『転生姫の巡幸、爛漫の奇蹟』
翌朝、古都エルサ・ルーメンの空は、雲一つない澄み切った青に染まっていた。
「さあ、ルシア。街案内をしてちょうだい。せっかく伝説の都へ来たのですもの、この目でしっかりと見ておきたいわ」
朝食を終えるや否や、セシリアはそう言って愛らしい笑みを浮かべた。昨夜の突然の召喚に対する怒りはどこへやら、彼女の瞳は少女のように好奇心で輝いている。
ルシアにとって、それは願ってもない申し出だった。表向きは新たな宗教勢力による市内巡幸。だがその本質は、最愛の母との水入らずの観光であり、待ちに待ったデートに他ならない。
しかし、ただ歩くだけでは占領直後の市民に無用な動揺を与えかねない。そこでルシアが用意したのは、完璧に演出された「聖なる行列」であった。
「ル、ルシア……これ、本当に母が着るのですか……?」
着替えを終えたセシリアが、大きな姿見の前で頬を染めて佇んでいた。
彼女が纏っているのは、純白の尊厳なるドレスである。最高級の絹が描く贅沢なドレープは、まるで天界の衣のようだった。ルシアはあらかじめ、ベルトトに命じ、『神託の聖母』という至高の称号を市内に布告させていた。その権威にふさわしい、圧倒的な美しさがそこにあった。
「ええ、とてもよくお似合いです、お母様。聖地の民も、その神聖さに息を呑むでしょう」
そして、白絹の宝冠を被らせた。光沢のある崇高な極上の生地に、宝石が無数に散りばめられて美しい。
ルシア自身も、細かな銀刺繍が施された巫女らしい純白の祭事着に身を包み、セシリアの脇を固める。その背後には、同じく純白の装束に身を包んだヴィオ、ココロギ、そして手配を完璧にこなしたベルトトが控えていた。
こうして、白一色に染まった麗しき一行は、五本の尖塔が聳えるマジェストゥウーズ聖堂の門をくぐり、エルサ・ルーメンの市街へと進み出た。
「おい、見ろ……! 先導の聖騎士様のあとに、見たこともない美しい方々が……」
「あれが、布告にあった『神託の聖母』様か……?」
石畳の広場を進むにつれ、遠巻きに見ていたエルサ・ルーメンの市民たちが、吸い寄せられるように集まってきた。天信教の欺瞞から解放されたばかりの民は、次なる心の拠り所を求めていたのだ。
「聖母様! どうか我が家の不運をお救いください!」
「娘の病が治らぬのです、お慈悲を……!」
たちまちのうちに、祈願や相談事を口にする市民の群れが行列を取り囲む。
だが、ルシアに焦りはなかった。すべては想定内である。
「皆様、恐れることはありません。聖母の慈愛は、等しく皆様に注がれます」
ヴィオが朗々たる声で告げると同時に、ルシアとココロギがその場で作っていく『神秘札』が配られ始めた。それは絵や文字が精緻に書き込まれた札であり、受け取った者それぞれの悩みに対する神聖な注意事が示されている。さらに、病を患う者には「病気の治る護符」が授けられ、困窮に喘ぐ者には、背後に連なる聖騎士たちから、輝く宝石が手渡されていった。
「おい、これは……! ありがてえ、これで子供たちに腹いっぱい食わせてやれる!」
施しを受けた市民が歓喜の声を上げる。
施しを終えた聖騎士は、流れるような動作で列の最後尾へと並び直し、次の施しの準備に回る。ベルトトが構築したこの無駄のない巡回システムにより、行列は混乱することなく、整然と進んでいった。
その中で、もっとも活き活きとしていたのはココロギであった。
最初は「私にそんな事。出来るのでしょうか?こんな大役を……」と萎縮していた彼女だったが、泣きそうな顔で縋り付いてくる母親や子供たちの姿を見るうちに、その優しい心根に火がついたらしい。
「あ、あのっ、これ、お守りです! 痛いお腹に当てると、じんわり温かくなりますからね!」
手際よく護符を生み出し、神秘札の文様をその場で指先でなぞって完成させていく。ココロギの内に眠る強大な異能の一端が、この瞬間は「癒やしの奇蹟」として完璧に制御されていた。
「わあ、ありがとう、お姉ちゃん!」と子供に手を握られ、ココロギは「へへへ」と嬉しそうに、次から次へと楽しげに市民たちへ対応していった。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、ルシアはセシリアの手をそっと引き、大通りを進む。
「お母様、あそこをご覧ください。先の戦いとグラッデェ人の乱暴によって、崩落したままになっていた石橋です」
ルシアが指し示した先には、川を跨ぐ中央部分が無惨に崩れ落ちたアーチ橋があった。市民たちが不便を強いられ、戦後の爪痕として暗い影を落としていた場所だ。
ルシアは一歩前に出ると、自身の右手を静かに掲げた。その瞳に、底知れぬ異能の光が宿る。
「——これより、聖母の御前において『奇蹟の現象』を示さん」
鈴の鳴るような声が響いた直後、空間が微かに歪んだ。
大気を奔る透明な力が、バラバラに砕け散って川底に沈んでいた巨石を持ち上げ、まるで時間を巻き戻すかのように、あるべき場所へと嵌め込んでいく。激しい火花も音も立てず、ただ神秘的な光の粒子が収束するようにして、数瞬の後には、寸分の狂いもない強固な石橋が元通りに姿を現した。
「おおお……っ! 橋が、一瞬で直った……!?」
「奇蹟だ……! 本当に奇蹟の巫女様だ!」
ひれ伏し、歓声を上げる市民たち。ルシアは表情を崩さぬまま、背後のセシリアを振り返り、悪戯っぽく片目をウインクしてみせた。
(どうですか、お母様。私の異能も、少しは役に立つでしょう?)
無言の視線でそう語りかける娘に対し、セシリアは呆れたようにクスリと笑った。
「もう、ルシアったら。そんな派手な真似をして……。でも、街を綺麗にするというのなら、私だって負けていられないわね」
セシリアは純白のドレスの裾を軽やかに翻すと、新しく生まれ変わった石橋の袂へと歩み寄った。そして、しゃがみ込み、まだ土埃に塗れている地面にそっと、白い素手を触れさせる。
その瞬間、聖地の民は本日二度目の、そして最も美しい奇蹟を目撃することとなった。
セシリアの手のひらを中心として、うす暗い土壌から鮮烈なまでの『緑』が噴き出したのだ。
みるみるうちに青々とした芝生が広がり、瓦礫の隙間から瑞々しい蔦が伸びていく。それだけではない。固く閉じていた蕾たちが一斉に弾けるようにして、赤、黄、紫、白——目も鮮やかな大輪の花々が、一瞬にして石橋の周囲を埋め尽くした。
乾いた風が吹き抜けると、芳醇な花の香りが街中へと広がり、戦禍の悪臭を完全に掻き消していく。
「嘘だろ……花が、こんな一瞬に……」
「まるで、春の女神様だ……!」
市民たちは驚きと感動のあまり、言葉を失ってその光景に見惚れていた。緑を豊かに茂らせ、色彩を失っていた古都に一瞬で生命を吹き込んだセシリアは、立ち上がると、眩しい太陽の光を受けて眩く微笑んだ。
「さあ、ルシア。次はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」
「ええ、どこまでも。お母様が行きたい場所へ」
ルシアは満面の笑みを浮かべ、再びその手をしっかりと握り締めた。
戦後の重苦しい緊張感は、二人がもたらした光と緑、そして溢れる活気によって、完全に塗り替えられようとしていた。




