空っぽの【自分】
『俺』は生まれてからずっと一つの根源的な問いを抱えていた。
————『私は一体何者なんだ?』
それは答えのある問いではなく、生きている限り続く問いなのだということは理解している。
誰しもが何となく思うことがありそして何となく自分の中での落とし所を見つけ何となく理解する。
こんなことで頭を悩ませる人が少数派であることも理解していた。
しかし、『僕』は————自分というものが分からない。
人は皆少なからず【自分】というものを持っている。
好きな物、嫌いなもの、得意なこと、苦手なこと、やりたいこと、なりたいもの。
他にも色々なモノを時には見つけ、失い、共有し、たんだんと積み重ね【自分】という存在を作り上げていく。
————けれども、『私』にはそれが全くと言っていいほどない。
『僕』に意識が生まれた時から何かの【真似】をして、そうあるものだと【演じて】過ごしていた。
幼い頃は一緒に居た赤ちゃんを真似して泣いてみた。
保育園では色んな子の真似をして周りの人の反応を確認してみた。
小学校では人気者の真似をして人に溶け込んでみた。
中学校では優等生の真似をして人の評価を集めてみた。
高校では生徒会長の真似をして人を率いてみた。
大学では教授の真似をして人を深く学んでみた。
————それでも。
『自分』が満たされることはなく、ただただ————『自分』とは何者なのかという問いに苦しめられる。
『僕』は————誰にでもなれる。
【声】も【能力】も【技術】も【知識】も【力】も何もかも————本物と誰も見分けがつかないほどに真似て完璧に演じることができた。
————なおさらのこと、『私』が分からなくなった。
誰にでもなれる『俺』は————【自分】にはなれなかった。
「————先生っ!今日もお疲れ様でした!」
「お疲れ様。
『私』はこの後片付けをして帰るからキミは早く帰るんだよ?」
興奮している様子の若手にそんな言葉をかければ再びお礼の言葉を口にして出口に続く階段へと向かっていく。
そんな後ろ姿を見送って既に消灯されていた部屋へと足を踏み入れた。
静かな室内でふと顔を上げ————
————鏡に映る姿を見る。
そこに居るのは男。
整った容姿。
恵まれた体躯。
人当たりの良い微笑みを浮かべ。
口を開けば心地の良い声音が相手を包む。
————まさに【誰もが理想とする男】の姿があった。
「…………」
鏡に映る男は黙ったままこちらを見返している。
その髪型は————巷で人気の有名俳優。
立ち姿は————人を惹きつける敏腕経営者。
声は————患者から人気の声優。
表情は————人望のある先輩医師。
人から好かれる要素だけを集めて作り上げた姿。
【真似】によってツギハギされた人間。
当然————違和感などない。
————誰も気づかない。
————誰も見抜けない。
けれどこれだけは言えた。
『俺』という人間は、そこにはいなかった。
「————ふぅ……」
息を吐き出しながら白衣を脱ぐ。
そこには当たり前のように誰もいない。
今日も最後まで残るのは『僕』。
明日別の病院で行う予定の手術患者のカルテを確認する。
————『俺』にとって医者という仕事は都合が良かった。
何故ならば、医療には確かな正解が存在しているから。
正しい知識、正しい判断、正しい技術。
過去にも現在にも存在する最高峰と呼ばれる医師たち。
その全てを寸分違わず【真似】し続ければ何の問題もない。
周りからは世界最高峰と呼ばれる外科医、学会では天才と呼ばれ、患者からは神の手と称えられた。
————だが。
そのどれもが『俺』ではない。
【正解】を寸分違わず【真似】し続けてきた。
その結果として与えられた評価に過ぎない。
「————先生のおかげで助かりました」
「————先生に執刀していただけて本当に良かった」
「————先生はどうして医者になろうと思ったんですか?」
最後の質問だけは苦手だった。
人を助けたいから————。
医学に興味があったから————。
命を救いたかったから————。
模範解答はいくらでも言える。
何せ————誰かがそう言った【真似】だから。
そこに『私』の言葉だなんてモノはなかった。
————ジクリ、と頭が痛む。
それが最近の自分の悪生活から来る疲労によるものだというのはわかっていた。
だがそんなものは『俺』にかかれば関係はない。
どんな時でも最高のパフォーマンスを発揮するその人の【真似】をすればいいだけの事だから。
しっかりとやるべき仕事を片付けて帰路に着く。
明日からこの病院は大規模改修のために長期の休院に入る。
とはいえこの病院で働く者達まで休みになる訳ではなく近くの姉妹医院に割り振られることとなっておりむしろ忙しくなると言えるだろう。
「……はぁ……」
思わずため息が漏れる。
————休みたい。
そんな感情を抱いた気がした。
だが、それが本当に『僕』の感情なのかは分からない。
疲労した人間の【真似】をしてそう思っただけなような気がする。
最近ではいつもこうだ。
————『私』は自分の感情すら人間の【真似】をしているように感じてしまうようになっていた。
いつもであればエレベーターで一階まで降りるところだが明日からの休院に向けて停止しているため無駄に長い階段を降りることとなる。
トン。
トトントトン。
リズム良く効率的に足を進めていく。
————その時だった。
ぷつん————とまるで今まで動かされていた操り人形の糸が全て切れてしまったかのように。
「————ぇ……?」
————全身から力が抜ける。
手も。
足も。
指先すら動かずに視界が大きく揺れ、身体が前へ傾く。
————このままでは階段を転げ落ちていく。
だが問題ない。
『俺』は知っている————【真似】することができる。
世界最高峰のパルクール選手の動きを。
一流格闘家の受け身を。
極限状態での身体操作を。
今まで失敗したことはない。
そう【真似】すればいい。
いつも通りに————。
だが————できない。
「……ぁ……?」
身体が動かず【真似】ができない。
————ジクリ、と頭が痛む。
それが今まで放置してきた過労が原因だなんて考えるまでもなくわかった。
————嗚呼、アァ、あぁ。
死ぬのか。
不思議と恐怖はなかった。
ただ一つ。
心残りがあるとするなら————。
身体が、意識が、闇へと沈んでいく。
そして————。
————初めて。
『誰か』ではなく『私』として目を閉じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
————鏡に映る姿を見る。
そこに居るのは少女。
白い肌に整った顔立ち。
年齢にしては長い髪。
まだ幼さを残しながらも将来の美貌を予感させる容姿。
きっと世間一般では美少女と呼ばれる部類なのだろう。
「…………」
鏡に映る少女は黙ったままこちらを見返している。
その顔は前世の面影など欠片もない。
前世は————男だった。
今世は————女だった。
そんな違いはある。
だが————
少女の姿を見ても何も感じなかった。
嬉しくもない。
悲しくもない。
驚きすらしない。
ただ、そこに少女がいる。
それだけだった。
前世では————理想の男を演じた。
今世では————理想の娘を演じた。
優しい娘。
聞き分けの良い娘。
成績優秀な娘。
誰からも愛される娘。
そうなるように【真似】を続けた。
だから————違和感はない。
————誰も気づかない。
————誰も見抜けない。
けれどこれだけは言えた。
『俺』という人間は、やはりそこにはいなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
階段で意識を失った後に目を覚ませば赤子になっていた。
普通に考えれば精神疾患ではないかと疑われそうな話だが事実だ。
【転生】————しかも前世の記憶を持って。
この言葉が現状を表す正しいものだろう。
新たな人生の始まり。
生まれが変わり、立場が変わり、周囲の反応も変わり、性別まで変わり何もかもが新たに始まる。
これでようやく『俺』の悩みは解決し【自分】というものを獲得することができた————
————そんな都合のいい話はなかった。
むしろ性別まで変わり、前世の記憶を持つという特殊な環境になったことで————いや、だからこそ。
【自分】というものがますます分からなくなった。
女としての生活に困ることはなかった。
前世の記憶や身近にいる人の真似をすることで難なくこなすことができたから。
そう、転生した今でも————【真似】し続けていた。
男だった前世でも、女となった今世でも『自分』が分からない。
性別ですら自己を定義することも出来ない。
もはや【真似】をしなければ、【演じ】なければまともに生きていけない身体に成り果てていた————。
そんな『私』に愛情を注いでくれる両親たち。
夜泣きすらしない『私』を心配して様々な病院を巡ってくれた。
欲しいものをねだらない『私』に色々なものをプレゼントしてくれた。
やりたいことがない『私』に趣味になりそうな事を色々やらせてくれた。
そして————こんな変な『俺』を受け入れてくれている。
『私』はこの愛情を注いでくれる両親を悲しませてはいけないと思った。
どうすればいいかなんて分からなかったから。
周りから成功した者とされた前世を手本に。
周りの話を聞きながら両親という存在が喜びそうな人を【真似】していくことにした。
小学校ではスポーツで全国大会常連となった。
————両親は凄いと褒めてくれたがどこか浮かない顔をしているようだった。
中学校では文化的なコンクールで優秀な成績を残してみた。
————両親は誇らしいと褒めてくれたがやはり浮かない顔をしていた。
高校では文武両道、運動でも学業でも全国一位を獲得してみた。
————両親は褒めてくれたが無理をしないで?と心配そうな顔をするようになってしまった。
————理解できなかった。
褒めて欲しい訳ではなくただ両親を悲しませたくなくて色んな【真似】を続けてきたがむしろ両親は『私』を心配するようになってしまった。
どうすればいいのだろうか。
そんなことを考えている時————両親が夜中に話しているところに出くわす。
「あの子また一番だったみたいよ?」
「本当にすごいなぁ……もう俺たちじゃ敵わないな」
「全部あの子が努力した結果だものね」
「そうだな。
……でも頑張りすぎじゃないか?」
「……そうね……。
頑張るのは悪いことじゃないわ。
でもあの子……本当にやりたいことをできているのかしら……」
「……それは分からないな……。
楽しそうにしているよう見えるんだ。
見えるんだが……俺には本心には思えないんだ……」
「あら、あなたでも自信を持って言いきれないことあるのね?」
「俺はあの子とお前のこと以外はぜーんぶお見通しなんだがなぁ……。
一番分かりたいことが分からないとは難儀なものだよ」
「……あの子に本当にやりたいことを見つけてあげられるかしら……」
「それはあの子次第だ。
俺たちがやってやれるのはその時が来た時に背中を押してやって見守るだけだ」
「……そうね、その通りね……」
『俺』はその会話を聞いて驚いた。
【真似】をして生きてきた『私』は、それが本物に見えるよう【演じ】続けてきた。
【真似】する相手は【演じる】事————その道のプロ。
いや、トップオブトップと呼ばれるような人間ばかりだ。
————だからバレるはずがない。
そう思っていたしそれが事実だった。
しかし、『俺』が一度も【自分の意思】というモノで何かを選んだことがないという事実を、両親は何となくではあったが見抜いていた。
————初めてのことだった。
だが、『俺』にはやりたいと思えることがない。
どれだけ探しても、どれだけ考えても。
————ついぞ見つけることはできなかった。
だからこそ————『私』はもっと上手く【真似】することにした。
両親ですら見抜けないほどに。
————もっと完璧に。
————もっと自然に。
————もっと上手く。
誰にも気付かれないよう【演じる】ことに。
————『俺』にできるのは、【真似】をすることだけだから。
————そんなある日。
『私』は初めて【VTuber】という存在に出会った。




