47.ギャルのあやちゃん
ナツが仕事を辞めると決断してから数日後。
その日は仕事帰りにふと足を止めた。
“BAR RIN”
その控えめな看板に導かれるように、ナツはドアを押した。
「いらっしゃい」
カウンターの奥でグラスを磨いていた女性が、低く、落ち着いた声で迎えてくる。
ボーイッシュな雰囲気。オーナーだろうか。
「何にしますか?」
その隣から顔を出したのは、明るくて、どこか親しみのあるギャルっぽい女の子だった。
「じゃあ……オレンジ系のカクテルで」
「はーい!おまかせくださいっ」
元気な声が、小さなバーの空気を少し柔らかくした。
「おねえさん、一人?」
ふいに、隣から声がかかった。
横をみると、色気のある綺麗な女性がグラスを傾けながら微笑んでいた。
「……はい」
「そっか。可愛いね」
「ありがとうございます……」
綺麗なめいに褒められたナツは思わず照れて、グラスの縁に目を落とす。
「めいさん、今日はこんな可愛い方が来て退屈しなさそうですね」
ギャルの女の子が、茶化すように言った。
「ほんと。あやもね」
「めいさんは、常連さんなんですか?」
「うん。ほぼ週一で来てるかな。あやとは、姉妹みたいな関係でね」
「恋人かと思いました」
「めいさん、3年同棲してる彼女がいるんだよ?」
「そうなの?」
「そう。でもね、最近はもう冷め切ってるから。新しい出会い探してるの」
「……なるほど」
軽く笑いながらも、ナツは胸の奥に、小さく何かが波立つのを感じていた。
「名前は?」
「ナツです」
「ナツちゃん、よろしくね」
「よろしくお願いします」
「仕事帰り?」
「はい、雑誌の編集をしてます」
「かっこいいね」
「めいさんはね、歌の先生をしてるんだよ。なかなか歌ってくれないけどねー」
あやがニコニコしながらそう話した。
「歌の先生…」
ナツの頭に一瞬、雪とのレッスン風景が浮かんだ。めいはゆっくり微笑んで、ナツに質問を続ける。
「今いくつ?」
「33です、おいくつですか?」
「36。趣味とか、ある?」
「アイドルが好き、です」
「あ、あやと同じ!」
「え、あやさんもアイドル好きなんですか?」
「まあね、ちょっと前までだけど。ナツさんは誰推し?」
「……ちょっと昔だけど、Springの水月さん」
「うわ、なつかしい!私、葉月さんが好きだった」
その名前を聞いた瞬間、ナツの胸にある記憶がよみがえった。
あのオーディションの日――
「もしかして……」
「え?」
「人違いだったらごめんなさい。Autumnのオーディション受けてた……?」
「……ナツさん!?」
「えっ、じゃあ、あやちゃん……あの時の?!」
「うん!あの時の、あやだよ!!」
「なになに、どういうこと?」めいは、その場の雰囲気を飲み込めなかった。
「私たち、Autumnのオーディションで一緒だったんです」
「へぇー、それはすごい偶然!」
そこから、ナツはこの10年のことをぽつぽつと語った。
夢のこと、Springのこと、そして……雪とのことも。
「……そっか。そんなことが、あったんだ」
あやとめいは黙って聞いていた。
「でもね、今日、やっと一歩、踏み出せた気がして」
「ナツさん、よく頑張ったね」
あやのくれた言葉が、何よりも温かかった。
「……それで、あやちゃんは?Autumn、受かったんじゃなかった?」
「ううん……同期の子にいろいろ言われて、結局辞めちゃった」
「そうだったんだ……」
「でもね、後悔してないよ。辞めたあと、バイトして、一人暮らしして、失恋もして、派手に遊んで、ちょっと落ち着いて……。今はね、このバーで働いてるの、わりと気に入ってるんだ」
その笑顔は、飾らなくて、真っ直ぐだった。
「雪さんにも、よく声かけてもらってた。
優しくしてもらったよ」
「そっか…」
「今日ナツさんに会えて、本当にうれしい。あの時の自分を、ちょっとだけ好きになれた気がする」
「……うん。私も」
その時だった。
店内に懐かしいメロディが流れたのは。
それは雪が歌っていた曲だった。
ナツはそのメロディにそっと耳を傾ける。
「この曲歌おうか?」
めいが、そう言って立ち上がる。
あやは、めいが久しぶりに歌うとあって、喜んでマイクを取りに行った。
店内にめいの美しい歌声が響く。
ナツは、その姿をじっと見ていた。
雪の歌声はめいとは違ったけれど、懐かしいメロディと綺麗な人。
めいに雪の姿を重ね合わせていた。
その夜は、めいとあやと3人で朝が来るまで飲み明かした。
10年の時を越えての再会。
あのとき忘れた何かを思い出すような日になった。




