『破滅のあとに、愛しき呪いを』
断頭台を包む空気は、灰色の空から滴る冷雨と、野次馬たちの汚濁に満ちた熱気で濁っていた。
アルメリア帝国の都、その中央広場に聳え立つ黒ずんだ木製の処刑台。 シャルロッテ・フォン・ロシュワルトは、石畳を叩く雨音と嘲笑の渦のなか、静かに膝を折っていた。
かつてロシュワルト伯爵家の至宝と称えられた美貌は、荒い麻の刑衣と、泥と血に汚れた長い金髪に隠されている。背後に回された両手は冷たい鉄の縄目によって痛々しく縛り上げられ、白皙の肌に赤黒い痕を刻んでいた。
台の上の特等席には、二人の影。
メーゲル・フォン・カナルディ大公嫡男。 シャルロッテの元婚約者であり、かつて甘い言葉を囁いたその唇は、いまや正義を気取った歪んだ微笑みを浮かべている。その横には、華やかなドレスに身を包み、儚げに身を寄せる女——エレノア。
貧乏貴族の娘として現れ、清楚で慎ましい微笑みの裏で、言葉の毒と偽りの証拠を撒き散らした女。彼女は今、怯えた振りをしながら、扇の陰で妖しく細めた瞳でシャルロッテを見下ろしていた。
「……愚かな女だ、シャルロッテ」
メーゲルの通る声が、雨の音を裂いて響く。
「密告によりお前の魔術を用いた暗躍はすべて白日の下に晒された。エレノアを害そうとしたその醜い嫉妬心こそ、お前が魔女である何よりの証拠。カナルディ家の名にかけて、貴様を断頭台へと送る」
エレノアが小さく肩を震わせ、メーゲルの腕にすがりついた。 「まあ、メーゲル様……わたくしはただ、シャルロッテ様がお心を改められることを願っておりましたのに……こんなことになるなんて……」
その芝居がかった声に、シャルロッテの胸の奥で、何かがぶちりと切れた。
(嘘つき——)
絶望と屈辱の果て、シャルロッテの心の中に残ったのは、冷ややかな純粋なる殺意だった。
ゆっくりと、顔を上げる。 乱れた前髪の隙間から覗く蒼の瞳は、泥に塗れようとも決して濁っていなかった。そこにあるのは、処刑を待つ者の怯えではない。ふたりを焼き尽くさんとする、苛烈なまでの業火の色彩だった。
「……ふふ」
シャルロッテの薄い唇から、かすかな笑い声が漏れた。 その美しくも狂おしい微笑に、メーゲルは思わず息を呑み、一歩後退る。
「何がおかしい、魔女め!」
「可哀想なメーゲル様。……その女の化けの皮の剥がし方も知らず、甘い毒に酔いしれて……本当に、滑稽でいらっしゃいますこと」
「な……ッ!」
「シャルロッテ様、どうしてそのような酷いことを……!」 エレノアが涙を浮かべて叫ぶが、シャルロッテは一瞥さえ与えなかった。ただ、その二人を瞳の奥深くに焼き付けるように、強く、強く視線を固定する。
執刑人が、重い刃を繋ぐ縄を握り締め、言い渡す。 「被告シャルロッテ・フォン・ロシュワルト。罪を認め、神に祈りを捧げよ」
断頭台の台座に、強制的に首を押し付けられる。 冷たい木片の感触。濡れた刃が頭上で鈍い光を放っている。
祈る? 誰に? 神など、この世のどこにもいやしない。
シャルロッテは瞳を閉じず、歪んだ笑みを浮かべたまま、心の中で、そして声に出さぬ唇の動きで、呪詛の言葉を紡いだ。
(我が血を、我が魂を、尽きぬ怨嗟の贄としよう)
頭上の刃が、金属擦過音を響かせて解放される。
落ちてくる。 死が、すぐそこに。
(忘れるな、メーゲル。忘れるな、エレノア。 私を陥れたその浅はかな勝利を、せいぜい噛み締め、溺れるがいい)
首筋に、凍りつくような冷気と強烈な衝撃が走る直前。 シャルロッテは、確かに二人へ向けて——声なき誓いを解き放った。
『—必ず、戻るわ—』
死の闇がすべてを塗りつぶすその一瞬、彼女の憎しみは時空を超え、永劫の呪いとなって世界に刻みつけられた。
殺された乙女の絶叫は雨の中に消え、首は転がった。 しかし、その怨嗟の炎は、決して潰え去ることはなかった。
◇
ーー目覚めると。
そこは闇の中であった。
温かな液体の海が、全身をやさしく抱きしめている。 トックン、トックン、トックン——。 頭上から響くその音は、世界でただひとつの大太鼓であり、揺るぎない生命の脈動だった。
(……ここは、どこ?)
微小な意識が、まどろみの底からゆっくりと浮上する。 目を開けようとしても、瞼はまだ皮膚と同化しているかのように重く、なにも見えない。けれど、視覚などという曖昧な器官を頼らずとも、この世界のすべてが感覚として雪崩れ込んできた。
鼓動の主の感情が、血の管を通じてダイレクトに流れ込んでくるのだ。
愛おしさ。不安。小さな戸惑い。そして、全身を包み込むような深い温もり。
「……元気に育ってね」
外界から届く声は、水の底で聴く鐘の音のようにくぐもっていた。けれど、その響きが自分に向けられた言葉であることだけは、理由もなく理解できた。その声が届くたび、体中の細胞が歓喜に震え、小さな指先がぴくりと動く。
(わたしは……生きているんだ)
まどろみの中で、手足を伸ばしてみる。狭まりつつある温かな膜を内側から蹴ると、外側から優しく撫で返される感触があった。
「あら、いま動いた……ふふ、元気な子ね」
母親の喜びが、波となって伝わってくる。 ふいに、全身を包む世界がぐっと収縮し始めた。 やさしかった海が、自分を未知の外の世界へと押し出そうとする。圧迫感と、はじめて覚えるかすかな不安。
だが、不安を打ち消すように、母親の強い意志と強い鼓動が響き渡る。
「大丈夫……一緒にがんばろうね」
(私は胎児なの?生まれるの?——今、これから)
暗闇の先に、一筋の眩しい光が差し込み始めていた。 それは、新しい世界の始まりの合図だった。
登場人物一覧表
【前世・アルメリア帝国側】
• シャルロッテ・フォン・ロシュワルト:かつて「ロシュワルト伯爵家の至宝」と称えられた金髪碧眼の美女。エレノアの罠により「魔女」の濡れ衣を着せられ、断頭台で処刑されたが、激しい怨嗟の呪いとともに新しい命へと転生を果たす。
• メーゲル・フォン・カナルディ:カナルディ大公の嫡男で、シャルロッテの元婚約者。エレノアの言葉の毒と偽りの証拠に欺かれ、シャルロッテを魔女として断頭台へ送った。
• エレノア:貧乏貴族の娘。清楚で慎ましい微笑みの裏で狡猾に立ち回り、シャルロッテを陥れてメーゲルの寵愛を勝ち取った。
• 執刑人:アルメリア帝国の都の中央広場にて、シャルロッテの処刑を執行した人物。
【現世・アクアパレス/親王府側】
• イリアード:親王府の主。新しく生まれた二人の子の父親。
• リゼリア:イリアードの妻(正室)。男の子を出産した。かつて生まれた瞬間に、遥か遠くの帝部にいるフレデリカへ「念話」を送ったという規格外の異能の持ち主。
• セシリア:イリアードの妻(側室)。女の子を出産した。我が子の持つ凄まじい念動の力に最初は不安を抱いていた。
• リアム:リゼリアとイリアードの間に生まれた男の子。「人々を力強く護る盾となり、清らかな水のように生きてほしい」という願いを込めて名付けられた。
• ルシア:セシリアとイリアードの間に生まれた女の子。「光をもたらす者」という意味を持つ。生まれた瞬間から、無意識のぐずりで周囲の物を浮遊させるほどの強力な「念動」の異能を示す。シャルロッテの転生した姿。
• フレデリカ:イリアードの母。20年以上前は遠く離れた帝国の後宮に滞在していた。孫たちの誕生を祝いに本城へ駆けつけ、ルシアの異能も一族の誇るべき才能として温かく受け入れる。
• ベルナデット:親王府の侍女。完璧な足取りと所作を誇り、ルシアの念動で浮き上がったティーポットを優雅にキャッチするユーモアと気品を兼ね備える。
• ロゼッタ:お湯や産着を整え、二人の出産とその後の世話をサポートする。セシリアの侍女。
• エミーナ:ロゼッタと共に、温かなお湯や産着を整えて部屋を支える親王府のセシリアの侍女。
用語集一覧表
【地理・舞台】
• アルメリア帝国:シャルロッテが処刑された前世の舞台。中央広場には黒ずんだ木製の処刑台(断頭台)が聳え立っている。
• 帝都 / 後宮:アルメリア帝国の中心地。かつてフレデリカが滞在していた場所であり、生まれたばかりのリゼリアがセレスティアから念話を届かせた驚異的な距離の指標でもある。
• アクアパレス:物語の現在の舞台となる水の宮殿。
クリスタリア湖の東湖畔。網目の様に水路が張り巡らされている。水の都。
• フロスト・ヴァイス城:アクアパレス内にある城。太い水路群に囲まれ、美しい陽光が差し込む親王府の拠点。
• セレスティア:リゼリアやセシリアたちが暮らす、清らかな水に恵まれたこの世界の地。アルストラーナ帝国の北方。森と水の豊かな地方。親王イリアードの領土。
• クリスタリア湖:ルシアの名前の由来(輝き)として挙げられた、美しく豊かな光を放つ湖。
【血統・能力】
• リヴィエール家:生まれた瞬間から規格外の強力な異能を発現させる、特別な力を持つ一族。古き伝承の時代にセレスティアの森に飛来したと一族の間では伝わっている。異能の力は世間の偏見を避けるため一族の間以外には口外しない様、密かに生きてきた。
• 念動:ルシアが発揮した、重力を無視して周囲の物体(銀製のティーポットやカップ、花瓶など)を数センチメートルほど浮かび上がらせる精神感応能力。
• 念話:リゼリアが生後数時間で発揮した、大陸をまたぐほどの超広域精神通信能力。相手の頭の中に直接、鮮明なメッセージを届けることができる。
• 魔術 / 魔女:アルメリア帝国において忌むべきもの、あるいは取り締まりの対象とされている力。シャルロッテはこの力を悪用して暗躍したという無実の罪を着せられた。




