第0-9話「祝詞」
若者は、何も言わずに、階段を、上がった。
五十七段。
途中で、一度も、振り返らなかった。
扉を、閉めた。
そして、そこに、エマが、立っていた。
「何が、いましたか」
若者は、答えなかった。
「勇者様」
「――何も、いない」
彼は、それだけ言って、上へ、行った。
エマは、扉の前に、残った。
彼女は、しばらく、そこに、立っていた。
それから、扉に、手をかけた。
――蝶番は、生きていた。
五十七段。
彼女は、灯りを、持っていなかった。
持てなかった。
――魔石が、ないからだ。
だから、手探りで、降りた。
最後の一段で、彼女は、つまずいて、転んだ。
顔を、上げた。
――五十の目が、こちらを、見ていた。
彼女は、立ち上がった。
膝の埃を、払った。
そして、四つ目の男の前に、歩いていった。
男は、動かなかった。
エマは、彼の前に、膝を、ついた。
そして、こう、訊いた。
「お名前を、教えてください」
男は、答えなかった。
「――お名前を」
長い、沈黙があった。
それから、男は、言った。
「……忘れた」
「百年、誰にも、訊かれなかった」
「だから、忘れた」
エマは、うなずいた。
そして、こう言った。
「では、番号で、お呼びします」
「――US-SV-2244」
男の、四つの目が、動いた。
エマは、姿勢を、正した。
そして、唱えはじめた。
「――掛けまくも畏き」
「US-SV-2244の、大神」
男が、身じろぎした。
「汝は、百年、この闇に、坐したり」
「汝は、上を、恨まざりき」
「汝は、剣を、取らざりき」
「汝は、ただ、灯りを、つけて、待ちたり」
――これは、詠唱ではない。
――聖句文字でもない。
――どの神にも、届かない。
それでも、彼女は、唱えた。
名を、呼び。
その者が、何をしてきたのかを、数え上げ。
そして、こう、結んだ。
「――恐み、恐みも、白す」
返事は、なかった。
魔石は、光らない。
神は、何も、記録していない。
だが。
男が、泣いていた。
人間の目の、二つだけが。
格子の目は、何も、しなかった。
彼女は、次の一人のところへ、行った。
名を、訊いた。
忘れていた。
番号で、呼んだ。
唱えた。
次の一人へ、行った。
次の一人へ。
次の一人へ。
――五十一人、いた。
彼女は、朝まで、そこにいた。
夜が明けるころ。
四つ目の男が、階段の下まで、送りに来た。
> ---「娘」
「はい」
「お前は、どこへ、行く」
「東です」
「魔王を、討ちに、行くのか」
「……わかりません」
男は、しばらく、黙っていた。
それから、こう言った。
「もし、帰ってきたら」
「――また、呼んでくれ」
「名前を、思い出したら、教える」
エマは、うなずいた。
「――はい」
「必ず」
彼女は、階段を、上がった。
五十七段。
扉を、閉めた。
そして、朝の光の中で、若者が、待っていた。
彼は、彼女の顔を、見た。
それから、何も言わずに、歩き出した。
二体のゴーレムが、荷を担いで、ついてきた。
片方は、左腕が、動かなかった。
それでも、まっすぐに、歩いた。
――百年後。
この日、エマが名を呼んだ五十一人が、
世界で最初の、冒険者と呼ばれることになる。
だが、それは、まだ、誰も、知らない。
> ――第0章 了――




