第四話 ―その3―
満天の星空を見上げる。この窓辺からの景色は何も鬱陶しいものがない。
城の離れの塔、その天辺ともなれば、隔離されているも同様である。食事と公務以外は厳重な監視の下……そして人の目が少なくなる夜はこの鳥篭に入れておけば、父上も安心というわけだ。
塔の最上階は、城の六階の高さに相当する。外への出入り口は部屋のドアとこの窓だけだが、どちらも脱出は難しい……。
(いつまでこんなところに押し込められるのかしら………)
政略結婚などゴメンだ。大体、自分の性格は「姫」という役目に向いていない。もちろんこの小国の事情は知っているし、他国の王族との繋がりが自国の行く末を左右することも、理解はしている。しかし―――それと結婚することは別だ。
周りがあまりにしつこく言うものだから、一つ条件を出した。
『私に剣で勝てたら、考えてもいい』
戯れでそんなことを口にしたら、早速三人ほど求婚に現れた。自分は意外とモテるらしい。
一人目はろくに剣を振れず、二人目は腕をちょっと切られて降参した。三人目に至っては、私が真剣を振り回していると聞いて勝負の前に逃げ出した。
そしてくだらない武勇伝の出来上がり―――。他国は私の勇猛さを噂し、今はまだ可愛い姫だが、いずれは武国の女王となるのではないかなどと、本気か冗談かわからない心配をしているらしい。その結果――他国への配慮で、今の私の現状がある。
(バカな話………姫なら誰も彼もが大人しく花を愛でているわけではないでしょうに。もういい加減、解放してくれないかしら)
雁字搦めの王族なんてどうでもいい。道具でしかない姫など……
「う……!?」
不可思議な気配が。急に部屋の空気が変わった。背後―――離れた窓辺から影が伸びている。
迷わず剣を手に取った。
「何者!」
振り向きつつ剣先を向ける、が……その姿を見た途端、身動きが取れなくなった。
月光を浴びて白く透き通る肌に、漆黒の髪。瞳は星空よりも深くて、視線がぶつかった瞬間、意識が呑まれた。
これは……これは神だ。そうでも形容しなければ理屈に合わない。こんな完全で、隙だらけで、純粋な美しさは―――。
その神は窓辺から降り立ち、膝を付いて頭を垂れた。
「し…失礼いたしました。どうか……ご無礼をお許しください」
「お…女??」
いや、一目見たときからわかっていた。ただ、今まで頭が認識していなかったのだ。
女神は少し顔を上げて、目が合うと恥ずかしそうに視線を逸らした。
「あの……突然こんな風に現れて戸惑われているでしょうが、正直に申し上げます。私は……不死者です」
「不死者……!?」
「最近この地に居を構え、散策がてら歩き回っていたのですが………その……何と言っていいのか………」
女神は少女のように頬を染め―――そう、見た目は自分と歳が変わらない娘だ。
「まるで……花の香りに誘われた蝶のように……気が付けば、ここに立っていたのです」
「…………………」
「本当に……本当に申し訳ありません。自分でもよくわからないのです…。どうか無礼をお許しに……二度と現れませんので、今宵のことはお忘れください」
「え………あっ、ちょっと待って!」
窓から飛び出そうとする彼女の腕を掴んで引き止めた。自らの行為に戸惑うが、なぜか離そうとはしない……離したくない。
「言いたいことだけ言って出て行こうとするなんて、あんまりじゃないのかしら?」
「え……?」
「答えて。私が〝花〟なの?」
女神は視線を落として、黙って頷く。
「どうしてそんなに恥ずかしがるの? 古い文献で読んだことがある………不死者は自らの血に合う人間を直感で探し出し、眷族に引き込むんですってね。貴女にとってのそれが……私?」
「……おそらく。でもこんな……私は生まれて五十年ですが、こんなはしたない衝動は初めてで……」
「はしたないって、どんな…?」
私は女神の真ん前に立ち、さらに顔を寄せた。近く、近く……息がかかるほどに。
「は…」
女神が身震いする。胸元に柔らかな重みを感じる…。
細い指先が触れ合い、ぎこちなくも絡まっていくと、女神が悩ましげな吐息を洩らした。いや……自分だって胸がはちきれそうだ。
「ねぇ……本能の赴くままにしたら? そうすれば楽になれるんでしょう?」
「でも、あ…私は……」
「蝶は―――蜜を吸うものよ」
「あ……」
頬は紅く染まり、薄く開いた口の奥に覗く舌先には瑞々しさと柔らかさが同居し、互いを誘惑する……そしてどちらからともなく、唇が触れ合った。
ただ触れているだけなのに、胸がいっぱいになって、涙がこぼれそうになる。でも離れられない。やがて複雑に絡まる柔らかな交錯は、苦しいのに気持ちよくて、底なし沼のような快感だった。
(そうか……蜜を吸いたいのは私だ。私は彼女に、魅入られてしまったんだ………)
そう気付いたのは、ベッドに引き倒した後だった―――。
「……………」
変な気分だった。まず、明るい。そして風の匂いが違う。
「夢………」
マレルは額に手を当てた。
どうして今さらあの時の夢を見たのだろう? もうかれこれ、二百五十年前……。
「あ…」
口元を拭う。
「エデア……?」
エデアは、ベッドに突っ伏して眠っていた。
(やっぱり……キスしてる間に眠ってしまったから、あんな夢を見たのね)
思っていた以上に疲れていたらしい。キスされながら眠りについたことなど、自分でも記憶にない。
身を起こしてエデアに視線を落とすと、過去の情景がクルクルと再生された。
あの最初に出遭った夜の後―――毎夜忍び込んでくるエデアに自分も不死者にしてくれるよう何度も頼んで、激しい口論になって、激しく抱き合っては別れた。それを二週間繰り返し、ようやくエデアが折れた。エデアが胸に牙を立てた瞬間を、今でも覚えている……。
そして次に目覚めた時は、エデアの館の中だった。不死者として生まれ変わる三ヶ月の間、ちょうど今のように、エデアはずっと私の側を離れなかったらしい。
(今も変わらない、か……)
己の胸元に触れる―――そして思い当たった。
(私が風呂場でアシェルにあんなことをしたのは、無意識にあの夜を思い出していたから……? それともあの夜のエデアみたいに、衝動に突き動かされていたのか……)
はっきりしない。でも一つ確かなのは………エデアの時と違い、アシェルとは想いが繋がらないということだ。
「フラれたっていうか………普通そうよね……」
瞼を擦って一つ息を吐くと、エデアに目覚めの接吻をした。
「どうしたんでしょう……。僕、呼んできましょうか?」
「余計なことしなくていい!」
ついフェイムにまで怒鳴ってしまった。紅茶を啜って気持ちを落ち着かせようとしても、表情が渋くなっていくのが自分でもわかる。
午後二時半を二十分まわったところで、やっと二人の不死者が現れた。
「悪いわね、少し寝過ごしてしまったわ」
「あっそ」
尖った声しか出ない。
「ごめんなさいアシェルさん、私が起こすつもりだったのに……」
「余計な釈明はいい! 聞きたくもない……」
エデアにまで噛み付いてしまったが、二人一緒にいたんだからエデアだって同罪……いや、同罪って何だ。でもエデアも寝ていた? それはつまり……
「アシェル」
席についたマレルがこちらをじっと見詰めた後、嘲笑した。
「妬いてるの?」
「――――っ」
カップをソーサーに叩きつけたが、マレルは鼻で笑う。
「そこまであからさまに反応されてもねぇ? メイ、お茶」
無表情で畏まっていたメイドが部屋を出る。重苦しい空気の中で、マレル一人が飄々としている。
「さて、アシェル……話をする前に一つ。もし今後フェイムと別れることになっても、あなたは一人で復讐行脚を続けるつもりなのかしら?」
「当たり前でしょうが、くどい!」
「その程度の力で?」
ジリッと、全身の毛が逆立ちそうになる。
「アンタ……ケンカ売ってんの!?」
「ケンカ? そうねぇ……ケンカしましょうか」
「マレルリア?? 何を言って―――」
エデアを手で制したマレルは、チラリとフェイムを見てから口を開いた。
「ルールはそうね……手段は何でもいいわ。私から一本取れれば勝ち。あなたは三本取られれば負け………もっとハンデがあったほうがいい?」
「ふざけるなっ、そんな遊びに付き合ってられるか! さっさと―――」
「負けたら勝った方の言うことを一つ聞くというのでどう? あなたが勝てば、仇の不死者の名前を教えてあげる」
「―――!」
エサだとわかっていながらも、その提案には食いつかざるを得なかった。
(確かにマレルは強い……だけどこの数日で、私も力が付いている)
ハンデをつけるくらいだ、どうせマレルは油断している。隙を狙えば勝機はある……。
「……その条件は絶対でしょうね?」
「もちろん、逆の場合もあると覚えておくことね。じゃあエデア、スタートの合図を」
「え? ス、スタート!?」
エデアの間抜けな掛け声の直後、マレルの姿が消え――――次の瞬間、アシェルの身体は窓を破り、世界は回っていた。
「マレルリア!――……」
エデアの叫び声もすぐに遠くなる。
二階の窓から投げ飛ばされた――。そう理解できたのは、運良く木の枝に引っかかって止まったからだ。
「ア…アイツ!」
深呼吸で無理矢理息を落ち着かせて降り立ち、気配を消すが……
「死亡一回目……」
背後からの囁きに、ぞくりと。身体が反応したときには、すでに捕らわれていた。
後ろからするりと締め上げる腕の力は強くなかったが、美しい右の貫き手は左胸に狙いを定めている。
アシェルが硬直したのを確認すると、マレルは貫き手を柔らかく解き、ゆっくりと胸に触れ、ふくらみに指を沈めていく………
「ちょっ…!」
ふと、風呂場でのことを思い出して、顔が熱くなる。
「動悸が激しいわね…………フフ、〝怖い? 私が…〟」
「だ…誰が!!」
カッと頭に血が上った。胸を弄る手を払い落として距離を取る……冷や汗が止まらない。
マレルは余裕の笑みで肩を竦めると、いつの間にか持っていた二振りの木刀の一方を放り投げてきた。
「私は別に真剣でもいいけれど、あなたのような半人前にはこのくらいがちょうどいいでしょう?」
「マ……マレルぅっ!」
木刀を握り締めると焦りが力に変わった。突進する勢いそのままに剣を叩き込む! が、マレルは軽々と受け流す。
「うぅ…!? でああぁっ!」
手加減しているはずもないのに、まるで当たらない。木刀が重く、身体が鈍く感じる。
(届か……ない!)
マレルは落ち着いたステップで、こちらの攻撃を踊るようにかわすのだ。
渾身の一撃すら片腕で弾き返され、マレルの逆の拳が脇腹に突き刺さった。
「ぐぅ…ッ!? くあ…ぁっ!」
痛みにうずくまるが、剣先で顎を引き上げられて、首に刃筋を当てられる。
「また死んだ。思ったより弱い……まるで相手にならない。全く、仕方がないわね」
マレルは木刀を捨て、挑発するように大きく腕を広げた。
「さらにハンデをあげる。こちらは素手で、さらに百秒時間をあげるわ。打ち込んでくるなり、策を練るなりしなさい」
「く……うううッ!」
背を向けて必死に駆け出す。やがて足がもつれそうになって茂みへ飛び込んだが、こうも呼吸が荒くては隠れている意味もない。
(おち…落ち着け……!)
マレルは……追ってこない? いや、百秒待っているのだ!
(クソッ……クソッ!)
圧倒的、絶対的、……そんな言葉だけが浮かんで付きまとう。奇襲を受けたとはいえ、気配を察知できないまま一方的にやられ、剣でも相手にならなかった。しかもマレルはまだ不死者らしい能力を使っていない。パワーもスピードもレベルが違うが、まだこちらに合わせて手加減し、しかも幻術や魔法といったカードを残している……。
(まるで打つ手がない! どうすればいい!?)
無意識に手が腰元に伸びるが、いつもの剣はない。だが剣を握る感触をいくらか思い出して、わずかに冷静さを取り戻せた。
(そうだ………追いかける獲物のほうが大きかったことなんて今までいくらでもあった。強大な相手を打ち倒す秘訣は………)
思い出せ―――あの研ぎ澄まされた感覚を。あの固い決意を。
「不死者を倒すには……不死者のルールには……のらない!」
相手に呑まれては駄目だ! 望むのは、必殺必中の一撃のみ!
(倒す! マレルを倒す! たとえ刺し違えても、あのマレルを……!)
木刀に強気を乗せ、不死者を滅ぼす杭にする。ビリビリと毛先にまで力が漲り、さっきまでの震えがウソの様だ。
今ならマレルを………捉えた! 気配を感じ取れる! マレルはこちらにゆっくりと距離を詰めてきている。マレルはこちらの位置を知っているようだが、こちらが察知したことには気付いていない。
勝機―――一気にマレルの頭上へと飛び込んだ!
「勢やああぁぁ!!」
「――――!!」
マレルが構える前に間合いがなくなり……いや、構えたとしても防げない!
獲った―――
「あ………っ!?」
ガクンと力が抜けた。必殺の一撃は……届いていない。マレルの掌撃の前に、木刀は粉砕されていた。
「気迫だけは一人前だけどね………そんな捨て鉢な攻撃で勝てるかっ!!」
胸倉をつかまれて思い切り地面に叩きつけられた。まさに天地がひっくり返る衝撃で、息をするのも忘れる……!
「さあて……仕上げね」
圧し掛かるマレルは躊躇なくアシェルに手を伸ばす。身動きの取れない身体をマレルの指先が蛇のように這い回り、服を捲り上げた。
「なっ…!?」
「負けたら、言うことを聞く約束よね……?」
曝された肌に熱く息を吹きかけられ、全身が凍った。
胸に、牙を―――私を、不死者に―――!
「止めろ…止めろぉっ!! 私は不死者にならないっ、なりたくない! 私が不死者になったら、不死者になってアンタたちと暮らしたりしたら……私のせいで、私を庇って死んでいった人たちの人生がみんな無意味になってしまう!! そんな苦痛を背負ったまま何百年と生き続けたら―――私は壊れてしまう!!!」
「………………」
「止めろっ……止めてよ! お願いだから………止めて……」
懇願も無意味………穏やかに背に回るマレルの腕は、微塵も抵抗を許さない。
「あ……ひっ……!」
マレルの唇が胸に吸い付いた瞬間、魂まで射抜かれたかのような錯覚に、アシェルの眼前は真っ白になる―――。
「弄ばれた挙句に噛まれ、人としての終わり、か………無様だこと。でも不死者相手ならこうなるのよ。今すぐでなくてもね」
冷たく視線を落とすマレル。アシェルに牙の跡はない。だが、完膚なきまでの敗北の傷は胸に深く刻まれる。
肩を振るわせるアシェルの服を戻したのもつかの間、マレルは襟を掴んで起き上がらせ、木の幹に押さえつけた。
「約束よ、アシェル。私の命令……復讐を止めなさい」
「うっ…!?」
「不死者の世界はとてもデリケート。私たちに直接の害があろうとなかろうと、あなたにかき回されるのは迷惑なのよ。もっとも………あなた如きがどうにかできるわけでもないだろうけれど」
強い視線はアシェルに有無を言わさなかった。
「わかったでしょう!? 己の無力さが! 不死者との差が! 常人に毛が生えた程度の実力、敵に涙を見せる脆さ……所詮は小娘に過ぎない! 分をわきまえなさい!」
マレルの言葉が、アシェルの何もかもを崩していく。だが、それでも………
「わ……わたし、は……」
「…!?」
「私は…憎む…! 不死者を………許さない!」
「まだそんなっ……諦めなさい! 諦めなさいよ!!」
「ああぁ……っ!」
首を絞めるマレルの力が増す。首の赤いキスマークを爪が抉り、傷で上書きする……。
「もうこれで、私とは何の縁もなくなったわ。アシェル………さよならよ」
マレルは指先の血を舐め取ろうとして――……止めた。




