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逃げ癖高校生は、誰も見捨てられない聖女を救いたい  作者: きわみん
第一章 『始まりの森』

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第一話 異世界転移ってやつ!?

「……ここ、どこだよ」


 意識の覚醒の直後、少年は周囲を見渡してそう呟いた。


 声に出してみても、答えはない。それもそのはず。ここには見渡す限り、木が生い茂っているだけだ。人がいる気配など感じられない。


 痛みを訴えてくる体を叱咤し、上体を起こす。どうやら痛みは、寝ていた場所の質の悪さが原因のようだ。少年が寝ていたのは周囲の大自然とは打って変わって、人工的な石畳の上。


 何故、こんな場所で眠っていたのか、少年はぼやけた記憶を紐解いていく。


「確かアキバ行きの電車に乗って、席に座ってたらうとうとして――」


 遡れる記憶はそこまでだ。電車がこんな山奥に着くわけもないし、眠っている間に誰かが運んだなんて事は、もっと現実味がない。そもそも、ここが山奥なのかどうかさえ分からなかった。


 石畳の中央にポツンと立つ石碑には、何らかの文字が刻まれていたのだろう。だが、それは風化していて、もはや何の言語が刻まれていたのかすら判別できない。


 それに、彼が見下ろした自分の身体は、記憶の中と何一つ変わらない。


 アイロンという概念が宇宙の果てにでも消えていったような、情けないシワだらけのTシャツ。日に当たらないせいで白い肌。運動という言葉から逃げ続けた、細い手足。見慣れた榊原優斗(さかきばらゆうと)17歳の体そのものだ。


 ここまで状況が整理されていれば、優斗も認めざるを得ない。


「異世界転移した、ってことか」


 抑揚のない声だが、優斗の口元は微かに緩んでいた。胸の内を満たすのは、見知らぬ世界への期待が八割と、日本に残してきた微かな後悔が二割。


「と言っても、今日手に入れるはずだった新刊ラノベが読めなかったことくらいなんだけどな」


 そんな軽口を叩いていると、にわかにオタクとしての脳細胞が活性化し始める。

 

 これまで自室で浴びるように読破してきたラノベのテンプレが、頭の中に次々とリストアップされていくのだ。伊達に引きこもりをやっていたわけではない。ここへ来てまさかの英才教育が実を結んだ形だ。しかし、テンプレをなぞるなら真っ先に確認すべき案件がある。

 

「……俺の異世界転移特典は何なんだ?」


 生憎、優斗には自分を召喚した美少女に「あなたが勇者です」と言われた記憶も、女神に「能力を選んでください」と言われた記憶もない。

 

 だが、まだ諦めるのは早い。本人の預かり知らぬところで、すでに初期スキル的な何かが自動で付与されている可能性は大いにある。神様側の「ログインボーナスはポストに直接入れておきました」という不親切な仕様かもしれないのだ。ならば、まずはマイページを開いて確認するのが基本というものだろう。

 

 優斗は周囲に誰もいないことをもう一度確認し、少しだけ気恥ずかしさを覚えながらも、アニメで死ぬほど見てきたポーズを真似て片手を前に突き出した。

 

「ステータス、オープン」


 何も起きなかった。SF映画のような半透明のウィンドウも、脳内に直接語りかけてくる親切なガイダンス音声も聞こえない。


「……いや、発音か? ネイティブな感じでいくべきか?」


 スニーカーの底で石畳をしっかりと踏みしめ、今度はやけに流暢な英語交じりの発音で厳かに唱えてみる。


「ステータス・オープン」


 やはり、何も起きない。どれだけポーズを変えてみても、静まり返った森の中で一人、片手を突き出している間抜けな男の絵面が完成しただけだった。


 ……まあいい。女神と対面してカタログからチート能力を選んだ記憶がない以上、特典など最初からなかったのだ。世の中そんなに甘くない。引きこもりに世間の風は冷たいが、異世界の風も同じくらい冷たいらしい。


 ただそうなると、見えてくるのはもっと現実的な問題だ。水がない。食料がない。


 ポケットを漁ると、スマホと財布は入っていた。しかし、画面の右上には無慈悲な圏外の二文字。異世界の森に電波が飛んでいるわけもなく、少し光るだけの板と化している。財布を開いても、入っているのは数枚の小銭だけ。仮にこの世界に日本円を使える店があったとしても、大したものは買えない悲しい残高だった。

 

「クッソ。せっかく異世界に来たってのに、最初にやることが当てもなく森のサバイバルとかマジかよ。ラノベの主人公たちはもっとこう、優雅にスタートしてただろ……」


 言葉にしても状況は変わらない。


 仕方なく、優斗は石畳の広場を離れて歩き出す。森の中は容赦なく冷えていた。一歩進むたび、湿った草がスニーカーのメッシュに擦れ、じわりと不快な冷たさが足先に染み込んでくる。


 最初はまだ、異世界という言葉に脳が浮ついていた。この鬱蒼とした木々の向こうに、お約束のエルフの村くらいあるかもしれない、と。


 けれど、五分、十分と歩くうちに、そんな甘い期待はあっさりと消え失せた。腹が減っている。喉が渇いている。何より、頼りない二本の足が、泥に足を取られるたびに悲鳴を上げ始めている。どこへ向かえばいいのかも分からない。


 ただ見知らぬ森で遭難しているだけ。そんな現実に嫌気がさし、強く足を踏み出した。その行為の代償として、優斗の足元の枝がパキリと折れる。それと共に、靴がぐにゃりと深く沈み込んだ。

 

「なんだ……?」


 視線を落とすと、地面がぬかるんでいた。水分をたっぷりと含んだ、粘り気のある土だ。周囲を見渡せば、その湿った地面は木々の隙間を縫うようにして、森の奥へと続いている。


 立ち止まり、じっと耳を澄ませてみる。ざわざわと揺れる葉の音の向こうから、かすかに、けれど確かに別の音が届いた。


「流れる音……。もしかして、川か!?」


 それだけで、底をつきかけていた優斗の胸に、一気に熱い期待が込み上げてきた。


 水があれば、少なくとも渇死は免れる。もしかしたら、人が暮らす集落も見つかるかもしれない。


 根拠は薄く、ただの浅知恵かもしれない。それでも、今の優斗にとっては、暗闇に差し込んだ唯一の希望に思えた。

 

「よし、待ってろよ人里!」


 現金なもので、希望が見えた途端に足が勝手に速くなる。生い茂る草を手でかき分け、行く手を阻む木々の間をすり抜けていく。水音は近づくにつれて大きくなり、やがて視界が唐突に開けた。


「――川! だけど、これは……」


 視界を遮る木々がなくなり、優斗も目の前の水の流れをようやく目の当たりにする。豪快な水音――、そう。豪快な水音を発するそれは、優斗が望んでいた穏やかな川などでは決してない。


 砕けた流れは白い飛沫となって跳ね、湿った風をこちらまで運んできた。水を手で掬って飲むどころではない。不用意に足を踏み入れれば、その瞬間に足を取られ、あっという間に飲み込まれる。そう確信できるほどの激流だった。


 せっかく掴んだ蜘蛛の糸が、目の前でぷつりと切れたような感覚だった。さっきまであんなに速く動いていた足が、今は鉛みたいに重い。


 足元の力まで抜けて、その場にへたり込みかける。その時だった。


 足元で、ぼきり、と鈍い音がした。


「……ん?」


 優斗は、枝でも踏んだのかと思い、何気なく視線を落とす。そこには、白く細長い何かが転がっていた。


 優斗はしゃがみ込み、それに手を伸ばしかけて――止めた。


 石だろう、と思った。色も、大きさも、川辺に転がっていてもおかしくない。だが、表面が妙に滑らかだった。雨風に晒された岩肌とは違う、均質で密な滑らかさ。それに、踏んだだけで折れた。果たして石が、折れるだろうか。割れるのではなく、折れる。


 ……骨だ。


 理解した瞬間、世界の見え方が変わった。


 さっきまでただの岩だと思っていた白い塊。足元の起伏。川辺に散らばる細かな破片。そのあちこちに、同じ質感のものが混じっている。


 折れたもの。砕けたもの。人間の腕ほどの長さのものから、それより明らかに大きなものまで。


「なんだよ……これ」


 喉の奥がひゅっと狭くなり、優斗はゆっくりと視線を上げた。


 岩壁だと思っていたものにも、白と灰色がまだらに混じっていた。違う。岩だけではない。骨と、土と、風化した死骸が絡み合って、ひとつの壁のようになっている。


「……ここ、なんなんだよ」


 呟いた声は、川の轟きに呑まれてすぐに消えた。


 こんなものを積み上げる何かがいる。


 偶然、ここに骨が集まったわけではない。流されてきたにしては多すぎる。砕けて、折れて、捨てられている。まるで、食い散らかした残骸を一か所に放り込んだみたいに。


 今も、この近くにいるかもしれない。


 そう考えた瞬間、優斗の背筋が冷えた。震える足を奮い立たせ、今すぐにここから離れようと駆けだした、その時。


「……あなた、こんなところで何してるんですか?」


 すぐ近くで声がして、優斗の肩が跳ねる。


 こんな場所に、人間の声がする。

 

 頭が追いつかないまま、その声だけが耳の奥に残った。骨と死骸と激流の轟きに囲まれた場所には、あまりにも似合わない澄んだ声だ。

 

 優斗はぎこちなく振り返る。


 そこにいたのは、灼けるような紅い瞳の少女だった。

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