第五話 ―その5―
城の地下は混ぜ返すように獣の唸りが響いていたが、ザクルムは研究室から一歩も出ようとしなかった。
ワンフロア丸々とった研究室は相当な広さだが、隅から隅まで散らかっている。メモが散らばり、本は積み上げられ、棚すら乱雑に置いてあって、まるで迷路のようだ。物影にはあまり触りたくないような、生っぽいものもいくつか転がっている……。
その研究室の中心で一本の蝋燭に明かりを燈し、ザクルムはひたすら研究に没頭していた。研究対象はもちろん―――
「それが王の欠片か」
部外者の声にもザクルムは振り返らなかった。
「おやおや? おかしなことだよ。下でレイクマルドが食い止めてると思ったんだけど」
「大方、復讐者の相手でもしてんだろうよ。……案外、いい勝負かもな」
「バカ言っちゃいけないな。彼は一流の不死者相手でも互角以上に渡り合ってみせるほどだ。いくらなんでも人間の女に敗れる事はないね」
「わかんねぇぜ? マレルの血は相性が良すぎるみたいだからな」
ここにきて、ようやくザクルムは漆黒の侵入者―――入り口に立つアロンに目を向けた。
「血? 不死者だったのか?」
「いいや、血を飲んだ。まれにそういうヤツがいるんだろ?」
「『特異者』か……。狙ってなれるものじゃない分、能力は高いのか。いや、ベースが人間というのが大きいのかも……あの男が昔、そういうのをやってたな」
「…?」
「まあまあ、どうにしろ………君の方の用事はなんなのかな? できればさっさと出て行って欲しいんだけど」
「お前の持っている欠片を全部渡せば、三秒だけ悩んでやる」
「その気なし? でも欠片はまだ解析中……ヒマを潰すにはいいオモチャなんだよ、特にこの『脳』は」
そう言ってザクルムが手に取ったのは結晶体。こぶし大のサイズで、限りなく球体に近い多面体。わずかな灯りにもまばゆくほどにきらめくそれは、まさに至宝といえよう。
「この一面一面に莫大な知識が詰まっている。僕と〝彼〟は同世代だったけど、果たして僕の脳がこれほど綺麗な形になるのかな? ハハ、ちょっと自信ないね」
ザクルムは王の脳を実験器具に戻し、作業を再開する。アロンは眉根を寄せた。
「………王になるのが目的じゃないのか?」
「なるよ。一度はやってみたかったし、いくら無法地帯の不死族世界だって、誰かトップがいないと落ち着かない。それとも、君が王になる?」
「やんねぇよ、面倒くせぇ」
「じゃあ欠片はいらないだろう。というか、むしろ持っていないほうがいい。下手に力が散らばると後々面倒だ。私もこれで老い先短いと思うんだよね………残りの人生、争乱は避けたいよ」
「お前がどこで隠遁生活送ろうが知ったことか……!」
アロンはドアを蹴飛ばす。重厚なドアは蝶番が外れて、文字通り吹っ飛んでいった。
「荒れてるねぇ……でも元を辿れば、今の世界の現状は君のせいだし。そもそも、欠片を集めてどうしたいわけかな?」
「アイツのニオイが残ったものは全て消す! アイツのものは、何もかもな!」
「へえ………それじゃ、最後は君自身が消えるのかな?」
「…………あ?」
「おや、違う? だから君は姉も手にかけたんだろう?」
「何だと…………」
アロンがピタリと固まる。何を言われたのか理解できなった。
「…ふざけんな、姉貴をやったのはテメェらだろ! 素直に渡せば一気に滅ぼしてやろうと思ったが、ヤメだ。テメェの存在してきた千年が霞んで消えるほど無惨な最後を迎えさせてやる」
「ホ、若いね! だけど……そうだね、こっちもやる気を出すかな」
実験の経過をノートに速記すると、ザクルムはペンを置いて立ち上がる。同時に部屋中の灯りが一度に燈るが、それでもザクルムの影を薄くする程度だ。
「アロン=グランスダイト…………君はちょっとおかしいね。特に、君に憑いているらしい魂………不気味に思わないか?」
「不気味っつーか邪魔だ。だが、どうなるもんでもねぇ」
「君が王を倒した時の状況なりを詳しく説明してくれれば、協力できないでもないけどね?」
「命乞いかよ。見た目どおり、度胸もないってか? 戦いはクセモノの従者か、造ったガラクタ兵隊任せだもんなぁ?」
「そうさ……私は武力闘争に向いていない。だから年中この格好だ」
薄汚れた白衣を摘んでみせるザクルム。人間にして四十代半ばの顔とて、容はいいが、無精がたたって少々老けて見える。実年齢が千を超える不死者、見た目にほとんど意味はないのだが、さりとて人柄は顔つきに如実に表れるものだ。一見不老に見えて、実は生々しさが深く刻まれているのが不死者の面である。そういう観点からすれば、ザクルムの表情は実に清々しい―――悪を悪と認識しながら、悪そのものを真に理解していないのだ。
「私はこの永い時の中で、考察・実験・検証をひたすらに繰り返してきた。世界を暴こうとしてきたのさ。しかし君のお父さんには敵わなかった……。分野の違いももちろんあるよ。でもね、そもそも次元が違ったんだよ。彼の秘める力は途方もなかったよ。そして今………君にそれと同じものを感じている」
「俺とアイツが一緒だっていうのか!?」
「いいや、君自身はまだまだ小僧さ。だが―――上手く言えないが、君とは無関係なところで脅威を感じるね」
「意味がわかんねぇよ」
「そうだねえ。私もその謎はぜひ解き明かしたいところだが………なぜかな、早々に芽を潰しておかなくてはならないと直感的に感じるんだね。これは危機察知だよ、アロン君」
「尚更わかんねぇ……わかんねぇが!」
アロンは振り上げた右腕から王の腸を抜き出す。
「ナメてんじゃねぇぞ! テメェのふざけたツラは叩き潰す! 姉貴を滅ぼした報いを受けやがれ!」
振り上げられた銀の鞭は本棚を砕きながら勢いを弱めることなく、ザクルムに襲い掛かる。
「やれやれだ…ね!」
生物の如く奔る銀の牙をかわしたザクルムは、魔力を大きく膨らませ、充実させていく。
「我より分かつ七筋の導よ、己が理を明かすとき! 永智を放て!」
ザクルムの足元からいくつもの影が伸び、三メートルはある黒塗りの巨人となって立ち並ぶ。その数、七体。かなりの広さであるこの研究室でさえ窮屈に思えるほどの圧迫感………しかし、アロンは歪んだ笑みを浮かべる。
「出やがったな! だが、そんなのはな!」
アロンから伸びる影が巨人の一体を捕らえる。しかしアロンが引っ張りあげようとしてもビクともしない。
「なに……!?」
「アハハハ! 魔力に絶対的な差があるようだねぇ……つまり君は、私の七分の一以下だということかな?」
「―――!」
「冗談だよ。そんなに弱くはないさ、この影は。その証拠に、威力を味わってみればいいよ」
巨人は七体同時に魔力のチャージを開始。その一体一体が侮れない力を放出するであろうことは容易に想像できる。そしてそれら全てに対抗できる手段を、今のアロンは持っていないのだ。
ザクルムの秘術の真似事は出来る。しかしこちらが繰り出せる影はせいぜい三体まで、しかも圧倒的に弱い。間もなく撃ち放たれる七つの魔術を同時に処理することも不可能だ。いくら防御に徹したところで、防ぎきることは……
(いや……!)
七体の黒き巨人が魔力の輝きを力に変えて撃ち出す。収束していく七色の光に包まれながらアロンは―――
「うおおぉぉっ!」
―――そのうちの一つ、真正面の光へ飛び込んだ!
正面の巨人が放ったのは大出力の火炎。しかし炎の術式は最もポピュラーでもある。
(抗魔するには都合がいい……!)
力を正面だけに集中して炎魔術を押し返し、巨人に肉迫したアロンは、右手から見えない魔爪を伸ばして巨人を縦に切り裂く。さらに崩れていく影に紛れてザクルムに小さな炎球をみだれ撃つ。
「児戯だねぇ」
ザクルムが腕を軽く上げると、風で吹き消されたように炎が消える。
だが―――
「…ん!?」
火の粉の跡をなぞるようにザクルムへ飛んでくる銀色の鞭……が、三つ!?
「うおっ………なんのっ!」
ザクルムが盾の様に翳した輪が広がり、黒い膜を形成する。あらゆる力を吸収する「王の胃」だ。
アロンの伸ばした「王の腸」は、「胃」に近づくにつれてやはり失速し、三つに見えていた幻視もかき消される。牙を剥いた鞭の頭は輪の中にわずかに突っ込むが、それで完全に力を失い、アロンと胃の間でだらりと撓んだ。
「…………」
無表情で動きを止めるアロンに対し、ザクルムは手を叩いて賞賛する。
「ハハハ……! やるねぇやるね、アロン=グランスダイト! あの不可視の爪はオリジナルの魔術かい? 物理攻撃の効かない影坊主を斬ったことも感心したが、驚いたのはその後だ! 炎を目くらましに仕掛けてくるとは思ったけど、まさか幻術を仕込まれるとはねぇ……油断したよ。そして同時に、侮れないね。幻術は高レベルの術者同士では効きづらくて普通は使わないものだ。隙を狙ったとはいえ、そこまでの魔術レベルならこちらも危うい。小さくなった君にはかわいそうだけど、手段を選ばずにいかせてもらおうか」
「手段……か?」
「そう、この『王の胃』を使ったりね。こちらは最大攻撃、そちらの攻撃は無効、と……」
アロンに斬られた影坊主が起き上がって再び形を成し、残りの六体と一緒になってアロンの周りをぐるりと取り囲む。
「これで文字通り、八方塞ってわけだ。終わりだね?」
「………クッ」
「うん…?」
「クックッ………クックックック! 終わり、かよ……笑わせんなよ」
「何を……む!?」
王の胃が脈づく。その脈動は王の腸を伝ってアロンへと―――違う、逆だ! 銀の鞭から血が染み出している。これはアロンの仕業だ!
「…何をしたのかな」
「単純な話さ……誰が主か教えてやったんだよ、その王の胃にな。姉貴の魔術を二回も吸収したのがマズかったな。形が変わってもそいつは所詮胃袋、溜めるだけじゃいずれ満腹になる。案の定、鞭の威力は完全に殺しきれなかった。そんでもって一度触れちまったら、あとは俺の持つ『心臓』と繋げて血を流し込めば―――」
ポタリと、黒い穴から血が滲み出て、滴り落ちる。すると王の胃はまるで悶えるかのようにガタガタ震え出し、小さく縮むと、弾けるように跳んでアロンの手の内へと納まった。
「ヘッ、悪かったな。主権は最初から俺にあったんだよ!」
「………なるほど。だが、その胃が使い物にならないなら、形成逆転にはならないんじゃないかな……!」
ザクルム自身を含めての極大魔術同時放射。術の構成自体はさほど複雑ではないものの、炎・氷・雷・力場干渉結界・五感転換魔術など、オリジナルの術式も多種多様に混ざっていれば、すべて解術することは神業に等しい。アロンもいくつか同時に魔術を発動できる技術はあるが、さすがに八種は不可能。つまり、必殺の攻撃に晒されているのだ。
しかし―――
「甘ェ―――!」
必殺必中の魔術に呑まれたはずのアロンは無傷。
「……!!」
ザクルムは目を疑った。アロンが平穏無事でいられる原因は、アロンの頭上で展開している「王の胃」によるものとしか考えられない。だが……!?
「ククク…!」
アロンは赤い光の粒をこぼすマントを翻し、ほくそ笑む。
「『王の胃』で吸収したエネルギーの余剰分は、この『王の羽』から放出される。つまり俺が持って、初めて完全な機能を取り戻すのさ」
「卑怯だろう……そういうのは」
「テメェのようなクサレ野郎に言われたかねぇよ! だが確かに、このままじゃあのクソ親父の力に頼りっぱなしだからな。小僧の力がどれほどのものか見せてやるぜ」
「くっ……!」
ザクルムはアロンを囲んでいた影を下げ、一転して防御体制に移る。「王の胃」に対しての打開策が見つけられない以上はそれしかないのだが、まるっきり無策というわけでもない。アロンの攻撃が防げるのなら、戦いは膠着する。仮にアロンが諦めずに攻撃を続けても、体力勝負なら縮んだアロンよりザクルムに軍配が上がる。そしてザクルムにはまだ「王の脳」もある。これを解析すれば「胃」への対処法も見えてくるはず……俄然有利になる。要はこの場さえ凌げればよいのだ。アロンは自力で八重同時詠唱を防ぎきったわけではない。裏を返せば、アロンの技術は自分に及ばない―――ザクルムはそう計算立てていたのだが……。
「うおおぉっ!!」
増大するアロンの魔力が研ぎ澄まされていくのを感じる。生半ではここまでの錬度に達することはできない!
「ヘッ……こんな惨めなガキのカッコだが、とりあえずコイツを一発撃つ分にゃ困らねぇよ! 姉貴を手に掛けたテメェは欠片も残さねぇ……魂ごとズタズタにしてやる!!」
アロンは大きく身体を捻り、「それ」を振り上げた……!
「くらえぇぇっ!! 聖人断――っ!!」
アロンの後方の壁を打ち、床を抉って部屋中のものを全て粉砕し、亀裂は屋根にまで到達する――――目に見えない魔力の大鎌に呑み込まれたザクルムと影人形のシルエットは、ずれるように二つに分かれて沈んだ。
ものすごい久しぶりの更新です…。「アルタナ」シリーズは頑張って書いてますが、こっちはちょっと展開悩んでしばらく(かなり)放置状態です(;´Д`)。とりあえず次くらいでキリがいいので、そこまではなんとかスムーズに…。




