『ルミナリアの花火』
遠く南洋の果て、ディヌイヤ王国にて国王ボロ・ディヌイヤとの密約を無事に交わしたルシアは、帰路の途上にあった。
長い船旅の疲労は、十五歳となったその身体に確かに蓄積していた。だが、いま揺られている内海の雄大で静かな水面は、彼女の心にえも言われぬトキメキを芽生えさせていた。
「もうすぐ……お母様とお会いできますわね」
甲板から差し込む涼やかな風を感じながら、ルシアは呟いた。
目指すは、母セシリアが待つ「花の都」ルミナリアである。
今回のルミナリア訪問は、母が事前に「静養旅行」という完璧な大義名分を整えた上で、ルシアは単独でディヌイヤ王国との密約を交わしに出掛ける手筈であった。その後、ルミナリアにて母と合流し、セレスティアに一緒に戻るのである。
何よりルシアがこれほどまでに先を急ぐ理由は、ただ一つ。ルミナリアで開催される「夏の花祭り」であった。
重苦しい親王家としての仮面など、脱ぎ捨て。高貴な姫君としてではなく、ただのどこにでもいる一般庶民の母娘のように、母の手を取って賑やかな祭りへ出掛けたいのだ。露店を覗き、百合の花が咲き誇る水路を眺め、母の弾けるような笑顔を一番近くで見たい——その一心で、彼女は船を急がせていたのだった。
◇
船から降り立ったルシアは、旅の疲れも忘れたかのように、弾む足取りでルミナリアの祖父母の屋敷へと向かった。
重厚な館の扉を開けると、そこには優美な佇まいで娘を待っていた母・セシリアの姿があった。
「お母様! ただいま戻りましたわ!」
「ルシア……! お帰りなさい、無事で何よりです」
母のもとへ駆け寄り、勢いよくその胸へと飛び込む。セシリアは愛おしそうに娘の背中を抱きしめ、長旅の労をねぎらうように柔らかな髪を優しく撫でた。
「ディヌイヤでの交渉も、完璧に済ませて参りましたわ。ボロ王も来春の侵攻を快諾してくれましたの」
「ええ、あなたならやり遂げると信じていましたよ。……けれど、いまはその難しいお話はおしまい。今日は、待ちに待ったお祭りの日ですものね?」
セシリアが悪戯っぽく微笑むと、ルシアの瞳がきらきらと輝いた。
「ええ! お母様、早く出掛けましょう! 今日は、ふたりで思いっきり楽しむのですわ!」
ドレスの裾を翻し、心底楽しそうに笑うルシア。普段は冷徹な策士として世界の盤面を動かす十五歳の少女が見せた、年相応の無邪気な素顔。セシリアは
「はいはい、分かかりましたよ」と心地よい溜息をつきながら、愛しい娘の手をしっかりと握り返した。
夕暮れ時、茜色に染まるルミナリアの街並みには、甘い花々の香りと祭りの賑やかな囃子が満ちていた。
色とりどりの花で飾られた水路沿いを、手をつないで歩く一対の母娘。親衛隊も豪華な馬車もない。ただ寄り添い合い、屋台の甘味に目を輝かせ、笑い合うふたりの姿は、街を行き交う人々の中にどこまでも自然に溶け込んでいた。
◇
夕闇が濃くなるにつれ、ルミナリアの街角にはぽつぽつと温かな灯籠の光がともり始めた。
川面をわたる冷涼な風が夜風へと変わり、立ち並ぶ百合の甘い香りと、香ばしい屋台の匂いを同時に運んでくる。水路沿いに広がる夜市は、色とりどりの紙燈籠で彩られ、人々の賑やかな熱気で満ち溢れていた。
「見てくださいな、お母様! あちらの屋台、凄く賑わっていますわ!」
高貴な姫君としての佇まいを綺麗に脱ぎ捨てたルシアは、セシリアの手を引いて弾むように人ごみを潜り抜ける。普段なら護衛が目を光らせる場面だが、今夜はただの「どこにでもある仲良し母娘」だ。
屋台では、アシュロン川で獲れた新鮮な魚を香ばしく焼き上げた串焼きや、甘い果実を煮詰めた色鮮やかな水飴が並んでいた。ルシアは目を輝かせながら焼き立ての果実餅を買い込み、半分に割ってセシリアへと差し出す。
「はい、お母様。温かいうちに召し上がって」
「ふふ、ありがとうルシア。……美味しいわね」
ふうふうと息を吹きかけながら頬張る娘の姿に、セシリアは目を細め、溢れるような愛おしさで胸をいっぱいにした。街を行き交う人々は、この美しい母娘がアルヴェリア親王家の側室と令嬢だとは夢にも思わず、楽しげな様子に微笑ましい視線を送っている。
二人が水路に架かる白い石橋の上へ差し掛かった、その時だった。
ヒュゥゥゥッ……と、夜空を切り裂くような鋭い音が静寂を破り、天高くへと駆け上がった。
次の瞬間——
ドンッ!
とお腹に響く重低音とともに、漆黒の夜空いっぱいに金と真珠色の光の大輪が咲き開いた。
「まあ……!」
ルシアが感嘆の声を漏らし、足を止める。続けて放たれた幾十もの花火が、紅、紺、瑠璃、そして煌びやかな黄金色へと色彩を変えながら夜空を染め上げていく。
花火の明かりが弾けるたび、水路の川面には「敷き詰められた銀鱗」のような光の反射がゆらゆらと揺れ、水上にもう一つの美しい花火を映し出してた。
「綺麗ですわね、お母様……」
見上げるルシアの瞳に、夜空の光がキラキラと映り込む。
「ええ、本当に……。あなたとこうして花火を見られるなんて、夢のようよ」
セシリアはルシアの小さな手をぎゅっと握りした。
今、大輪の花火の下で見せる娘の笑顔は、母の愛に包まれた一人の愛くるしい少女そのものであった。




