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聞き慣れない単語を脳内で反芻させる。
「こら、ロージ」
こつん。背後から主人がロージの頭を小突く。
「すまないね。こいつ、一言喋れば皆友だちって思いこんじまうんだ。馬鹿だから」
「とーちゃん、実の息子に馬鹿はないだろう」
ロージは涙目になって、頭のてっぺんを両手で抑えた。
「真実だ。こいつが失礼なことをしていないか? 旅人を見かけると誰彼かまわずここを紹介しようとするんだ。自分が旅人と話したいからって」
「いいじゃないか。商売繁盛、おれは旅人さんからいろんな話を聞ける。旅人さんだって格安で安心安全な宿に泊まれる。皆、得をするんだから。ねぇ、ルゥはどこから来たの?」
ロージの瞳はやはりきらきらと輝いていた。心底、ルゥに興味を抱いているように見えた。
(嘘をついているようには見えない……どうしよう)
ルゥは、必死に答えを探す。
――浮かんだのは、パパラチアの館での光景。
そこで髪の毛をばっさりと切った自分の姿、だった。あのとき、研究所に閉じこめられてきた不機嫌な歌姫のなりそこないは死んで、ルゥとなったのだ。
ぎゅっ、と両の拳をテーブルの下で握る。
「……最果て、から」
「最果て? すごい! おれはこの街から出たことがないんだよ。空中列車にだって乗ったことがない。この世界の果てになにがあるかなんて想像したこともなかったなぁ」
ルゥはコーヒーの水面に視線を落とす。髪の毛の短い、眼帯をつけた少年のような出で立ちの自分の顔には、表情がなかった。
(わたしだってそうだ。この世界に何があるかなんて、全然知らずに生きてきた……)
「よかったらいろいろと話を聞かせてくれないかな。おれは、ここから出られないから」
「どうして?」
ルゥは弾かれたように尋ねていた。
「この街を出て行こうと思わないの?」
「うーん……街の皆は知ってるんだけど」
ロージはためらうことなく懐から華奢なリングを取り出してルゥに見せた。それは花と茎と葉のかたちをしていて、花の中央には小さなサファイアがついていた。
「きれいなサファイア……」
「ねーちゃんの形見なんだ。婚約した直後に、だんなさんになる予定だったひとと事故に遭って死んじまった。これは、婚約指輪」
ルゥにはその言葉の重みを完璧に理解することはできなかった。
しかしずっと明るいままだったロージの表情が曇ったので、思わずその瞳を見つめてしまう。
「それから、かーちゃんが情緒不安定になっちゃって。今も奥で寝こんだままなんだよ。だから、おれはかーちゃんの傍にいる。そんで、とーちゃんと一緒に、この宿を守っていかなきゃいけないんだ」
息子の話を聞きながら、主人は、指で鼻をつまんでいる。泣きそうなのをごまかしているようにも見えた。
がたっ。
「ロージは!」
反射的にルゥは立ちあがっていた。
「ロージは、すごい。偉い」
その突然の大声に、ロージと主人がぽかんと口を開けた。
「わたしも双子の妹が唯一の家族だったんだけど、彼女から逃げ出してしまった。傍にいてあげなきゃいけなかったのに」
胸の奥がじんじんと熱かった。言わなければ、という衝動。
思わず口をついてでた言葉は偽りではなかった。
(研究所がいやでたまらなかったし、妹のことは大嫌いだったのに)
きょとん、とした表情から、ふっとロージが微笑んだ。立ちあがり、ルゥの手をとる。
「ありがとう」
ルゥの手を包みこんだまま、自らの額に当てる。瞳を閉じて、繰り返した。
「……ありがとう、ルゥ」
◆
広場は昨日よりもさらに興奮を伴う賑わいを見せていた。歌姫の誕生聖祭に向けての熱だ。あちらこちらで楽器の演奏や歌が披露されている。きらびやかな服飾品が次々と売れていく。美味しそうなお菓子を食べ歩きながら談笑する人々で溢れている。
ルゥはそのなかにある言いようのない歓びを肌でぴりぴりと感じていた。ほんの少しだけ苦笑いを浮かべる。
(居心地がいいとは言えないなぁ……)
それはルゥ自身の17歳の誕生日でもあるから。
――本来なら、ルゥの瞳が歌姫へ移植される日でもあったから。ルゥが死ぬ日でもあったから。
「利用されているだけだぞ」
不意に背後から声がした。冷たく背筋をなぞっていく音だった。
ルゥは振り向かない。誰かは見なくても分かっていた
「……そんなこと、ありません」
後ろに立っていたのは、狼の毛皮を被った、着流しの男。エメリーだった。
「ロージは優しいひとです。わたしを惑わそうとしても、無理ですよ」
ルゥは声を極力低く努める。
「あなたと違って、何かを企んだりなんか、していません」
「どうしてそう確信できる? 口ではどうとでも言える。皆、腹の底は何を考えているか分からないんだぞ。まぁ、お前が絶望すればするほど、ぼくにとっては好都合だが」
ルゥは勢いよく振り向く。
「あなたにわたしの何が分かるんですか! っていうか、……!」
だがエメリーの姿はどこにもなかった。
ルゥは溜息をついて肩を落とした。
(だって、嘘をついているようには思えないんだ。思いたくないんだ)
『おやすみ』
『ありがとう』
そう言ってくれたロージの掌は温かった。
誰かに感謝されたのは、はじめてだったから。
ルゥは自分の掌をじっと見つめる。ロージに触れられた掌。握ったり開いたりを繰り返す。
ごーん、ごーん、……。
「お祈りの時間だよ!」
定刻を告げる鐘の音と同時に誰かが声をあげた。跳ねるようにルゥも顔をあげて国の中心へ体を向ける。
ディスプレイに歌姫の姿が映し出された。
白と朱の化粧。裾に金糸で繊細に刺繍の施されたウィンプル。その上には闇色のヴェール。大きな白い襟と闇色のワンピース。それらが意味するのは存在の高潔さ。
いつも通りであるはずの歌姫の姿、なのに。
ルゥは言葉を失う。体じゅうの血の気が引いていくようだった。
(――あれは、誰?)
嫌悪感と不快感が巡る。
(わたしには分かる。あれは歌姫じゃない。ただの、人間だ!)
周りは歌姫に向けて祈りを捧げている。気づいているのは、ルゥひとりだけ。
(歌は録音されたものだ。巧妙に口元を合わせているけれど、わたしは騙されない。歌姫の身にいったい何が起きているというの)
歌よりも自らの脈が大きく響いて聴こえた。




