたくて持ち帰ってきたのよ」
「それで、皆は?」
「もうすっかり出来上がって、気持ちよさそうに寝そべっているわ」
ガイ姐さんが指さした庭園の方向を見ると、天竜八部衆の面々が見事に酔いつぶれて転がっていた。
「そういうルーカスちゃんとエルビィちゃんは、全然酔っていないみたいだけど……飲まなかったの?」
「いえ、飲んでいますよ。ただ、俺とエルビィは聖人と聖女の加護を持っているので、あらゆる毒や状態異常が無効化されてしまって、酔うことができないんです」
「まあ、それはちょっと不便なのかしらねぇ」
「いえ、いつ不測の事態が起きても対応できますから」
「本当に堅物なんだから」
「ふふっ、そこが良いのよ、ガイ姐さん。……ところでルーカス、あの時の約束、忘れていないでしょうね?」
「すべてが片付いたら……っていう、あの約束かい?」
「そうよ! さあ旦那様、もう邪魔者は誰もいませんわ! ガイ姐さん、また後でね!」
言うが早いか、エルビィはルーカスの腕を強引に引っ張り、城の奥へと引きずっていく。
「ちょっと、エルビィ……っ!?」
そして、二人の新婚の寝室の扉が閉まった途端――。
「さあ旦那様! 世界の理も書き換えたことですし、これで私たちの間を邪魔するルールは何もなくなりましたね♪ 朝までたっぷり、私に愛を刻み込んでもらいますわよ❤」
「いや、エルビィ……それはいくら何でも限度というか……っ!」
「ダメよ、途中で逃げ出すなんて認めません❤」
「あーれー!(世界の理を書き換える力をもってしても、エルビィの激しい愛だけは書き換えられない……!)」
こうして、世界は今日も平和に、そして正常に回り続けるのだった。
Fin.
長い様で短い期間、本作を読んで頂き、ありがとうございました!
これにて、ルーカスの物語は終わります。
そして次作ですが、現在鋭意執筆中です。
今度は、女の子が主人公の物語です。
近況報告で、たまに進捗状況を報告させて頂きます。
宜しくお願い致します。
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