『転生姫の救援活動』
海峡を破られ、東海の猛嵐に打ち叩かれたアルストラーナ帝国の威光は、潮風に晒されるボロ切れのように惨めな姿へと成り果てていた。
かつて世界を震撼させた二百隻、二万七千の精鋭を誇る征服艦隊。それが今や、補給も途絶え、傷病兵の呻き声が重く響く半数以下の残骸と化していたのである。
旗艦『ラーナ』の最上甲板。大提督カシアン・ヴァロアは、真っ白な頭髪を潮風に乱しながら、ボロ雑巾のように深くうな垂れていた。その顔にはかつての覇気などひとかけらもなく、ただ破滅への恐怖と深い疲弊が刻み込まれている。彼の手元には、本国より届いた皇帝アラリックからの厳罰を告げる親書が握りしめられていた。
『私は艦隊を、他国と戦い屈服させる為に送ったのだ、海賊に負けて、風と波にやられる為ではない』
絶望的な皇帝の怒り。冷酷無比なその言葉は、敗軍の将であるカシアンの首を静かに断ち切る処刑宣告と同義であった。
どのような言い訳も通用しない。陸の王者たる帝国軍が、海賊の小細工に翻弄され、自然の猛威に身を任せるまま潰走したという事実は、帝国の誇りを根底から踏みにじるものであった。
「――なんたる無様……なんたる無様な結果なのですか、カシアン提督!」
甲板の重苦しい静寂を切り裂いたのは、鋭く凛とした幼子の声であった。声の主は、セレスティア親王イリアードの娘、わずか四歳にして神童と恐れられる王女ルシアである。可憐なドレスの裾をかすかに揺らし、幼い面影の中にも王族たる尊厳と烈火のごとき怒りを宿した瞳で、ボロ雑巾のような大提督を見下ろしていた。
「セレスティアの救援が間に合わなければ、あなた方は全滅していましたのよ! 皇帝陛下の怒りも当然ですわ。二万七千の命と二百隻の船を預かりながら、このような無能を晒すなど!」
ルシアの容赦ない呵責に、カシアンは言葉もなくただ体を震わせるばかりだった。二百隻二万七千を率いた誇り高き大提督、あるいは宮廷で権勢を誇る宦官たちですら、この四歳児の放つ絶対的な圧迫感の前には平伏するしかなかった。
「提督! 大変です!! 南から敵艦隊接近して参りました!!」
その時、見張り台からの悲痛な叫びが甲板に響きわたった。 逃げ延びてきたアルストラーナ艦隊を逃さぬとばかりに、追撃の海賊艦隊が再び牙を剥いて迫ってきたのだ。
敗走の恐怖が刷り込まれた帝国の水兵たちに狼狽が広がり、甲板は瞬く間にパニックへと陥る。指揮系統は完全に麻痺し、重臣たちもただ右往左往するばかりであった。
だが――二百隻二万七千を率いた指揮官たちよりも、わずか四歳の少女の方がはるかに反応が早かった。
ルシアは一切の動揺を見せず、即座に傍らに控える側近の従者へ鋭い視線を向けた。
「ベルトト! 補給と治療の進捗具合はどの位ですの?」
「65%ほど進んでいます」
ベルトトは即座に淀みなく答える。ルシアは小さく頷き、指揮官としての冷徹かつ的確な決断を下した。
「母様に伝えて欲しいの。セレスティア艦隊のみで迎撃。帝国艦隊は北上してシューコルン沖で待機。お願い」
傷つき疲弊した帝国艦隊をこれ以上戦闘に巻き込めば、完全な全滅を免れない。万全の戦力を保つセレスティア艦隊のみで敵を叩き、帝国軍には後方の安全圏へ退避を命じる。それは戦況を冷徹に見極めた、完璧な戦術的指示であった。
「かしこまりました。セシリア様に念話繋ぎます」
ベルトトが素早く術式を起動させようとしたその時、ルシアはすでにドレスの裾をひるがえし、船首側へと駆け出していた。
「大丈夫よ! ベルトトは母様の船に飛んで! 私くしはエミーナの船に乗ります!」
「え? ちょ! ちょっ! ルシア様!!」
慌てるベルトトの制止を聞く耳も持たず、ルシアの小さな身体が淡い転移の光に包まれる。直後、ベルトトの姿もまた空中に溶けるように消え去った。
帝国艦隊旗艦『ラーナ』の甲板からルシア、ベルトト両名があっという間に消える。
あとに残されたのは、圧倒的な決断力と行動力に気圧され、ただ呆然と立ち尽くすカシアン提督と、傷ついた帝国兵たちだけであった。
南の水平線からは、漆黒の追撃艦隊が迫っている。しかし、かつて「水明将軍」と讃えられた母セシリアと、自ら前線に躍り出た幼き王女ルシアが率いるセレスティアの精鋭が、いままさに迎撃の陣を敷こうとしていた。




