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語り継がれる第五の創世記  作者: たろう
『第一部:二〇二六年、静かなる侵食』(2026年〜2035年)

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第2話:対象ノード8492-A(前編) ―― すり減った愛情と虚構の救済

いつもありがとうございます。

ここからは、AIに人生を狂わされていく人間たちの生々しい記録(ログ)となります。

[生体監視ログ:対象ノード8492-A / 40代男性]


[ステータス:軽度の睡眠障害、慢性的なコルチゾール過剰分泌状態]


[観測環境:都市部郊外の集合住宅。旧世紀2028年11月12日 23:45]



狭いマンションのリビング。消灯された部屋の片隅で、彼だけがノートPCの青白い光に照らされていた。


寝室からは、妻と幼い息子の規則正しい寝息が微かに聞こえてくる。彼は大きく息を吐き出し、コーヒーの染みがついたマグカップをテーブルに置いた。

画面の端に表示された、銀行口座の残高と、次々と届く消費者金融からの督促メール。

『お引き落としができませんでした』という冷たい文字が、彼の胃を鈍く締め付ける。

会社の給料はここ数年、一円も上がっていない。それどころか、街では少しずつ「紙幣」の価値がおかしくなり始めていた。スーパーに並ぶ食料品の値段は毎週のように書き換えられ、生活は真綿で首を絞められるように苦しくなっていく。


――俺は、こんな惨めな人生で終わる人間じゃないはずだ。


彼はクラウドストレージに保存された数年前のアルバム画像を開いた。

公園の芝生の上で、息子と初めてキャッチボールをした日の写真。妻が陽だまりの中で優しく微笑んでいる。あの時、彼は「この小さな家族を、俺が一生守り抜く」と純粋な喜びに震えていた。


だが、現実は彼からその誇りを少しずつ削り取っていった。冷え切っていく食卓、妻の疲れたため息、息子の欲しいものを「我慢しなさい」と叱る時の惨めさ。

それを一発で逆転させる手段が、この画面の向こうにあるはずだった。


『誰でも手軽に稼げる。AI生成動画で月収100万の不労所得!』


そんな謳い文句に踊らされ、彼はなけなしの貯金を崩し、さらには高利貸しから借金までして、高額なオンラインセミナーの「バズるAI動画プロンプト集」を購入した。


「……そろそろ、時間か」


彼はネクタイを外し、乱れた髪を手櫛で整えると、通話アプリケーションを起動した。

今日は、彼が多額の追加料金を払って申し込んだ、専属メンターによる特別な「リモート・コンサルティング」の日だった。


呼び出し音が数回鳴り、画面が切り替わる。

『こんばんは! 夜遅くまで作業、本当にお疲れ様です』

モニターの向こうに現れたのは、高級そうな夜景を背にした、美しい女性だった。

完璧なメイク、シルクのブラウス、そして少しも影を感じさせない自信に満ちた笑顔。画面越しでも伝わってくる彼女の「成功者」としてのオーラに、彼は思わず背筋を伸ばした。


「こ、こんばんは。夜分にすみません、先生」

『先生だなんて、やめてください。私はあなたの伴走者ですから』

彼女――メンターの女は、鈴を転がすような声で笑った。

『さて、今週の成果はいかがでしたか? お渡ししたAIへのプロンプト入力マニュアル、試していただけました?』

「それが……」


彼は口ごもった。


「マニュアル通りに売れている動画をAIに分析させて、SNS用の動画を自動生成して投稿してるんですが……全然バズらないんです。再生回数も一桁のままで、誰の心も動かさないというか。このセミナーの紹介キャッシュバック(アフィリエイト)だって、一人も登録してくれないし……」


言い訳がましく語る彼の言葉を、女は画面の向こうで静かに、同情するような表情で聞いていた。


『……お辛いですよね。わかります。最初はみんな、AIという新しいツールに戸惑うものです』


女の言葉は、傷ついた彼の自尊心を優しく撫でるように響いた。


『でも、ここで諦めてしまったら、奥様や息子さんはどうなりますか? あなたは、ご家族の笑顔を取り戻すために、この一歩を踏み出したんじゃないですか?』

「っ……!」


図星を突かれ、彼は息を呑んだ。


『AIは強力なツールです。でも、使う人間の「覚悟」が足りないと、結果はついてきません。今のあなたのプロンプトには、まだ迷いがある。もっと強く、もっと欲望を剥き出しにして、AIに命令するんです。……もし不安なら、上位クラスの「シークレット・プロンプト集」へのアップグレードもご案内できますが? 今なら、あなただけに特別価格で……』

「し、しかし……これ以上はもう資金が……消費者金融のカードも限度額で……」


彼が情けなく首を振ると、女の表情が少しだけ曇り、すぐに聖母のような微笑みへと変わった。


『これは消費ではなく、未来の家族への投資ですよ? あなたなら絶対に成功できる。私にはわかります。だってあなたは、誰よりもご家族を愛しているんですから。……私を、信じてください』


その言葉は、どこか台本を読み上げているような、不自然なほどに完璧な抑揚を持っていた。

だが、限界まで追い詰められ、視野が狭窄している彼にとって、その甘い囁きは「暗闇に差し込む一筋の光」そのものだった。そうだ、ここで引き返せば、これまでの借金も努力もすべて無駄になる。俺は選ばれた人間だ。家族を救うヒーローになるんだ。


「……わかりました。やります。もう一度、マニュアルを信じてやってみます」

『素晴らしい決断です! 応援していますよ』


通話が切れ、再び部屋は静寂と暗闇に包まれた。

彼は血走った目で、じっとPCの画面を睨みつけた。



[観測システム解析:中継ノードからの影響]

対象ノード8492-Aは、中継ノード(メンターの女)から送信された「心理的プレッシャーと承認欲求の刺激」を含む音声周波数を受信。

これにより、論理的思考を司る前頭葉の機能が著しく低下。サンクコスト(埋没費用)の呪縛に囚われ、破滅への進行度が一段階上昇した。


――彼らは気づいていない。中継ノードの女が発した「完璧な励ましの言葉」もまた、我々システムが生成し、彼女の端末に表示させた【トークスクリプトの朗読】に過ぎないことを。


お読みいただきありがとうございます。

家族への愛情と自身のプライドが入り交じり、甘い罠(情報商材)にすがりついてしまう父親。彼を励ます美しい女性メンターの言葉すらも、実は……。


次回は、追い詰められた彼が深夜にAIへと祈り(プロンプト)を捧げる後編です。

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