第七話 ―その4―
見覚えのある天井だった。白い壁は古めかしいが、重厚さを感じる歴史ある色味。
夜風が吹いてくるのを感じて首を動かすと、開け放たれた窓から白い月が覗いている。そして、淡い光を浴びる柔らかなシルエットが……。
「目が覚めたかしら?」
ブロンドの髪が私に落ちる。細い髪が肌をなぞる感触に肩を振るわせた瞬間、静かに口付けされた。
突然のキスに慌てることはない。なぜなら、唇の感触に覚えがあったから。迎え入れる自分にどこか驚きながらも、その正体を確かめたい衝動のほうが強くて、無意識に唇を味わっていた。
触れ合ったのはほんの数秒―――それで十分だった。
「……止めなさいよマレル。エデアに見られたら……」
「何を言っているの、今さら? エデアだってもう公認しているでしょ」
見下ろすマレルリアの薄いネグリジェは月光に透かされて肢体がほのかに浮かび、豪奢なレースの影が白い肌に美しく模様を刻んでいるようだった。神秘的なその姿はアシェルの心を捉え、惑わし、酔わすのに十分だった。
「まだ寝ぼけているのね。エデアは昼間に帰ったでしょう? 今は二人きり……気を遣ったのかもしれないけれど」
マレルは隣にゆっくりと身を横たえると、指先で私の肌をなぞり、徐々に手足を絡めてくる。自分もマレルと似たようなネグリジェ姿………薄布越しのマレルの触感は必要以上に心地よく、首筋から胸元に落ちていく唇が身体を沸騰させる。
「ふ……あ…っ、マレル…私はこんなこと……!」
「嫌なら抵抗すればいい。今の貴女にはそれができる」
「う………」
反論もしなかった。ただ、二人の呼吸だけが熱く乱れてくる。
「私は嬉しいのよ……対等の立場になったからこそ、アシェルとこうして愛し合える」
「マレル……ん…っ」
マレルに唇を重ねられると、腕が勝手に抱き返す。そしてマレルの手先もまた、私の身を流れていく……。
激しいキスと愛撫は、欲情のうねりそのものだった。アシェル自身初めての行為だが、その相手が女であり、不死者であることに、もはや戸惑いはしなかった。
(マレル……)
胸の奥で名を呼ぶだけでおかしくなる。心が震え、痺れる。
「あ……あぁっ…!」
マレルに溶かされていく。羽のようなベッドよりも、覆いかぶさってくるマレルに沈んでいくようだ。マレルの肌はこの上ないほど滑らかで柔らかく、なによりも熱い。温もりと愛をぶつけ合うことに、のめり込んでいく――――。
「はあ………アシェル…」
マレルは唇の間で繋がる銀糸もそのままに、真摯な眼差しで言った。
「これは貴女が望む形ではなかったのかもしれない。けれど、私は貴女の望みを一つだけ叶えられる。私は貴女を一人にしない。ずっと側にいてあげられるのよ……」
「…………!」
再び愛を交わそうとするマレルの唇を、アシェルは涙を流して拒んだ。
「アンタはもういない……私が殺した! 私が滅ぼしたのよ、この手で! 私のせいで、アンタとエデアは全てを失った。だから、もう………私を慰めたりしないでよ――――!!」
「ぅああぁっ――!」
「―――!!」
圧し掛かっていた影の襟首を掴んで壁に押し付け、逆手で抜いた剣の刃先を首元に当てつけた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ………くっ!」
息を荒げながらも首を締め上げるが、相手は真逆に冷静だった。
「……涙を拭いたら?」
「っ…!」
剣を捨てて相手をベッドに放り投げた。呼吸は落ち着かない。
「やっぱりアンタだったの……コルサータ!」
「…………」
コレットは黙ってうな垂れるだけだ。
「どういうつもりなのよ、連日こんな夢を見させて! 馴れ馴れしい態度で接してきて、本当は何が目的だったのよ―――!!」
気が狂いそうな声で怒鳴り散らす。しかしコレットは言い訳一つもしなければ、縮こまって喋れないという風でもない。ただ静かに視線を落とすだけだ。昼間とあまりに違いすぎる態度に、アシェルも怒りを過ぎて戸惑った。
「何よ、そんな――」
「私の役目は……この地を訪れた者が大聖者様に接見していいのか判断すること」
「え…?」
「どれほど精神修行を積んだ者でも、夢の中だけはどうしようもないから………私は大聖者様から力を借り受け、夢を介して来訪者の真意を探る」
「それで人の寝込みを襲ったっていうの!? こんなことまでして―――!」
口元を拭う。濡れた唇には、夢のままの生々しい感触が残っていた。
「……一つ答えて。私の夢に出てきたマレル……あれは私の願望? それとも……アンタが作り出したもの?」
「…………」
「答えなさいよ!!」
「言えっていうの!? この私に!!」
「はあっ…!?」
コレットは泣きながらも吼える。わけがわからないが、あまりに一方的な物言いに頭にきた。
「何を怒ってんのよ、アンタが!」
「わかるでしょ、どう考えたって!」
「何をわかれっていうのよ、そんな言葉足らずで!」
「アシェルは鈍感だから! だから…マレルリアを殺したことをいつまでも悔いているんじゃないの!」
「なっ…にぃっ!?」
力加減も忘れてコレットの頬を思い切り引っ叩いた。
「人の頭を覗き見ておいて、よくもそんなことが言えるっ! アンタなんかに何がわかるっていうのよ、この裏切り者っ!!」
「――!」
コレットは奥歯を噛んでアシェルを睨む。闇を突き抜ける強い眼光にビクリと背筋が硬直するが、それも一瞬で、泣き崩れて枕を叩いた。
「もういい……行きたかったら行けばいいでしょ! 上の結界だってとうに抜けられるから……!」
コレットは乱暴にドアを閉めて部屋を出て行った。
「何よ……あんな、自分勝手な…!」
荒れる気持ちごと身をベッドに放り投げ、頭を抱えながら暗い天井を睨み続けた。
……どれほど時間が経ったかわからない。
五分か十分か、一時間か……まだ夜は明けない。しかしどこかからの隙間風を冷たく感じ、ようやく沸騰していた頭も落ち着いてきた。
(なんだったのよ結局、あの夢は……)
大きく深呼吸してまばたきすると、一瞬マレルの幻が浮かんだ。思わず目を逸らし……もう一度見上げると姿は消えている。代わりに、身体に熱が甦る。
あの重さと熱は本物だった。たとえ自分が捏造したビジョンでも、その向こうにコレットがいたとしても……。
もしマレルが、エデアが、アロンやフェイムがそのままだったら、ああいう未来も在りえたのだと思う。そのとき……私はマレルを受け入れていただろうか。夢の中のように……
(いや……違う)
現実はそうではない。だから自分はここに来たのだ。不死者王に狙われ、人からも外れてしまった自分の行く末を探るために―――。
「…………」
身体を起こして、床に転がっていた剣を拾う。剣はいつも通り重く、しなやかで、役目を果たすためにその刃を研ぎ澄ませている。
不死者王という存在がアシェルの道程に立ち塞がっているとはいえ、敵対しているという感覚はない。そもそも、敵にすらされていない……。仮にアロンの言うとおり、自らの子供を産ませるためだとするならそれはおぞましいことだが、その時は抵抗して殺されるだけだと、どこかで考えてきた。その終末が見えたからこそ、ただあてもなく彷徨い続けていたのだ。
しかし………なぜだろう。サムギラグムで、ここで人と触れ合っているうちに、死ぬのが怖くなった。
今だってそうだ。一人になるのが、不安になるのが怖い―――。
「―――ふぅ…」
剣をするりと鞘に収め、服を着替える。
いつまで経っても答えはハッキリしない。だからこそ大聖者様に会いに行くよう、ミラム寮長も提案してくれたのだ。
仕度を整えてコレットの部屋の前を通ると、ドアの向こうですすり泣く声が聞こえてくる。
ノックしようとして―――手を止めた。
「コレット………行くから」
返事はなかった。
外に出ると、空が白み始め、朝日が顔を出し始めていた。まるでこの身を焼き尽くすように、眩しい。
アシェルは冷たい空気を大きく吸い込むと、陽光に背を向け、自分の影を追うように山を登り始めた。
久々にアップしますー……って、前話のあとがきと同じという…。
忘れていたわけじゃないですよ!?((;゜Д゜)) ちょっと煮詰まっていたし年末忙しかったし他にも掲載しているのがあるし……と言い訳並べるわけにもいきませんが。「あー、こんなのあったなー」とこの作品を読んだ覚えのある方がいらっしゃったら、ぜひ読み返して見てください。作者もそうします(笑)




