第三話 ―その5―
「あの……アシェルさんでいらっしゃいますか」
「アンタは? ……不死者?」
「え!? ええ………マレルリア=ガルテンバードの親で、エデア=グランスダイトと申します」
背筋はピンと伸びていて瞳もきりっと美しく、黒く染め上げた絹のような長髪が似合う素敵な女性なのに、自己紹介を聞いただけでアシェルの眉は勝手に吊り上がった。
それが余りに露骨だったのだろう。エデアと名乗った不死者は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。つい先程マレルリアが失礼をしたようですが、わたしからお詫びします」
突然ぺこりと頭を下げる不死者。その行動が意味するところは、今のアシェルに理解できるものではなかった。
「別に……どうせ向こうは悪いと思っていないでしょ。大体、何百年も生きているくせに、自分の代わりに親が謝りにやってくるなんて、アンタ達は精神年齢も止まってんじゃないの?」
「まことに、返す言葉もありません…」
エデアは改めて深々と頭を下げる。
「………」
おかしな不死者だった。マレルもかなり不死者らしくなかったが、このエデアは群を抜いていた。人間に頭を下げる不死者など考えられない。
そもそも、雰囲気が違った。普通の不死者とは逆のベクトル―――不死者らしい陰気さがまるでない。静かだが、しっかりとした「生気」を放っているように見える。
「それで、何の用? カップやらなんやら、アイツが持ってきたものはそこのバスケットに放り込んでおいたけど」
「あ、それはどうも……でもそのことではないんです。少々申し上げにくいんですけれど、お連れのアロ……フェイムさんなんですが、お城のほうでお預かりしています」
「な…っ!?」
右手はすばやく剣へ―――
「あ、違います! 誤解しないで下さい! 彼が森の中でマレルリアと出会って、機嫌の悪かったマレルリアが、何というかその…八つ当たりして、気絶させてしまったんです。不幸中の幸いで大した怪我は無かったのですが……本当に申し訳ありません。私の監督不行き届きです」
再三丁寧に頭を下げられれば、構えを解かざるをえなかった。そうさせてしまう、真っ直ぐなオーラを持っている。
「八つ当たりって……そもそもアンタ達の根城に連れて行くのはどういうことなの? おかしいでしょ」
「城のほうが近かったですし、ベッドもありますから……。この際、あなたもいらっしゃってはいかがでしょうか。マレルがあなたに執着しているのは知っていますが、不死者になりたくないというのであれば私が彼女を説得して、あなたにこれ以上干渉することを止めさせます。ただ、できれば………せめて仲直りしていただけないでしょうか。勝手な言い分でしょうが、何百年と在る不死者が自らの眷族に引き入れたいと望む人間に出会うのは、とても運命的なことなのです。ですから、どうか……」
「運命的ねぇ………赤い糸で結ばれてるにしては、かなり乱暴だと思うんだけど」
ぐいっと首を捲くって見せると、エデアもその一点を凝視した。拭ってもはっきり残る、赤い唇の痕。
「不死者になると、無理矢理じゃないと愛情表現できないの? ロマンチックも冷めるわ」
「あなたにとって良い事ではないのでしょうけれど……それだけあの娘があなたに執着しているのだと思います。おそらくは自分でも気付かないうちに」
「ああそう……。どうにせよ、私がそちらに出向くことはできないわね」
「何故です?」
「何故…? 面白いことを言う」
無害そうなエデアを難癖つけるように威圧する。
「不死者は堕落者、目的が無ければ動かない。不死者が人間に接する目的といえば、喰うか引き入れるか利用するか―――そのためにはどんな手段も取り、凝った趣向もこらす。この世で最も奇怪な手品師であり、聡明な詐欺師であり、醜悪な獣………それが私の知っている不死者よ。なら、『不死者のルールにはのらない』というのは基本よね」
厳しく詰ったつもりだったが、美しい不死者は肩を落として苦笑した。
「不死者に対する厳しい認識をお持ちですね。不死者もピンキリですが、あなたが仰るような非道な輩もいれば、生き神のように崇められている者もいます」
「アンタがそうだとでも?」
「いいえ、私はそんな……。不死者の中で言えば亜種であり、変わり者と言われればその通りです。私は不死者の王の娘ですが、人間の母から産まれました。私の感覚は良くも悪くも、人間的なものが半分混じっているのだと思います」
エデアは丁寧な物言いだがしかし、アシェルは最後の方をほとんど聞いていなかった。
「王の、娘……!?」
そんな大それた人物だったのか!?
唖然としているアシェルの顔は、エデアにとってありふれた反応だったらしい。
「王の娘といっても、王族というわけではないんです。『不死者の王』というのはあくまでリーダーのような存在であって、世襲ではないですから……。親から能力はある程度受け継ぎますから、それなりに力はあると言われていますが」
「言われている?」
「不死者の力の基準は魔力です。それを証明するのは難解で、大掛かりな魔法を成功させるか、寿命が長いかのどちらかになります。私は大魔法なんて試したことはないですし、年齢も不死者としてはまだ若いほうですから」
「でも、不死者を統べる王の候補なんでしょ……?」
「どうでしょう……誰もそうは思っていないのではないでしょうか。私は支配欲とは無縁ですし、なにより不死者らしくないみたいです」
「……………」
嘘か? 冗談か? まさか、謙遜…?
しかし……改めて見れば、服装は地味だ。上品にスッキリまとめているが、マレルのように「らしい」ドレスではない。パンツスタイルでジャケットを羽織っていて、機能性を重視しているようだ。それでもやはり美人で、清楚な佇まい。可憐とすら言える。
(少なくとも、自分よりは十分女らしい雰囲気をもっている……)
性格は服装に出る。ほとんどの不死者は貴族のような服装や振る舞いが多いが、それは自己顕示欲や支配者としての意識が強いからだといわれている。現に、これまで遭遇した不死者はそうだった。
そこから考えれば不思議ではある。今とて向こうから明かされなければ、全く不死者には見えなかった。
こんな女性が、どうしてマレルなんかを娘にしたのだろうか………。
とにかく、おいそれと信用するわけにはいかない。しかし手詰まりなのも確かではある。
(さすがにフェイムを放って行くわけにはいかないし、マレルとの話は実質破綻したも同然………)
いや、だからこそエデアに取り持ってもらうのではないか。その申し出はあちらからしている。
一番の問題は、罠だった時にどうするか――。不死者の王がその魔力によって王たるというのなら、その直系の娘であるらしいエデアは………。
「………城に行くには条件があるわ。まず私の部屋を用意すること。料理は私自身が作るものしか食べないし、常に帯刀する。そしてあなたには四六時中、私の手の届くところにいてもらう。いざという時のための人質ね。怪しいそぶりを見せれば首を刎ねて、心臓を貫く………甘く見ないでよ。私は闇の眷族を何匹も始末している」
凄んで見せたが、エデアはきょとんとした後、残念そうに目を伏せた。
「私があなたの味方になるというのはもちろんのことだと思います。一応は不死者の住処ですし、あなたが不安になるのもわかります。ですがその他の条件は……こちらがどれだけおもてなししても、あなたが擦り減るだけではないでしょうか? 私がずっと側にいれば、かえって休まる時がないのでは……」
「そこまでわかってるんなら、最初から誘うな!」
「えっ? あ、そうですね、すみません」
相手の格を忘れてついつい怒鳴ってしまった。が、この女はこれでまた頭を下げるのだ。「不死者らしさ」などわかりたくもないが、この神経はどうなのだ……。
そんなこちらの心の内を知ってか知るまいか、エデアはただただ弁明する。
「あなたが仰ることは尤もですけれど、だからこそ私を信用していただきたいのです。それが一番難しいこととわかっているのですが………ただ一つ言えるとすれば、私にとってあなたは『お客様』だということです。少し気に障るかもしれませんが、私はあなたをマレルの娘にすることには反対なんです」
「え? どうして…?」
「それは……嫉妬、でしょうか……」
「嫉妬………?」
……意味がわからない。
「…もういいわ。どちらにせよ、フェイムを受け取りに行かないといけないし。とにかくアンタは私が斬れる位置にいること。そして私の盾になること。以上よ」
「わかりました。あなたと気軽にお付き合いできないことは不本意ですが、止むを得ないでしょう。それでは荷物をおまとめください。ご案内します」
城は、森の中に静かに佇んでいた。石で固められた砦といった様子で、さほど大きくはないが、気品と風格がある。
門を抜け、案内されるままに廊下を進むと、何とマレルの部屋だった。
釘を刺しておくという点では間違いないが、それよりフェイムのほうが気になる。
エデアが扉をノックし、開ける。
元王族らしく気品の漂う部屋の真ん中で、椅子に斜めに腰掛けるマレル。不遜な態度にエデアが眉を顰めたがマレルは気に掛けず、立ち上がろうともしなかった。
「マレル。アシェルさんをお連れしたわ」
「見ればわかるわよ。それで?」
「ご挨拶しなさい」
「………」
マレルはバツが悪そうに顔を背けて動こうとしない。拗ねている子供のようで、意外だった。本当にエデアの娘なのだと、納得しかけた。
「アシェルさんに手を出さないように……いいわね」
エデアの警告に、心底あきれるように溜息を吐くマレル。
「あのねぇ…………いちいち言われなくてもわかるわよ。それが条件でこっちまで来たんでしょうが。それとも何? まだ我慢のできない子供だとでも思っているわけ?」
「わかっているならそれでいいわ。あと、アシェルさんが滞在中は私が昼も夜も付き従うわ」
「ちょっと………それはどういうこと!?」
途端に顔色が変わった。やはりマレルは、どこかでチャンスを狙っていたのだろうか。
詰め寄ってくるマレルの前にエデアが立ちはだかり、それがかえってマレルをイラつかせたようだった。まるで人が変わったように落ち着かなくなったマレルは、エデアを飛び越してこっちを睨んでくる。
「アシェル、ひょっとして怖れているの? 人のいいエデアを懐柔して!」
「彼女は人質。相手が不死者なら、これくらいは当然のこと」
「人質? エデアがどういう存在だかわかってるの?」
「不死者の………王の娘でしょう?」
「ハン、わかってないわね。どうしてエデアもそんなこと了承したの!?」
「あなたがそんなだからでしょう? 誰かが守る立場にいないと、彼女はここで安心することができないわ」
「全く、どっちもどっちね。フン………好きにしたら?」
まるで興味がないように両手を挙げるマレルの仕草が気に喰わない。首の跡はまだ残っているのだ。
「ああ、そうそう」
部屋の奥に引っ込もうとしていたマレルは踵を返すと、突然エデアの肩を掴んで引き寄せ――――
「何…ん――っ!」
「!!?」
目の前で、エデアの唇を奪った。
エデアは抵抗しようとするも体勢が悪いのか押さえ込まれ、顔を逸らして離れようとしてもすぐにまた口を塞がれてしまう。
エデアと目が合う。するとエデアは羞恥心に耐えられないのか、目蓋をきつく閉じてしまった。見てはいけないと思いつつも、アシェルの身体は凍ったように動かない。
たっぷりと絡みつくようなキス……マレルは真っ赤になってしな垂れてしまうエデアをようやく開放すると、視線を脇のアシェルに向けて詰め寄り、強張る身体を乱暴に壁に押さえつけた。
今朝とは違う獰猛さは、まるで蛇のようだ。濡れて光る唇を見せ付けるように近づけてきて、その隙間からは赤い舌が覗く。今しがたエデアを蹂躙していたそれは、あまりに生々しく、魅惑的だった。
「私とエデアはこういう関係だから。別の意味で食べられないように、気をつけることね」
マレルはエデアとアシェルを部屋から締め出して、乱暴にドアを閉じた。
「……すみません」
エデアは視線を落として口元を拭い、手を廊下の奥へ指し示した。
無言で歩き出したが、やがてどうしても言いたくなって、つい口から鬱憤がこぼれてしまった。
「なんていうか………どの部分で謝られているのかわからないわ。大体の事情はわかってきたけど…え、と…アンタ達ケンカしてるの? いくら何でも露骨過ぎる」
「…………」
「言いたくないんなら別にいいけど……」
「最近は……いえ、二百年くらい前から少しあったんです。マレルリアがかつてこの地にあった国の姫だった話は、ご存知ですか?」
「…聞いた。その顛末も」
「そうですか…。マレルリアが人間に手を挙げて以来、私は彼女の行動を制限してきました。人間に接触してはならない、この地を離れてはならない、従者の数は決められた数だけ………不死者はどうしても定期的に血を吸わなければなりませんが、それすらも私が用意して、小瓶に入れた血を与えていました。マレルリアは気に入らないようでした………当たり前ですよね、飼い殺しにしていたようなものですから」
エデアがぐらぐらと鬱に入るのが声の沈み様でわかる。
「それでもそれは与えなければならない罰でした。人間に手を出さないことは、私の娘になったときの取り決めの一つだったわけですから……」
「マレルが国を滅ぼした原因は何だったの?」
「当時の王族が国を廃退させていくのが許せなかったと言っています。それでその王族を殺害し、その時にマレルリアを不死者だと知った人間たちと争うことになり、結果的に国を滅ぼしてしまったのだそうです。始まりから終わりまで、一週間のことでした」
「一週間で国が……」
瓦礫になっていたが、かつての町並みは想像できる。整然と並ぶ石造りの建物。山に囲まれた盆地ではあるが、湖という水源もあり、国土は狭いながらも、資源には比較的恵まれていたのではないだろうか。この地域は世界的にさして重要ではない(当時の事情はまた違ったのかもしれない)が、それゆえに安泰だったのかもしれない。
「マレルリアの言い分も間違いではありませんでした。彼女が不死者になってから約百年後、王室は彼女の家系とは全く別の血筋にとって代わり、国は荒廃していました。元々王族だった彼女が憤りを感じたのも道理だとは思います」
「そうなの……? だって国を捨てて不死者になったんでしょ? 確かにアイツは根に持つタイプだろうけど、そんなに未練があったの?」
「それは………私も違和感を覚えました」
エデアは口元を押さえる。
「あの娘は不死者になるとき、あれほど…」
「あれほど?」
「あ、いえ……」
フェイムの眠っている部屋に案内されるまで、エデアはそれ以上何も言わなかった。最後のセリフが気になったが、聞くのも変だったし、不死者の「ややこしい事情」など、知りたくもなかった。
その後、エデアを連れて城の隅々までチェックすれば、一日が終わるのもあっという間だった。
泊めてもらっているくせに人の家の粗捜しをするみたいで気が咎めもしたが、必ずやっておかなければならない。不死者の住処で寝泊りするというのだから。
城の使用人は三人。すべてマレルの従者で、男の執事一人に若いメイド二人。三人とも基本的に無言で、意志というか、感情の起伏がないのだが、テキパキとよく働く。一応は客人である私が「お茶下さい」とそっけなく言ったら、嫌な顔一つせずに(別にいい顔もしなかったが)すぐに用意してくれた。不死者の眷族とは思えない、よくできた従者達だ。ちなみにかなり高位な不死者でなければ人間を従者にするのは難しいらしい。
建物自体は至って普通―――。エデアの話ではかつての王族の別荘であって、非常時には隠れ家の役割も果たしたらしい。
回りまわったら腹も減り、何だかんだ言って、結局用意された食事を口にすることになった。
「む……」
一口含んで、美味さに唸ってしまった。最近の食事の中で一番まともなのが悔しい……。
食後にもう一度フェイムの様子を見に行くが、依然眠ったままだった。本来なら不死者を寄せ付けないように結界なりを施したいところだが、そんな術は持っていない。同じ部屋に寝泊りすればいいのだが、それだと今度はエデアを連れ込んでしまうのか? 思考錯誤していたら、エデアも察したらしい。
「あの……ご心配でしたら、ア…フェイム君の部屋で寝ていただいても構いませんよ。私は廊下で、誰も来ないように見張ってますから」
「用心をする必要があるわけ?」
「いえ、特にはないと思いますけど……」
「だったらいいわよ。アンタのそういう気の遣い方………人間離れしすぎていて気持ち悪いんだけど」
「すみません…」
エデアがまた謝る。全く調子が狂う……本当は騙されているんじゃないだろうか?
用意された自室に戻ると、ベッドが一つ増えていた。
「……?」
「メイに頼んで運び入れてもらいました」
メイというのはメイドの片割れだ。おそらく……いや間違いなく、一人で担いで入れたのだろう。従者は少なからず主である不死者の力を受け継いでいる。ベッドを運び入れる怪力くらいあって当然―――そんな想像も無理がない、この不死者城。
「別に私は眠らなくても平気なのですが、それだとあなたが不安になるでしょうし、別にベッドを用意しないとマレルリアもヘソを曲げかねませんから」
「マジで一緒の部屋に寝るんだ……」
「え? なんですか?」
「別に! 不死者が床で寝てたらせいせいするのにって言ったの!」
自分のベッドに身を放り投げる。なんかもう、ありえない状況だ。
(そうだ………こんな状況になっているのにそれを甘んじて受け入れたりしているから、マレルにつけ入る隙を与えるんだ)
いけない――自分のルールを崩しては。
起き上がって剣を抜き、手入れを始めた。これはいつもの習慣だ、不死者の前だろうと関係ない……。
一方のエデアといえば――机に向かって、ペンを執っていた。
「…? 何をしてるの…?」
聞く必要はなかったのに、ついつい興味が勝ってしまった。
「日記です。私が物心ついた頃からつけているんですよ。その日の周りの出来事、世界の出来事を綴って、一年で一冊。もう三百巻くらいになります」
「三百……」
「大した内容ではありませんけど、ちょっとしたものでしょう? 私は不死者として世界を統べたいだとか、そんな野望はありません。でも自分の生きた証は残したい……。こういう感情は私の母方の、人間の部分なのかもしれませんね」
エデアはやわらかい笑みを浮かべるが……
「………くだらないわ。聞きたくもない」
アシェルは早々に剣をしまい、ベッドに潜り込んだ。