『転生姫の凶悪なしゃもじ』
六月の聖都クリスタルヘイム。聖騎士団の野外訓練場から見える、青空は澄み渡っていた。 日差しを和らげる風が吹き抜けるたび、ヒュッと甲高い風切り音が響く。青々としていたはずの芝生は彼らが繰り返してきた猛烈な鍛錬によってまばらに削り取られ、剥き出しになった茶色の土が荒々しく陽光を浴びていた。削られる土の音、そして互いに不足した空気を補おうとする荒い息遣いだけが、その静寂な庭園を満たしている。
次の瞬間、空気が揺れた。
2歳になる幼女、シェルランテがその場から姿を消したかと思うと、一瞬にしてミタマの懐へと飛び込んでいた。 小さな手に握られているのは、彼女の代名詞であるクリスタルロッド『東雲杓子』ではない。手作りの温もりを感じさせる、木製の小さなしゃもじだ。
鋭く顎下を狙ったしゃもじの一撃。ミタマは即座に体を仰け反らせ、舞うように反転した。左手に持った訓練用の木棒を薙ぎ払い、不意を突こうとする幼女を牽制しながら、素早く体勢を立て直す。
シェルランテは唇の端を吊り上げ、ニヤリと幼気いたいけなくも不敵な笑みを浮かべた。 一瞬でミタマの背後へ――幼女の瞬間移動。だが、幾度も手合わせを重ねてきたミタマの予測が勝っていた。振り返ったミタマの眼前に迫るのは、幼女が放つ凄まじい威力の突き出し。
「――はっ!」
交差させた木棒で間一髪受け止めると、その凶悪なしゃもじを勢いよく弾き返す。ミタマは間髪いれず、左右で異なる高さを狙った容赦のない諸手突きを繰り出した。
上下左右、逃げ場のない死角を突かれた標的が選択できるのは、後方へと退くことだけ――それが戦いの常識だ。しかし、シェルランテは違った。 幼い身体を丸めて後転すると、着地の勢いのまま深く沈み込み、バネのように真上へと跳躍したのだ。ミタマの追撃の一閃が、空を切る。
頭上へと高く舞い上がったシェルランテの手から、凶悪なしゃもじが手放された。眉間の延長線上、重力に従ってまっすぐに落ちてくる木しゃもじ。そして、空中で無防備となった幼女。
ミタマは吐息を漏らし、落下してくる小さな身体を優しく受け止め、ぎゅっと抱きしめた。
「そこまで……ですね」
抱きかかえられたシェルランテは、満足そうにフフンと胸を張る。勝負は決した。
ぱちん、ぱちん、と澄んだ拍手が響く。 木盾と木棒を手に構え、それまで静観していたツルギが歩み寄ってきた。その瞳には、幼き天才への真摯な敬意が宿っている。
「見事な身こなし。次は僕の番です」
シェルランテはミタマの腕から力強く飛び降りると、息を整える間もなく、木盾を構えるツルギに向かって不敵に頷いて見せた。
(木盾を相手に、この小さな木しゃもじじゃ隙が少なすぎる……)
ツルギの立ち姿を見つめながら、シェルランテは瞬時に思考を巡らせる。盾を構えた相手にとって、最大の弱点となるのは右後ろ。ツルギもまたそれを熟知していた。
「――さあ、殿下!」
ツルギは己の右側を強く警戒し、体を深く捻って隙を消す。 だが、2歳の天才はその思考の先を行く。虚を突き、彼女が姿を消して現れたのは、ツルギの警戒の逆――完全なる『真後ろ』だった。
(しまっ――!)
反転しては間に合わない。ツルギは咄嗟に右手を突き出したまま、右旋回のスピードを極限まで速めた。背後から襲いかかるであろうシェルランテの側頭部を狙い、強引に木棒を振り払う。
「ふふっ」
幼い笑い声。シェルランテは身をかがめてその一撃を容易くかわすと、低い体勢から鋭い『鉤突き』でしゃもじを繰り出した。標的はツルギのみぞおち。
「くっ……!」
ツルギは左足の軸を絶妙にずらし、右旋回の勢いを殺さぬまま、盾の縁で強烈なしゃもじの一撃を弾き返した。そのまま幼女の正面へ向け、盾による鋭く重い怒突き(どつき)を打ち込む。
ドゴッ、と風を孕んだ激しい一撃。しかし、手応えはない。攻撃は虚しく空を切っていた。
シェルランテはすでにツルギの左側へと跳んでいた。無防備に晒された左脇腹へ、容赦のない追撃が迫る。 ツルギは果敢に前進することで間合いを潰し、間一髪でそれをかわすと、瞬時に振り返った。
だが、そこにはもう――彼女の姿はなかった。
振り返ったツルギの胸元、その懐深くに、いつの間にか幼い影が潜り込んでいる。 首の付け根にそっと当てられたのは、硬く冷ややかな木の感触。
「……参りました」
ツルギは苦笑し、構えていた木盾と木棒を静かに下ろした。 まるで炊き立ての温かな白米が優しくすくい取られるように、彼はこの小さく『凶悪なしゃもじ』の前に、完全な降伏を宣言するしかなかったのだった。
登場人物一覧
【アルストラーナ帝国・皇族】
•イリアード
アルストラーナ帝国第15代皇帝。
•リゼリア
アルストラーナ帝国皇后。帝国の母としての威厳と気品を持ち、後宮を束ねる。セシリアとは幼馴染で親友。リヴィエール一族で異能者であるが、念話、念視、予知。後宮の運営や皇帝の政務の手伝いが上手なのはその為であるが、異能者のみにしか知られていない。その為、妙に完璧な人と思われている。リアムとシンシアの母親。
•セシリア
貴妃(イリアードの妻)。3年前に愛娘ルシアを亡くし絶望していたが、孫娘シェルランテの愛しさに心を救われる。リゼリア、イリアード共に従姉妹、従兄妹の関係である。リヴィエール一族で異能者。念動。念創。パイロキネシス。など使いこなす。
•リアム
皇太子。イリアードとリゼリアの息子。
シンシアの兄。シェルランテ、ソリス、オリオンの父。325年に反乱を起こしたイメイル領の遠征にて敗退。父イリアードから30人もの側室を押し付けられる。后妃たちの間で愛憎劇が繰り広げられている。ルシアの異母兄。
•シルヴィア
皇太子妃。シェルランテとソリスの母。高貴で冷厳だが、夫リアムとの溝や側室エレノアとの確執に悩む。夫のエレノアとの浮気と2人の子供が同じ時期に生まれた事から、嫌悪感が積もり埋められない溝となった。息子を後継者にする事に全力集中しているので、長女のシェルランテの奇行などはもはや気にならない様子である。
•エレノア:皇太子側室(良娣・正三品)。オリオンの母。元は身分の低い女官だったが、皇太子の寵愛を盾にシルヴィアへ対立姿勢を見せる。野心家で女を武器にできるやり手である。
•ルシア:故人。イリアードとセシリアの娘。17歳で戦死したが、母を慰めるため皇孫女シェルランテとして転生した。
『真理の光教団』なるインチキ宗教を生後四ヶ月で作ったのは、政教商の一致により、領民と国の正常化への取り組みからであった。民衆の信仰心から貴族のお金がリヴィエール商会にお金が流れてリヴィエール商会が国、政府に税を払う事で、領民は重税に苦しまず、貴族に余分な財産が蓄積されにくい仕組みとなっている。イリアードはそれを知っている為、『真理の光教団』と聖ゲンドラス教国を黙認する形で維持している。
•シェルランテ
皇孫女(リアムとシルヴィアの娘)。2歳。白鷺姫。
実はルシアの生まれ変わり。見た目の可愛さに反して驚異的な身体能力や冷静な戦術眼を持つ、強力な異能者。
「導光の聖歌姫」
•ソリス
皇孫子(リアムとシルヴィアの息子)。1歳。シェルランテの弟。
•オリオン
皇孫子(リアムとエレノアの息子)。1歳。シェルランテの異母弟。
•シンシア
皇女(16歳)。
『真光の巫女』
月華の錫杖『朧三日月』を使う。
リアムの妹。ルシアの異母妹。『真理の光教団』の聖書を丸暗記し、白亜宮にて働く人間の名前と生い立ちなどすべて記憶している知者でもある。
10歳で親元を離れて後宮に入れられ、11歳で恐ろしい事件に遭遇した経験もあるが14歳まで引きこもりだったのは、天才であるが故の他人との違和感が大きい。自分は何か違うを肯定的に捉えられる様になって、別人の様になった。ココロギを愛し、心の拠り所としているのも、彼女がココロギを必要としているからである。
【オーレリア帝国・家臣および協力者】
•レイナルド・デル・ペーレ:オーレリア帝国の太尉。
•ツルギ
『明光の聖騎士パラディン・レイディアンス』
宙属性は土星。万物の属性は土属性の力を持ち、『龍鱗盾』を構えてココロギや仲間たちを守る。エミーナの息子。ミタマの双子の兄。亡国ダラーンの英雄であり、国士とも至高の騎士とも言われるクラーク・ダナミヤの転生した姿であるが、記憶は継承していない。
•ミタマ
『真理の光乙女リ・ルミエール』。
水流のオーラを纏う聖騎士であり巫女。『空斬水鏡』と『東雲煌竜』の二振りの短杖を組み合わせた華麗な演武・武術で戦う。ヴィオというルシアが気に入っていた少女に似ており、ヴィオと同じ両手生殺(二刀流)を得意としている。エミーナの娘。ツルギの双子の妹。
•ルチア / フィオナ:春宮でシェルランテに仕える若い侍女たち。シェルランテの壮絶な縄跳びトレーニングを崇敬の目で見守る。
【聖ゲンドラス教国・アルヴェリア】
•ココロギ
教皇ゲンドラスの娘。
『至高の光巫女ハイ・プリエステス』。オクタヴィアの後宮、四つ葉堂に在中している。日光を集束させる錫杖。
『旭日神劫きょくじつじんこう』を振るう。
『異能の至宝』であるが、天然であり、ドジでもある。元来の人に優しい性格である為、異能の力はあっても殺意が薄いので、凶暴性は皆無である。
ブランガとの戦いで全身大火傷を負った際に、シェルランテによる異能の治療が失敗し、3歳ほど見た目が巻き戻ってしまった。シンシアと同い年に見えるが3歳年上で故ルシアより2歳年下である。
•エミーナ:『神託の聖母』。ブランガの両腕を粉砕した強力な異能者。海戦ではシェルランテに竹筒の麦茶を渡すなどマイペースな一面も。セシリアの元侍女である為、ルシアにとっても母であり、姉の様な存在であった。ルシアの生まれ変わりであるシェルランテとのシュールな雰囲気は20年来の親しき関係にある。ミタマとツルギの母親。
•アレス・サイリュン:聖騎士団長。教皇ゲンドラスの実子でエミーナの夫。元アルヴェリア海軍トップ。
•フェリス
シンシアに従う純白の鷹。卵からシンシアに育てられた為。自分も人間だと思っているか、シンシアを鳥だと思っているかのどちらかである。
【ノースフォレスト遠征軍・敵対勢力】
•ブランガ・オデュヌ:ノースフォレストを率いる「魔王」。転生者である。異能の魔導士に両腕を繋ぎ合わされ復帰。獄炎魔槍『煉獄の咆哮』を操る。
•ボーロス:ディヌイヤの覇王。重戦車部隊を率いてブランガと死闘を繰り広げ、最期まで王としての尊厳を保ち討ち取られた。
•アルカディアス:深紅と金の法衣を纏う初老の神職者。圧倒的な神気と空間破砕の力を持つ謎多き黒幕。
•戦斧の女:アルカディアスの命でシンシアを強襲した赤茶色のオーラを纏う刺客。シンシアに両脚を粉砕され深海へ沈んだ。
•暗灰色の騎士&短弓兵:ブランガ艦隊の強力な異能戦士たち。ミタマの極冷気と灼熱の連続攻撃の前に撃破された。
用語集一覧
【国家・地域・場所】
•白亜宮はくあきゅう:帝都ラーナにある広大な宮殿。後宮や各宮殿を内包する。
•水明宮すいめいきゅう:貴妃セシリアが暮らす館。池のほとりに佇む。
•春宮しゅんきゅう
皇太子妃の居館。白鷺宮。
皇孫女シェルランテの居住空間がある。
皇太子妃シルヴィアがシェルランテを身籠った頃から、
大きな白鷺が庭に住み着く様になった。
以降、白鷺宮とも言われる様になった。
•翡翠宮ひすいきゅう:イリアードの母、フレデリカの居館であった。リゼリアとセシリアが宮女として15歳まで過ごした。イリアードが生まれて育ったところでもある。後にセシリアの妹、徳妃ルネッタの居館となったが、ルネッタは皇子イスファに噛み殺された。
皇帝家にとって思い出深い居館である為、そのまま保存している。
•四つ葉堂よつばどう:後宮の礼拝堂。
ココロギの家でもある。うさぎや山羊、牛、鶏が飼育されている賑やかな施設。
•ディヌイヤ:南海に位置する湿潤な熱気に包まれた陸の孤島。覇王ボーロスが統治していた。
•シューコルン:ブランガ艦隊に占領された要衝。沖合で大海戦が繰り広げられた。
•イメイル
帝国の最西最南の領土で数代前の親王家が世襲していた。
反乱により親王家は抹殺された。
前年、皇太子リアムを総大将として奪還に向けて、軍を送り込んだが敗退した。皇帝イリアードがイメイル奪還に向けて、出立してしまっていた為にシューコルンは未対応となった。
•聖ゲンドラス教国
『真理の光教団』の国。
元ノバージェ共和国である。
ノバージェは。海の民として、海軍、海運、商業、金融に優れた国であった。
アルストラーナ帝国の実質的な属国。強力な海軍と聖性を有する。
•セレスティア
皇帝イリアードの親王時代の封地、及びその勢力。
皇帝直属の軍隊・国家。海軍の治安維持活動などで非常に高い錬度を誇る。
【武具・法具・道具】
•東雲杓子しののめじゃくし
シェルランテが『東雲煌竜』を真似て作ってもらった、東雲色に光るだけの棒。という事になっている。
•東雲煌竜しののめこうりゅう
ココロギが作成し、ミタマが使用する
クリスタルロッド(短杖)。火炎術の使える杖。
•空斬水鏡くうざんすいきょう
ミタマが持つ風属性の短杖。『東雲煌竜』と接合することで長杖になる。
•朧三日月おぼろみかづき
皇女シンシアが持つ月華の錫杖。
三日月形の光刃や粒子を放つ。宙属性の錫杖。
•旭日神劫きょくじつしんこう
ココロギの錫杖。日光を集束・倍増させ、万度を超える超高熱線を解放する。宙属性の錫杖。
杖頭が四つ葉の形をしている為に、ハエ叩きや布団叩きに似ている。
実際、ココロギはそれらで発想をえて作った。
•龍鱗盾りゅうりんじゅん
ツルギが使用する翡翠の鱗が埋め込まれた丸盾。
土属性の威力を引き出す。
ココロギがビー・スーの盾を改造した。
•煉獄の咆哮れんごくのほうこう
ブランガが持つ獄炎の魔槍。
【称号・役職・その他キーワード】
•真光の巫女ルークス・ヴェリタス
『真理の光教団』における高位称号。皇女シンシアに与えられた。
•至高の光巫女ハイ・プリエステス
ココロギが持つ絶大な聖性を示す称号。
・「導光の聖歌姫ディーヴァ・ルクス」
光を導く高貴で素晴しい娘の意。
シェルランテに与えられた称号。
•神託の聖母:エミーナの称号。
•良娣りょうてい:皇太子側室の最高位(正三品)。
•ブラッド・エミーナ
元アルヴェリア水軍の戦艦であり、アルストラーながら海軍全体でも最も戦功のある船である。「東海の鬼女」エミーナの専用艦。
イリアードの許可をえて、
エミーナと共に聖ゲンドラス教国所属の艦船となった。
• ブラック・ルシア
ブラッド・エミーナと同型艦。ルシアがエミーナと同じ船が欲しいとわがままを言って、4歳の時にイリアードに作らせた。
エミーナみたいに強くてカッコいい感じをだそうとしてブラックと名付けたが、完成間近でやっぱり白紅蓮花の白から桃色のグラデーションの色に塗り直しさせて完成したは船である。爪で引っ掻くと黒い部分が出てくる。
•ウォーターライト:シューコルン沖海戦に投入された聖ゲンドラス・連合艦隊の主要戦艦。水明将軍の称号を持っていたセシリアの戦艦である。アルヴェリア艦隊旗艦のウォータードラゴンと同型艦である。




