『激しい悲痛と絶望に苛まれ』
最奥の部屋を支配していた静寂を破り、総主教の口から漏れ出る低く不気味な唱名しょうみょうが途絶えた。
彼が両腕を天へと広げると同時に、祭壇の中央に鎮座していた紫色の物体が猛烈な脈動を打ちはじめる。解き放たれた激しい光の波動が空間を包み込む。それは救世主の死、そして世界の終焉を告げる破滅の威力が発動した瞬間だった。
直後、高圧の雷に打たれたかのような衝撃とともに、紫の物体は甲高い音を立てて爆散した。
「くっ……!?」
四散した破片が不規則な軌道を描いて舞うなか、そのひとつが鋭い閃光と化して一直線に疾走する。遮る猶予すらない速度でルシアの横を掠めた破片は、背後に控えていたヴィオの眉間に衝突し、まるで肉体へとしみ込むように消失した。
「ヴィオ!」
ルシアの悲痛な叫びが、冷たい地下聖堂に深く響き渡る。
その声を聞いて、はじめて総主教が緩慢な動作で振り向いた。内に異様な光を孕んだ瞳は不気味に濁り、狂気に歪んだ顔でルシアたちを捉える。
「……鼠どもが。聖なる破滅の儀を汚すか!」
総主教は懐から長剣を引き抜くや、凄まじい踏み込みでルシアへと躍り出た。白銀の聖衣を翻し、一閃の刺突がルシアの喉元を鋭く穿ちにかかる。
ルシアは咄嗟に持っていた錫杖しゃくじょうを斜めに構え、その刃を受け流した。
耳を打つ金属音が地下空間に激しく反響する。ルシアは即座に軸足を移して体勢を崩さず、流れるような動作で体幹の捻りを活かすと、錫杖で総主教の胴を横一文字に打った。
みぞおちを正確に捉えられた総主教は短く苦悶の声を漏らし、壁際へと叩きつけられて崩れ落ちた。
「ヴィオ、無事——」
安堵しかけたルシアの背後で、突如として悲痛な悲鳴が上がる。
「ルシア様っ……きゃあああ!」
ルシアが素早く振り返ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。ヴィオの容体を確かめようと駆け寄っていたはずのココロギが、床から這い出た粘着質な紫のオーラで編まれた縄に全身を固く縛り上げられ、転がされていたのだ。
そしてその傍らに立っていたのは、倒れたはずのヴィオだった。
ヴィオの頭部は緩やかに上がり、その瞳はすっかり正気を失って不気味な紫の光を赫々(かくかく)と放っている。床に突き立てられた長柄の錫杖からは、紫色のオーラがメラメラと燃え上がっていた。
「ヴィオ……? 正気に戻りなさい!」
◇
ルシアは体内の異能の力を呼び覚まそうと意識を集中させた。——だが、動かない。全身の血流が冷たく凝固したかのように、これまで自由自在に繰り出していた異能が影も形もなく消失していた。身体に巡るのは純粋な筋肉の限界と、手にした錫杖の重みだけだった。
(異能が……使えない……!?)
思考を巡らせる暇は与えられなかった。傀儡くぐつと化したヴィオが、重い長柄の錫杖を軽々と振り回し、風を切る音とともに猛然と肉薄してきたからだ。
頭上から振り下ろされる必殺の一撃。ルシアは直感的に半歩引き、間一髪で間合いを切る。石畳の床が粉々に砕け散り、鋭い破片が頬を掠めた。
間髪入れずにヴィオは柄を滑らせ、間合いを詰めて鋭い突きを放ってくる。異能を失ったルシアの体感速度では、その一撃一撃が死に直結していた。ルシアは右へ倒れ込むように身を捻り、突き出された柄を自身の錫杖で側面に打って軌道を外す。
激しい打撃の振動が、ルシアの手首から肘へと激痛となって走った。
「うあああっ!」
正気を失ったヴィオは人間離れした筋力と速度で、容赦なく打撃の連打を繰り出してくる。上段からの払い、返しの一撃、石突きでの突進——。武術の型を超えた狂暴な剣劇の嵐に対し、ルシアは泥臭く足さばきだけで致命傷を避け、錫杖の硬い金属部分で最小限の受けと流しを繰り返すしかなかった。
打ち合うたびに飛び散る火花が、暗闇の中に紫のオーラを浮かび上がらせる。地力と異能を乗せたヴィオの圧倒的な踏み込みに対し、ルシアは一歩、また一歩と後退を余儀なくされた。汗が目に入り視界が滲むが、瞬きすることすら許されない。
「ヴィオ、私よ! 目を覚ましなさい!」
ルシアは声を振り絞りながら、ヴィオの踏み込みに合わせて自身の錫杖を相手の足元へとしごき出した。ヴィオの体勢を崩そうとする渾身の一打——だが、ヴィオはそれを予測していたかのように高く跳躍し、空中で長柄の錫杖を大車輪の如く旋回させて上段から叩きつけにかかる。
ルシアは両手で錫杖を頭上に掲げ、死力を尽くして受け止めた。
強烈な衝撃が膝を折り、地下聖堂の床に巨大な亀裂が走る。紫色のオーラがルシアの肌を焼き焦がすほど近くで揺らめく中、二人の視線が至近距離で交錯した。
「ヴィオ……私に、あなたを殺すことなんてできないの!」
ルシアは全身の力を振り絞り、受け止めたヴィオの錫杖を押し返した。 紫炎の瞳をした少女が、その反動で数歩後退あとずさる。
「うあああああっ!!!」
正気を失った咆哮とルシアの絶叫が交錯し、地下堂に空しく木霊した。
◇
上空では紫炎のオーロラが、落雷のような一瞬の眩い光を残して霧散した。地下深くのこの場所からは見えない空の異変——それこそが、ルシアが全身全霊の命と力を振り絞り、オクタヴィアを覆っていた結界を打ち破った証だった。
「ルシア様っーー!!」
「ココロギ!」
ルシアはすぐさま旋回し、錫杖を横薙ぎにしてココロギを縛り上げていた紫炎の縄を断ち切った。
「何という力だ……結界を打ち破るとは! 死ね!!」
正気を失ったヴィオが猛然と迫り、その錫杖をルシアへと振り下ろす。 ルシアは振り返り、倒れているココロギを守るように大きく両腕を広げた。
——ズブッ、と重い音が響く。 ヴィオの放った長柄の刃が、ルシアの胸を深く貫いていた。
「ルシアっ!!」 「ルシア様っ!!」
その直後、ヴィオの背後から疾走してきたリアムの一閃が走る。聖剣アウレリウスが閃光を描き、ヴィオを斜めに斬り捨てた。 ルシアが結界を解いた一瞬の隙を突き、ココロギが解放された異能を発揮して、地上宮殿にいたリアムを地下へと瞬間移動させたのだ。
「ルシア!!」
リアムは倒れたヴィオを押し除け、血に染まるルシアの身体を抱き上げた。
「リアム……来るのが、遅いよ……」
力なく微笑むルシアに対し、ココロギは必死で異能の光をかざし、治療を試みた。しかし傷口は塞がらず、手元から放たれる光は弱々しく明滅するだけだった。
「ルシア様! 私が助けますから……だめ、なんで!? 何で出来ないの!? 治療……治癒っ……!」
「ココロギ……もう、無駄よ……」
ルシアは結界を打ち破るため、自らの命そのものを対価として捧げていた。だが、悲しませまいと、その事実をリアムやココロギに詳しく説明することはしなかった。
(もう……時間がない……)
ルシアは残されたわずかな力を振り絞り、手元にあった刃で自身の手首とリアムの手首を手早く切り裂くと、互いの血が混ざり合うように傷口を強く重ね合わせた。
「ルシア! 一体、何を……!?」
「リアム……あなたに、私の力を渡すわ。これから先……絶対に、必要な力だから……」
「ルシア様! 待って! 行かないで……嫌だ、だめえぇっ!!」
泣き叫ぶココロギの声が遠ざかっていく。
「ルシア! ルシアっーー!!」
ゆっくりと、けれど確実に行命の光を失い、力なく目を閉じるルシア。 冷たくなっていく彼女を強く抱きしめたまま、リアムもまた激しい悲痛と絶望に苛まれ、声をあげて泣き崩れるのだった。




